表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
245/611

推しとの会食

 緊張した面持ちで、宇はマクドナルドの席に座っていた。

 相手側の指示でこの席に着いたのだが、落ち着かない。

 学校帰りの学生服だが、自分の髪型はどうか、夏の汗で体臭はどうにかなってないか、そんなことばかりが気にかかる。


 トイレに行って、髪型をチェックする。

 悲しいぐらいの凡人顔。

 彼女いない歴イコール年齢。

 けど、アリエルがその心の隙間を埋めてくれていた。


 アリエルの声を聞けば元気になれた。アリエルのゲーム配信の情けない声で活力を貰えた。

 そのアリエルと、今日、会う。

 心臓はさっきから爆発せんばかりだ。


 席に戻ると、隣の席に黒服の女が一人座っていた。

 スポーツサングラスに黒のキャスケット帽。色の抜けたような白い肌。小柄で抱きしめれば折れてしまいそうな華奢な体。

 ネットで出回っていた草野球大会の写真と一致する。

 アリエルだ。


 アリエルが目の前にいる。

 失神しそうになった。

 そのまま突っ立っていてもどうしようもない。

 勇気を出して、席に着く。


 どうしたものかと思う。

 話のきっかけが思いつかない。

 気まずい時間がすぎる。

 嫌われるかも、という不安が大きくなる。


「宇にゃ?」


 こちらの不安なんて杞憂だとばかりにマイペースにアリエルは言う。


(あ、オフでも語尾ににゃなんだ……)


 そんなことに感心しながら尻尾をふる犬のようにぶんぶんと頷く。


「そっか。合流できて良かったにゃ」


 そう言ってアリエルは軽く微笑んだ。


「あ、あの」


「なんにゃ?」


「サングラス、取ってもらっても良いですか?」


「いいにゃよ」


 そう言って、なんでもなさげにアリエルはサングラスを取る。

 宝石のようなぱっちりとした金色の目がこちらを見つめていた。

 アリエルだ。

 本当にアリエルなんだ。

 そんな感動に、身が震える。


「今日は、ご足労頂いて、ありがとうございます。一ファンの、勝手な申し出に」


 アリエルはこともなさげにサングラスを掛け直す。


「いいにゃよー。私も一度ファンの人とは話してみたかったにゃ」


 そう、胸を張って言う。

 その誇らしげな様子の単純さが、配信と変わらぬ様子で愛らしい。

 画面越しに知っている彼女が偽りではないとわかって、緊張がほぐれてきた。


「それで、どうしたにゃ? 今日はなにが聞きたいにゃ?」


「あ、あの……」


 聞きづらいことだった。

 しかし、意を決して言う。


「井上さんとは、仲が良いんですか?」


「悪いとは言えば悪いし、良いと言えば良いにゃね」


 曖昧な返事だ。


「そ、そ、それって、セフレとか……?」


「すぐそういう方向に持っていくのは気持ち悪いと思うにゃ。注意しにゃねー」


「は、はい」


 心の童貞が出てしまった。反省する。


「岳志は仕事上の相棒にゃ。だから共闘もするし私生活上で一緒にいる時間も長い。けど相性は悪いにゃ。あいつは私を駄猫って呼んでるし私も岳志を馬鹿じゃねーのこいつ程度にしか思ってないにゃ」


 そう語る割には、アリエルの岳志を語る口調は楽しげだ。

 そこで、決定的に思い知ってしまった。

 この人は、遠い人なのだと。

 自分と違う場所にいる人なのだと。


「じゃあ、恋愛感情はない?」


「ぞっとするようなこと聞かないでほしいにゃ。私は一人が一番楽にゃね」


「そっか、ほっとしました」


 自分にとっては遠い人。

 けどきっと、アリエルが誰かと一緒になれば、自分はきっと身が焦げるような嫉妬をするだろう。

 複雑なものである。

 自分が未熟だからそうなのかもしれない。

 中学生。

 まだ子供だから、と言われればそれまでだ。


 ユニコーン、という言葉がある。

 Vtuber界隈で、配信者に彼氏がいることを許さぬ人々を指す言葉だ。

 他人事のように思っていたが、自分も立派なユニコーンなのだなあと思うと、ちょっと情けない。


「アリエルさんの歌、好きです。オリジナル曲もいくつかダウンロードしてて」


「なにが一番好きにゃ?」


「おはよう、おやすみですね」


「あれは我ながら上手く歌えたにゃ。作曲者さんって凄いにゃね。歌いやすい声域で曲作ってくれるんだから」


「あれって自分で発注したんですか?」


「いやいやあずきのコネにゃ。MVからなにまでぜーんぶあずきのプロモーションにゃ」


 後はファンと配信者の雑談。

 もっと気の利いた台詞も言えた気がするし、もっと距離の縮めれる台詞も言えた気がするが、中学生の宇にはそんな機転も勇気もなかった。

 あらかたファントークで話し終え、注文した食事も終わりに差し掛かった頃、宇は最後に気にかかっていたことを聞いた。


「……避難ってなんなんです? それが終われば、井上さんとはまた別に暮らすんです?」


「うーん。話せば長くなるにゃねえ」


 そう言ってアリエルは腕を組んだ。


「一言では言い表せないんだけど……」


 そう言って、アリエルは手のひらを天にかざした。


「私、天使なんにゃよ」


 その手のひらに、轟々と炎が灯った。

 それは一瞬のことで、他の誰も気が付かなかっただろう。

 しかし、宇は確かに見た。

 アリエルの手に灯った炎を。


「その関係で今敵対勢力と闘ってる。岳志も、あずきも、エイミーも、その関係で巻き込まれたのが元々って感じにゃね」


 なんだ? 突然のことに思考が追いつかない。

 トリックか?

 けどあんな大きな炎を一瞬で作り出すような装置、アリエルの手首を見ても見当たらない。


 唖然とするしかない。

 思考は完全に停止している。


「ま、信じられる話じゃないにゃね。けど、わかってほしいにゃ。君達のコメントが、私の皆を守りたいって活力になってるって」


 宇は、慌てて立ち上がった。


「僕もです。アリエルさんの歌や、ゲームや、雑談が、学校頑張ろうって、活力になってて、つまらない日常の、楽しみになってて……アリエルさんがいないと、つまらないって言うか」


 アリエルは苦笑する。


「依存するのも程々にしとくにゃ。Vtuberはそのうちいなくなるにゃ。私も、あずきも、エイミーも。あずきは配信ジャンキーだからわかんないけど、エイミーなんかはハリウッドに行くって言ってるし、配信頻度は落ちるんじゃないかにゃあ」


 思わず、口籠る。

 心の何処かではわかっていた。

 いつかは来る終わり。

 推しとの別れ。


「けど、今日という日は忘れないと思います。大好きなアリエルさんに時間を取ってもらえて、話し相手になってもらった。一生の思い出です」


 アリエルはにっと笑った。


「それは良かったにゃ。今日あずきの枠で釈明会見するから、見ててくれにゃ。学業に差し障りのない程度で」


「はい!」


「じゃ、これ、ハンバーガー代」


 そう言って、千円札を無造作に置いていくと、アリエルは去っていった。

 足が地面に着いていないような浮遊感がある。

 自分は絶好のチャンスを棒に振ったんじゃないか? という疑念が巻き起こる。

 ラインぐらいは聞けたかもよ? という邪念が湧いたのだ。

 けど、これで良いのだと思う。


 自分は、ファンなのだ。

 推しとはこれぐらいの関係で良い。

 今日はイレギュラー。

 今からはまた一ファンとして推しを応援しよう。

 彼女がその活動を終える日まで。


「勉強頑張ろう」


 それが彼女に報いる一番の道な気がした。

 しかし、あの炎は一体何だったんだろう。

 それだけが釈然としなかった。

 目の錯覚? トリック?

 夢でも見てたような気分だった。



+++




「まず見ていただきたいのは、岳志君の彼女のHちゃんのアパートを襲った今春の出来事です」


 あずきの言葉とともに、画面のスライドが移り変わる。

 無惨に焼け焦げた扉が映し出される。

 コメント欄がざわつく。


「見事に爆破されてますね。これはエイミー絡みなのか、岳志君絡みなのかわかりませんが、明白に私達関係者を狙ってのことだと私達は判断しました」


 エイミーが口を開く。


「ちょっと怖いよねってことで、エイミーから共同生活の件を提案させて貰いました。岳志の家はそれじゃなくてもプライバシーダダ漏れだったからねえ。あずきも一緒に来れば仕事しやすいなって感じで」


「そんな感じ。と言うわけで、今エイミーが用意した家には、複数人が避難しています。誰かどっかの国の過激派を刺激するような配信したかしら?」


 あずきがおどけるように言う。


「エイミーアメリカにルーツがあるからねえ。アメリカは色々な国に恨み買ってるからちょっと目立ちすぎたかな?」


「けど日本でこんな事件はまずないよね。この扉の写真はニュースでも取り上げられたので見た方はいるかと思います。Hちゃんの部屋だったんですね」


「さて、ここからはエイミーのお家紹介!」


 画面が切り替わる。

 カメラを持ったエイミーがエイミー邸の廊下に立つ。


「まず部屋ですが、このように個室があり、プライバシーは完備されています。Hちゃんも避難しているので、アリエルと岳志が夜な夜なこっそりというのはちょっと無理ですねー。岳志は今Hちゃんと高認試験の勉強で籠もりきりなので」


 そう言いつつ歩き出す。


「この家のルールは一つ。晩御飯は皆で食べること。私が仕事で遅くなってても皆待っててくれます。ありがたいことですね」


 エイミーは階段を降りていく。

 そして、台所まで進んでいった。


「ここがキッチンです。あずきと岳志が良く並んで料理をしてます。岳志ああ見えて一年以上自炊してたから料理できるんですねー。エイミーはもっぱらウーバーだったので出来ません!」


 続いて、食堂が映し出される。


「ここがダイニングルーム。団欒の場です。あ、紗理奈ちゃん映るー? いらない? 紗理奈ちゃんってボディガードも今雇ってるんですよー。代々鍛錬を積み重ねてきた頼りがいのある家系でねー」



+++



『あずきママ「岳志ー料理できたわよー」エイミー姉「岳志、隣の席で食べよ!」アリエル妹「岳志は私の隣にゃ」これ許せる?』


『なんかわからんが岳志は許せんのはわかった』


『結局いつもの岳志ハーレムだった』


『しかし爆破とは過激すぎだな……有名税の範疇越えてるだろ。阿部ちゃん狙った爆弾でももっとしょぼかったぞ。普段は福岡ガー群馬ガー言うてるけど東京にはロケランでもあんのか?』


『あの写真見たら避難する気持ちもわかるな……岳志は許せんが』


『複雑だよ。アリエルが安全な場所にいてほしいという気持ちと推しが男と一つ屋根の下って事実は複雑』


『ユニコーンは面倒くせえなあ』


『アリエルって別にガチ恋営業でもないだろ。天然過ぎて距離感バグってくるけど』


『アリエルってどっちかと言うとドル売りというよりは歌手売りだからそこまで致命的ではないのでは。エイミーも元々岳志大好きを隠しもしてなかったし。あずきがどう影響するかだなあ』


『まああずきは前世がドル売りしてたからな。その時からのファンはどうなるかわからん』


『とりあえず一件落着ってことでいいのか……?』


『あこまで広い家だとプライバシーも十分取れるだろうし、岳志は彼女の監視下だろうし、下手なことはできんだろう。一先ずは配信者達も安全なんじゃないかね』


『けど岳志は許せん』


 この時生まれた、けど岳志は許せんという言葉は、後々常用句として残ることになったという。

 今回の件は時の人エイミーの絡む件としてニュースでも大々的に取り上げられ、軟式王子岳志が草野球大会不参加の理由を裏付けるものとしてまた報道されることになったのだった。

 しばらくエイミーは、エイミー邸の週刊誌からの特定を避けるために紗理奈のワープを多用したという。



つづく

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ