今思うと変だったあいつも
「結局、親の喧嘩がストレスになって、あの子に不調として現れてたってことなのか?」
あずき宅のベランダで夜景を眺めながら、アリエルに訊ねる。
世界の修正力の影響で、この二日間の空白の記憶を生みつつも日付は二日後に終着しつつある。
親が上機嫌で仲の良い時間がずっと続けば良い。
そう思って世界まで捻じ曲げてしまった少女の大事に守った一日が終わる。
「それもあるし、過干渉もあるにゃ」
アリエルは淡々とした口調で言う。
「ネットで見たことないにゃ? 母親が過干渉で父親が無関心だと子供はニートになりやすいだとか、両親が不仲な家庭だと子供は不安定になるって」
「ああ、そういやそんな書き込み何回か見たなあ。ハンコみたいに」
「多分書いてるのは経験者にゃ。本人か観察者かはわからないけどにゃ」
俺は黙り込む。
何年も幼少期のことを引きずってしまうものなのだろうか。
アリエルは言葉を続ける。
「二十歳になれば自分の性格は自分で矯正しろって意見もある。けど、二十歳まで親に育てられるのは列記とした事実にゃ。他責になっても仕方ない」
「そういや聞いたことがあるな。高学歴大学に通う生徒をターゲットにした調査で親の夫婦仲は良い場合が圧倒的に多いと。ま、俺は十六で親に放り出されたけどな」
「それにゃ」
アリエルは言う。
「思春期になった時、きっとあの子は気づく。自分は大事にされてないって。その後、岳志みたいに独り立ちできないと拗らせる。私はあの子にたった一度の人生で、他責の念だけに縋って生きるバケモノになってほしくなかったのにゃ」
他責の念だけで生きる。
そうか、二十歳まであの抑圧の中で育った時、他責しか出来ないバケモノとしか言いようのない生き物が産まれてしまうのか。
俺は幸い、出会いと無謀さがあって一步を踏み出すことが出来た。
けど、出来なかったら?
今頃俺は大学へも行けず、親が放りだしたせいでと愚痴っていたかもしれない。
自分を変えるチャンスが目の前にあるのに、後ろを向いていたかもしれない。
それが、掲示板の声の正体の一面。
「……子育てって難しいんだな」
「親が不仲で子供が不登校になったりするしにゃ。デリケートなんにゃよ」
「うちの子、元気に育つかなあ……」
自分が他人に預けられて育ったとわかった時、あの子はどうなるのだろう。
「愛を伝えて上げるんにゃよ」
アリエルは穏やかに言った。
「愛してるよ、大事に思ってるよってストレートに伝えてあげるにゃ。それで納得すれば、子供は自信が持てるにゃ」
「納得できなかったら?」
「自己肯定が出来ないいじめのターゲットにされやすい気の弱い子に育ちそうにゃね」
「それは困るなあ……」
唸る。
もうちょっと家庭のことをやるべきだろうか。
長嶋一茂氏も父である長嶋茂雄氏について家族旅行なんて一度も行ったことがないと後になって恨み節を言っていたほどだ。
「大丈夫にゃよ。刹那なら岳志の子を万遍なく愛してくれる。そして、今回の子に関しては、両親に考える時間を与えるにゃ。折を見て返すにゃ」
「大丈夫そうかー?」
「うーん。高学歴で思考が凝り固まってるのと、母親が自分可哀想って考え方が固定されてるのがどうにも。高学歴の家の子供ってプレッシャー凄いんだろうなって思うのにゃ」
「ああ、それは思う」
小中学時代、高学歴の親を持つ同級生は勉強を頑張らされ塾などにも行かされていた。
あれはプレッシャーになるだろうなと思うのだ。
俺も野球に関してはエリートコースに乗せられたが、野球が大好きだったから良い方向へと進んだ。
何がどう転ぶかは結果を見ないとわからないのかもしれない。
「特に母親が厄介にゃね。被害者意識が強すぎて子供に意識が行ってないにゃ。父親も幼稚だけどそれを正す浄化作用が機能してないのにゃ。子供が子供作ったようなもんにゃよ。あれは教育が必要にゃね」
「うーむ……高学歴って大人びた奴がなるもんだと思ってたんだけどなあ」
「岳志は野球のエリートコースだったけど純粋だったからにゃあ。プライドだけが独り歩きしてるような人もしばしばいるにゃ。この世界だと高学歴とか学閥とか多いからよく分かるにゃ」
「はー、お前も色々勉強してるんだなー」
俺も高学歴側にいるので少々耳が痛い。
まあ野球で掴み取ったものという意識があるので成功体験としては弱いのかもしれないが。
「まあ、あずきに娘が出来たにゃ。これで双方良い方向に行くんじゃないかにゃあ」
「あずきさんなー……本人はどうなのよ」
「最初は実の子もいないのにーって渋ってたけど、今は張り切ってるにゃ。単純なもんにゃね」
お前に単純って言われたらお終いだよ、と心の中で思う。
「あの人は元気で朗らかだからな。多分明るい子に育つんじゃないかな」
「うん、私も積極的に関わるしね。明日は早速三人で洋服探しにゃ」
「お前も張り切ってるじゃんよ」
苦笑する。
「預かったからには責任を持たなきゃにゃ」
「そっかそっかー。収まるところに収まったわけだ」
俺は納得し、頷く。
今回の件は悲鳴だった。
声にならない悲鳴だった。
それが俺達に届いた。
それだけの話。
夜景を見下ろす。
「この中にどれだけ機能不全な家族があるんだろうな」
その中で子供は息を潜める。
じっと耐え続ける。
親元でしか生きていけないから。
「同級生で、今思うと変な奴だったなって子いなかったにゃ? 多分、そういう些細なことが表に出てるにゃよ」
「今思うとヘルプサインだったのかもなあ」
やたら遅刻してきたあいつ。不登校だったあいつ。極端に自信がなかったあいつ。校則に反して髪の毛を染めてたあいつ。
全ては家庭の環境を写す鏡だったのかもしれない。
けど、今となっては遅いことだ。
俺自身が言ったことだ。
血縁には踏み込んじゃいけない領域がある。
そして、人は配られたカードで戦うしかない。
世にも奇妙な物語で大人免許なんて話があったが、実際にあれはあった方が良いのかもしれない。
大人になった実感がない俺が言うのもなんだが。
なんなら童貞だし。
「まあ、今回は一つ救えただけ良しとしよう」
「ヴァイスの奴悔しかったのか凄い速さで帰ってったにゃ。ざまあみろにゃ」
「次は近接戦を挑まれるだろうなあ」
「にゃっ!?」
魔術は神クラスでも近接戦は一線級とはいかない駄猫なのだった。
俺は苦笑する。
これまでは怒鳴り声のストレスで抑圧される日々だっただろう。
けど、これからはあの子に穏やかな日を。
我が子の良い友達になってくれればと思う。
それだけで、今まで見落としたヘルプサイン全てを帳消しに出来るような、そんな自己満足に浸れた。
それだけで、今の俺には十分だった。
つづく




