七十九話 泣き虫
「…………!」
か細く、甘えるような声が耳に届く。
「……違う、俺は……」
「いか……ない、で………」
「っ……!!?」
寝言のように、ラナは俺の手を掴む。
その手は小さく…………今すぐにでも振り払えそうなほど、弱々しい力だった。
(…………俺、は………)
「…………っ………」
しかし、俺にその手を振り払える勇気は…………無かった。
「もう……行かないでぇ……」
「…………駄目だ。俺は行かないと……いけないんだ。」
「なん、で……?」
「………………だめ、なんだ。」
ラナは俺の手を、自身の顔へと近づけ……縋るように頬にくっつけてくる。
『…………ラナは…死んだと、思ってる。』
『だから…そんな俺がいきなり言っても…信じることはない……だろう。』
『なら、今はまだ……いい。』
……分かってる。こんなの、言い訳でしか無いなんて…………本当は、分かってるんだ。
『……今、俺は初めて人を殺したが…………何も感じない……これは、いいこと……なのか…?』
『ば、バケモン……だぁ…!!!?』
『がぁぁっ……はな、せっ……化け、物っ!!』
「…………離してくれ、ラナ。」
「いやぁ……いやだぁ…………」
張り裂けそうな胸を、『戒め』で押さえつける。今の俺にはもう、そんな資格なんて…………ない。
「いやぁっ……ずっと、いっしょ……いっしょにぃ………いてぇ………ウル、くん……!」
焦点すら合っていない彼女の目は、やがて悲しみを流し始める。
その雫は俺の手に触れ…………呆気なく地面へと零れ落ちていく。
(………………ごめん。)
『スリープワールド』
「ぁぁ………ウ………くぅ…………」
強制的に眠りへと誘い、涙を止めさせる。そして完全に力の無くなった手をそっと降ろさせ、ラナの体から手を離す。
「…………じゃあな、ラナ。」
『転移』
誰かが来る前に、俺は転移で別の場所へと移動する。その際、彼女の寝顔を一度…………目に入れた。
(…………………)
眠っているラナのその表情は、とても幼く……………
………とても、寂しそうだった。
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「…………う、ん……?」
深い微睡みの中、次第に意識を目覚めさせていく。
(…………柔らかい……いつものベッドじゃ…………)
背中に感じる知らない感触に違和感を持ちながらも、私はゆっくりと目蓋を開けた。
「……………知らない、天井……?」
最初に目に入って来たのはいつもの茶色い木のタイルではなく、真っ白なブロック調の天井だった。
ここは……………治療室?
「うぅーん……もう食べられないよぉ………」
「えっ…………ロ、ローナさん?」
不意に、そんな蕩けた声が隣から聞こえて来る。その隣の方を見てみると、ローナがだらしなく腹を出しながら幸せそうに眠っていた。
(……何でここに……?)
「……おっ、ライナさんが起きてるっすよ。」
「ほ、本当!?」
「……ニイダくんと、ミ……うわぁっ!」
治療室の扉が開き、2人が顔を出したと思ったら突如ミルが私のお腹に顔を埋めてきた。そして私の体をペタペタと触りながら心配そうに声をかけてくれた。
「大丈夫、ライナ!? 痛いところはない!!?」
「え、あ…………うん、大丈夫だよ。」
(……そうか。私、訓練場で………)
ミルの心配の声から、眠る前の記憶が蘇って来る。確か、謎の赤仮面と私は戦ってやられて、殺されそうになって……そのあとは…………
「……あれ、『ウルス』さん? 何ぼやっと……」
「……!! ウルくんは!?」
「えっ、『ウルクン』?」
そうだ、あのあと……確かに誰か…………ウルくんが……!!!
「ウルくん、ウルくんはどこ!?」
「ど、どうしたのライナ? ウルクンって誰?」
「誰って、私の幼なじみで、助けてくれた……!!」
「ウルくん? って人は知らないっすけど……ウルスさんならここにいるっすよ。」
「おい……引っ張るな。」
ニイダくんが入り口に隠れていたウルスくんを引っ張り出してくる。
その姿を見た時、私は………………
「……ウルくん?」
「………………誰と勘違いしているのか知らないが、俺にそんなあだ名はないぞ。」
「…………あっ…………」
ウル………ウルスくんの指摘で、私の興奮していた体は鎮まっていく。
(……それはそうだ、ウルスくんはただの学生……あんな風に強いわけが…………)
「……まあ、襲撃されて大分疲れたんだろう。まだ目も覚めたばかりだろうし今日はゆっくりさせてやれ、ミル。」
「あ……そうだね。ごめんライナ、起きたばっかりなのに騒いじゃって……」
「……ううん、こっちこそ……いきなり変なことを言ってごめん。それと…………心配してくれてありがとう。」
私はミルにそう言葉をかける。そして、3人とも治療室を出て行こうとする。
「じゃあ……また明日だね、おやすみライナ。」
「おやすみっす……ってか、いつまで寝てるんすかねローナさんは。」
「知らん……しっかり休めよ、ライナ。」
「…………うん、おやすみ……みんな。」
(…………………)
誰も居なくなり、静寂がこの空間を支配す…………
「これ以上は……太っちゃう………」
「…………どんな夢……?」
……ることはなかったが、私の心は依然として穴が空いたままだった。
(……あれも、夢……?)
『…………離してくれ、ラナ。』
『…………駄目だ。俺は行かないと……行けないんだ。』
「…………いや、夢なんかじゃ……ない。」
あの時、微かに感じた温もり……絶対、夢なんかじゃない。
「ウルくんは、助けてくれた……私との、約束を……守って、くれた…………!」
……身勝手な、約束。でも、彼は………ウルくんは、守ってくれた。
ウルくんは、生きていた…………
「う、うぅ………!」
あぁ……また、涙が……泣き虫は、治した、のに……………
「ありが、とぉ……ウルくん……!」
優しいのか、残酷なのか……どっちでしょうね。




