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恋をしたよ

 養成所の待合室で、あずき達は暫し待たされた。

 何やらワークショップが長引いているだとかで、講師が出てこないのだ。


「放送見ててちょっと思ったんだけど、少し雰囲気変わったね、雫」


 瑞希がハスキーボイスで言う。

 惚れ惚れとする声である。

 なんでこれで声優界で通用しなかったのかわからない。

 そんな例はいくらでもあるのだろう。


「そ?」


「昔はもっと前のめりだった。ちょっと大人びた雰囲気になったなーって思った」


 アリエルは飲み物を買いに行くだとかで自販機を探しに行っている。

 二人きり、打ち明け話をするにはちょうどいいシチュエーションだった。


「それまではマネちゃんとか大人に管理されてたけど、その大人役をすることが多くなったからかなあ」


「それだけ?」


 面白がるように瑞希は言う。

 敵わないなあ、と思う。


「……恋をしたよ」


 観念した、とばかりに言う。

 恋愛話。瑞希の十八番だ。


「へー。相手はどんな人? 年上?」


「七つも年下」


「わー犯罪だ」


 からかうように言う瑞希である。


「どんなとこが良かったのさ」


「そうだねえ。あずきさんの料理は美味しいって毎日料理食べてくれたり、気遣ってくれたり。夢に向かって真っ直ぐだったり。素直で責任感が強かったり。そうだね、私が大人びたって言うのなら、その子から学んだ面も多いのかもね」


「料理振る舞うって相当親密じゃん。駄目だったんだ?」


「相手にもう片思いの相手がいた」


「そっか」


 瑞希はそう言うと、根掘り葉掘り聞き出そうとはしなかった。

 絶妙な距離感だと思う。


「いい経験、したんだね」


 その一言で、この一年の経験がすとんと腑に落ちた。


「そうだね。いい経験だった」


「それはきっと芸の肥やしになるよ。激しい感情を表現する時も、イメージするだけとじゃ、実体験から参考にできるものがある時じゃ、まるで違うからね」


「うん。私もそう思う。トイボックスの方は調子はどう? 三期生入ったんだっけ?」


「あんたがいた時がピークだったね。落ちる一方」


 そう言って肩を竦める瑞希である。


「首の挿げ替えが致命的だった。ホロライブにもにじさんじにも差をつけられる一方。あんたさえ病まなければなー」


「同期の皆には正直悪いことしたと思ってるよ」


 それは正直な気持ちだ。

 同期は一緒にコラボすることが多い。集団コラボなどもしばしば行われる。そのうちのいくつを欠席したことだろう。


「帰ってこれば?」


 瑞希がなんでもないように言う。


「って、それはあんたに旨味がないか。あずエルミーで大盛況だもんね、今」


「旨味は別に気にしてないんだけど、私の代役の子が立つ瀬ないでしょ、それ」


「まあねー。あの子も頑張ってはいるんだけどねー」


 なにか含むものがありそうな物言いだった。


「良い恋できて良かったね、雫」


 ハスキーボイスで瑞希が言う。


「うん。七歳差はちょっと無理があったけどね」


 久々の同期との対話は居心地が良かった。

 中年男性が一人歩いてくる。

 彼を目にとめると、瑞希は腰を上げて頭を下げた。


「お久しぶりです、高橋さん」


 高橋、と呼ばれた男は相好を崩した。


「久々だな、瑞希。お前には期待してたんだがなあ。まあ別の道で成功してるならなによりだ」


「ここで学んだことは今も活きていますよ。ボイトレ今も欠かしてません」


「結構結構。それで、声優デビューの子だっけ」


 あずきも立ち上がって、頭を下げる。


「雫と言います。よろしくお願いします」


「じゃあ実力の程を見たいから、今から演技見せてもらえるかな。現在の実力の程を見たい」


 そんな展開になるとは思ってなかったので、緊張してきた。

 軽い日程合わせで終わると思っていたのだ。


 あずきは鞄から例の漫画本を取り出すと、決意を込めて頷いた。



つづく

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