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春日美里-1

「今日は一日、大人としての行動を心がけるように!」

『アイアイサー!』


 壮年の男性の言葉に、周りの大人たちが子どもらしく反応した。

 その中には、大学生の春日美里(かすがみさと)も混じっている。


 今日は、小学校に教えに行く日。

 吹奏楽の一般バンド(社会人バンド)の団員たちが、地元の小さな子に楽器を教えに行く日だ。


 普段は馬鹿ばっかりやっているふざけた大人たちも、少しの間ヒーローにならなくてはならない。

 なにしろ楽器を始めたての子どもたちにとって、一般バンドの大人は雲の上の存在なのだ。


 どんな質問にも答えてくれて、どんな演奏もやってのける。実際は、とてもそんなんじゃないのだけれども、期待されている以上はやってのけなければならない。


 大人なのだから。こういった試みは何度か行われているようだったか、美里が参加するのは初めてだった。

 なので、彼女はむんと気合いを入れる。


「どんな子たちがいるんでしょうねえ」


 肩にかけたソフトケース、中に入ったチューバを持ち直して、美里はつぶやく。

 重さ約十キロ、美里の座高よりある金管楽器。

 これを扱う子がいるということで今回は呼ばれたが、一体どんな子が待っているのだろうか。周りでは「だんちょー! すっげえ上手い子がいて鼻で笑われたらどうしよー!」「そんときはその子に教えてもらうしかねーなー!」などという会話が交わされている。


 今から会う子が超上手くて、おいおいこんな先生なんて話にならねーよなどと言われる可能性はゼロではない。

 不安があるのは大人だって同じである。肩にかけた楽器の重みだけでなく、美里が渋い顔をすると。

 そんな彼女に、先ほど周囲から団長と呼ばれた、壮年の男性が話しかけてきた。


「美里ちゃんは、こういうのは初めてだっけか」

「あ、はい。後輩とかに教えたことはありますけど、まるっきり初対面の子に教えたりするのは、今回が初めてですね」


 問いに素直にうなずく。これまで学校の部活で後輩に教えたことはあっても、初めて会う小さな子に、というのは経験がなかった。

 何を話して、どんなことを教えればいいのか。

 見当がつかない。うーん、とうなっていると、彼は笑って言ってきた。


「あんまり難しく考えなくてもよ。自分が楽器を始めたときのことを思い出して教えればいいんじゃねえか」

「楽器を始めたときのこと、ですか」

「そうさ。大体詰まるところっていうのは、みんな一緒なんだ。そこを超える手助けをして――もっと楽しく吹けるようになればいい。今回の仕事はそれが目的だからな」


 なにもコンクールで金賞を取らせてくれとか言われてるわけじゃねえんだ、と父親のような年齢の人間は、あっさりと言う。

 なるほど、と美里は考えた。大学生になった今となってはだいぶ前の話だが、楽器を始めたての頃――中学一年生のときのことを思い出して、今日はがんばってみよう。


「分かりました。原点を思い返して、やってみます」

「おう。その意気だ」


 方針は固まり、材料も見えてきた。

 楽器を吹くのが楽しいと思ってもらうのが目的――だというなら、得意な方だと思う。

 初心者の後輩に教えたときと一緒だ。当時を思い出してふふ、と笑いながら、美里は校舎に入っていった。



 ###



 教室に入ると、十数名の小学生が出迎えてくれた。


「すごーい!」

「でかーい!」


 子どもたちは、目を輝かせて美里を、というか肩にかけたチューバを見ている。

 でかい、という単語に一瞬、自分のことかと考えて軽く傷ついた長身の美里であったが、どうもそうではないらしいと気づいて安堵の息をついた。


 大きい、イコールすごい、つよい。

 怪獣と同じで、やはり大きいものはロマンが詰まっているのだ――マイナー楽器だから見向きもされないのではないかと密かに恐れていたが、その心配は杞憂だったらしい。

 小さい子にとって、やはり大きいものは正義である。

 挨拶をして指定されたところに美里が行くと、そこには二人の小学生男子がいた。


「こんにちは!」

「こんにちは」


 元気に声をかけてくる子と、ひどく冷静に声をかけてくる子。

 まるでタイプの違う二人に、ちょっと面食らう。これからこの二人を教えるわけだが、ここまで方向性が違うと一緒に教えるのは大変かもしれない。

 挨拶を返して「これから何をやりたいか」「楽器を吹いていて何か困ったことはないか」と訊くと、二人はほぼ同時に言ってきた。


「高い音を出したいです!」

「低い音を出したいです」

「おおう……」


 思ったとおり、正反対の要望を言ってくる彼らに、美里はうめき声をあげた。

 まあ、音を出すということに関しては変わらないのだけど。上の音を出すのと下の音を出すのは、少しばかり勝手が違うのだ。

 音域を広げたいという気持ちはとてもよく分かるのだけれども、だとしたらやっぱり二人別々に見てあげないといけないだろうか。

 しかしまずは、現状を確かめてから――と。

 美里は二人に、がんばって大人としてちゃんと見えるよう、声をかけてみた。


「じゃ、じゃあ、二人とも普段どんな風に吹いているか、見せてもらってもいいですか?」

「はーい!」

「わかりました」


 言ってみると、二人は素直に従ってくれた。

 これで嫌だとか言われたらどうしようと、内心びびっていた美里である。こう考えると幼稚園の先生って、いっぺんにたくさんの子の面倒をみなくちゃで、大変なんだろうな――と、彼女が考えていると。

 二人は楽器を持ち、思い思いに音出しを始めた。

 小学生ということで、楽器は美里の持っているようなサイズのチューバではなく、それよりも小さく調整されたものだ。

 あ、だから教室に入ってきたとき、物珍しげな目で見られたのですね――と納得していると、冷静な子の方が話しかけてきた。


「こんな感じです。先生、どうでしょうか。何か気になる点はあったでしょうか」

「あ、はい。ええと」


 本当に小学生? と首を傾げたくなるような物言いだったが、見た感じ彼は明らかに小学生である。

 低音を出せるようになりたい、と言ってきたあたり、かなり渋い。チューバという楽器を分かっている。

 言葉にはできないレベルの直感だろうが、重要性を悟っているのだ。

 対して元気な方な子は、やはりはきはきと言ってきた。


「せんせーい! こっちはどう? どうすれば高い音出る?」

「ええと、それはですね」


 こちらはどちらかというと、チューバというよりトランペットとか、目立つ楽器の方が向いているのでは? といった印象が強い。

 高い音を出したいという気持ちは、どちらかというとそういった楽器の人間の方が強い。ただ、向いてそうな子が他にいないので、男の子だからということで大きな楽器に回されたのだろう――初心者ということと、人数が少ない部活ではよくある話だ。

 それはたとえば、彼女の後輩もそうだったりして――


「二人とも、もっといっぱい吸っていっぱい吐いた方がいいですね! 腹式呼吸を練習しましょう!」


 当時を思い出して、美里はやはり初歩だと、二人に共通する練習法を見つけた。

 楽器が大きいだけに、チューバという楽器は特に呼吸法が大事になる。

 もし、持つ楽器を変えても。どんな音を出そうと思っても。

 これは彼らの生涯にわたる財産となる。


 あくまで基礎的なこと。ただし、どんなことにも応用できること。

 楽器を吹くのが楽しい、と思ってもらうために、絶対必要なことなのだ。

 そう思って、美里は『ふくしきこきゅう?』とそろってきょとんとする少年たちに言った。


「では、わたしの脇腹を触ってください!」



 ###



「二人とも、とっても音が出るようになりましたね! その調子で練習を続けていってください!」

「はーい!」

「はい」


 教え始めたときとはまるで別物のような音を出すようになった二人に、美里は笑顔で声をかけた。

 それに対して二人は、やはり生気に満ちた瞳でうなずく。


 最初は半信半疑だった少年たちだが、美里が脇腹を触らせたりして『身体が膨らむ』感覚を覚えさせたことで、信用して練習に取り組むようになったのだ。

 いい音を出したとき、「そうそう、その調子ですよ!」と声をかけていくと、どんどん彼らの音にも自信がついて張りが出てくる。

 腹式呼吸・壱ノ型。それを知るだけで、楽器から出る音はあんなにも鮮明になる。


 後輩の例があったので、事前に心の準備ができていたのも効いていた。「気にせずにがっしり触っちゃってください!」とも言えたので、指導の方は滞りなく進んだのである。後であの後輩には、お礼を言わなくてはならない。


 男の子二人の、見る間の成長がまぶしかった。

 教えているとどんどん顔つきが変わっていくのだ。可愛いなあ、とそんな彼らと、後輩を重ねて思う。

 彼もまた、妙に大人びたときと、少年らしい元気さをのぞかせる子だった。

 二人の特性を足して割ると、あんな感じになる気がする。そんな本人が聞いたら「俺、先輩に小学生と同レベルに見られてるんですか……?」と泣きそうになるようなことを、美里が考えていると。

 小さな生徒たちが話しかけてきた。


「先生、これ……」

「お礼だよ!」


 渡された袋を開けてみれば、中には可愛らしいタオルハンカチが入っていた。

 用意したのは顧問の先生だろうが、差し出してきた彼らの顔つきは、心のこもったものだ。

 それだけ二人が、こちらに感謝してくれているということだろう。「ありがとうございます! 今度使いますね!」と言うと、少年二人は恥ずかしそうに笑った。


 可愛い。

 思わずなでなでしたくなる衝動に駆られるが、今日は我慢だ。

 大人として、最後まで彼らの尊敬する人物でいなくてはならない。「今日はありがとうございました、先生」「また来てね、先生ー!」と言う二人に、笑って手を振る。


「先生、か」


 三人で一緒にお腹を押さえて息を吸って、笑いながら練習した甲斐があった。

 残念ながら時間が足りずほんの少ししか教えられなかったが、それでも実りのある時間だったように思う。


 このハンカチ、大事にしよう。

 また――と、あの子たちは言った。

 だったら、また。

 教えた子たちが楽器を続けて、いつか一緒に吹けたらいいなあ――と、相変わらず大きな楽器を抱えて、美里が思っていると。

 団長が、話しかけてきた。


「その感じだと、ちゃんと教えられたみたいだな。美里ちゃん」

「はい。とってもよかったです」


 小さな吹き手たちの力になれたのもよかったし、美里としても改めて基礎を確認するいい機会になった。

 楽器を吹き始めた頃のことを思い出して、大いに刺激にもなった。誰かに教えるのはためになる。


 また今度、こんな試みがあるなら参加してみたい。

 OBOGバンドなどという、とんでもないものを創設したあの後輩も、きっとこういうのは好きだろう。

 今でも現役生たちに教えに、学校に行っているみたいだし――と再び彼のことを思い出し、美里はふふふと笑った。


「あ、そういえば団長。訊きたいことがあるんですけれども」


 そのOBOGバンドをこれから運営していくにあたって、この一般バンドの長には訊きたいことが山ほどある。

 練習場所をどうしているかとか、団の規則をどうやって決めたのかとか。

 実際に活動してみて、どうだったとか――こうした方がいいとか。今後の参考にするため、やってきたことや思ったことを、この人には聞きたかった。


 かつてはこの楽団ですら、どこかの学校のOBOGが集まってできたものだと聞く。

 偉大な先達の意見である。ぜひ参考にしたい。そう思って、美里は事情を説明した。

 後輩が、また楽器を持って集まろうとバンドを組んだこと。

 自分もその中に入っているということ。ひょっとしたらひょっとして、人が集まったらコンクールなどにも出てみたいということ――などを、かいつまんで言うと。


「うーん。なるほどなあ」


 彼は、一度うなずいて。

 大人として一人の集団の長として、重々しい口調で言ってきた。


「そりゃあ……なかなか厳しいと、思うんだけどなあ」

つづく!

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