50.お披露目会での開会前の来客対応①
お披露目の会場は、フェルディーン家のタウンハウスで最も広い大広間だ。大広間のある建物は居住区のある本棟とは切り離された建物になっていて、建物ひとつが大広間とパーティ運営に必要な厨房などの関連施設だけが集約されたものになっている。
客人の着替えが必要な場合は、さらに隣にある別棟を利用してもらうようになっていて、控え室なども屋根付きの渡り廊下でつながっているものの、一度建物の外に出る必要がある。
そしてもうひとつ、大広間のある棟へは、本棟の2階と渡り廊下で繋がっていて、吹き抜けのダンスホールをぐるりと取り囲む2階のギャラリーにつながる前室に直通できる。
今日はそのルートで大広間のある建物へと入り、エリアスと2人でホールの最奥から左右へ弧を描いて階下へとつながる大階段を降りていく。
本日の段取りでは、イルヴァとエリアスは、準備された大広間で来客を待つことになる。大規模な夜会の場は立食パーティが基本なので、人の動きも流動的だ。
お披露目とダンスが始まるまでの間は、客人は自由に飲食して構わないため、主催者への挨拶が終わった来客から、主催者の家族と会話を楽しむのが通例になっている。
今回は両家の両親が合同で挨拶を受けるので、広間に通された来客との会話をして時間をつなぐ役をイルヴァとエリアスが任されたのだ。
本来であればイクセルもこちら側にいるべきだが、ギリギリまで情報を隠すためにお出迎えはせず、シャルロッテとともに会の開始とともに入場予定だ。
シュゲーテルの夜会では挨拶と会場にいる主催者家族と会話を交わしたら、参加したことにしてよいことになっているので、開始前に帰宅した客から情報が漏洩し、邪魔立てが入るのを防ぐ意味合いもある。
会が始まってしまえば、夜会での最初のダンスが終わるまでは退出は重大なマナー違反であるため、少なくともダンスが終わるまでは情報が漏洩することはない。
2人は最初の訪問客を出迎えるべく、大広間の入り口に用意されたドリンクの並べられた長テーブルのそばに立つ。最初の来客の飲み物は直接手渡し、その場で乾杯をして、大広間の奥へと案内するという慣例のためだ。
こうすることで、最初の来客とはすぐに会話に入れるのと、自然とその客人を奥に誘導し、主催側大広間の奥にいることで、後からきた客が入り口付近に溜まってしまうことを防げるからだとされている。
「最初は誰が来るだろうね?」
「レンダール家側の来客事情はわからないけれど、フェルディーン家側なら、おそらくユフィが最初に来るわ」
イルヴァは来客との乾杯用のドリンクをどれにするか考えながら、エリアスの質問に答えた。すると、エリアスが少し驚いたように問い返してきた。
「ライスト嬢は必ず最初に来るの?」
「ええ。理由を聞いたら、のんびり会話を楽しむためですって。今回はレンダール家側の招待客もいるから、どうなるかは分からないけれど」
そんなことを話していたら、執事が来客を知らせてきた。
「ライスト嬢がいらっしゃいました。既に挨拶中ですので、終わったらご案内しても?」
「ええ。よろしく」
予想通り、ユーフェミアだったようだ。
しばらく待っていると、大広間の1階部分の扉が開かれて、プラチナブロンドの髪をハーフアップにして、薄い黄色の布が幾重にも重ねられたプリンセスラインのドレスをまとった美少女が入ってきた。
ユーフェミアだ。
彼女は優雅に一礼すると、すっと視線をあげて口を開く。
「この度はご婚約おめでとうございます。レンダール様、フェルディーン様。お二人のご縁と幸福が末長く続きますように心からお祈り申し上げます」
いつものユーフェミアとは違う、公式な挨拶だ。
「お祝いの言葉をありがとうございます。どうぞ見守っていただけますと幸いです」
エリアスがまずは挨拶に返答した。
「ありがとうございます、ライスト嬢。どうかこれからも変わらぬご厚情を賜りますように」
続いてイルヴァもまた、彼女の言葉に合わせて格式高い調子で返した。
2人は一瞬静かになり、そして同時に笑い出した。
「たまにはと思ってカッコつけたのに、締まらないわね。でも、本当におめでとう、イルヴァ」
「ありがとうユフィ。ドリンクはいつもの?」
「ええ。ありがとう」
彼女はりんごが好きで、成人してからはいつもリンゴのお酒を選んでいる。イルヴァは用意しておいたグラスを手渡した。
すると、ユーフェミアが、その場にあったミモザの入ったグラスをイルヴァに渡し返す。
「あなたはこれでしょう? オレンジベースのお酒をいつも飲んでるものね」
「ありがとう」
本来はゲスト側が渡すことはないのだが、長い付き合いなので、そこらへんのマナーはいい加減なところも多い。
「エリアスは何を飲むの?」
「僕は辛口のワインで」
「それなら、これね」
イルヴァは白ワインで辛口なものを選び、それをエリアスに渡した。これ以降の来客の飲み物は給仕の人間がやってくれるだろう。
ユーフェミアをダンスホールの奥に案内するべく、エリアスに視線を送った。彼はすぐに意図を察して、イルヴァをエスコートして歩き出した。
ユーフェミアはその後ろをゆっくりとついてくる。
そうして3人はダンスホールの最奥、大階段の下あたりで話をすることにした。
大階段上には魔石の入ったシャンデリアが煌々と輝いていて、あたり一体を暖かい色味の光で照らしていた。
「何か食べる?」
「遠慮しておくわ。今日は先に食べてきたから」
壁際に並べられた食事を勧めたが、断られてしまった。基本的には、貴族の令嬢はダンスパーティでは食べ物を口に入れない事が多い。ドレスを美しく着るためと、ダンスのときに気持ち悪くならないようにするためだ。
一説では、毒物の対策という話もあるが、おそらくは美容に気を使ってというのが1番の理由だと思われる。ユーフェミアはもう少し気軽なパーティであれば、食事を取ることもあるが、今日の来客は案外、高位貴族も多い。淑女として念には念を入れておくということだろう。
「今日はお祝いもだけれど……レンダール様に釘を刺しにきました」
「僕に?」
ユーフェミアがいつもより真剣な表情でエリアスと向き合った。ライスト家は名家だが、レンダール公爵家より序列は下だ。彼女は基本的には礼儀は重んじるタイプなのでこういう状況は珍しい。
「イルヴァは強そうに見えて、実のところ薄い氷のように脆く、本人の率直さとは裏腹に、警戒心が強くて相手の言葉を素直に受け取りはせず、氷のごとく冷淡そうに見えて中に暖かい光がある人間です。表層上の彼女だけを見て、判断しないでほしいのです。そして、彼女をパートナーにすると決めたなら、彼女を最後まで守ってください」
ユーフェミアの言葉は、それこそ表面上は、イルヴァをけなしているようにも聞こえなくはない。しかし、彼女の声の暖かさと切実さが、彼女の本当の意図を伝えているようだった。
彼女は単純に、心配してくれているのだ。
エリアスという人間がイルヴァのどこを気に入って、この婚約を画策したのかユーフェミアは知らない。だから、彼女なりに親友を心配して投げかけてくれた言葉なのだ。
その言葉を受け取ったエリアスは、意外なことに、何かを納得したような表情になった。そして、ふっと微笑むと、ユーフェミアをなだめるように言った。
「心配には及びません。ライスト嬢の言葉はおおよそ理解できます」
ここまで言うと、エリアスはすっとイルヴァの手を握ってきた。そしてそれを持ち上げて宣言する。
「それに、僕がこの先、彼女の新しい一面を発見していったとして、この手を離す事はありません」
エリアスのその宣言は、実情を知らない人からすれば、熱い告白のような言葉だった。ユーフェミアはそれに満足したのか、花咲くように笑みをこぼして、よかった、と呟いた。
そしてイルヴァに向き直り言った。
「イルヴァも、この言葉を素直に受け止められるといいのだけど」
エリアスのこの言葉を特に曲げて受け取っていないつもりだったので、イルヴァはそんなことを言われて驚いた。
「婚約を解消する意思はない、と言う意味ならちゃんと理解してるわ」
イルヴァがそういうと、ユーフェミアとエリアスがそろってその美しい顔に微妙な表情を浮かべた。
「うーん。そうね、確かにその言葉の説明も合ってるわ。でも、それはその宣言に至るまでのレンダール様の気持ちをスルーしているというか……」
「ライスト嬢、そこは僕の努力不足ですから、これから僕がなんとかします」
「思っていたより、けなげですね」
「ライスト嬢も、僕の言葉をもっと信じてください」
「あら、失礼いたしました」
2人の軽快なやりとりについていけなくなったイルヴァは静かにその成り行きを見守りながら、ユーフェミアの先ほどの言葉について考えた。
ーーー警戒心が強くて、相手の言葉を素直に受け止めてないって言われてたけど、そうかしら。……警戒心が強いのはそうかもしれないけれど、比較的相手の言葉を素直に受け取っているような気もするけれど違うの?
考え事をしながら、ふと、エリアスと手を繋いだままだったことを思い出した。
エリアスもまた、その事を思い出したのか、こちらを向いたので目が合った。そして、彼は視線をちらりと入り口付近に向けた。
「次の来客のようです」
「ほんとね。じゃあユフィ、後で時間を見つけてまた話に来るわ」
「気にしないで。今日は忙しいでしょうから、後日お茶会でもしましょう」
次の来客はユーフェミアとは反対側の大階段下にやってきたので、エリアスにエスコートされながら2人でそちらに向かった。
次の来客は白髪混じりの熟年の夫婦で、イルヴァは見覚えがない夫婦だった。
「初めまして。ニルス・ローセンです。フェルディーン嬢、この度はおめでとうございます。才覚と気品については聞き及んでおります。家門の未来も明るいでしょうな」
男性は背は低いが背筋はしっかりと伸びて姿勢が良く、グレーのジャケットが良く似合っている。
「アストリッド・ローセンと申します。フェルディーン嬢にお祝い申し上げます。あなたらしい道を堂々と歩んでいけるよう、お祈り申し上げます」
続いて祝辞を述べた
この時点で、イルヴァは何かがおかしいと気づいた。2人の口上は明らかに婚約のお祝いではなく、後継者になったものへのお祝いだ。
イルヴァは気取られないように索引の魔法を使ってローセン家の情報を呼び出した。
【ローセン侯爵家は王家派筆頭貴族。レンダール公爵家はほぼ中立寄りの王家派のため、関係値は薄い。同じ王家派として社交辞令のつもりで招待状を送ったが、参加と返答が来た。彼らが参加するのはほとんど王家の息がかかっていると思って良い】
パッと脳内に取り込まれた情報を咀嚼し、イルヴァはこの後の返事について考えた。
情報の漏洩を考えると、彼らは開始まで引き留めておきたいが、この場ではっきりと否定も肯定もしないほうがいい。
「初めまして。イルヴァ・フェルディーンと申します。当家へのお祝いのお言葉ありがとうございます」
とりあえず時間を稼ぐために、お祝いへのお礼を述べた。
ーーーこの後、どうしよう? 婚約お披露目だと強調すべきか、これはこのまま流した方がいいのか。でもこの祝辞を婚約の祝辞だと思ったと言うのは難しいわよね。
悩んでいると、腰に回されたエリアスの手が少しだけ力が入って引き寄せられた。
「ローレン侯爵、夫人。本日は両家合同の私とイルヴァの婚約のお披露目、それから、フェルディーン家の次期当主のお披露目にお越しいただきありがとうごさいます。本日はどうぞ最後までお楽しみください」
エリアスははっきりと事実を伝える事を選んだようだ。すると、ローセン侯爵夫人が、にこやかな表情を崩さずに言った。
「あらあら、婚約内定のお披露目もなさるのですか? 楽しみすぎて気がはやっていらっしゃるのかしら。確かに婚約の内定を知らしめると言う意味では効果的かもしれませんものね」
「イルヴァと私の婚約は、陛下にも報告が済んだ正式なものです。報告書は父が手渡ししましたから、陛下がお忘れになっていることもないでしょう」
「もちろん、現時点ではおっしゃるとおりです。ですが、継承法では、後継者同士は基本的には結婚できません。例外事由に該当すれば別ですが……」
シュゲーテルの貴族の継承法では、貴族の当主同士の結婚を認めていない。それが拡大解釈され、基本的には後継者同士も婚約できないとされている。
この法律の効力は強いため、一度報告した婚約であっても、2人でそろって後継者になると、一度破棄される。このことをローレン夫人は指摘しているのだ。
「ええ。おっしゃるとおりです。後継者同士は結婚できませんね。しかしそれについては、問題ありません」
「それはどういう……?」
「次の来客が来ましたので、また後ほど伺わせていただきます」
エリアスは事実を述べながらも、実際のところ誰が後継者でどうして婚約が成立するのかは話さないうちに会話を切り上げて、イルヴァをエスコートしながら次の来客の方へ向かっていった。
「ああやって煙に巻くのね。勉強になったわ」
しみじみと感心しながら言うと、エリアスが柔らかく微笑んで言った。
「王家派は何人かいるから、ああいうこともあると思うけど、基本的には僕が対応するから、心配しないで」
なんと頼もしいことだろう。エリアスの隣にいれば、イルヴァの最大の弱点である社交もなんとかなってしまうかもしれない。
これならばあまり心配しなくていいだろうか、と気が緩みかけたが、それではまずいと思い直す。
ーーーエリアスがやってくれるからって甘えていたら、後で困るのは私よ。貴婦人だけのお茶会にエリアスを連れて行くわけには行かないんだから、頼りすぎないようにしないと……。
イルヴァの決意が伝わったのか、なぜかエリアスが笑いを堪えている気がする。
しかしそんなことを考えている暇もなく、次の来客の対応が始まった。
いざ、対応し始めてみると、エリアスがほとんど対応してくれた。イルヴァは横にいて、挨拶を返すぐらいで良かった。
ほとんど飾りである。無力だ。
こんなに自分が何の役にも立っていないと感じさせられることがあるだろうか、と言うぐらいだった。
何組か対応した後、うっすら見たことがあるような同世代のグループが入ってきた。
エリアスはその人たちを見ると、話を切り上げてゆっくりとそちらに向かい始める。
しかし、途中でなぜか、エリアスは眉を顰めた。
「どうしたの?」
「友人のグループなんだけど……1人、招待してない人がいる。招待客リストにもなかったはずなんだけど……」
「友人ではないの?」
「そうだね。どちらかというと敵視されてるかな。第3王女殿下の崇拝者で、近衛志望なんだ。君にも失礼な事をいったらごめん」
アマルディアの崇拝者とはクセが強そうだ。
それはある意味で伝統を重んじるシュゲーテル貴族ともいえよう。
「殿下からの申し出は公然の秘密なのよね?」
「ああ。だから君も、殿下が僕に求婚した、気がある、みたいな話は肯定しないで」
「肯定はしないわ」
肯定はしないが、否定もできないのだが、仕方がない。
エリアスの知人であれば基本的にはイルヴァの出る幕はそんなにないはずだ。
ーーーできるだけ気配を殺していよう……。
先ほどまでの決意はどこへやら、あっさりと方針を変えたイルヴァは、エリアスのやや後ろに立ち、どうやったら自分の存在感を消せるかについて考えた。
しかしその思考がまとまらないうちに、例の4人組のいる場所に辿り着いてしまった。
「エリアス・レンダール殿とイルヴァ・フェルディーン嬢にノルデンフェルト公爵代理としてお祝い申し上げる」
名前を聞いて、ピンと来た。どうやら彼の母であるノルデンフェルト公爵が招待されていたが、息子を代理で遣わしたようだ。
そのため、招待客リストにはないが参加できたのだろう。
彼の母であるロヴィーサ・ノルデンフェルト公爵は、唯一の女公爵であるため、名前も顔も覚えているが、イルヴァの中に息子の名前はない。
しかし公爵代理であるのだから、名前は必要ないはずだ。
「お祝いのお言葉をありがとうございます。ノルデンフェルト卿」
エリアスが代表してお礼を言ったので、イルヴァは礼だけとっておくことにした。
「君たちの婚約を聞いた時は驚いたよ。君はもっと高貴な花を隣に置くのかと。思っていたより親しみやすい花を選ぶものだから、それならばもっと早くに決めることもできただろうにとも思ってね」
これはイルヴァでも意味がわかった。高貴な花はアマルディアで、親しみやすい花、つまり、凡庸な女がイルヴァということだろう。
まあ、アマルディアに比べたらイルヴァは常識人だと思うし、凡庸でもあるだろう。
「僕にとっては唯一の美しく愛らしい花ですよ。この花だけを枯らさぬように大事に守り育てます」
「明らかにもっと価値のある、愛でるべき花があるのに、貴族として見る目が曇っているのでは?」
「自分自身の見る目には自信があります」
ノルデンフェルト公爵家の息子である彼は、公爵と同じ銀髪でよく見ると顔立ちも似ている。
彼の作る表情は、母である公爵の優雅さに少しの嘘くささを足したような感じだった。
エリアスの言葉に対して、表情では苛立ちを出してはいないが、その優雅な微笑みが本心であるように見えない。
イルヴァが他人事のように成り行きを見守っていると、ふと、銀髪眼鏡の彼と目があってしまった。
「君も何か言うことはないのかい? 高貴な花を選ぶべきだと進言してもよいのでは?」
「彼女は僕を選んでくれたのに、そんな事をするわけがありません」
「君には聞いていない」
エリアスが間に入ってくれようとしたが、失敗に終わった。イルヴァ自身で回答しないといけない。
ーーー要は殿下にエリアスを譲れってことよね。なんて返そう。まあでも、そもそも殿下がエリアスに懸想してることは公然の秘密なんだから、論点をずらすしかないわね。
「価値がわかる者にたおられる方が花も喜ぶのでは? エリアスよりもあなたのほうが価値がお分かりなのですから、あなたがその花を選べばよいのではありませんか?」
ひとまず、できるだけ婉曲に、あなたがアマルディアを娶れば良いということを言ってみた。
これはアマルディアには他に彼女を愛してくれる人の方がいいと思うと言う意味もある。
我ながら言い返しができた、と思っていたら、場の空気が一変して凍りついていることに遅れながら気づいた。
まだ挨拶をしてない3人とエリアスの表情が一変して青くなっており、銀髪眼鏡の優雅な笑みも引き攣っている。
何かまずいことを言っただろうか、と思ったら、エリアスが慌ててイルヴァを庇うように前に出た。まるで、銀髪眼鏡が攻撃してくるかのような仕草だ。
「君は……」
先ほどの優雅な様子とは打って変わって低い声がその場に響く。
「知っていて言ったのか? それとも知らずに言ったのか?」
眼鏡の奥の鋭い眼光がイルヴァを射抜く。しかしそんなに睨まれても思い当たる話がない。
「何の話をでしょう?」
「無知ということか。招待客の情報も押さえられないとは」
「ノルデンフェルト公爵の情報は押さえていますよ」
勉強不足だと言われることが理不尽で、つい反射的に言い返して、ますます怒らせてしまったことに気がついた。
彼はついに優雅な笑みをかなぐり捨てて、無表情になってしまった。
「このフェリクス・ノルデンフェルトは正規の招待客ではないから覚える価値もないと?」
ーーーこの人、フェリクスって名前なのね。どうしよう。すごい悪意的な解釈されてるけど、別に事実を言っただけなのに。覚える価値がないとは言ってないけど、覚えなきゃいけないリストにはいなかったわ。まあでも、そんなこと言ったらまた怒らせるわよね。
「覚える価値がないとは申し上げていません。少なくとも、今覚えた記憶を忘れることはないでしょう」
「まさか名前も知らなかったと?」
ーーーまずい。余計なこと言ったわ。名前も知らなかったけど、それは本当に失礼よね。しかも多分、この人、学校で見たことがある気がするから同級生な気もするし。
困ってエリアスの方をチラリと見ると、エリアスがイルヴァの意図を組んだのか、話に割ってはいってくれた。
「学年4位のノルデンフェルト卿を知らないわけがないでしょう」
ーーーエリアスが次席なことも知らなかったのに、4位の彼を知ってるはずがないわ。
「彼女は学年1位だ。4位の存在など気にかける意味もないのでは?」
「僕の名前は把握していましたよ」
「君は2位だからでは?」
ーーー違うわ。顔が好みだからよ。
心の中で反論していると、エリアスがの肩がなぜか上下に動いた。ずっと腰に手を回しているから疲れたのだろうか。
「彼女は明らかに僕のことを軽視している。確かに彼女は学年首席で業績も素晴らしく、母上も褒めていたが……僕が著しくおとっているというわけではない」
ーーーこの話の流れは本当にまずいわ。正面切って質問されると、終わりね。なんとか違う話題にできないかしら。こういうとき嘘をつけないって不便すぎる。
イルヴァはとりあえず情報を収集すべく、索引の魔法を使ってノルデンフェルト公爵の情報を手繰り寄せた。
エリアスも困っているのか、先ほどからイルヴァの腰に回している手に力が入っている気がする。
【王家派だが、ほぼ中立寄り。公爵本人とレンダール家の関係は悪くないが、彼女の息子はアマルディアが好きだが振られたため、エリアスのことを敵視している。同級生なのに、招待も公爵本人のみに限定しているのはそのため】
情報を手繰り寄せて、イルヴァは自分が地雷を踏み抜いたことに気づいた。
よりにもよって、アマルディアに振られた男に対して、アマルディアとの結婚を勧めてしまうとは。
しかも、これは真面目に勉強していれば事前にインプットできたはずの情報だ。
続きはないかともう少し魔法を使うと、更に情報がでてきた。
【ロヴィーサ・ノルデンフェルトは魔法理論に興味があり、中でも水魔法による自己治癒向上の論文については賞賛していた】
どうして公爵は代理を立てたのだろうか。本人が来てくれればそんなに敵意剥き出しではなかっただろうに。
ーーーとりあえず、私がことごとく地雷を踏み抜いているせいで、エリアスを困らせてしまったわ。最初から索引の魔法を使っておけば、殿下の話なんかしなかったのに。
どうやってこの状況を変えようか、とイルヴァが困っていると、入り口が再び騒がしくなった。ふとそちらに視線をやると、思いもよらない人物が立っていた。




