◆35 王都のリュエット伯爵家
「お嬢さまぁぁぁぁああああ」
王都のリュエット伯爵家の屋敷に入った途端、大号泣で迎えてくれたのは、ブリジットを赤子の時から面倒を見てくれた侍女頭。
リュエット伯爵夫人付きの侍女で、ずっとリュエット伯爵家に勤めている。実質、育ての母だ。
あまりの勢いに、ブリジットは思わず後ろに下がった。
「カ、カレン。ただいま……」
「随分と長いお出かけでしたね。ちゃんと生活できているのか、変な男に引っかかっていないか、もう心配で心配で」
心の内を吐露しながら、ぐすぐすと鼻をすすり涙を拭う。カレンは次から次へとどれだけ心配していたか、を余すことなく伝えてくる。
これほど心配をかけていたのかとびっくりしながら、後悔がジワリと滲んだ。せめて定期的に連絡は入れておくべきだった。例え何も話題がなかったとしても。ただ一言、元気だと。
「カレン、心配かけてごめんなさい」
「こうして元気な姿を見られたのだから、よいのです。おばさんの愚痴だと流してくださいませ」
カレンの小言が一段落したところで、ブリジットは笑顔で伝えた。
「とても楽しく生活していたの。だからもう心配しないで」
「それはようございました。月に何度かは顔を見せると約束してくださっていたのに、二年以上、音沙汰もなく。このカレン、とてもとても心配しました。そして、育て方を間違ったのかもしれない、と後悔も致しました。それに髪も! あんなにも美しかった髪をそんな風に断髪してしまってっ! これではまるで男のようではありませんか!」
「え、っと。ごめんなさい?」
確かにロウンズ伯爵領に行くときに、そんな約束をした覚えがある。すっかり忘れていたが。
再び小言が始まりそうな雰囲気が漂い始める。
どうしたらいいのかと、気まずく視線をうろつかせた。
「カレン、気持ちはわかるけど、少し落ち着かないと。ブリジットがまた逃げるよ」
カレンの暴走を止めたのは、テイラーだった。ブリジットのために予定を入れずに時間を空けておいてくれたのだろう。
久しぶりの義兄に、ブリジットは自然と笑みを見せる。
「お兄さま、ただいま帰りました」
「元気そうだ。ようやく帰ってきたか」
「急なお願いを受けてくれてありがとう」
リュエット伯爵家に連絡を入れてから、ここに来るまで一週間。
その間に色々と過ごしやすいように調整してくれたのだろう。
「もっと頼ったらいい。ここはお前の家だぞ?」
「うん」
何ともくすぐったくてそっぽを向いた。向いた先にキースが気配を消して佇んでいる。キースを見つけようと教会を監視している人たちにわからないように、髪は黒に染め、服装も平民が身に着けるようなシャツとズボン、それから使い古した外套だ。
元々、育ちのいい人である。隠していても人目を惹きそうな整った顔立ちをしているのだが、ぱっと見ただけではキースだとわからない……はず。
ブリジットと少し話してから、テイラーはキースへと視線を向ける。
「ブリジットの護衛として扱っていいのかな?」
「もちろん。そうしてくれるとありがたい」
「名前はどうする?」
「……考えていなかった」
「じゃあ、適当に決めておいてほしい」
テイラーの質問に、気軽に答えるキース。
二人のやり取りに、ブリジットは首を傾げる。
「もしかして、知り合い?」
「挨拶程度に。リュエット伯爵領は討伐をほとんど必要としないけど、同じ辺境だからね。聖騎士たちと交流があるんだ」
ブリジットの疑問に答えたのはテイラーだ。ブリジットはそう言われて、討伐関連でリュエット伯爵と共にロウンズ伯爵領に出かけていることを思い出した。
テイラーは次期リュエット伯爵。
当然辺境に必要な社交はしている。よくわかってなさそうな顔をするブリジットに、テイラーは不思議そうだ。
「聖騎士の話をヴァネッサから聞いていたんじゃないのか?」
「聞いたけど、キラキラした集団という認識しか」
「はあ、本当に精霊魔法しか興味がなかったんだな」
テイラーは大きく息を吐くと、ブリジットとキースをサロンへと案内した。
◆
リュエット伯爵家のサロンはとても日当たりのいい部屋が使われている。
領地の屋敷に比べたら小ぢんまりしていて、小規模ではあるがそれでも伯爵家の屋敷。
過ごす人が心地よくなるようにと整えられていた。
この屋敷に来たのは、成人の儀式のときの一度だけ。
その後、テイラーは結婚して、こちらで暮らすようになった。領地はリュエット伯爵が切り盛りをし、王都での仕事はテイラーが担う。
若い夫婦の住む屋敷は、前回来た時よりも明るいインテリアでまとめ上げられていた。
テイラーの案内でサロンに入ると、ゆったりとした仕草でヴァネッサが立ち上がった。
「ようこそいらっしゃいました。お出迎えできずに申し訳ありません」
ブリジットはヴァネッサを見て目を見開いた。彼女のお腹は大きくせり出しており、明らかに妊娠後期。
「ヴァネッサ姉さま、おめでとうございます! 知らなくてごめんなさい」
まさか妊娠中とは。
大変な時に来てしまったと、慌てた。だがヴァネッサは慌てふためくブリジットを見て、ころころと笑う。
「いやあねぇ。そんなにも畏まらないで頂戴。折角、家族になったのだから。ブリジットと姉妹になれるなんて嬉しいわ」
「わたしもとても嬉しい」
堅苦しい挨拶をした後は、以前と同じ距離感で話す。ヴァネッサのこういう割り切りの早さはとても好ましい。
「キース様もお久しぶりでございます」
ヴァネッサはキースに向かって簡易な挨拶をした。
「ロウンズ伯爵家の」
「ええ。今はリュエット伯爵家に嫁いでおります」
「ああ、無理をしないで座ってほしい」
彼も妊婦にはどうしていいか、わからないようで少し慌てている。ヴァネッサはうふふと笑った。
「お気遣いありがとうございます。妊娠は病気ではありませんから、そこまで大事にしなくても問題ありませんわ」
「ヴァネッサ姉さまが大丈夫でも、こっちがハラハラしてしまうわ」
とにかく座ってもらいたくて、ヴァネッサに椅子をすすめた。それぞれ椅子に腰を落ち着けると、執事がお茶を用意してくれる。そして、ブリジットの前に可愛らしい色とりどりのマカロンが置かれた。
「わあ、美味しそう」
「お嬢さまがお好きなお味をいくつかご用意しました」
「ありがとう!」
そんなやり取りをしているうちに、テイラーは部屋に防音の魔道具を発動させた。ここは信用できる人たちしかいないが、大事な話をするときは必ず防音する。
「さて。説明してもらえるかな?」
テイラーに促されて、キースが頷く。
ブリジットは特に話すつもりがなかったので、すべてをキースに任せ、お茶を楽しむことにする。
執事の入れてくれるお茶はリュエット伯爵家で過ごしていた時と変わらない味。マカロンにも手を伸ばし、一口齧る。こちらも記憶にたがわず、美味しい。
温かな過去の記憶に浸りながら、キースの説明に耳を傾ける。
キースの説明はとても分かりやすく、しかもブリジットが秘密にしておいてほしい、精霊の愛し子であること、歌で精霊魔法が少し使えることは黙っていてくれる。それでも話が破綻しておらず、情報の選択がとても上手だ。ただただ感心してしまった。
これならばテイラーも何も言ってこないだろうと思っていた矢先。
「精霊の森で過ごした方が封印の力が強まるのは理解できる。だが、どうしてブリジットが一緒に王都まで? あれほど頑なに王都どころかリュエット伯爵家を拒否していたのに」
「一人よりは二人の方が王都に入りやすい」
キースが冷静に繰り返すが、テイラーは手を上げて続きを遮った。
「それもあると思うが、ブリジットは知っての通り魔法が使えない。しかも、下火になったとはいえ、ブリジットを覚えている人も多いだろう。目立ちたくないのなら、逆効果だ」
テイラーがキースの隣に座るブリジットに目を向ける。ブリジットは居心地悪く身じろぎした。何を言うのが正解なのかがわからない。精霊の愛し子であることは言いたくない。でも、精霊の森で一緒に暮らしていることは言っている。心配したからとか、お節介で、とかそういう感じでは説明付かないだろうか。
「えっ、と」
幾つもの思いがぐるぐると駆け巡るが、考えがまとまらない。
黙ってしまったことが敗因だったのだろうか。
きらりと目を光らせたテイラーに、洗いざらい喋らされていた。
涙目で語り終えれば、テイラーは納得したように頷く。
「なるほど。物は試しだ。歌ってみてくれ」
「え!」
「ほんの少しだけでいい」
断れる感じもなく、渋々、あんとぱんのヒーローの歌を歌った。もちろん小さな声で、サビだけ。
「まあ、不思議。とても空気が綺麗になったわ」
「本当だな」
ヴァネッサの驚きに、テイラーが頷いた。
「状況はわかった。ヴァネッサの安産祈願のため、ブリジットが代理で訪問すると、中央教会に連絡を入れてある」
テイラーはもっともな理由で根回しをしていた。ごく自然な訪問理由に、感心してしまう。
「お兄さま、すごく準備がいい」
「僕は伯爵家の後継者だ。このぐらいは普通だ」
褒めたつもりが、当たり前のことだと言われてしまって唇を尖らせる。
久しぶりの家族に、雑談に花を咲かせた。




