九十七話 可能性
(…………もう二学期、か。)
夏期休暇が終わり授業が再開し始めた今日この頃。放課後の教室で1人俺は黒板の前で棒立ちしながら色々と考えていた。
仮面のこと、全力を出す特訓のこと…………そして、これからの学院での行動。
「…………できるか?」
俺はそう呟きながらチョークを持ち、黒板に適当な文字を書く。そして小さな風を黒板消しのように吹かせ、文字を消そうとするが…………
「まあ……消えないな。」
思っていた通り、小さな風は書かれた文字に浮かんでいる少量の粉を軽く拭い取った程度で、完全に消すことはできていなかった。
(…………文字を……黒板の目に見えない凸凹に付いた粉を拭き取るように………)
続いて俺は同じようにまた、そよ風を吹かせる。しかし今度はさっきと違い、『黒板の粉』を消す明確なイメージを持ちながら小風をぶつけると…………文字は完全に浚われていった。
「…………できたな。」
手の上で拭き取った粉を風で遊ばせながら、そう呟く。
(……これなら、十分に扱えるだろう。あとは知識と理解があれば…………)
如何せん前世の記憶が曖昧な故、そこまでその知識を覚えているわけじゃないが……まあ、それはいつか自分で研究すればいい話だ。
「……あとは……名前か。」
別に名前なんてどうでもいいが……せっかく作ったんだ、分かりやすいように区別しておかないと。
(…………この世界には無い、魔法………知らない……………裏側…………)
………………『裏』。
「…………これだな。」
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「……失礼します。」
「おお、来たな。まあ掛けてくれ。」
その日の夕方、俺は1人院長室へと招かれ入室した。
その中にある学院長の机の上には本が山積みされていたり、あちこちに紙などが散らかっていたりと中々に忙しそうな雰囲気が醸し出されていた。
「……心操りの本を探しているんですか? 俺も何度か確認してますが全然見つかりませんよ。」
「だろうな……何せ20年前以上にたまたま見ただけだ、本の大きさも表紙も何も覚えてないぐらいの記憶しかないもんでな。こうやって探す方が儂には合ってる。」
「そうですか……まあ、それより今日は何を? ミルやニイダたちは呼ばなくて良いんですか?」
「ああ、大した事じゃない……といえば嘘になるが、あの2人にまで急いで伝えることじゃないからな。できればお前さんが教えてやってくれ。」
そう言って学院長は席につき、話を始めた。
「もちろんお前を呼んだのは他でもない、仮面の奴らのことだ。そして今回……奴らの組織名が判明した。」
「組織名…….その名前は?」
「……………奴らの名は、『神』だ。」
学院長は紙にそう書いて、俺に見せた。
「…………神とは呼ばないんですか?」
「ああ、そうらしい。儂も聞いたときはよく解らなかったよ。」
当 て 字 ……と言うやつだろう。それにしても大層な名前なことだ。
「どこでこれを知ったんですか?」
「儂は仮面の……神のことを国に報告したんだ。そしてこちらと連携しながら奴らのことを調べていく中でそんな情報が入ってきたらしい。」
「……疑うつもりは無いですが、その情報は確かなんですか?」
「それは分からん。風の噂でそう呼ばれているだけで、実際に奴らがそう名乗っているという情報は来てない。もしかしたら違う名前の可能性もある。」
(噂…………か。)
この1ヶ月、国でさえ仮面……神の奴らを見つけることはまだできていない。やはり俺のように神眼を常に発動して潜んでいるということか。
「……せめて神眼同士は互いに打ち消し合う性質だったら、俺がすぐにでも見つけられたのに。」
「………それはもう仕方ない。似ていても全く異なる特徴の魔法は山ほどあるんだ、神界魔法も万能ということではないんだろう。」
「…………そうですね。」
不思議なことに、『心』眼同士ならその効果はどちらも無くなり、結果的に相手のステータスを見ることはできるが……『神』眼同士の場合は互いに効果が発動してしまう。
そしておまけには、神眼使い以外が神眼発動者のステータスを覗こうとしたときには『詳細不明』と表記されるのだが、何故か神眼で神眼使いを見ようとした時には何も表記されない。
(効果が発動していて見ることができないのか………それとも、効果がしていなくて見ることができないのか…………)
この世界の『魔法』という事象は、良くも悪くも あいまい で創造的な物で凄く分かりにくく感じる。数式みたいに確実で不変の定義がほぼ存在せず、それどころか新しい魔法は日に日に作られていく。
俺のような人間でも、前世では魔法の存在に多少憧れたりもしていたが…………思っていたよりも融通の効かない現象なことだ。
「…………他に何か分かったことは?」
「いや、今回はこれだけだ。名前……しかも不確定な情報ですまんかったな。」
「……いえ、呼びやすくなって良かったですよ。」
冗談混じりに俺はそう言う。
……おそらく今日、俺だけ呼ばれたのも小さな情報だったからだろう。これくらいなら一言二言で終わるし、無駄な時間を食う必要もないと学院長は判断したといったところか。
「それじゃあ、今日はもう……」
「お、おい。ちょっと待ってくれ、本題はここからなんだ。」
「…………本題?」
俺は立ち上がって部屋を出ようとしたところ、学院長が『まだだ』と言わんばかりに声をかけてきた。
「何か、神のことより重要なことが?」
「いや、重要と言うわけでは無いが…………取り敢えず座ってくれ。」
「は、はぁ。」
歯切れの悪い学院長の言葉に少し納得がいかないものの、俺は再びソファに座り直す。本題と言うからには何か大事なことでも………………
「………単刀直入に言う。ウルス、この学院で頂点を目指してくれないか?」
「…………え?」
学院長の脈略も突拍子もない発言に、俺は堪らずフリーズしてしまう。
「頂、点……それはどういう…………?」
「言葉のままだ、お前にこのソルセルリー学院で一番になって欲しい。」
「な……何故急に? 俺が目立たないようにしていることは知ってますよね?」
「ああ…………まあ、そう言う割には目立っていると思うが?」
「………………」
…………そう言われてしまうと否定はしきれない……が。
「…………今の俺は、ただの学院生です。ジェットで少し目立ちはしましたが、それでも少し異質な人間程度の認識に収まってます。特別実力があるわけでも、ステータスが高いわけでもありません………そんな状態からいきなり一番になってしまえば、目立つどころじゃありませんよ?」
「……分かってる、お前は人に注目されるのが苦手なことは…………それでも、儂はお前に一番を取って欲しいんだ。」
「……っ…………なぜ、ですか?」
最初はふざけているのかと一瞬思ってしまったが、学院長の真剣な表情に動揺していた心が鎮まっていく。
そしてしばらく口を閉ざしていると、学院長はその理由を語り始めた。
「…………これは、お前に何の得のない……儂の願望だ。」
「……願望?」
「ああ、この学院……いや世界では、良くも悪くもステータスが実力だと思われている…………つい最近までは、儂もその1人だった。」
学院長の言う通り、この世界では『ステータス』といった明確な力の数値が見える。
例えば、『筋力』の『腕』の数値がそれぞれ『80』と『90』の者たちが単純な腕相撲でもすれば、必ず『90』の人間が勝ってしまう。『魔力』でも数値の高い方が多く魔力を持っていることになり、『魔法』の数値が大きい方が魔法が上手いと言われてしまっている。
だが、実際は数値で負けていても技術や状況次第でひっくり返ることはザラに存在し、俺とカリストの勝敗がまさにそれを物語っていた。
「小さな差ならともかく、ステータスが100以上も上回っている相手にも勝つなんて……儂の人生でも1度しか無かった。ましてや1対1の状況でなんて、とても考えられなかった…………お前の話を聞くまでは。」
「……………」
「悪戯に力を使わずに、己の培ってきた技術と強さだけで相手に勝つ…………今を生きている人間には無い発想なんだ。」
学院長はそう言って腕を広げた。
「今、この学院では『ステータスが高い者が勝つ』といった認識で溢れかえっている。そのせいでステータスが劣っている時点で勝負を投げてしまう者も少なくない……特に、2、3年生たちは上位の人間に勝とうだなんて微塵も考えず、追いつこうともしない有り様だ。」
『……私は、1年の頃から上位だった…………まあ、万年10位なんだがな。』
…………ルリアから感じた諦めのような雰囲気は、そこから来ていたのだろうか。
「このままでは、強い者と弱い者に出来てはならない溝が生まれてしまう。そうなってしまえば……取り返しの付かないことになってしまうんだ。」
「…………だから、ステータスを抑えたままの俺が学院のトップに立つことで『実力にステータスは関係ない』と証明しろ…………と?」
「……その通りだ。」
取り返しの付かない…………言わんとすることは分からなくもない。
(ステータス主義…………ステータスが高い者が絶対であり、低い者は淘汰されていく不自由な考え。)
今はまだ、この世界の人々がステータスで測るのは単純な強さだけであり、ステータスの高さその物に権利は存在しない。しかし、『ステータスだけが相手を表す』といった考え方が少なからず存在していることも、俺は知っている。
この世界には『差別』といった歴史はほとんどなく、大昔に『人族が獣人族と精霊族を見下していた』……などと言うよく分からない文献があったりなかったりする程度で、前世ほど酷い時代は無い。
……………『奴隷』なんて存在は闇に潜んでいやがるが。
「儂には手加減はできても、今持つステータスを無かったことにすることはできない。だから、いくら抑えた力で示しても何の意味も持たない…………だがウルス、ほとんどの人間に知られていないお前ならできるかもしれない。」
学院長は俺の前に立ち、頭を深く下げた。
「頼む……生徒たちの『可能性』を広げるためにも、お前の力が必要なんだ。どうかやって見せてはくれないか。」
『…………ウルスくんって、ウルくんなの?』
『…………違うぞ。』
(………『可能性』。)
できるかもしれないし、できないかもしれない…………そんな、不確定な言葉。
そんな物を広げたところで、絶対成功するなんて保証はどこにも無いし、誰もしてくれない。
『私にも……できた…!』
『……ふっ。』
『…ど、どうしたの?』
『いや…そうやって笑うんだなって。』
『えっ…あ、うぅ……』
『………ス様、できました……! わた、私……私にも、魔法が……できた………!!!』
『…………ああ、やったな。』
『やったっ……これでまた一緒に強くなれるねっ!!』
『う、うん!!』
「……少し、考えさせて下さい。」
「…………分かった、良い返事を待ってるぞ。」
答えを口にはせず、俺は部屋を出て夕日を眺めようと廊下の窓を軽く覗き込む。
しかし、ちょうど夕日は沈み切ってしまっており……外は夜の景色と移り変わり始め、月も雲に隠れて見えなくなっていた。
(…………それでも、俺は……………)
「おや? こんなところで何をしてるんだい、ウルス。」
不意に、そんな馬鹿にした声が耳に届く。その聞こえた方角へ目を向けると…………そこには立派な態度をしたマルク=アーストが立っていた。
「……そっちこそ、こんな時間に何故ここに居る。」
「別に、ただの夜の散歩だよ。僕の趣味みたいなものさ。」
「………変な趣味だな。」
「それはどうも。」
俺の嫌味を真に受けてないのか……そもそも聞いていないのかは分からないが、アーストは褒め言葉として受け止めてきた。そして今度はあちらから質問をしてくる。
「それで、どうしてこんなところに? 学院長室の前から出てきたように見えるが……何か叱られてもいたのかな?」
「……大した話じゃない、ただの世間話だ。」
「世間話……君も嘘が下手だね。まあ、僕にはどうでもいいことだけど。」
分かりやすい嘘に、もちろんアーストは引っかかって邪推をしてくれた。これで適当に誤魔化せただろう。
「……用が無いなら行かせてもらうが。」
「相変わらず冷たいねぇ、ちょっとぐらい話を聞いてもバチは当たらないと思うんだけど。」
「…………話?」
オウム返しをすると、アーストは仰々しく腕を広げて語り始めた。
「君、今度の『武闘祭』に出場して僕と戦わないか?」
「…………武闘祭に?」
武闘祭。
それは年に一度この街・プリエで行われる、街中の店や観光場所が賑やかされる大きな催し物だ。その熱気は人族の中でもトップクラスに高く、毎年色んな場所や国の人間がこの街にやってきたりする。
そして、その祭りの一番の目玉として……この学院の生徒が学年別にそれぞれチームを作り、団体トーナメント戦を行うといったコロシアム的企画があった。
「ああ、そこでそれぞれチームを作って戦い合おうじゃないか。どちらのチームが優秀なのか…………そして、僕と君の力の差を今一度示そう。」
その言葉には、あくまで『対等』といった意思は見えもせず、『屈服させる』色がだだ漏れしていた。
そんな色に、俺はあえて質問をした。
「……お前は、自分が1番だと思ってるのか?」
「……? 当たり前じゃないか。僕は一年の首席で、貴族としても位は十分に高い。今はまだ成長途中だけど、そのうち英雄を越えるくらいには強くなるよ?」
軽々しく、当然のようにアーストは言った。むしろ、『分かってなかったのか?』と言わんばかりに俺に疑問をぶつけてきたぐらいだ。
「君はまだ僕の力をちゃんと知らないから仕方ないけど、武闘祭に出てくれたら納得してくれると思うよ? マルク=アーストは誰よりも強い、だから自分より格上の存在…………」
「面白い冗談だな。」
「……………今、なんて言ったんだ?」
俺は学院に入って初めて、心から馬鹿にするような声色でそう言ってやった。
そんな返答を予想だにしていなかったのか、アーストは目を大きく見張って聞き返してきていた。
「『冗談だ』って言ったんだ、聞こえなかったか?」
「な…………何が冗談と?」
「自分で言ってて分からなかったのか? 『自分が1番』『英雄を越えられる』って、普通に考えたらおかしいな話だ。まあ百歩譲って貴族の位はお高いそうだが……その程度の実力にも関わらず本気で言ってたのなら、お笑い草だ。」
「…………僕より弱い君が何を言ってるんだ?」
俺の煽りに、表面上はクールぶってアーストは言い返すが……濁った琥珀色の目は微塵も笑ってはいなかった。
「君が僕より高いステータスで順位も高かったのなら、そう言えたかもしれない……けど、君は僕より弱いんだぞ? 何一つ勝っている部分なんて無い、格下なんだよ? そんな君が何を………」
「でも、まだ戦ったことは無いだろ? 一度も手を合わせていない相手に自分の立場を見せびらかすような軽い男だったとは……がっかりだ。」
「っ……急にお喋りになったね。」
黙れと言わんばかりにアーストは煽ってくるが、俺は話を続ける。
『頼む……生徒たちの『可能性』を広げるためにも、お前の力が必要なんだ。どうかやって見せてはくれないか。』
「知らないんだ、お前は。強さとは何か…………自分がどういう存在なのか。」
「………君はどこまで上から目線なんだ?」
「上でも下でも無い、俺とお前は対等なんだ。だから…………」
アーストに指を差し………………俺は言った。
「世界の広さを、お前に叩き込んでやる。」
ついに、彼も勝ちを求めます。




