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第788話 『和平ではなく降伏の使者であろう?』

 天正二十一年九月三十日(1592/11/4) 諫早城


「なに? 和平ですと? 降伏の間違いではないのか、御使者どの」


 明国から終戦の使者として礼部尚書の顧憲成が肥前国を訪れ、外務大臣の太田和利三郎政直(63歳)と面会したときの政直の第一声であった。政直は礼を失することなく応対したが、本題に入るとニヤニヤしながらはぐらかした。


 相手が大国明の外交代表者だとしても、長年の老獪(ろうかい)さは衰えない。


 本来の国力で言えば、明に肥前国が太刀打ちなどできるはずがない。人口や様々な技術力を比べても、勝てないはずなのだ。


 しかし純正の30年にわたる技術開発や経済政策等々で、肥前国はこの時代ではあり得ない発展を遂げた。産業革命を成し遂げた肥前国と没落する明国では、比べるべくもなかったのだ。


 16万の大軍は壊滅し、港湾は封鎖され、都への物資供給路まで断たれている。この状況で『和平』とは、いかにも明らしい体面の取り繕いようだが、もはやそんな余裕などない。


 降伏を認めたくないがための強がりとしか思えない状況である。


「顧尚書、わざわざご足労いただき恐縮でございます」


 顧憲成の心中は穏やかではない。


 鴨緑江と義州府での戦い、そして隘路(あいろ)での戦いで大敗した上に物資は枯渇し、民衆の不満は高まるばかりなのだ。一刻も早く事態を収拾しなければならないのに、政直のこの態度に顧憲成は困惑する。


「太田和殿、我が大明帝国は貴国との和平を望んでおります。この度の不幸な事態を平和裡(へいわり)に収めたいというのが、陛下の御意向でございます」


「ふむ」


 政直は穏やかに答えた。


「……それで、和平とは?」


 政直は言葉を選びながら、ゆっくりと続けた。

 

「貴国の窮状において我が国との『和平』とは、一体いかなる旨(内容)にございますか」


 顧憲成は言葉に詰まった。確かに明は未曾有の危機に(ひん)している。しかし、まさか最初から完全な降伏を認めるわけにはいかない。何とか交渉の余地を残さねばならないのだ。


「我が国としましては、まずは両国の間にある緊張を解くことを始めたいと……」


「緊張?」


 政直は声を立てて笑った。


「顧憲成尚書、もはや緊張などと呼べる事の様(状況)ではありませんぞ。貴国と我が国は戦をし、そして貴国の軍は敗れて敗走したのです。これはもはや『緊張』などという生やさしいものではありませんな」


 顧憲成の額に冷や汗が浮かぶ。この老獪な外務大臣は、明の窮状を全て把握しているようだ。


 しかも、それをさらりと突きつけてくる。


「分かりました」


 顧憲成は深いため息をつき、覚悟を決めたように続けた。


「では、貴国の要求をお聞かせ願えませんでしょうか」


「ほう……ではようやく和平ではなく、降伏を許してもらうための条件交渉を始める、という事でよろしいかな」


 顧憲成は目を伏せたまま、かすかにうなずいた。事ここに至っては、もはや体面を取り繕う余地もない。


「然れど……降伏の条件を申し上げる前に、ひとつお答えいただきたい。貴国はなぜ我が国と戦おうと思われたのですかな?」


 顧憲成は困惑した表情を浮かべた。


 まさかこのような問いが来るとは思わなかったのだ。今さら、開戦の理由など何の意味があるというのだろうか。


「……それは冊封国である朝鮮が、我が国からの哱拝(ぼはい)討伐のための出兵要請に応じなかったため、秩序を維持するために出兵したのです」


「秩序、ですか」


 政直は小さくつぶやいた。


「朝鮮が明からの出兵要請に応じなかったのは、それが朝鮮にとって国益に反すると判断したからでしょう。それを『秩序』という言葉で片付けてしまうのは、いささか乱暴ではありませんか?」


 顧憲成は反論しようとしたが、政直は言葉を続けた。


「そもそも、貴国が朝鮮にそこまで干渉する権利はどこにあるのですか? 朝鮮を冊封している宗主国だから? 私には貴国が朝鮮の内政に干渉し、都合の良いように操ろうとしているようにしか見えません」


「それは違います!」


 顧憲成は思わず声を荒らげた。


「明は古来、四夷(しい)の国々を統べる役割を担ってきました。朝鮮は冊封国として、明の指示に従う義務があります!」


「義務、ですか……」


 政直は冷ややかに笑った。


「貴国が周囲の国々を四夷と呼び蔑んでいた時代が終わりを告げていることが、まだお分かりになりませんか? 現に我が国は貴国の冊封を受けずとも十分に栄え潤い、貴国の軍をほぼ無傷で破るにいたった。これでもなお、四夷を従え導くなどといった夢幻をみているのですか」


 顧憲成は何も言えなかった。政直の言葉はあまりにも的を得ていたからだ。明の衰退は既に始まっており、もはや周辺国を従わせる力など残っていない。


 それを認めたくないという思いと、現実との間で顧憲成は苦悩していた。


「我々は、貴国のような傲慢な大国に屈服するつもりはありません。我々は自国の利益のために戦う。そして、貴国のような国に蹂躙(じゅうりん)される弱小国を守るためにも戦う」


 政直は立ち上がり、顧憲成を見下ろした。


「貴国が真に和平を望むのであれば、まずはその傲慢さを捨て、他国を対等な立場で尊重することを学ぶべきです。それができなければ、真の平和などあり得ません」


「もはや明は中華ではない。我が国は単なる国の一つに過ぎぬ……そう言いたいのですか」

 

 顧憲成の声は震えていた。


「中華という概念自体が、時代遅れなのです」


 政直は静かに言い放ち、続ける。


「もはや一つの国が世界の中心であるかのように振る舞い、他国に自国の価値観を押し付ける時代は終わったのです。これからの時代は、それぞれの国が対等な立場で互いに尊重し合い、協力していく時代です。貴国も、そのことを理解すべきです」


 琉球は冊封され、朝鮮もまた冊封されているが、それは相手が望んでいるからだ。冊封という形をとってはいるが、搾取するという意味での内政干渉は行っていない。


 国民が虐げられることのないよう、よりよい生活ができるように介入を行っているだけである。いわゆる植民地とは全く別物であり、史実の冊封と比べても形骸化している状態なのだ。





 顧憲成は、深く息を吸い込み、そしてゆっくりと吐き出した。


「……分かりました。貴国の言い分は理解しました」


 顧憲成は、静かに頭を下げた。


「私は、貴国の要求を陛下に伝え、ご裁可を仰ぎます」


「結構です」


 政直はうなずいた。


「では、降伏の条件を改めて提示しましょう」





 1.朝鮮が肥前国から冊封を受けることへの無干渉。明は今後、朝鮮に対して一切の干渉を行わない。また明の朝鮮に対する軍事行動はその一切を認めない。


 2.広州、寧波、天津の割譲は必須。泉州・(しょう)州・福州・温州・杭州・上海・蘇州・膠州・登州・旅順等の港湾のうち3つを割譲


 3.賠償金として永楽銭六百六十万貫文


 4.明は肥前国、およびその同盟国に対し、いかなる干渉も行わない。また、日本近海における明の軍事行動、航海の自由を十年間制限する。


 5.捕虜全員の釈放、および拉致された朝鮮人、日本人の送還。





「これらの条件を認めるのであれば、和平に応じても良いでしょう」


 顧憲成は提示された条件を読み上げ、絶句した。


 広州、寧波、天津に加えて、他の主要な港湾都市3つを割譲するということは、明の経済に壊滅的な打撃を与えることになるだろう。永楽銭660万貫文という賠償金も、明の財政を圧迫する。


「こ、これはあまりにも……」


 顧憲成は言葉を詰まらせ、絞り出すように言った。


「あまりにも過酷な条件です」


 政直は冷ややかに微笑んだ。


「困るのですよ」


「……? 何がお困りになるのですか?」


「明国に豊かになってもらっては、困るのですよ。某が申し上げている意味、お分かりになりますか? 今は哱拝や楊成龍、それに女真のヌルハチに圧されておるようですが、再び大陸を席巻するようになったとき、朝鮮や琉球、そして我が国に介入してこないと言いきれますか?」


「それは断じて……!」


「貴殿が亡くなった後はいかがか? 今の皇帝が崩御された後は? 誰にも分からぬではありませんか」


 顧憲成は絶句するより他はなかった。





 もちろん、政直も明が全てを受け入れるとは思っていない。不可能な条件を提示して、最後はギリギリのラインで落とし所を見つけようと考えていたのだ。





 次回 第789話 『万暦帝と東南アジアの国々』

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