ヘソを出せ!
「へー、ここが岳志君の部屋かぁ」
アリエルにはややこしいことになるのであずきの部屋に行ってもらっている。
くれぐれも配信の邪魔をしないようにと言い含めてある。
どこまであの駄猫がそれを遵守するのかはやや不安ではあるが。
雛子は俺の部屋を一通り見渡すと、あっさりとした意見を述べた。
「野球道具とパソコンぐらいしかないね」
「清貧なんでね」
「エロ本の隠し場所どこ?」
「ねーよ」
実際にない。
「じゃあパソコンのエロフォルダは?」
「ねーよ」
実際にない、と言えば嘘になる。
しかしあるなんて言えばこいつが面白がるのが目に見えている。
「勉強しに来たんだろ。とっとと済ませようぜ」
「うん」
雛子は上機嫌に部屋の中に入っていき、テーブルの前に着いた。
俺はその向かいに座る。
「んで、言っとくけど俺数学だけは大の苦手だからな」
「中学の範囲内でも?」
「ああ、数学だけは理解の範疇を超えている」
「そんな大げさな……」
「マジだ」
雛子は少し思案する。
「そう言えば兄貴の話を頻繁にする六華も勉強に関しては一度も語ったことがなかったよ」
「アイツそんな話ばっかしてるの?」
予想以上のブラコンぶりに兄は心配になるばかりである。
「大体会話の四割が兄絡みかな」
「もうすぐ過半数じゃねえか」
重症だ。今のうちにお医者さんに相談すべきかもしれない。
「まあ、今は六華より私。でしょ?」
そう言って雛子はにへら、と笑う。
「英語教えてよ、英語」
「そんじゃ教科書とノート出して」
「うん」
「教科書の翻訳をノートに書く」
「うん」
「添削してそれを再翻訳する」
「うん?」
「後はミスが無くなるまでそれを繰り返す」
「それだけ?」
「中学英語なんて単語覚えただけでもそこそこ点数取れるしな」
「そんなもんかあ」
拍子抜けしたように雛子はシャープペンシルを走らせ始める。
ちなみに今の学習法、自分で試したことはない。先輩の受け売りだった。
「ねえ、ご褒美ほしいな」
「ご褒美?」
思いもしない言葉に俺は問う。
「眼の前に人参ぶら下げてくれたほうが走れるでしょ」
「まあできる範囲なら構わんが」
「腹筋見ーせて」
「なんか恥ずかしいからやだ」
数ヶ月前まで本格的に鍛えていた体だ。
腹筋は割れている。
しかし見せびらかすのは趣味じゃない。
「いいじゃん。お礼に私もお腹見せてあげるよ」
「いらねえ!」
「現役JCのお腹だよ! 万札出して見たがるおっさんもいるんだよ!」
「それはそいつがロリコンなだけだ!」
「いいからー、ヘソ出せヘソ!」
そう言って雛子は強硬手段に取り掛かった。
テーブルを乗り越え、俺のジャージに手を伸ばす。
俺は慌ててジャージを抑える。
後は揉み合いへしあい。
そうやって戯れているうちに、気づいてしまった。
雛子の掌が、潰れたタコで固くなっていることに。
ノックの練習を隠れてしていたのだろう。
思ってしまった。
なんとなく、こいつと付き合ってみても、面白いのかもしれない、と。
後腐れなさそうだし、日常の退屈なんて吹き飛ばしてくれそうだ。
馬鹿らしい考えだと、自分を冷静にさせる。
けど、確かにそう感じてしまったのは、偽りもない事実だった。
+++
「それでね、その時見た映画なんだけどー」
あずきは配信の真っ最中だ。
その時、隣の部屋からドタドタドタというけたたましい音とヘソを出せという少女の怒鳴り声が鳴り響いた。
なんだなんだとコメント欄が困惑に包まれる。
まだ若い子みたいだけど。ヘソ? 修羅場? お仕置きプレイ?
困惑の声が次々に上がる。
「気にしないで」
あずきは苦笑交じりに言う。
「お隣さん、モテるから。また女難でしょう」
いつものことだとばかりに言う。
少し痛む胸を、年の差を考えろよと冷静になだめた。
続く




