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転生令嬢は、辺境の地で菓子を焼く~精霊の愛し子なのに、全然チートじゃなかった  作者: あさづき ゆう
第三章 同居人

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◆15 キースの呪い

「はあ、眠い」


 食事の後片付けと明日の準備をした後、風呂に入って、寝支度を済ませるとそのままベッドに転がった。

 久しぶりの誰かとの食事で思っている以上にはしゃいでしまったのだろう。一人になるとどっと疲れが襲ってくる。


 前世でも一人で暮らしていたし、この世界でも一人で寂しいと思ったのは暮らし始めて三カ月だけ。でも、キースと話しながら食事をしていて、自分が人恋しくなっていたのだと気が付いた。何でもない会話をすることが楽しい。食べ慣れた食事も、食後のお茶も、今日は特別においしかった。


 目をつぶり、心地よい余韻に浸る。


「ブリジット」


 プラムがふわりと寄ってきた。寝室まで来るなんて珍しい。そう思ったが、起き上がる元気もなく、手招きする。


「ごめんね、もう眠くて起き上がれない」

「じゃあ、少し回復させるよ」


 ブリジットが答える前に、プラムは魔法をかけた。今までもプラムがブリジットに対して直接使うことは一度もない。びっくりして起き上がった。


「どうしたの? 眠いだけだから、回復しなくてもよかったのに」

「寝ちゃだめだよ。これからブリジットには動いてもらうから」

「こんな夜中に?」


 チラリと時計を見れば、すでに深夜。

 寝間着になってしまっているし、今からうろつくのは嫌だ。


「いいから、ちょっと来て」


 いつもと違う強引さに、少しだけ不安がこみ上げてきた。プラムはどことなく表情が硬く、普段のお気楽さはない。


「どうしたの?」

「キースを見てほしい」

「キース?」


 思わぬ名前を聞いて、驚いた。プラムはそれ以上説明することなく、付いてきてと部屋から出て行く。

 プラムの後を追いながら、キースの部屋の前までやってくる。プラムは躊躇うことなく、キースの部屋の扉を少し開けた。


「気が付かれないように、静かにね」

「流石に入れないわ!」


 夜這いのような状況に、ぎょっとした。プラムがすぐさま、静かにとブリジットの口に体を押し付け、声が出ないように塞ぐ。抗議しようとプラムを引き離そうとした時、呻くような声が聞こえてきた。


 聞き逃してしまいそうなほど、小さな声。

 それでも苦しみが伝わってくる。


 この部屋にはキースしかおらず、声の主もキースしかいない。

 もし苦しんでいるのなら、助けないと。そんな気持ちだけで部屋の中に足を踏み入れた。


 部屋には灯りは灯っておらず、月の光だけ。大きな影が床に蹲っていた。膝をつき、体を丸めて苦しそうに体全体で息をしている。


「キース? 大丈夫?」


 不安を覚えながら、キースにそっと声をかけた。彼は声に反射して、少しだけ顔を持ち上げた。

 窓から入る月の光に照らされたキースの顔には苦悶の表情があり、はだけた胸元には、黒い刻印が蠢いている。

 黒い刻印は肌の上を這い、首に幾重にも絡みついている。肌の上の刻印が動くたびに、キースが苦しそうに歯を食いしばり呻いた。

 

 あまりのおぞましさに、ブリジットは息を呑んだ。


「何、これ」

「呪い、かな? でもすこし違うような?」


 普通ではない状態に、ロウンズ伯爵がキースを精霊の森で療養させたかった理由だと理解した。


「どうにかできないの? すごく苦しそうよ」

「これが何かがわからないから、何とも」

「調べたらいいのね」


 ブリジットはもっとよく見ようと、キースへと手を伸ばす。その手は何かに強く弾かれた。

 いつの間にかベルがキースを守るように立ちふさがっていた。触ることを許さないと、背中の毛を逆立て、目をらんらんと輝かせる。


「ベル!」


 驚きと、目が覚めた嬉しさに声をかけた。だが、ベルは少しも警戒心を緩めることなく、フーフーと威嚇してくる。それはブリジットに威嚇しているというよりも、不用意に触れないようにと警戒しているようだ。


「キースに触らないで。人が触るべきものじゃない」

「でも、すごく苦しそうだわ」

「わかっている。夜の間だけよ。朝が来れば落ち着くから」


 どうやらベルはこの苦しみの原因を知っているようだ。プラムはふわりとベルの方へと動く。


「陽の光に弱い……これ、穢れ?」


 プラムの呟きに、ベルがびくりと反応した。プラムはそれだけで確証したようだが、ブリジットにはさっぱりだ。


「穢れはこの森に持ち込めないでしょう?」

「だから、穢れを封じているんだよ」

「え? キースの体にということ?」

 

 人に封じるなんて聞いたことはない。穢れは聖騎士や聖職者が浄化する。それ以外の方法があることは一般には知られていない。ブリジットも初めて聞くことで、驚きしかなかった。

 

「見たところ、ちゃんと抑えきれていないけどね」

「これしか方法がなかったのよ」

「ああ、そうなんだね。浄化ができないから封じたのか」

「そうよ。でも、キースは封印するのに向いている体質ではないから、想像以上に苦しんでいて。わたしの力も限界まで使ってこの状態なのよ」


 ブリジットには細かいことはよくわからなかった。ただ、二人の会話からある程度の想像はつく。

 

「プラム、これ、浄化できるの?」

「無理だね」


 何とも不安な答えである。キースは苦しさから、黒い刻印を掻きむしる。強い力で引っ掻いているのだろう、その指が次第に血だらけになる。見ているだけでも痛々しい。せめて搔きむしる手を握ろうとするが、それはベルによって阻まれる。


「触らないで。ブリジットは耐性がないから危険よ」

「でも。なんとかならないの?」

「封印するしかない穢れの浄化は、ボクにも難しい。上位精霊でないと」


 プラムは難しい顔をした。精霊の森の主であるプラムであったが、精霊の格はまだ下位。あり方が違うから一概に比較できないが、恐らくベルよりも弱い。ベルにも封じることが精一杯と言われてしまっていては、迂闊に手を出せない。失敗したら、この精霊の森が枯れてしまう。

 

「わたしが聞きたいのは、苦しくないようにできないのかということよ」


 封印していたとしても、苦しまない方法はあるはずだ。プラムが何やら色々と考えながら、可愛らしく首を傾げた。


「もっと封印を強固にしたら、苦しみは軽減するかも」

「封印を強固って逆に悪化しそうなんだけど」

「封じているものをぎゅっと固めて、動けなくした状態にすれば、勝手に動かなくなるはず。でも、ボク一人では無理」


 無理と言いつつも、意味ありげに見つめられて察した。


「わたしが手伝ったら。封印できるの?」

「多分」


 そう聞いてしまえば、やるしかない。

 どんなことをするのか全く分かっていなかったが、腹をくくった。


「キースの手を握って、何があっても絶対に離さないで」

「わかったわ」


 何をするつもりかはわからない。でもそこまで念を押すのだからきっと大変なことなのだろう。ブリジットは素直にプラムの指示を受け入れた。

 そっと彼に近づき、手を伸ばす。


 だが、その手は彼の手を握る前に掴まれた。驚いて顔を上げれば、いつの間にかキースがしっかりとブリジットを見ていた。

 その頬にまで広がった黒い刻印が蠢いた。目もうつろで、息が荒い。時々、苦し気に顔が歪む。


「苦しそうだから、少しでも楽になってほしい」


 ちゃんとわかっているわけではないが、プラムに視線を向ける。彼もつられてプラムに目を向けた。


「そう。今、苦しいだろう? 陽の光がなくなると力を持つタイプみたいだね。昼間は気が付かなかったよ。穢れの正体、わかっている?」

「ああ。忌々しいことに、王族の愚かさが生んだ穢れだ。司教さえ、浄化できなかった」


 キースは痛みをこらえながら告げた。キースから以前聞いた内容と今の話から、おのずと事情が見えてくる。穢れを浄化できず、さらに放置もできなくて、とりあえず暫定処置としてキースに封印したというところだろう。

 

 もう少し詳しい事情を聴きたいと思ったが、キースは力尽きたように、その場に転がった。肩を大きく上下させて、苦しそうに息をしている。


「すまない。朝になれば落ち着くから。放っておいてほしい」

「無理よ、放っておけないわ。プラムが何とかできるそうなので、ちょっと手を握るね」

「……僕の話、聞いていた?」

「もちろん」


 もう一度、彼の手を取ろうと伸ばしたが、それも避けられる。

 

「部屋から出て行ってくれないか。先日のように、いつ君に襲いかかるかわからない」

「大丈夫よね?」


 ブリジットはプラムに確認した。彼は大きく頷く。


「ここは精霊の森、ボクのテリトリーだ」

「しかし……万が一ということもある」

「ああ! つべこべ言わない! ここは精霊の森、さらには主であるプラムがいるのよ! きっと大丈夫」

「……」


 そう言われても、キースは素直に頷けない。荒い息をしながらも、全身で拒絶する。

 ブリジットは受け入れようとしないキースに業を煮やし、強引に手を握った。


「プラム!」


 ブリジットの肩に乗ったプラムはブリジットの中から魔力を引き出した。ぐんと体の中から引っ張られ、強い眩暈が起こった。プラムに魔力を与えるのは初めてではない。それとは明らかに違う。込み上げる気持ち悪さに、歯を食いしばった。


「穢れを固め、キースの奥底に封じる」


 厳かな声。

 プラムの可愛らしさは少しもない。精霊としての荘厳さがそこにあった。


 言葉として認識できない呪文がプラムの口から流れ。

 沸騰するような熱が体の中を駆け巡る。触れている手を出口に、熱が動く。

 

 ブリジットの中から、何かがごっそりとなくなった。


 熱が抜けていくのと同じく、体から力が抜ける。体を支えないと倒れる、とそう思っても疲れ果て。


「ブリジット!」


 キースの慌てた声が聞こえたが、ブリジットはそのまま昏倒した。

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