◆20 キースの事情1
「傷薬用のチドゼサ、痛み止め用のアイケ、それから痒み止め用のオラース。よし、全部ある!」
ブリジットは注文書を片手に、採取した薬草を確認する。今日は役所に薬草を届ける日だ。朝から薬草を摘み、今は十時過ぎ。薬草を届けて、買い物してから戻ってきてもお昼には十分に間に合う。
「じゃあ、出かけてくるわね。キース、何か欲しいものはある? ついでに買ってくるけど」
「特にない」
「わかったわ」
斜めかけの鞄にお金などを持って、薬草が入った籠を持つ。
「昼食、準備しておくから」
「あ、もしかしたらアーサーさんが来るかもしれない。キッチンにお菓子をまとめた籠があるから、渡してほしい」
「他にやることはない?」
「うーん、それぐらいだと思う。じゃあ、いってきます」
最近、キースは朝とお昼の食事を担当している。しかも、ブリジットが前世の記憶から引っ張ってきた、なんちゃってレシピを使用したメニューだ。
この世界、前世持ちが持ち込んでいるレシピが多いため、前世の記憶を持つブリジットにも美味しく食べることができる。それでもあえてブリジットの口に合わせて前世寄りに作っていた。知らない味が多いため、ブリジットの反応を見ながら調整する。
これを繰り返しているうちに、ブリジットが懐かしそうな顔をするようになった。その顔がとても嬉しそうで、キースはついついブリジットの記憶のある前世の味付けに拘ってしまうのだ。
ブリジットは慌ただしく出かけて行った。
彼女を見送ると、キースは息を吐く。
「ブリジット一人いなくなるだけで、随分と静かだ」
「はは、彼女はいるだけで騒々しいからね」
プラムはにこにこしながらキースの呟きに答える。
「貴族の令嬢はもっとおしとやかなものだけどね。それに髪もあんなに短くして。綺麗な銀髪なんだから、ちゃんと伸ばせばいいのに」
女としてどうなのよ、とベルが辛口の評価をする。
「ここに来た時はちゃんと腰まで長かったよ。一人暮らしをしなくてはいけなかったから、手入れが面倒だと言って切っちゃったけど」
「それは止めなさいよ。髪は女の命なんだから。貴族令嬢に戻れなくなっちゃうじゃない」
ベルが注意しないプラムを窘めたが、彼はよくわからないらしい。可愛らしく首を傾げた。
「そうなの? ブリジット、軽くて解放感! って喜んでいたけど」
「……確かに喜びそうよね」
「それにブリジットはずっとこの森にいるんだから、外のことなんて気にしなくていいんだよ」
キースは精霊たちの世間話を聞きながら、薬草畑に向かう。
「薬草畑の水やり、手伝う?」
「いや、一人で大丈夫だ」
「そう。じゃあ、ボクは森の奥に行ってくるね。ブリジットが帰ってくるまでには戻るから」
手伝いを断ると、プラムはふらりといなくなった。
「プラムも自由よね。彼がこの森の主なのだから、そういうものかもしれないけど」
キースはベルの話を聞きながら、魔道具にほんの少しだけ力を込める。
魔道具が起動し、薬草畑に水を撒く。霧状の雨が畑の上に広がり、光を浴びてキラキラした。
水分を補給した薬草たちはぐんぐんと伸び始める。目に見えて大きくなるのだから、この魔道具は成長を促す仕掛けが施されているのだろう。
「魔道具が優秀過ぎる。これを考えた人は天才だな」
「本当ね。精霊の森の管理人たちは愛し子だから、教会に登録されているんじゃないかしら?」
「登録はしていないと思うよ。他の魔道具も登録印がなかったからね」
「そうなの? それは残念ね。登録されていれば、外に持ち出せたのに」
さほど残念そうでもない様子で、ベルが欠伸をする。
教会に登録されている愛し子はかなりの数がいる。でも、この精霊の森の管理人になっている愛し子は表に出てこない人たちばかりだ。
教会は把握していても、本人が拒絶をした場合登録しないことになっている。登録していなければ、教会が勝手に魔道具を作るわけにはいかない。もし勝手なことをした場合、精霊に報復される恐れがある。
「プラムに許可を貰えば、持ち出したとしても怒られないと思うけど。ブリジットが使えるわけじゃないしね」
「そういう問題じゃない。信用の問題だ」
「……義理なんて通そうとするから、あんなことになったのに」
ベルの当てこすりに、キースは可笑しそうに笑った。
「母と国王が腐っていたとしても、理由ぐらい聞かないと、言い訳が成立しないじゃないか」
「笑い事じゃないわよ。おかげで、あなたの体に精霊の雫の穢れを封じることになったじゃない」
「それは仕方がない。浄化が効かなかったから」
ベルは不機嫌に、しっぽを勢いよくパタパタと動かした。キースは宥めるようにベルの背中を撫でる。
「ブリジットがお人好しで助かったところもあるわね。あんなにも受け入れたくないという顔をしていたのに」
銀髪紫目の肩で髪を切りそろえたブリジット。
お人好しで、面倒臭がり。自分の興味のあることしか力を入れない。魔法を初歩から教えているが、嫌がることなく素直に学んでいる。
「彼女は気持ちのいい人だと思う」
ブリジットはキースが知っているような女性たちとは違い、媚びてすり寄ることをしない。それに自分をよく見せようとする気持ちもないのか、ブリジットは化粧もせず、街の女性と同じ服を着て暮している。
最近では、キースがいても寝ぼけた顔でダイニングまで降りてくる。少しも男として意識されていない。恥ずかしさに頬を染めたのは、封印をして一緒にベッドで寝てしまった翌日ぐらいか。
「ふふ。キースが女性を褒めるなんて。いいんじゃない? ブリジット、お似合いよ」
揶揄うように言われて、キースはそっぽを向いた。
「それよりも、ベルの体調は?」
「キースが楽になっているからかしら、かなり回復してきているわ」
「本当に?」
ベルは中位精霊で、どちらかといえば戦いに向いている。不完全な封印を補助するのはかなり厳しい。
だから、こうして存在しているのが奇跡に近い。存在が危ぶまれるほどの瑕だったのだ。目に見えるところに瑕はないとはいえ、もっと深いところが傷ついている可能性がある。
キースの心配に、ベルは何でもないというようにつんとした顔をする。
「本当よ。中途半端だった封じが安定している。キースはどうなのよ。安定しているとはいえ、穢れを抱えているのだから」
「だるさが残っている程度だな。討伐に行こうと思えばできる」
精霊の森の恩恵とそれからブリジットの歌の効果。
ブリジットは未だに半信半疑だが、毎日歌ってくれる。彼女の歌はこの世界では聞いたことのないものばかりで、とても新鮮だ。
「ブリジット、魔法の勉強しているけど、実際はどうなの?」
「少し厳しいな。勉強嫌いではないし、素直にこちらの意見も聞ける。こちらの補助を受ければ、魔力を感じることは簡単にできるはずなのに。何かに阻害されているような」
キースは難しい顔をした。今まで誰かの教師をしたことはないが、それでも初歩的なことは教えることはできる。
「精霊の愛し子だからかしら? 普通の人とは違う方法じゃないとダメなのかもしれないわね」
「教会で調べた方がいいのかもしれない」
ブリジットが自分の意志で魔法が使えるようになれば、自分を守ることができる。守る力はないよりはあった方がいい。
「教会、今行っても大丈夫かしらね?」
国王とのごたごたもあって、キースは隠れている状態。
教会も国王の手の者が見張っているはずだ。
「そう言えば、どうして僕を呼び寄せたんだろう?」
母親に呼び出された理由を今頃になって気になった。
「え? ストレス発散に罵倒したかったんじゃないの? それか闇の精霊を生み出したんだ、って自慢したかったからかも」
「笑えない」
精霊の雫は穢れが大きくなると、闇の精霊を生み出すと言われている。その通りに、穢れを貯め続けた国王の狂気の顔を思い出し、ため息が出る。
国王は決して愚王ではない。貴族だけでなく国民からの評価は高い。ただし、それは異母妹であるキースの母が絡まない場合のみである。唯一の欠点と言ってもいい。許されるバランスをうまく取っていたはずなのに、どうしてあんな風になってしまったのか。
「狂う原因は一つしかないじゃない。きっと大好きな異母妹が永遠の美でも願ったのよ」
「あり得そうだけど、どうしてそれが闇の精霊の器になることにつながるんだ?」
「さあ? 短絡的に精霊の力を持てば美貌が維持されると勘違いしているのかもね。いい年してお互い依存して、気持ち悪い異母兄妹よね」
ベルの言葉は辛らつ。
だけど、その通りすぎてキースは笑ってしまった。




