藤原建次
リクエストいただきました藤原先生の話です。
「湊。サックスの二人を貸してくれ」
のっぴきならない事態に直面して。
社会科教諭の藤原建次は、教え子に助けを求めていた。
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「本日集まってもらったのは、他でもない。サックスアンサンブルをやるためだ」
そしてやってきた生徒二人に、藤原は説明をする。
「知り合いに、規模は小さくていいから幼稚園で何曲かやってくれないかと頼み込まれた。古い馴染みでな。断り切れなかった」
「ホホーウ? そりゃまた、楽しソーなイベントですな」
ごつい外見の五十代教師に、人の悪そうな笑みで返したのは美原慶だ。
アルトサックス担当。ひょろりとした細身の体形に、あごの尖った面長の顔。
正確にはもう卒業生であり、生徒ではないわけだが腕を買われての参加となった。
OBOGバンド。川連第二高校吹奏楽部からできた、新しい組織のエースともいえる存在だ。
「幼稚園っていうことは、ジブリとかディズニーとかの曲ですかー?」
呑気に訊いてきたのは宮本朝実。
バリトンサックス奏者であり、来年度から吹奏楽部の部長を務める、期待の新人である。
楽器を始めたのは高校生からだが、思い切ったプレイングと、何より動じないその性格がこのメンバーに選ばれた理由であった。
一番年下なのに全くもって物怖じしない。まあ、そのくらいが対等に演奏をする上ではいいのかと思いつつ。
藤原は、持ってきた楽譜を取り出す。
「うむ。いくつか手持ちを持ってきたが、そんな雰囲気のものがいいだろうな。しかしそれだけでは芸がないというか、物足りないということで」
違うやつも持ってきていた。
差し出した袋を見て、女性陣二人はタイトルを読み上げる。
『アミューズメント・パーク組曲?』
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アミューズメント・パークとは、その名のとおり遊園地のことを指す。
広義では大きな公園も含まれる。まあ、大筋テーマパークをイメージしてもらえればいい。
教師らしくそんな解説を入れたところで、藤原は自分の楽器を持った。
「よし、と」
テナーサックス。
音域的には慶のアルトサックスと、朝実のバリトンサックスの間の、中音域を担当する楽器である。
吹奏楽ではアルトサックスの方が目立ちがちだが、ジャズなどになるとかえってテナーサックスの方が重要視されていたりもする。要するに通好みの渋い楽器である。
それを強面のおじさんが持つと、なんとも言えない味がある。楽器を持った藤原の姿を上から下まで舐め回すように見て、慶が言う。
「マフィアみたいですね」
「誰が反社会勢力だ⁉」
黒のスーツと帽子を被っていたら、もはやそうとしか見えない。
そんな危険な魅力がある楽器でもある。人によっては。
自分の厳めしい顔を普段は教師として、存分に使っている藤原だが、今回はそうもいかない。
幼稚園児が怖がって泣きそうだから、女の子二人に救援を頼んだのだ。しかしその助け舟は、藤原を容赦なく振り落としかねない存在でもあった。
半ば悪戯気味に。なるほど、湊はこういう苦労をしているのか、とOBOGバンドの主、教え子の顔を藤原が思い浮かべていると。
慶はニヤニヤを苦笑気味にして、改めて言ってくる。
「冗談冗談。まー渋かっこいいオジサマの出来上がりですね。外見だけでむっちゃ上手そう。ていうか先生、楽器吹けたんですね」
「ま、まあな。昔ちょっとやってた」
学校外ならまあいいだろうと判断し、藤原は嘘ではない言葉を口にする。
ちょっとどころか結構やっていたわけだが、自分の口から明かすことでもない。
『例の動画』に関しても、流出しないよう細心の注意を払っている。その部分さえ伏せられていれば、楽器をやっていたという事実は認めてもいいのだ。
もし吹聴しやがったら、OBOGバンドの命はないと思え――と、それこそマフィアのごとく教え子には言っておいた。吹奏楽と再び縁をつなぐきっかけとなったあの動画ではあるが、それでも黒歴史は黒歴史なのだ。
教師生活の命尽きるまで、半永久的に封印しておく所存である。
すると人の口に戸は立てられぬの典型、ゴシップ大好きの朝実があっさりと言う。
「わたしはなんとなく知ってましたけどね。藤原先生にはなんか、ちょくちょく楽器について言われてましたし」
「おまえを見てると危なっかしいんだよ……。バリトンサックスは大きいんだから、そこらへんにぶつけないよう本気で気を付けろよ、宮本」
どうもガサツというか、大雑把な生徒に藤原は半眼で言った。
以前校舎で楽器を持って歩いているのを見て以来、どうにも彼女のことは気になってしまったのである。ひょいと振り返った瞬間に壁にガンと楽器をぶつけそうな、そんな雰囲気が朝実にはある。
同じサックス吹きとして、どうしても見過ごせなかったのだ。そういえば、もっと前にもこっそりと、学校祭の演奏を見ていたことがあって――。
「ま、音出しも終わったところで一回合わせてみまショウか。譜読みも兼ねて」
「あ、ああ。そうだな」
そのとき非常に輝いていた慶の発言に、藤原は我に返った。
今まで楽器を吹けるということを隠していたせいか、どうもこのメンツ相手だと隠し事をしている分、気後れしてしまう。
アンサンブルは普通の吹奏楽編成より人数が少ない分、個人個人の音がとても分かりやすく聞こえる。
演奏まで遠慮してるように、聞こえないようにしないとな――と、楽譜を前に藤原は、大きく息をついた。心が委縮していると、音も委縮するのだ。
ではなるべく堂々と、胸を張ってやってみよう――胸の奥にまだモヤモヤを抱えてはいるが、それでも前を向いて。
楽器を構え、社会科教諭は教え子にうなずいた。
そのサインにうなずき返して、慶が合図を出す。
『アミューズメント・パーク組曲』。
その最初の『メイン・ストリート』の部分だ。
軽快で、風船でも飛んでいそうな感じの曲が流れていく。
お土産屋が並んでいる通り。空は快晴、どこか浮ついてはしゃいでしまいそうな空気の中。
三人は進んでいく。生徒の引率でやってきた先生の気分ではあったが、あいにくとそんな呑気なものではない。
それはメインを張る、慶の吹きっぷりからしても明らかだった。
上手いなあ――と、藤原は、OGの音を聞いて思う。
彼女の音はつややかでよく立っていて、メロディーとしての役割を十分に果たしていた。
アルトサックスは目立ってナンボだが、慶は存在で、その価値を示しているようにも見える。ずっと、一緒にやってみたかったんだよなあ――と、飛び抜けた存在感を持つ卒業生を見て思う。
初めて彼女の音を聞いてから、いつかは、と考えていた。
色々な奏者を見てきた自分が思うのだから、このOGも相当なものだ。学校祭の本番や、何気ない放課後の練習。
その音を聞くたび、立ち止まって空を見上げた。
音楽室に怒鳴り込みたくなるときもあったけれど、同時に飛び込みたい気持ちもあった。念願かなってこうして演奏ができて、とても嬉しい――そうして、慶の音に聞きほれていたせいか。
最後の主旋律のところを、だいぶ滑り気味に吹いてしまった。
指と勢いが合わず、メロディーが慌てるように流れていく。すまん、と目で合図してそのまま続けてもらう。
次が『ホーンテッド・ハウス』。その名の通り、お化け屋敷をモチーフにした楽章である。
不協和音を、わざと気味が悪くなるようにぶつけていく。こういうところは変な音がすると引っ込んでしまうと、かえって格好が悪いのだ。
だからそれぞれが、しっかり出していく。
テナーサックスである藤原も、上と下の二人に負けないようがっつりと吹き込んでいた。
こういうところがこの楽器の見せ所だ。サンドイッチの中身の具のように、演奏の味がこれで変化する。
腑抜けたところは見せられないのだ、大人として――と、先ほどの失敗を取り返すように、藤原は吹いていた。意気込んでガスガス吹くような真似はしないが、気を取り直して目の前にある音符をしっかり吹く。
この立て直しの早さは、学生の頃はなかった。
割り切って進むことを覚えたのは、働き始めてからしばらく経ってのことだ。
その方がいいと判断したから、あれこれ引きずるのは止めることにした。余計なことは考えないようにした――それで自分はどこか決定的に変わってしまった気がしたけれど、皮肉なことに仕事はそれで回るようになった。
演奏においても、きっとその方がいいのだろう。
学生のときのような音は、もう出せない。けれども引き換えに、ふてぶてしいまでにどっしりとした音は出せるようになった。
悲しいと思わなくもないが、それは感傷なのだ。
今は今で、いい音が出るようになったと思うことにしよう。いや、正確に言えば黒歴史は未だに引きずっているのだけれども――そのことにはひどい不協和音を感じつつ。
『メリーゴーランド』。第三楽章の幕開けだ。
優雅に円を描くように、ワルツが広がっていく。慶が歌い、朝実がステップを踏み、こちらは影からサポートする。
ときに引き立て役にもなり、ときに主役にもなる。OGの旋律をそっくりそのまま裏でやることもあれば、引き継いでソロで吹くこともある。これがテナーサックスの見せ所だ。
要求される引き出しが非常に多く、また状況に応じた音量調節もしなければならない。
と――。
「――⁉」
思っていたら、朝実が予想以上に大きな音を出してきたのでひどく驚いた。
彼女は年上二人が相手でも、まるで遠慮というものを感じさせず吹いている。
いや、それでいいのだけれども――バリトンサックスは上ふたりを食う勢いで吹いてほしいのだけれども。
だからといって、恐れを知らなすぎではないだろうか。ゴリッ、と差し込まれるターニングポイントとなる音は、空気の振動がすごくてこちらの方がびっくりする。
ああ、実は彼女とも一緒にできればと思っていたのだ。
多少危なっかしいが、面白い子だとも思う。はっきりずっぱりと言いたいことを言ってくるのは、聞いていて小気味よい。
慶とはまた違った方向で、個性的な尖った音をしていると思った。やや経験が浅く一生懸命で暴走気味ではあるが、それはこれからこちらが教えていけばいいだけの話だ。
なんて、教師らしいことを考える。ただ、少し思うのはそれで彼女に、変に大人しくなってほしくないということ――いつまでもその素直な音を、失わないでいてほしいということ。
朝実を見ていると昔の自分を思い出したりもする。
がむしゃらで、こちらにはないキラキラとした感触がある。がりがりと、失われてしまった部分が引っかかれる気がする――思い出せ、と。
捨ててきてしまったはずの自分が、訴えかけてきたような気がした。
「――ふむ」
だがもうこちらは五十代。
そんな小さな囁きなど、他人事のように扱う事だって慣れている。
失敗を切り捨てて考えること。過去の自分は、過去の自分だと割り切ること。
今は今の演奏をすること――だから。
『ローラー・コースター』。
最後の楽章が始まる。
これもタイトルどおり、絶叫マシンを表す曲である。スピード感あふれる曲調は、空中でベルト越しに振り回されるスリルを感じさせる。
あまりにも高いところから落ちるような、思わず笑ってしまう緊張感。
それを、冷静に受け止めて。
「おまえら、ついて来いよ!」
藤原建次は。
久しぶりに、全力で吹くことにした。
学生時代に培ってきたこと。大人になってから覚えたこと。
それを、容赦なく組み込んで演奏する。
レールを脱線することもなく、だからといって安全運転など決してせず。
思い切り乗り物を振り回して、楽しむことにした――遠慮なんていらない。
この二人がここまでやってくるのなら、こっちだって本気でやるだけだ。
学生時代の思い出も、黒歴史も。
大人になってからの割り切りも、感傷も全部、『自分のもの』なのだ。
情けない悲しみに踊らされたりはしないし、ムキになって自暴自棄なことをしたりもしない。
ただ、胸は熱く頭は冷静に――ギリギリのラインを攻めて、吹くだけである。
藤原の音がバチンとはまったことで、全体の音が非常にぶ厚くなった。
三人の響きがそれぞれ聞こえ、煌びやかな音色となる。金色の、豊かな――サックスアンサンブル。
同族楽器だからこそ出る音。
吹奏楽において、最強と呼ばれる編成。
それが空間の中を、縦横無尽に突っ走る。
慶が機嫌よく歌い、朝実が元気よく刻み、そして藤原は安定感たっぷりに肉付けしていく。
個性豊かな三人が織りなす演奏は、青空を気持ちよくかっ飛ばして。
最後にそれぞれがソロを吹き、合奏は終わった。
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「イヤー先生、マジ上手いっすね! ヤリますなあ!」
「ああ、まあな」
楽器を下ろして最大級の賛辞を送ってくる慶に、藤原は若干の得意げな笑みを浮かべた。
この卒業生が言うとなんだかお茶らけていて軽く聞こえるが、目はいたって真剣である。
本気で年上のおじさんのことを尊敬してやまない視線であった。あ、ちょっと嬉しい――と自分が認めていた存在にそう言ってもらえて、心の中で思う藤原である。
「朝実ちゃんもよかったデスね。こないだの学校祭のときも思いましたが、ノって吹けます」
「いやあー。それほどでもありますー」
最年少の後輩も悪びれなく、でへへへと笑っている。
三人が三人とも、よく出すのにしっかりアンサンブルとして成立している。
期せずして、非常に相性の良いメンバーが集まった。
それを肌で感じたのだろう。慶が勢い込んで続けた。
「コレは今回だけでなく、今後も一緒に演奏できたら楽シそうです! 先生、どうスか⁉」
「ああ、いいだろう」
楽器はあって楽譜はあれども、ずっとひとりで吹いてきた藤原は、卒業生の言葉にうなずいた。
今のは、すごくよかった。
ひとりで練習していたときにはない、目が覚めるような感覚がずっとあった――と。
改めて合奏ができる楽しさを感じつつ、藤原は言う。
「各々都合はあるだろうが、今後も定期的に集まってやっていきたいな、アンサンブル。いいもんだ」
「イエーイ!」
「いえーい!」
サックス独特の、ラテンなノリが辺りを包む。
まったく、騒々しい連中である。けどまあ、それは俺もか――と、口の端に隠し切れない笑みを浮かべつつ。
先生として大人として、藤原は手を叩いた。
「はいはい。じゃあ続きをやろうか。本番は本番で、きっちりやらんといかんからな」
「いいでショウいいでショウ。なんぼでも受けて立ちますよ」
「せんせーい、わたしこの『のっぴきならない虹へ』ってやってみたいんですけどー!」
熱気を保ちつつ、冷静に舵を取っていく。これは最年長たる自分にしかできない行動だ。
この二人に任せておくと、空中分解しかねない。主張が強すぎる。やれやれ――と思いつつ、年齢も経験も違う面子を見る。
未だあの黒歴史をカミングアウトする気にはなれないけど。
それでもこの連中とだったら一緒にやってもいいかな、というくらいには、楽しむことができた。
「ああ――いくつになっても楽器を吹くって、いいもんだな」
それぞれがそれぞれ、やれることを全力でやっている。
魂の叫びを、遠慮なく叩きつけ合っている。久しぶりの感覚を思い出し、藤原はぼそりとつぶやいた。
《参考音源》
アミューズメント・パーク組曲
https://www.youtube.com/watch?v=-iqjfMH57D8&feature=youtu.be




