◆36 護衛とお嬢さま
「今日はこちらのドレスを」
出かける準備をしていると、カレンが真新しいドレスを持ってきた。
貴族令嬢が着るデイドレスよりは飾りが少なく軽やか。上半身はブラウスのようにフィットしていて、踝ほどのロングスカートはふわりと広がる。
前世で言うところの、クラシックワンピース。明らかにこの世界の形ではない。きっとブリジットよりも前の精霊の愛し子が持ち込んだのだろう。
だけどもこのような形のワンピースは今まで見たことがない。
「初めての形ね。今の流行?」
「そうです。他国から入ってきたワンピースですね。なんでもそちらの国にいた過去の愛し子さまの手記に書いてあったそうです。貴族令嬢のお忍びや裕福な平民階級に人気ですね。ヴァネッサ様もいくつか作っていらっしゃいますよ」
想像通りであったが、なんか引っかかる。
「手記なんて簡単にみられるの?」
「そのあたりは何とも。ただ愛し子さまにも生家がありますからね。そこの縁で見つかったのかもしれません」
すべてが教会や精霊の森のような場所に保管されているわけではない。前世の記憶が戻る前の手記ならば、そういうこともあり得るだろうか。
カレンはブリジットと話をしながらも、次から次へと支度を調えていく。だが髪に取り掛かると、途端に悲しい顔になった。
「こんなにも短く切ってしまって。これではよい結婚相手が見つかりません」
「ははは」
精霊の森ですむことになって真っ先にやったことが髪を切ることだ。長いのも嫌いじゃないが、一人暮らしでは非常に手入れが面倒なのだ。貴族令嬢の美しい髪は面倒を見てくれる人がいるから、存在するものである。
「結うことができませんから、こちらの帽子を」
そう言って取り出したのは、大きめのリボンと可愛らしい花の飾りを飾った釣り鐘型の帽子だ。前世で言うところのクローシュというタイプの帽子。これもワンピースと同じく一緒に入ってきたものらしい。
その時代の人なのか、それともクラシカルファッションが好きだった人なのか。少しだけ興味を持った。もし、今の問題が片付いたら、その愛し子がいたという国に行ってみるのもいいかもしれない。
「さあ、できましたよ」
「うん、ありがとう。とても綺麗だわ」
姿見の前でくるりと一回転してみた。ふわりとしたスカートに満足する。
「じゃあ、行ってきます」
「楽しんでいらしてくださいませ」
「教会に行くのよ?」
カレンの発言にびっくりすると、不思議そうに首を傾げられた。
「キース様はお嬢さまの恋人でございましょう?」
「……」
そうとも、違うとも言えない微妙な関係を説明できなくて、そそくさと部屋を後にした。
二階から降りると、玄関ホールで待っていたキースが目を見張った。
「とても綺麗だ」
素直に褒められて、ブリジットは頬を染める。
「そう? 久しぶりに着飾ったから、少し恥ずかしくて」
「エスコートできないのはもったいなかったかもしれない」
「ふふ。仕方がないわ。キースは護衛ですもの」
キースはリュエット伯爵家の護衛の服装だ。見慣れた護衛の制服だが、キースが着ているのは不思議な気持ちがする。
「ベルは?」
今日はベルも一緒に行くと言われていたので、辺りを見回した。精霊の森では好き勝手に過ごしていたけれども、あの地から出てからはあまり姿を見かけない。
「わたしはここよ」
突然、姿を現したベルにブリジットは目を丸くした。
「さっきまで見えなかったのに」
「見えないように姿を隠せるの。常に契約者とくっついているのが見えたら変でしょう?」
「確かに。聖騎士団でも一緒にいる騎士を見たことがないかも」
聖騎士団での様子を思い出しながら、思わずウィリアム団長に可愛らしいネコがじゃれついている様子を描いてしまった。
「ウィリアム団長の精霊は可愛らしいウリボウよ」
「ウリボウ……」
非常食だろうかと余計なことを考えていたら、ベルにしっぽで叩かれた。どうやら何を想像したのかがわかってしまったようだ。
和やかな雰囲気になったところで、キースが声をかける。
「そろそろ、出かけようか」
「キース、わたしは先に教会へ行っているわ」
「一緒に行けばいいじゃない」
ベルはため息をついた。
「いやあね、わたしだって少しは気を遣うのよ」
「えっ……」
「じゃあ、教会で待っているわ」
ベルは言いたいことだけ言って、姿を消した。ベルの気遣いがなんであるか気が付くと、だんだん恥ずかしくなる。顔を真っ赤にして俯いた。
「では行こうか。お手をどうぞ」
「……護衛、よろしくお願いします」
ブリジットも顔を真っ赤にしながらその手を取り、何とか淑女らしい笑みを浮かべた。
◆
ブリジットが中央教会に行くのは二度目。
どことなく落ち着かなくて、そわそわする。気持ちを落ち着かせようと、窓の外を見ればちょうど王都の繁華街の側だ。王都には貴族たちが買い物を楽しむ区画と平民たちが生活する区画ははっきりと区別されている。辺境にある領地にはこういう区別がないので、少しだけ不思議な空間だ。
「ブリジットは王都の街中を歩いたことはある?」
「いいえ。一度しか王都には来たことはない上に、それが成人の儀式でしょう? 色々あってすぐに領地に戻ってしまったから」
「じゃあ、落ち着いたら一緒に出かけようか」
キースに誘われて、顔を窓からキースへと向けた。
「いいの?」
「僕も巡回以外で歩いたことがないから、あまり店を知らないんだけど。同僚の誰かに聞けば、きっと教えてくれると思う」
「同僚……セスさん?」
やや軽薄な雰囲気のセスを思い出した。確かに彼なら色々な店を知っていそうだ。
「はは。セス以外にも女性関係がマメな奴もいる」
「ふうん」
キースはどうなのか、と聞きたくなってしまったがぐっとこらえた。流石に出会う前の彼の行動範囲に文句は言えない。ブリジットは自分がキースの過去を気にしたことに自分自身驚いてしまった。キースはブリジットの気持ちに気が付いたのか、にこにこする。
「僕は生まれが生まれだからね。女性は避けて通っていた」
「……別に気にしていないわよ?」
「そう? 残念」
「だって過去のことは変えられないじゃない」
務めて冷静に言ったつもりだったが、どこか拗ねたように聞こえた。自分でも嫉妬は恥ずかしいと思いつつ、ちらりとキースを見る。彼はどことなく嬉しそうに見えた。
「それよりも! 中央教会に着いてからはどうするの?」
テイラーが段取りしてくれたのは中央教会に行くまでのことと、それから面会予定を入れたところまで。その後のことは聞いていない。
「エルバ司教とそれから封印専門の司教たちとの話し合いになる」
「封印専門?」
そんな人がいるのかと、瞬いた。少しずつ、キースから教会については話してもらっているがそれでもやはり理解しきれていない。キースは小さく頷いた。
「そう。穢れを封じてからの変化だから、彼らに判断してもらった方が方針が立てやすい」
「ねえ、そもそもその穢れ、キースから取り除くということはできないの?」
「難しいだろうね。器になる人もいるかもしれないが、精霊の雫の穢れだから、僕が一番親和性が高いはずなんだ」
王族の血を引いているとはいえ、キースが一番の適任者というのは納得できなかった。とはいえ、あれほど苦しんでいる姿を見ているのだ。他の誰かに代わってほしいと願うのは躊躇いがある。
「やっぱり浄化できるのが一番なのかしら?」
「どうだろう。先日のことを考えると、浄化するだけでは難しいかもな」
活性化しているだけならば浄化でも十分かもしれない。でも明らかに今までと違う様子を見せていた。
「ところで、キースの封印は今どうなっているの?」
精霊の森の家から出てから、一度も確認していなかったことに気が付いた。随分と浮かれていたようで、浄化のための歌も歌っていない。気休めしかならないかもしれないが、歌わないよりは歌った方がいいのにもかかわらず、忘れてしまっていた。
申し訳なさそうな顔をするブリジットにキースは首を左右に振る。
「元々、精霊の森の外では頼むつもりはなかったんだ」
「どうして?」
「プラムがいない状態で、歌ったことによってどうなるかわからないから」
ブリジットの脳裏に浮かんだのは辺境伯領でのこと。普通の歌ならば、いつもと同じだが、何がきっかけで大規模な精霊魔法が発動するかわからない。特に気持ちで引き起こされているとしたら、封じておいた方がいいということだ。
「それに、王都はとても空気が汚れている」
そう呟くと、キースは窓の外に目を向けた。つられてブリジットもそちらに視線を送る。天気は悪いが、霧やモヤなどは見えない。キースの言う汚れがよくわからずに聞いた。
「重苦しい感じがするけど、そのことを言っているの?」
「ああ。はっきりとした穢れではないが、気持ちが下に引っ張られるような感じがある」
「それは天気の問題じゃなくて?」
空は曇天。
今にも雨が降りそうで降らない天気は気持ちを憂鬱にするし、気圧の変化は体調不良も引き起こす。そんなことを考えていたら、キースがすぐに否定した。
「そういう気分の落ち込みとは少し違うんだ。纏わりつくような空気は普通ではない」
「ふうん?」
「ブリジットは精霊の愛し子だから、もしかしたら感じられないのかもしれない」
「鈍感だと言うこと?」
「そうじゃない。精霊の愛し子はいるだけで浄化作用があると言われている」
それはまた自動空気清浄機状態だ。なんとなくそういう機能はありそうだとは思うが。実際に言われてしまうと微妙。
「教会に入ったら、出迎えがいるはずだ。義姉の安産祈願で、と伝えてほしい」
「わかったわ」
いくつかの取り決めをおさらいしているうちに、馬車は止まった。




