グランデ雛子
「グランデ雛子、一丁目の新住民がフィルしてくれません。アケップするべきでしょうか」
仕事の休憩中に電話に出た雛子は、それだけで気分が重くなった。
「プールしておいて。くれぐれも短気は起こさないように」
電話を切った次の瞬間に着信音が鳴る。
大好きな歌手の曲なんだけど嫌いになってしまいそうだ。
「グランデ雛子。三丁目に野良猫がフィルしています。交通量も多くキナケスな案件だと思うのですが」
「保護したげて。飼い主探して」
電話を切った次の瞬間にまた電話が鳴る。
明らかに雛子の休憩時間を待っている。
(どうでもいいけどグランデ雛子ってアパートかなんかの名前みたいだなあ……)
そう、雛子はグランデになってしまった。
もうどうにでもなれと思ったのだ。
若い頃には一線を超える前に跳ね除ける強さがあった。
今はあの頃より同調圧力に弱い。
現実逃避をしている間にも着信履歴は増えていく。
諦めて、雛子は電話に出た。
「なんか凄いねー雛ちゃん」
「あの町のボスやってんだってさ」
なにも知らない同僚がのんびりした口調で言う。
その姿がガラス越しのように遠く見える。
休憩時間終了のチャイムが鳴る。
(なにやってんだろうなあ自分……)
雛子は天を仰いだ。
その夜のことだった。
雛子は龍鳳に呼び出されて夜の公民館に出かけていた。
公民館はもはや龍鳳の私物だ。
龍鳳の集会や会議や私生活に利用されている。
「グランデ雛子。貴女の統率力は中々のものがあるようですね」
ニッコリと微笑んで返す。
「そんなことないですよ~潤滑油として活用していただければ幸いです」
潤滑油。就職活動で使い始めてから口に馴染んだ言葉。
「ならば貴女には見せておくべきものがあると思ったのです。貴女は後々ベルグランデになるだろう人材だから……正直、頼りにしていますよ、貴女のこと」
そう言って、龍鳳は雛子の手を両手で包み込む。
(触んな!)
心の中で思わず怒鳴ったが、口に出すのは我慢した。
「嬉しいな~龍鳳様に信頼してもらえるなんて雛子嬉しい」
龍鳳は満足げにうんうんと頷く。
お調子者でお喋り。雛子の本質だ。
「では、参りましょう」
そう龍鳳が言うと、公民館の前にリムジンが停まる。
それに圧倒されつつも乗って、雛子は山道を走る車の中で待機を始めた。
なにを見せられるのだろう。
金塊かなにかだろうか。
金をひけらかしてアピールしてくる男は何人もいた。
大抵はその時点でフェードアウトしたが。
(ビニールハウス……?)
連れてこられたのは山奥のビニールハウス。
中では見たこともない草が山のように生い茂り、中央のデスクからは明かりが漏れている。
小箱サイズの実験器具が山程あり、ラットの入った箱もあちこちに乱雑に置かれている。
「龍鳳様。成果は上々です」
眼鏡の神経質そうなツリ目の男が微笑んで言う。
「そうですか。それは良い」
「実際に使っておみせしましょう」
そう言って、ラットを一匹捕まえて、男は注射器を突き刺す。
次の瞬間、ラットの体が引き締まったように見えた。
男はラットを避けるようにして箱に戻す。
次の瞬間、箱を突き破ってラットの顔が飛び出してきた。
(ありえない!)
雛子は思う。
箱は壁の厚みが一センチ程。
人間でも割るのに苦労するだろう。
そのありえない、を、この奇妙な薬は可能にした。
「どうだいグランデ雛子」
龍鳳は微笑んで振り返る。
「我々は薬学に強く、ネットワークも幅広い。人材も材料もどこからでも手に入る。さあ、薄汚い政治家なんて排除して、君も僕と一緒に日本を統一しないかい?」
(こいつ……本格的にヤバいかも)
無邪気な龍鳳の笑顔に怖気を感じた雛子だった。
「凄いですわ龍鳳様! そんな大きな夢を持っていらしたなんて! 雛子はそれを応援します!」
手伝うとは言っていないのだ手伝うとは。
けど、龍鳳は満足した。
お調子者でお喋り。
それ故に、ドツボにハマる時はとことんハマるのだった。
翌日、雛子は職場で溜息を吐いていた。
どうしたものだろう。警察にもツテがあると言っていた。
裏切ったと知られれば末路は見えている。
(いっそ開き直ってベルグランデでも目指すかぁ?)
そう投げやりに思った時のことだった。
「こんにちは、あの町の仕切り役の一人がここにいるって聞いたんだけど」
「ああ、雛ちゃんだよ」
休憩室に男が入ってきた。
同僚が受け答えする。
顔を上げる気にもならない。
「雛子……お前、雛子か?」
顔を上げると、そこには岳志がいた。
雛子は緊張の糸が切れるのを感じた。
「岳志くん、遅いよ!」
「……あーなんかドツボってんのねお前」
そう言って、頭痛がするとばかりに岳志は片手を頭に添えた。
実に数年ぶりの再会だった。
つづく




