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今日、うち、両親いないんだ

 失念していた。

 もう一つの最悪のパターン。


 翌日の夕方のことだ。

 俺は久々の実家に向かって電車で移動していた。


 それは、美味しんぼを視聴しているアリエルに言われて気がついたことだ。


「六華の部屋ってなんか岳志のポスターとかどどーんって貼ってあるイメージだにゃあ」


 俺は絶句したが、同時に妙に納得もしてしまったのである。

 カウンセラーに見せるかどうか悩むレベルのブラコン。

 彼女ならそういうこともやりかねない。


 実際、彼女の運営するYouTubeチャンネルの十割、つまり全てが俺関係の動画だ。

 その中にはランニング耐久動画なんていう誰が得するのだなんていう動画まである。

 ホームラン集なんていう手間暇かかったものまである。

 練習試合から本試合まで全ての試合を見に来て撮影しているということなのだから。


 ブラコン、という点において彼女は一般人の追随を許さないのである。


 その最悪のパターンが現実のものとなったらどうしよう、と俺は思う。


(……絶縁考えるかも)


 妹は可愛い。可愛いけど流石に限度というものがある。彼女のためにも身を引くことを考えるべきかもしれない。

 俺の写真やポスターで飾られた部屋をイメージして俺は一人震えた。


 電車を降りて徒歩十分。

 住宅街に入ってすぐに実家に辿り着いた。

 駐車場に車はない。

 どうやら本当に両親は出かけているようだ。


 家に帰っていたら父が待っていて、はいお兄ちゃんちゃんと話しあってね、なんて展開はどうやらないらしい。


(肉親相手に俺も色々考えすぎかなー)


 いや、逆に肉親だから色々考えてしまうと言うべきか。

 相当期待されたし、相当束縛されたからなあ。

 俺は玄関のチャイムを押すと、しばし待った。

 エプロン姿の六華が、扉を開けた。


「お兄ちゃん、久しぶりー。シフォンケーキ焼けたとこだよー。紅茶も入れるから居間で寛いでてー」


「おう」


「あ、忘れ物あるんだっけ? それじゃあお兄ちゃんの部屋の方がいい?」


「あー、どっちでも良いよ」


 困ったな。妹の部屋をチェックする口実が思い浮かばない。

 汚部屋でなければいい。俺のポスターさえ貼ってなければなおいい。

 普通の部屋ならそれで良いのだ。

 それさえ確認できれば俺は日常に安心して帰っていける。


 俺は居間に座って、ふと思った。


(ケーキなんて一人で焼けるようになったんだ、あいつ。しかも紅茶なんぞを嗜むんだ)


 女の子らしく成長しているではないか。

 成績優秀、兄さえ絡まなければ品行方正、スポーツ万能、容姿端麗、ブラコンでなければ非の打ち所がない。ちょっと鼻が高い。


(自慢の妹になっててもおかしくないんだよな……極度のブラコンって一点が全てを台無しにしてるけど)


 考えてみればうちの妹はスペックが高いのだ。

 後は旦那選びさえ間違えなければ完璧だ。


 妹がケーキと紅茶を運んでやってきた。


「テレビつければいいのに」


 呆れたように言う。


「見る習慣ないんだよ」


「ほんっと、お兄ちゃんって野球以外は全然ねえ。良く就職して彼女できたもんだわー。世間話とかついてける?」


「YouTube見てるからそれ経由で昨今の流行りは取り入れてるよ」


「あー、エイミーも今じゃVtuberだもんねえ」


「顔出しもしててVtuberもしてるってもうなにがなんだか良くわかんないけどな」


 そう言って、差し出されたフォークで何気なくシフォンケーキを切り分け、口に入れる。

 絶句した。


「……お前、これ、作ったの?」


「上手でしょ」


 上機嫌に言う。


「店で出てきても遜色ねえわ」


 お世辞ではなく本音だった。


「紅茶と合わせて飲むとなお美味しいよー」


 勧められるがままに紅茶も飲む。

 口の中で甘いシフォンケーキが品のある紅茶の余韻ですっきりとして流されていく。

 なんだこれ。男の胃を掴む能力まで持ってやがる。


 知らないうちに、妹は化け物のような女に育っていたらしい。


「お前は彼氏とか作んないの?」


 勿体ない、と思う。

 それに、後々行き遅れて焦って地雷物件を掴まれても困る。


「お兄ちゃん以上の男が見つかったら考えるよ」


 冗談めかして言う。

 目がマジだ。

 そういうとこだよ、そういうとこ。六華さん。


 全てのプラスを台無しにするマイナス。

 極度のブラコン属性。


「お兄ちゃん」


「なんだー?」


「今日、うち、両親いないんだ」


「知ってる」


 沈黙。

 二人で黙々とシフォンケーキを食べる。


(味がしない……)


「私色々大人になったんだよね」


「知ってる」


 再度、沈黙。

 紅茶を飲む。


(味がしない……圧が凄い……)


 下手をこいたかもしれない。

 密室でこの妹と二人きりになる。

 その選択肢こそが愚策ではなかったか。


 六華はふっと苦笑する。

 圧が消えた。

 昔ならこのまま一悶着あったところだが、意外な成り行きに俺は戸惑った。


「エイミーや刹那が羨ましいなあ。まだ可能性があるもんね。私は血が繋がっているっていうだけで、可能性は一欠片もないんだもの。これ以前も、これ以降も」


「……俺は六華が幸せになってくれればそれで満足だよ」


「じゃあお兄ちゃんが幸せにしてよ。二人で逃げよう」


 目がマジだ。

 脳のリミッターが外れているだけはある。


「いや、誰か幸せにしてくれる人を上手く見つけてだな」


 しどろもどろになりながら弁明する。

 六華は再び、ふっと苦笑した。


「わかってます」


 お。

 前なら子供みたいに食い下がっただろうに。

 妹の中に生まれたいくつもの変化。

 それが俺を安心させる。


 カウンセラーに見せるかどうか悩むレベルのブラコンから、説得を試みてみたいぐらいのブラコン程度に収まっているような……?


「なあ、勉強教えてくんねえ?」


「なにー、藪から棒に」


「いやな、独学で勉強してるんだが、進学校で勉強してる奴とどれぐらい差があるんだか実感として知っておきたいんだわ」


 我ながら良いアドリブ。

 これで妹からの誘惑も一旦中断させられるし、妹の部屋もチェックできる。


「いいわよ。これでも成績上位キープしてるんだから。ケーキ、アリエルさんと雫さんの分も包んどくから、持って帰ってね」


 そう言ってケーキと紅茶を持って台所に運んでいくと、六華は戻ってきた。


「じゃ、私の部屋、行こ」


 遂に運命の瞬間だ。

 俺は祈る。

 俺のポスターさえ貼っていなければそれで良い、と。


 けど、妙な安堵感もあった。

 今の六華ならそんなことはしない。

 話してみて、そんな信頼感が芽生えつつあったのだ。


 普通の兄妹になれるかもしれない。

 そんな期待感が、生まれつつあった。


 妹の部屋に入る。

 でかい本棚にずらりと並んだ難しそうな本の数々に俺は驚いた。

 法律関係の本もあれば、政治関係の本もある。栄養学に関する本もあった。

 これら全て、進学校の勉強と並行して学んでいるのだろうか。


「お前……なんになる気だ」


「ああ、政治家目指そうと思ってね」


 思いもしない言葉に俺はひっくり返りそうになった。


「せ、政治家?」


「うん、今の子供が食べてる給食見てたらあまりにも貧相で。スポーツってやっぱり栄養からじゃない。お兄ちゃんもお父さんとお母さんにたっぷり食べさせられて力つけてたし。今は家庭の食費も苦しくなってきてるから普段の食事も貧しくなってる。なら、世の中変えるしかないよねって」


「そりゃ、なんつーか、壮大な夢だなあ」


「で、まずは一流大学卒業。エイミーに英語も習ってる。将来的には奨学金制度を活かして留学するつもり」


「お・ま・え・はぁ……」


 思わず溜息を吐く。


「今日両親いないとかどうでも良いことは教える癖になんでそういう重大なことは教えないんだ? 俺は兄貴だぞ?」


「暇があればエイミーの後追っかけて、帰ってきたと思ったら親と喧嘩別れして家を出て。兄貴らしいことしてた期間、どれぐらいある?」


 ぐうの音もでないとはこのことだ。


「ま、それでもお兄ちゃんはかっこいいけどね。試合の時のお兄ちゃんが、私の理想の男性像だ」


 そう言って、六華は俺の背を叩く。


「いつまでもかっこいいお兄ちゃんでいてね。私、ずっとずっと応援するから」


 俺は苦笑する。


「お前は、俺の一番の応援団長だよ」


 六華は微笑んだ。

 綺麗だと思った。

 妹じゃなければ、抱きしめていたかもしれない。

 けど、彼女は妹だ。


 彼女を異性として抱きしめるのは、他の誰かでなければならない。


「勉強すっか」


「うん」


 その後、俺は進学校の授業の進みと密度を見せつけられてボッコボコにされたのだった。

 アパートに帰ると、興味津々のあずきとアリエルが振り返った。


「あずきさん、アリエル、六華からお土産。シフォンケーキ」


「ああ、それならコーヒーでも淹れようか。ちょっと待っててね。豆から挽くから」


 そう言ってあずきが腰を浮かして自分の部屋へと移動していく。


「どうだったにゃ?」


 アリエルの隣に座り込んで、脱力する。


「すげーわ、あいつ。三日見なけりゃ刮目して見ろって言葉あるけど、半年会わなかったらこの時期の子供なんて別人だな」


「どう凄かったにゃ?」


 アリエルは興味津々だ。

 そりゃそうだろうな。アリエルの中にはブラコン暴走時代の六華のイメージしかないのだから。


「政治家なるんだって。アメリカの大学受験するんだって。んで、子供達に栄養たっぷりの給食を振る舞うんだってさ。後子育て支援がどうとか難しいこと言ってたけど俺の脳じゃ処理できなかった」


「……すっかり六華も大人にゃね。誰かさんと違って」


「勉強も就職もしてんだけどな、これでも」


 どこで差がついたのだろう。わからない。

 あずきも立派な大人だ。先輩も大人だ。俺は、子供のままな気がする。

 俺はいつ大人になるのだろう。

 わからない。


 ただ、将来的には大人になって、先輩と家庭をもって、子供を育てて、一緒に暮らしたい。そう思う。


「まあ、安心したよ。妹が立派に育ってて」


「私としてはあずきと話のネタが一つ消えて残念だにゃ」


「この駄猫……」


 しばらくして、あずきがコーヒーを淹れてやってきた。


(皆大人になってくのかなあ……)


 一人だけ成人しても今の生活やってて先輩から置いていかれたらどうしよう、と思う。

 アルバイト中心の生活は、高認を取って大学に合格して奨学金を取れば自然と講義中心の生活にシフトチェンジするだろう。

 草野球は、大学に合格すれば大学野球に自然と移行するだろう。チャンスがあれば、その先に社会人野球やプロを目指すのかもしれない。

 しかし、退魔師の終わりはどこにあるのだろう。

 そんなことを、ふと思った。



続く

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