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転生令嬢は、辺境の地で菓子を焼く~精霊の愛し子なのに、全然チートじゃなかった  作者: あさづき ゆう
第四章 辺境にある聖騎士団

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◆33 キースとブリジットの距離

 キースにとって、ブリジットとの生活はとても穏やかなもの。

 今までの人生で味わったことのない幸せに、このままずっと続けばいいと願ってしまうほど手放せないものになっていた。


 セスのアドバイス通りに好意を前面に出すと逃げてしまうので、加減しながらだ。ブリジットは前世の記憶があると言っても、あまりにも恋愛に初心。キースは自分の心を偽りなく伝えているだけなのだが、それだけで顔を真っ赤にして逃げてしまう。


「前世は働いていて、大人の女性だと言っていたのにね」


 逃げるブリジットを眺めながら、ベルは呆れたように呟く。


「仕事ばかりだと言っていたね。でも、恋愛に慣れていなかったのは嬉しい誤算だ」


 キースがそう答えれば、ベルがやや引いた。


「え、まっさらが好きとかそういう話?」

「違う。僕の不出来なところを誰かと比べられたくないから」


 キースはほの暗く微笑んだ。一瞬だけ垣間見えた陰のある笑みに、ベルが目を大きくした。ベルがキースと契約をしたのは成人の儀式の後。環境の悪い中で育ってきていることは知っているが、暗さを感じたことは一度もない。ベルはまじまじとキースの目を見つめた。先ほどの陰はもうどこにもない。


「あなたが不出来なら、世の中カスばかりじゃない」

「そう思うのは、ベルが贔屓目で見ているからだ」

「そんなことないわよ」


 不満そうにベルが否定する。キースは特に反応することなく、キッチンに入った。保管庫から小麦粉と砂糖、他にもいくつか必要な材料をカウンターに並べる。ブリジットが暇さえあればケーキなどを焼くので、それを見ていたキースもいつの間にかできるようになっていた。


「……すっかり菓子作りに嵌って」

「意外と心を落ち着かせるのにいいんだ。それにブリジットのレシピはわかりやすい」


 ブリジットに言わせれば、それは初心者が作るレシピばかりだからという話なのだが、キースはここに来るまで肉を焼くかお湯を沸かすぐらいしかしたことがない。調理が簡単にできるとは考えたことがなかった。


「僕はずっといらない子供だった」

「そうね」

「聖騎士になることで、自分の居場所を作った。公爵家とは縁を切ったことで、自由になったと思っていた」


 未だに長兄はキースを気にしてくれているが、その他の家族はキースをいない者として扱っている。それでよかった、それを望んでいた。日々の聖騎士としての訓練や討伐で自分の地位を固め、居場所も作った。最期は聖騎士として死ねれば本望だとも。


 だが、何の運命が動いたのか、キースは穢れを封じることになり、こうして精霊の森で過ごすことになった。

 

 朝、起きれば挨拶をして食事をとって。

 家の仕事と外の仕事をこなし。

 一緒に暮らしているため、家事も分担する。もちろん、聖騎士としての鍛錬は欠かせないし、趣味の魔道具解析もしている。


 ブリジットにしたら普通の生活であっても、キースにとっては初めての生活。

 聖騎士ではない日常を過ごすことによって、見ないようにしていたものが表ににじみ出てくる。そして、自分がいかに「家庭」というものを欲しがっていたのかに気が付いた。


「うーん、家事の分担は貴族の家ではしないわよ。珍しいから特別に思っただけじゃないの」


 ベルが鋭いツッコミをした。キースは高位貴族の息子で、ブリジットも養女とはいえしっかりとした貴族の家の娘。

 まずこの二人が家事をすることがあり得ない。


「はは。でもこの生活が楽しいのだから、仕方がない」

「ふうん。いつまでもここにいられないと思うけど」

「この封印がある限り、居座るつもりだ」


 堂々と居座ると言われて、ベルは呆れたようにため息をついた。


「ウィリアム団長から応援要請来ているでしょう? 行かないつもりなの?」

「取り決めをしてからなら、行ってもいい」


 どういうつもりかと、ベルは訝し気に目を細めた。


「精霊の森で過ごして、人手が足りない時に短期間だけ聖騎士団に行くことを認めてもらうようにお願いしている」

「……そう」


 ベルは何か言おうと思ったが、言ったところで意思は変わらないだろうと何も言わなかった。

 ベルが黙ったことで、キースがボールをかき混ぜる音だけが部屋の中に響く。

 

「あ、キース! 手紙が届いているよ!」


 先ほど逃げて行ったブリジットが手紙を持って戻ってきた。キッチンに立っている姿を見て、興味深そうにボールの中身を見る。


「ホットケーキ?」

「正解」

「じゃあ、これ入れてみてほしい」


 ブリジットは調味料の入っている籠を漁り、何かを取り出した。彼女の手には親指の爪の大きさほどの黒い豆が乗っている。この国では豆料理はあまり主流ではないが、南の方に行くと豆を使った煮込み料理がある。ただ、トマトの煮込みの時に使っている豆とは種類が違いそうだ。


「豆?」

「そうなんだけど、ちょっと違う。バニラっぽいもの。アーサーさんに頼んでいたんだけど、これじゃないかと持ってきてくれたのよ」


 そう言って、ブリジットはキースの目の前に手のひらを寄せた。

 仄かに香る甘い香り。


「甘い香りのする豆は初めてだ。トマトには合わなそうだな」

「匂いがね、前世でのバニラビーンズに似ていて、ホットケーキには欠かせない香料なの」


 懐かしそうにその香りを楽しむブリジットに、キースは眉を寄せた。香りは確かにいいかもしれないが、親指の爪サイズの豆を入れるのは抵抗がある。

 

「ホットケーキにその黒い豆を入れるのか?」

「……いい香りがすると思うけど。でも、このまま入れたら視覚的に駄目かも」


 流石にブリジットもそのまま入れることはしなかった。

 

「うーん、使い方がわからない」

「ブリジットの記憶ではどんな感じなんだ?」

「もっと、小さい実なのよ。本当に小さくて邪魔にならないの」


 ブリジットはしばらく悩んで、持っていた手紙をキースに渡した。


「ちょっと考えるから、その間に手紙読んで。至急って書いてある」


 キースは手紙に目を落とした。その文字には覚えがあった。読みたくない気持ちの方が大きいが、それでも読まないといけないだろう。渋々、封を切り手紙を広げる。

 その間、ブリジットは豆を包丁の腹で潰した。黒い皮はとても固かったが、中の白い実は柔らかく簡単に潰れる。潰れた実を指でつまみ、匂いを嗅いでみた。


「うん、なんかバニラっぽい」


 白い実を細かくしてからホットケーキの生地に混ぜる。

 キースは手紙を読むと、すぐにポケットに捻じ込む。どうでもよさそうな様子に、ブリジットは思わず聞いてしまった。


「重要な内容じゃないの?」

「セスから、違う菓子のレシピが知りたいからブリジットと共に来てほしいという内容だった」

「あー、ダックワーズ気に入っていたものね」


 料理人達と一緒に作ったことを思い出す。彼らは突然やってきたブリジットを嫌がることなく、厨房を使わせてくれた。一緒に聖騎士たちの分の菓子も作ってくれたので、それなりに仲良しだ。


「それだけじゃないだろうが……」


 キースは言葉を途中で切った。そして不思議そうな顔をして、封印をシャツの上から触る。


「どうしたの?」

「いや、今ここが少し痛んだような?」


 自分でもわかっていないのか、疑問形だ。ブリジットは心配になって、手を止める。


「歌う?」

「いや、大丈夫だと思う」

「でも最近痛みはなくなってきたと言っていたじゃない」


 辺境伯領から戻ってきてから、キースは調子がいいと言っていた。だけども、再び痛み始めたのなら多少なりとも緩和してあげたい。


「痛いというよりも、何となく違和感? よくわからないけど、今は何ともない」

「そう?」

「それよりもホットケーキを焼こう」


 そこまで言われてしまえば、ごり押しすることもできず。

 二人でコンロの前に立ち、フライパンにホットケーキの生地をすべて流し込む。弱火にして、表面がぷつぷつしてくるのをなんとなく二人で見ていた。


「……なんか平和ね。申し訳ないぐらい」

「平和ならいいじゃないか」


 ブリジットの呟きをキースが拾う。申し訳ないという気持ちがよくわからなかったのか、首を傾げた。


「もうちょっと精霊魔法が役に立てばよかったんだけど」


 キースはようやく合点がいく。最後に見せた大規模な精霊魔法が自由に使えないことに後ろめたさがあるようだ。キースはふんわりとほほ笑んだ。


「気にすることはない。それを言ったら、僕はあれこれ理由を付けてここにいる」


 聖騎士としてあるまじきことだろう?


 そうおどけたように言えば、ブリジットはしかめっ面をした。


「穢れを封じているだけでも立派な仕事だってエルバ司教が言っていたわ」

「そうかもしれないけど、そう思わない人は多いんだ。特に僕は序列二位だからね」


 聖騎士の序列は強いもので、どうしても上位になるほど責任を問われる。穢れの封印という一見何もしていないように見える状態は、責務を放棄しているように見えるのだ。


「わたしはこうして暮らしていきたいわ」


 それは小さな小さな声。キースはすぐ側にいたから拾えた言葉。


「ブリジットの暮らしの中に僕も含まれている?」

「もちろんよ」


 ブリジットを見れば、彼女の顔はいつもよりも赤い。遠回しな好きという言葉に、キースはほんの少し目を見開いた。

 ブリジットからは逃げられても拒否をされていないことから、好意を持ってもらえていると思っていた。ただ、彼女がそのことを受け入れるまでには時間がかかるとも。


「ブリジット、好きだよ」

「――わたしでいいのかしら?」


 自信なさげに眉尻を下げて、キースを見上げる。キースは少しかがんで彼女の耳元に囁いた。


「もちろん。そのままの君が好きだ」


 キースは耳の付け根に触れるだけのキスを落とした。

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