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第787話 『激昂』

 天正二十一年七月二十三(1592/8/30) 紫禁城


 前回、顧憲成が朝鮮出兵の上書を上げたときは運が良かった。


 皇帝が朝議に出席しないため、臣下は朝議で決まったことを報告して裁可を仰ぐことになる。それも宦官(かんがん)が代わりに行うので、自らに有利な裁定を行い、専横がまかり通って、これが国を滅ぼす元となるのである。


 顧憲成と沈一貫の連名の上書は無視され、ようやくあの手この手で謁見がかなったのは、1か月半もたってからであった。





「今、なんと申した?」


 万暦帝は状況が理解できない。しばらくして頭をかかえ、2人に聞き直す。


「……楊鎬(ようこう)が、敗れたというのか?」


 その声は低く、震えていた。顧憲成と沈一貫は床に額をつけたまま、事態の深刻さを説明していく。


「はい。16万の大軍が壊滅状態となり、朝鮮は肥前国と結託して我が大明から離れ……」


「黙れ!」


 万暦帝は立ち上がり、怒鳴り声を上げた。普段は政務を全く省みない皇帝だが、この事態の深刻さは理解できたようだ。


「肥前国などという蛮夷(ばんい)が、朕の軍を打ち破ったというのか? しかも朝鮮までもが……」


 言葉を詰まらせる万暦帝に、沈一貫が慎重に進言した。


「陛下、事態は更に深刻でございます。肥前国は現在、広州、寧波、天津の港湾を封鎖しております。首都への物資供給路も断たれつつあり……」


「なぜ、このような事態になるまで報告がなかったのだ!」


 万暦帝の怒声が部屋中に響き渡る。宦官たちが身を縮めるように壁際に寄った。


「まさにそれこそが問題の本質でございます」


 顧憲成は覚悟を決めたように顔を上げた。


「宦官たちの専横により、重要な情報が陛下に届かぬまま、事態は最悪の方向へと進んでしまったのです」


 万暦帝の動きが止まり、もの凄い形相で宦官たちを(にら)みつける。


 宦官たちは万暦帝の視線に身を震わせ、まるで射すくめられた獣のように部屋の隅へと後退していった。普段は権力を笠に着て威張り散らしていた彼らも、皇帝の真の怒りの前にはひれ伏すしかなかったのだ。


「貴様ら……貴様ら!」


 万暦帝は言葉を詰まらせ、怒りで体が震え、息を荒くした。


「朕は……朕は一体、何をしておったのだ……」


 自らの不甲斐(ふがい)なさに打ちひしがれたように、万暦帝は玉座に崩れ落ちた。長年の政務放棄、宦官への依存。全てが今、この未曾有の危機を招いたのだという現実を突きつけられた。


 沈黙が部屋を支配する。沈一貫は顧憲成と視線を交わし、覚悟を決めたように口を開いた。


「陛下、今は悲嘆に暮れている場合ではございません。一刻も早く対策を講じなければ、国が滅びかねません。肥前国の港湾封鎖により、都への物資は日に日に減少しております。民衆の不満も高まりつつあります……」


「では、どうすれば良いというのだ!」


 力なく問う万暦帝に、顧憲成が慎重に言葉を選びながら答える。


「臣が考えますに、まずは和平交渉の道を探るべきかと……。正確な情報収集が必要です。朝鮮と肥前国の現状、そして国内の物資供給状況を詳細に把握しなければなりません。そのためには、宦官の干渉を排除し、有能な官吏を派遣する必要があります」


「和平だと? 大明が蛮夷ごときに頭を下げよというのか!」


 万暦帝の怒鳴り声に、沈一貫が一歩前に出た。


「陛下。肥前国は、もはや我々が想像していたような蛮夷ではございません。その領土はヌルガン(アムール川河口流域)より更に北を統べ、南は台湾にルソン、加えて多くの国々と友誼(ゆうぎ)をむすんでは広大な領土を統べております。西は天竺(てんじく)(インド)から波斯(はし)国(ペルシア・現在のイラン)、かの鄭和が至った地よりも更に西の地をも統べていると聞きます。そのため軍事力も知略も、我が国を上回っている可能性すらございます」


 万暦帝は実を受け入れがたい表情で、しばらく沈黙が続く。


「彼らの要求を聞き入れ、事態の収拾を図りつつ、同時に国力の回復に努め、再び戦に臨める態勢を整えるべきです」


「それほどまでに……事態は変わっていたというのか」


 やがて重々しくうなずき、万暦帝は絞り出すように言った。


「わかった。朕は……朕は心を入れ替える。宦官の専横を断ち切り、自ら政務に当たる。顧憲成、沈一貫、二人に命じる。この国難を乗り越えるために、全力を尽くして朕を補佐せよ!」


 2人の臣下は深々と頭を下げた。


「承知いたしました!」



 


 宦官たちは隅に追いやられ、有能な官吏たちが慌ただしく動き回る。万暦帝は玉座に座り、長年の怠惰を悔いるように、真剣な眼差しで山積みの書類に目を通し始めた。


 しかし、万暦帝はまだ30前であった。


 即位してから10年、張居正のスパルタのような英才教育で嫌気がさし、鬱積した思いを酒や女にぶつけて政務を放り出したのも事実である。


 2人はその悪夢が(よみがえ)らないよう祈るばかりであった。





 ■肥前国 諫早


「さて、陸海軍ともよくやってくれた。ついては明に対して終戦を提案したいが、乗ってくるかの?」


 純正が戦略会議衆に提議した。


「終戦交渉でございますね。降伏勧告、という事になりますが」


 鍋島直茂が確認するように聞き返した。


「然様。もはや明には戦を続ける兵も金も、何もなかろう。ここらで終戦として広州や寧波などを割譲させ、賠償金をもらって十分に弱らせた後に、自ら南へ遷都するように仕向けたい」


 純正の発言に、一同は静かにうなずいた。

 

 明の現状を考えれば、これ以上の抵抗は不可能に近い。しかし自ら遷都を申し出るように仕向けるには、更なる圧力が必要となるだろう。


「遷都を促すには、如何(いか)なる策をお考えでしょうか」


 鍋島直茂が尋ねた。


「そうよの……。哱拝(ぼはい)やヌルハチ、楊応龍を使うのだ」


「……彼の者等を使って明に圧力をかけ、もはや明は中華の統一王朝ではなく、一地方勢力となったのだと、認めさせるのでございますね」


「うむ」


 哱拝、ヌルハチ、楊応龍。いずれも明にとっては厄介な反乱勢力であり、その力を利用することで明を追い詰めることができるのは確かであった。


「確かに、その方法であれば明を揺さぶることは可能でしょう。然れど力を与え過ぎることは、いずれ我々にとっても禍根を残しかねませぬ」


 鍋島直茂が慎重に言葉を選びながら発言した。


「わかっておる。中華はほどよく乱立し、いずれかが覇権を握らぬようすれば良いのだ。今は明を南へ移すために哱拝や女真を助けるが、いずれかが強くなりすぎれば助力をやめ、弱い者の味方をすればよい。そうして均衡を保つのだ」


 純正は笑みを浮かべながら直茂を見た。


「つぶさには如何に彼奴らを用いるのですか」


 今度は黒田官兵衛が尋ねた。


「哱拝には寧夏、ヌルハチには遼東、楊応龍には播州でそれぞれ反乱を継続させ、明の兵力を分散させる。同時に、彼らには資金と武器を提供し、更なる勢力拡大を促す。明が内憂外患に苦しむ時こそ、我々が有利な条件で和平交渉を進めることができる」


 純正は自信に満ちた声で説明した。


「然りながら明は哱拝、女真、楊応龍、全てと和睦しておりますぞ」


 土井清良が情報省からの報告をもとに指摘した。


「ふふふ……そこは、のう、千方?」


「はっ」


 情報大臣の藤原千方景親は即座に返事をすると、純正もすぐに続けた。


「やれ和平はしたが独立は認められておらぬとか、国境が定まっておらぬだの明の軍勢が退かぬなど、あらを探してくれと言わんばかりの有り様ならば、いくらでもつけいる隙はあろう?」





 純正の中華分裂の計は着々と進んでいた。





 次回予告 第788話 『和平ではなく降伏の使者であろう?』


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