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それは鮮烈な記憶

 試験の初日を終えた俺は、男子トイレの前に清掃中の立て札がかけてあるのを確認して中に入った。

 中には紗理奈がスタンバイしている。


「はあい、結果は上々?」


「まずまずかな」


 手応えはある。

 拡散型の悪霊つきの影響にやや警戒していたが、危なげなく終えた。

 紗理奈は微笑むと、清掃中の立て札を回収して、ワープゲートを作る。


 そして俺達は、エイミー邸に戻った。

 出たのは食堂だった。

 皆が俺の帰りを待ってくれていた。


「試験、どうだった?」


 不安げに遥が言う。

 俺は真っ直ぐに彼女に向かっていくと、その体を抱きしめた。

 抱きしめずにいられなかった。


 彼女は少し身を硬直させたが、すぐに苦笑して緊張を解した。


「なあに、甘えんぼさんね」


「試験中、ずっと遥との勉強を思い出してた。二人で勉強したところだって。教えてもらったところだって。習ったところがそのまま出たところもある。本当に感謝してもしきれない。あの時間は、本当に無駄じゃなかった」


「ええ。その調子じゃ順調だったみたいね」


 そう言って、遥は俺の背を撫でる。


「明日も頑張りましょう」


「うん」


「いいなー」


 雛子が呟くように言う。


「雫さん」


 俺はあずきに言う。


「なあに?」


 微笑ましげに見守っていたあずきが、怪訝そうに問う。


「会場で、悪霊に憑かれたよ」


 場の空気が硬直する。


「なんとか凌いだけど、あんな状態で良く何ヶ月も配信を続けたと思う。雫さんは年上の女性なんだって、つくづく実感したよ」


 それは、褒め言葉のつもりだった。

 いつものあずきなら、亀の甲より年の功ってね、だなんて茶目っ気たっぷりに返してくれると思っていた。

 雛子が青ざめていた。


「岳志君、今、それは、やば……」


 あずきは頬を紅潮させると、ふるふると震え、目に涙を浮かべていた。


「ええ、そうよ! どうせ私は十六歳じゃないわよ!」


 そうヒステリックに怒鳴ると、あずきは踵を返して部屋に戻っていってしまった。

 俺は唖然とする。俺のいないうちに何があったのだろう。


「晩御飯どうなるにゃー?」


 アリエルの間抜けな声が部屋に響いた。



+++




 男は、少年野球では四番バッターだった。

 けど、中学校の厳しい練習に負けて楽な道に逃げた。

 それからは、逃げに逃げた。


 そして、他人の足を引っ張って、小狡く自分の地位を上昇させる術を身に着けた。

 馬鹿げたことをしていたと思う。

 今、男はある草野球チームの練習に参加している。

 軟式王子、の通称で呼ばれた男が昨年まで参加していたチームだ。

 他でもない彼の紹介で入ったチームだ。


 この練習が中々に本格的だ。

 参加者も強者揃い。

 高校野球や社会人野球で鳴らした人々の集まりだ。


 草野球なら自分でもトップになれる。そんな幻想はすぐに打ち砕かれた。

 練習についていけず、怠け癖がついた体はすでにバテ、今はグラウンドの片隅で呼吸を整えているところだ。


「はい」


 マネージャーが紙コップに入った茶を差し出してくる。


「どうも」


 そう言って受け取って、冷たい茶を一気に飲む。


「どうですか? 久々の野球は」


「俺は……」


 一瞬、迷う。初対面の相手に身の上話などしてもいいものかと。

 しかし、この際構うまいと思った。


「人の悪口を言って鬱屈を発散している最低の奴だった。けど、今、スポーツをして、スッキリとした気分になっている。清々しい心持ちだ。朝起きるのは辛いけど、続けていきたい」


「体形に恵まれた大型選手はレアですからね。バンバン鍛えてバンバン打ってください」


 そう言って紙コップを回収すると、マネージャーは去っていった。

 もうひと頑張りするか。

 男はそう思うと、力を振り絞って立ち上がり、練習に合流した。

 本当に、清々しい気分だった。



つづく

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