58.研究員としての初日
「お嬢様。着きましたよ」
マリアの言葉とともに車の揺れが止まったのがわかった。
今日は研究員として初出勤のため、城まで来ていた。
送迎の車はここまでは入れるが、ここから先は許可を得たものしか入れない。
マリアは研究員ではなく、ただの送迎なのでここまでだ。
「それでは、いってらっしゃいませ」
「帰りはまた、連絡するわ」
城はセキュリティのために、ゲートが設置されていて、個人の情報が登録された魔石が埋め込まれた通行カードをゲートの横の台座にかざすと、小さなゲートが開く仕組みになっている。
マリアに見送られながら、イルヴァは台座に通行カードをかざして、ゲートを通過した。
城は外周がぐるりと水路で囲われている円形の土地だ。
だからゲートを通過するとすぐに橋があり、この橋を渡り切ると城の内部に入ったことになる。
城の外側をぐるりと囲むようにちょっとした商店と飲食店、そして主に軍部で利用している寮がある。
本城を取り囲むように円形に作られた大通りと建物は、ほとんど街と言っても過言ではない。
ーーーそういえば魔車も走らせたいとか言っていたけれど、確かにこの広大な敷地ではそういう気持ちになるわね。
なにせ城の中を送迎用の公用車が何台も走っているほどだ。城の外縁を通って反対側に歩いていくのはかなり時間がかかる。
イルヴァは外縁部を5分ほど歩いたところで、2度目のゲートをこえて城の内縁部に入った。
内縁部は王族の住む本城にも近いので、美しい庭園など優美な施設も多い。花が咲き乱れる庭園を横目に見ながら道を抜けたところで、ようやくイルヴァの本日の目的地が見えた。
そこは、一見すると、無駄に3メートルほどの柵に囲われた公園にしか見えない場所である。
ここは、強い認識阻害がかけられているのだ。
研究所には機密情報が多いため、城内にある建物の中でも比較的セキュリティが頑丈で、ギミックも多い。
通行カードをかざして研究所のゲート通ると、ようやく、建物本来の姿が見えた。
研究所内も建物がいくつもある。魔法の実験のための施設もあるので、城内にある施設の中では比較的規模が大きい方だと聞く。
イルヴァの働いている研究棟に向かうと、建物入り口の守衛室にいる見知った警備の兵が笑顔を見せた。
「おはようございます。フェルディーン大尉」
彼はわざわざ階級をつけて呼んできた。イルヴァの昇格の話は広まっているようだ。
「おはようございます、マクレーンさん。本日付けだと聞いていましたが、耳が早いですね」
「昇格最年少記録を樹立したフェルディーン嬢のことは、噂になってますからね」
「噂?」
「研究内容ももちろんですが、実地研修を台無しにした体系魔法の天才として、名を馳せています」
「そんな古い話が今更?」
マクレーンのいう通り、イルヴァは研修一つを台無しにして小言を言われたので、事実ではある。
古い自分の失態を指摘されて、イルヴァは気まずい思いをしながら話を進めた。
「どうやら、オーケルバリ所長の判断のようです。フェルディーン嬢の昇格をよく思わない魔法師団の若手を黙らせるために噂を流したようですよ」
確かに研究員での大尉昇格としては最年少だというから、イルヴァの実力を疑問視する声もあったのだろう。
自分の知らないところで勝手に処理されているのはありがたいような、やや迷惑ような複雑な気持ちもあるが。
「そろそろ行くわね」
「いってらっしゃいませ」
笑顔のマクレーンに見送られながら、守衛室前を抜けて、魔法理論研究3課の研究室に向かう。
3課に入ると、三つ編みにした藍色の長い髪を左肩から流している、背の高い女性が出迎えてくれた。
「おはよう、イルヴァ」
「おはようございます。オーケルバリ所長」
彼女は今日は、研究員の証である白地に青い糸で刺繍されたローブを纏っている。
普段はローブを羽織らないこともあるのだが、珍しい。
「正式に研究員になったから、私のこと、名前で呼んでいいわよ」
「では、……イングリッド所長と呼ばせていただきます」
「ええ。それでいいわ」
「今日はどこか外出されるのですか?」
「え? ああ、ローブを羽織っているから? さすがにあなたを正式に受け入れる初日ぐらいは、正装をした方がよいと思ってね」
彼女の出立ちは、ぱっと見は卒業試験の時とほぼ同じ姿だ。
ただし、ローブの下の服装は、かなりこだわりがあり、踵の高い靴も服装に合わせて毎日違うものを履いているのをイルヴァは知っている。
だから、彼女は私服が見えなくなるローブをあまり好んでは身に付けない。
「すでにあなたは知ってると思うけれど、服装は自由にしていいけれど、仕事中に研究所の外に出る時はローブを着用してね。……私も渋々着用してるんだから」
最後の言葉は聞かなかったことにしよう。
「承知しました。今日はローブは必要でしょうか?」
「そうね。今日は、いきなり実習なの。だからローブを着てちょうだい。大尉の階級章もつけてね」
必要ないという返答を待っていたイルヴァは意外な返答に思わずじっとイングリッドの顔を見つめてしまう。すると、彼女は渋い表情をして話を続けた。
「魔法兵団から声がかかったから、悪いけれどその実習に参加してもらうわ。研究員枠であなたが参加すると都合が悪いから、魔法兵団枠で出てほしいと言われたの」
「都合が……なるほど」
話は読めた。
この国でいう実習とは基本的に魔物討伐戦である。
そして、普通は研究員が実習参加場合、非戦闘員として参加して保護される役目だ。
ところがイルヴァがその役目になると、場の緊張感がなくなってしまうどころか、魔物を自分で殲滅してしまう。護衛される役にこれほど不適当な人間もいない。
「おそらくは、大尉として新人をとりまとめる役目を任されるんじゃないかしら?」
「私も新人ですが……」
「あなたはもう1年半も働いているし、そもそも初手の研修であの大立ち回りだもの。さすがに他の新兵と同一に扱うのは無理があるわ」
「ちなみに……どうして今になって私の過去の失態の公表を?」
理由はわかっているようなものだが、あえて聞いてみると、イングリッドはきょとんとした表情をする。
「失態? 武勇伝の間違いでしょう?」
「武勇伝といえば聞こえがいいですが……空気を読めずに魔物を殲滅してしまったので失態なのでは……」
「あなたの大尉昇格に不満の声もあったの。特に魔法兵団の方からね。だから、3秒で訓練場に用意された全ての魔物が消滅させた魔法の天才だと言えばみんな黙ったわ。おかげで、その事件を隠蔽したことを批判されたけどね」
「むしろ、当時、隠蔽してくださったのはなぜなのですか?」
「そりゃあ、体系魔法の逸材だと言って魔法兵団に連れて行かれるのが嫌だからよ。現に、早期卒業試験の時、リングダール大佐もあなたを熱心に勧誘したでしょう?」
確かにシュゲーテルは軍事国家なので、戦闘センスがあるものはやはり兵士として勧誘されやすい。
それに、研究職より兵の方がなんとなく人気も高い印象がある。
だから、イングリッドは勧誘されたイルヴァの気持ちが揺らぐことを危惧して、隠蔽してくれたようだ。
「勧誘されても兵士にはならないですけどね」
「ちなみに、あんなに強いのにどうして?」
「研究の方ができる人間が少ないし自分も好きだから、というのが1番の理由です。あとは、私はフェルディーン家では指揮官で兵士なので、家の有事に駆けつけられる仕事にしたいんです」
魔法兵団に入ってしまうと、休みも不規則で急な休みは入れづらいが、研究者は比較的、働き方は自由で休みも取りやすい。
大体の魔物討伐は両親や兄イクセルがなんとかするが、イルヴァがでた方が被害が少ないような災害級の魔物が出てくることもある。
「フェルディーン領は魔物が多いのよね。戦闘経験も多いの?」
「そうですね。私は10歳から魔物討伐に出ているので、王都の兵士より断然、場数は多いと思います」
「10歳……」
イングリッドの視線が憐れみを含んでいる。
「そんな顔をしないでください。フェルディーン家の直系であれば、初陣は大体そんなものです。幼い頃から魔物討伐に参加して、抵抗感を減らすのが目的だとか。フェルディーン家に生まれた以上、魔物討伐を指揮するのは当然の使命ですから」
「イクセル殿も?」
「はい。お兄様も初陣はだいたい同じぐらいの年齢だったと聞いています」
「王都育ちの私には想像できない世界ね」
王都は特定の山や森林部以外はほとんど魔物も出ず、出たとしても下級の弱い魔物が多い。
アルファウルフが出たら騒ぎになるぐらいだ。
「ほとんどの人がそうだと思います。フェルディーン領は特殊なので」
「あ! 長く引き留めすぎたわ。外縁部にある魔法兵団の訓練場に向かってもらえる? ローブは忘れないようにね」
「承知しました。行ってまいります」
「今日は直帰でいいから、荷物も持って行ってね」
イングリッドはそういうと手をひらひらと振って部屋から出ていった。
イルヴァは研究室においていたローブを羽織ると、荷物を全て持って、言われた通り訓練場に向かった。
来た時と逆の道を通り、内縁部にある研究所から、外縁部にある訓練場まで辿り着くと、長い黒髪をひとつに束ねた、スラリとした印象の男性が立っていた。
「おはようございます。リングダール大佐」
「昇格おめでとう。フェルディーン大尉」
クールな印象のあるリングダールに祝辞を述べられるとは思わず、思わず彼を見返した。
彼は典型的な魔法兵団のエリートというような姿で、クールで威圧感がある雰囲気だが、隠れファンも多いと聞く。イルヴァが顔と名前を覚えていたのも、研究所員がよく騒いでいたからだ。
「大尉?」
ぼうっとしているところを覗き込まれるようにして話しかけられ、イルヴァは咄嗟に一歩後ろにさがった。
「っ……ありがとうございます」
イルヴァが返事をすると、リングダールはついてこいというジェスチャーをして歩き始めた。イルヴァも斜め後ろをついていく。
「今日の研修は大佐の部隊でしょうか?」
「ああ。今日は下士官への昇格試験も兼ねた研修に監督官として付き合ってもらう」
「高等学校卒の兵士ですね。下士官昇格ということは、私と同年代でしょうか?」
「そうだな。今回は3年の任期明けとなる兵の昇格試験だから、君の一つ上の世代だ」
キルトフェルム王立学校は文官向けの学部も兼ね備えた学校だが、高等学校卒業生に入学資格があり、位置付けは士官学校と同じだ。
王立学校は3年制の学校なので、イルヴァが早期卒業していなければ、高等学校卒で3年働いた兵士とは同い年になる。
「大尉とはいえ、研究員でしかも年下の私が監督で良いのですか?」
「下士官は年下が上司になることも多い。それでもうまくやるのが彼らの仕事だ」
確かに軍人の階級では実力勝負なところも多い。魔法の技術は必ずしも年齢に比例するわけではないというのはイルヴァ自身が実証していることだ。
「下士官は高等学校卒、士官は大学および士官学校相当レベルの学校を卒業した兵と分かれているんですよね。フェルディーン家では等級は完全に実力主義なので、不思議な文化です」
イルヴァはフェルディーン家の中の等級だと最高指揮官だが、これは単にフェルディーン家の直系だからというわけでもない。単純に最も強いから最高指揮官になっている節がある。
王国軍で言うなら、下士官最高峰の准尉の動き方の方が、イルヴァの気質には近い。
「実務の専門家と軍略の専門家の違いだな。まあ、大尉ぐらいまでは現場も多いが」
「やはり少佐以上の将官クラスになると、現場仕事は少ないですか?」
「ああ。我々が現場にばかり出ていると、書類仕事が終わらないからな。有事の際は出るが……王都は魔物も多くないから、地方に派遣された時ぐらいだな」
「リングダール大佐は、南部で珍しく起きた魔物のスタンピードを収拾したことで大佐に昇格されたと聞きました」
「ああ。あのレベルになると、もう将官だろうがなんだろうが戦わないといけない。魔物は将官を狙ってくるようなものでもないから、現場に出やすいというのもある」
「そこは、対人戦とは違いますね」
対人戦ならば、基本的には将官は最も狙われやすい。指揮系統を見出した方が戦闘では常に有利だからだ。
魔物の場合は、下級の魔物なら見境なく襲ってくるし、知能が高い魔物が狙ってくるのは、軍の階級が高いものではなく、魔力が多いか戦闘力が高いものである。
「ちなみに……今日の実習はどこで行われるのですか?」
話しながら付いていっていたが、訓練場の外に出て、城の東側に向かっているようだった。城内で実習ではなさそうだ。
「今日は東にある古樹森林帯での訓練だ。そこまでは全員で大型車に乗って向かう」
「何部隊で行くのですか?」
「5部隊で、1部隊は6人だ。それぞれの部隊に1人ずつ、監督官をつける。つまり森に入るのは35人だな」
「6人は全員魔法師ですか? それとも物理的な武術に長けた者もいますか?」
「今回は魔法兵団のみで、武技兵団はいないから、基本的に監督官に魔法兵団の中で、武術に長けたものをおいている。リンデル大尉、スティエルナ中尉、ノールベリ少尉、それからレンダール少尉だな」
最後に聞き覚えのある名前が聞こえてきて、思わずリングダールの方を見ると、彼はふっと笑みをもらした。
「レンダール少尉は、君の婚約者だ」
「エリアスが武術に長けていたとは知りませんでした」
「おいおい、そんなわけないだろう? レンダール少尉は練兵学部の剣術科のトップに打ち勝って、剣の授業では首席だったと聞いたぞ」
「そうなんですね。剣の授業はとっていないので知りませんでした」
イルヴァやエリアスの卒業した魔法学部は、魔法兵団にはいるか研究員になるかが多いが、練兵学部は武技兵団に入るか、軍師として戦略のスキルを極めていくかという人が多い。
当然、練兵学部のほうが物理の殴り合いは強いことが多いので、剣で彼らに打ち勝てたのであれば、エリアスは相当強いのだろう。
「ところで、私はどうして今回呼ばれたのですか? 私は特に剣術も体術も軍では披露していない気がしますが……」
「君の王立学校の入学試験の成績と、前回の研修の結果を見た。少し古い情報だが、弱くなっていることはないだろうという判断だ」
「……前回の研修は魔物を殲滅しただけだったような?」
「いや、そのまえに基礎訓練で木刀で打ち合っている。君は全勝してるな」
そう言われても全く思い出せない。
魔物を魔法で3秒で死滅させて、監督官たちを阿鼻叫喚させたことの印象が強すぎて、それ以外に何をしたかが記憶から吹き飛んでいるようだ。
「全く覚えていないという顔をしているな」
「申し訳ありません」
リングダールは呆れた表情を見せたが、ふと、思い出したようににやりと笑った。
その笑みに何か「嫌な感じ」を感じたイルヴァは身を震わせた。
「そういうことで、今日の君は、魔法の使用を全面禁止する」




