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夢の実現

※主な登場人物

・湊鍵太郎…三年生。部長。チューバ担当。

・千渡光莉…三年生。副部長。トランペット担当。

・豊浦奏恵…OG。現在大学二年生。トランペット担当。

 湊鍵太郎(みなとけんたろう)が教室でクラスの出し物を手伝っていたのは、ひとえに同い年から売り子の交代を頼まれたからである。

 学校祭、二日目。

 おにぎりを売る教室から出た鍵太郎は、吹奏楽部の本番の会場に向かっていた。

 目的の体育館からは、楽器の音が聞こえてきている。

 現役生が宣伝をしている間に、OBOGが音出しを始めたのだ。その中のひとりに話すことがあったので、渡り廊下を進んでいくと――

 正面から、その売り子の時間を交代した千渡光莉(せんどひかり)がやってくる。


「あ」

「よ、千渡。豊浦(とようら)先輩の様子、どうだった?」


 入れ違いになるクラスメイトに、OGの状態を訊いてみる。

 昨日の夜はボロボロだった卒業生だが、今日の本番に出ると言った以上は、多少なりとも回復しているはずである。

 そう予想したとおり、OGと同じ楽器を吹く光莉は、しっかりした声で答えてきた。


「昨日よりは全然いいわよ。しばらく吹いてないって言ってたからやっぱり、勘を取り戻すのに時間はかかったみたいだけど。それでも今は、普通に吹きこなしてる」

「そっか。ありがとな」


 ブランクのある先輩の面倒を、彼女に見てもらっていたのだ。

 現役の頃とは変わり果てた姿で現れたこともあり、光莉は先輩の現状に動揺していた。

 だが、今日の本番に参加すると聞いて、彼女は自分からOGの傍にいることを申し出たのである。卒業生が来る時間に合わせて、こちらとシフトを交代し――

 こうして、大丈夫そうだと判断して、戻ってきたのだった。光莉のほっとした表情に同じく安心して、鍵太郎は同い年に言う。


「とりあえず、今日の本番は大丈夫そうだな」

「一時はどうなることかと思ったけどね。隣で吹いてたらどんどん目つきが明るくなってくんだもの。おかしくて思わず笑っちゃった」


 まったく、あの人に楽器を吹くなだなんて、ちゃんちゃらおかしいことを言うやつもいたもんね――と、光莉は体育館を振り返り、聞こえてくるトランペットの音に笑う。

 卒業してから居場所がなくて、楽器を吹けず元気をなくしていた先輩。

 それが復活してきたなら、とてもいいことだった。これなら、こちらが用意したものを持って行っても、話し合うことができるな――と、考えつつ。

 鍵太郎は、同い年に訊く。


「なあ千渡。おまえ卒業した後、どこで吹くつもりだった?」

「え?」


 すると彼女は、予想外の質問にぽかんとした。

 訊き方が悪かったか。そう思って、鍵太郎は今度はまた違った角度で言う。


「いや、ここの楽団に入ろうとか、どこか決めてるのかと思って。東関東大会のとき、楽器続けるって言ってたろ。アテはあるのかなあってさ」

「ああ、そういうこと? んー、特に具体的なとこは考えてないわ」


 補足すると、光莉は少し考えて答えを口にする。

 その辺りは鍵太郎も同じだっただけに、そうだよなと軽くうなずいた。これまで部活で吹いてきて、楽しかったからまだ吹き続けたいなあという気持ちはあるが、じゃあどこに行こうかと聞かれると首を傾げるところだ。

 漠然と、まだやりたいなあと思っている。

 その辺りはみんな一緒ということだろう。彼女ほどレベルが高くてもその程度だ。

 けなしているわけではない。普通はそうだろうということで――

 だったら、普通でない人間もいてもいいのではないか。そんな風に思いつつ鍵太郎は言う。


「おまえは楽器持ってるし、合いそうなとこ見つけたら大学でも一般バンドでもやっていけそうだよな。さて、俺はどうしようかって思ってたんだけどさ」

「あんたも大丈夫じゃない? 大学に吹奏楽部があればよし、なくても春日(かすが)先輩みたいに社会人バンド入ればいいし」

「なんにもなかったら、またここで吹いてもいいよって本町(ほんまち)先生とか大月(おおつき)さんには言われてる」


 学校の楽器を借りて、音楽室を使って。

 後輩たちと一緒に、また吹いてもいいとは言われているのだ。

 先輩にはそれを、伝えに行くつもりだった。

 ただ、先ほどバイオリニストからは、もうひとつ必要なものがあると言われて――


「『機会』だ。本番の舞台」


 それを、見つけなければと思っている。

 機材をそろえて場所を確保したら、あとは目指す場所を決めるだけだ。

 ひとりで合奏はできないから、みんなと一緒に。向かう先は、コンクールでも演奏会でも――あるいはもっと、身近なものでも。

 引退した後も、吹き続けられればいいと思っている。

 そんな漠然とした思いの塊を、現実のものとして形作れたら。


「夢物語みたいなことを、また実行できたら。みんな幸せなんじゃないかって、俺は思うわけよ」


 きっとそれは最高なんじゃないかと、鍵太郎は不思議そうな顔をする同い年に対して笑った。



 ###



 体育館に入れば、耳慣れた音たちが鼓膜を震わせる。

 本番用にずらりと並べられた椅子と、セットされたステージ。

 その奥に――簡易的に作られたひな壇の一番上に、豊浦奏恵(とようらかなえ)は座っていた。


「あ、湊くん。おはよ」

「おはようございます先輩。調子はどうですか」


 口に付けていた楽器を下ろして、こちらを見て挨拶してくる奏恵を、鍵太郎は見つめた。

 同い年の言っていたとおり、彼女はだいぶ復調してきたように見える。

 相変わらず目の下には、隠しがたい隈があるが――表情に関してはだいぶ明るくなったと、楽器を持つ奏恵を見て思う。

 それもこれも、彼女を引っ張ってきた他のOBOGたちのおかげである。昔のように好き勝手に音出しをしている先輩たちを、鍵太郎は見回した。

 こんなにバラバラにやっているのに、誰かが音頭を取り始めるとあっという間に合奏を始めてしまうのだから、この人たちも侮れない。

 そんな連中にだいぶ、元気をもらったのだろう。奏恵はにぱりと笑う。


「うん。昨日は心配かけちゃってごめんね。もう平気だから」

「平気かどうかは、ちょっと言い切れない気もしますが……まあ、その辺りの懸念も、払拭する材料を持ってきました。聞いてください」


 先輩の言葉に素直にうなずけない、というところに若干、寂しさを感じないわけでもなかったが。

 まあ、それもこちらが多少は成長したということなのだろう。そう思って鍵太郎は、昨日から今日まで集め続けてきた今後のことを、奏恵に伝えた。

 顧問の先生からは、楽器を吹きたければ来てもいいと許可をもらったこと。

 後輩からも卒業生が来てもいいのではないかという意見をもらったこと。

 そして、それを踏まえて今後どうしたいか、話し合いに来たということ――それらを丁寧に説明すると、先輩はうなずきながら言ってくる。


「……うん。ありがと、湊くん。そんなにしてくれて」

「ああ、この辺りは俺も関係あることなんで、気にしないでください。引退してからどんな風に楽器をやろうか、色々考えさせられました」


 これまで当たり前だと思ってきた環境は、当たり前ではなかった。

 この本番が終わって明日からは、体育館から放り出されて途方に暮れることになる。

 まあ、この体育館も、今年度で取り壊されてなくなってしまうのだけど――そんな滅びの足音に抗うように。

 鍵太郎は、トランペット吹きの先輩に言う。


「さっき知り合いに訊かれたんです。『きみは、どうしたい』って――見渡すと意外と選択肢はあって、やることもいっぱいあって。何を選ぶのが正解かって、ずっと考えてました」


 何を目指すのかと、バイオリン弾きからは言われた。

 準備ができたら、あとはどこに行くか――楽器、場所、人。

 それらがみんな揃ったら、あとは『機会』だと、ずっと楽器をやっている大人は言った。

 その組み合わせとバランスは、人によって異なるのだろうけど。


「先輩は、どうしたいかなって。俺も、どうしようかなって。でも、迷っていられる時間って案外もう、少ないのかなって――だからこうして、話に来ました」


 たぶん、自分もこのOGも、心の中では結論が出ている。

 あとは、双方とも踏み出すだけだ。こちらの方がいいと信じて――飛び越えるだけ。

 自分の意思を、口にすればいいだけだ。

 楽器を吹くかのように――

 そう思って、鍵太郎が漠然とした、でも少しだけ見えた夢物語を話そうとすると。

 その前に奏恵が、「あたしはさ」と言ってくる。


「昨日、ここに来られて嬉しかった。みんなに会えて、本当によかったと思った。演奏が聞こえてきたとき、いつもよりちょっとだけ力が出てくるように感じた。すごく――楽しかった」


 返事ができないときも、携帯から聞こえてくる音に活力をもらっていた――と、OGは言う。

 今回の本番に助けられ。

 そしてかつての仲間に抱き留められたトランペット吹きは、舞台の一番上から周囲を見渡した。

 上手(かみて)には彼女と同い年の、チューバ吹きがいて。

 下手(しもて)には返事がなくてもずっと連絡を寄こしていた、打楽器の先輩がいる。

 その他にも、多くのOBOGがここには集まっていて――結構な数の人間が、こちらに注意を向けているのが、なんとなく分かった。

 まったく、人のことを言えないがみな、案外と心配性である。

 そんなあなたたちだから、自分は――。


「大好きなの。みんなみんな、大好きなの。だから、ずっと一緒に馬鹿やってたいの」


 こちらの心を代弁するかのように、奏恵は『これからのこと』について述べていく。

 既に材料は揃っている。

 もし、学校の楽器を貸してもらえるなら。

 もし、音楽室にまた行けるなら。

 そしてもし、また誰かと一緒に吹けるなら――目指す『舞台』は。


「あたしは」


 自分は。


「「来年もここでOBOG集まって、演奏をしたいと思う」」


 そんな、二人で口にしたあまりにも身近な結論を。

 周りにいた人間たちは、思わず手を止めて聞いていた。

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