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たったそれだけのちっぽけな望み

※主な登場人物

・湊鍵太郎…三年生。部長。チューバ担当。

・大月芽衣…一年生。チューバ担当。

「痛ってえ……なんで殴ってきたんだ、あいつ」


 合奏を終えて、トランペットの同い年になぜか殴られた箇所をさすりつつ。

 湊鍵太郎(みなとけんたろう)はそう口にした。

 これまでも理不尽なことは多々あったが、今回のこれはひと際そうな気がする。

 そう思っていると、後輩の大月芽衣(おおつきめい)がぼそりと言った。


「……自業自得じゃないですか」

「なんでだよ。ていうか大月さんは千渡(せんど)がこんなことしてきた理由に心当たりがあるっていうのか」

「ありません」


 明らかにある様子で、同じ楽器の後輩はプイと顔を背けた。

 先日から彼女はどうにも機嫌が悪いが、それは自分の頼りなさのせいでもある――副部長に殴られた理由はさて置いて。

 芽衣がそんな態度に出る理由には心当たりがあったので、鍵太郎は頭をかいて後輩に言う。


「なあ、悪かったよ大月さん。この間のことは」


『先輩が本当にやりたいことは、なんなのですか』――。

 そんな芽衣の問いに、答えられず愛想をつかされたのだ。

 自分の願いが言えないということは、イコール自分のことを大切にしていないということでもある。

 そんな人間、見ていて心配にもなるし怒りたくもなるだろう。傍にいる身からすれば危なっかしくてしょうがない。

 特に、このしっかり者の後輩からすれば。相変わらずへそを曲げている芽衣に、鍵太郎は重ねて言う。


「だから、考えてみたんだよ。俺って何がしたいのかなあって」

「……ふむ?」


 そんな先輩の言葉に興味を持ったのか、後輩はぴくりと反応した。

 顔をこちらに向けてくる。目は依然としてジト目のままだったが、とりあえず聞く耳だけは持ってくれたようだ。

 目で促してくる芽衣に、鍵太郎は言った。


「基本的には前と変わらない。『大勢の人と関わってみたい』。コンクールが終わっても、その気持ちは変わらなかった」


 支部大会代表をかけた、もっと広い海に出られるであろう戦いが終わってもその思いは変わらなかった。

 東日本大会に行ければ、今までとは違う付き合いもできたろう。

 ただ、そうでなくても――結局はコンクールであろうがなかろうが、同じことをしていただろうと思うのだ。


「楽器を吹き続けたいと思う。舞台に立ち続けたいと思う。で、それがどうしてかって考えると――やっぱり他人のためでもあるし、自分のためであるとも思うんだ」


 人が笑ってくれれば、自分は嬉しい。

 ただそれだけの単純な理屈だ。

 より多くの人に喜んでもらえれば、いいかなあと思うくらいの、そんなささやかな願い――


「違う誰かと力を合わせてすごい演奏ができれば、なんて昔思ったことがある。そうすれば、もっと楽しくなるんじゃないかって。大勢の人と関わって、同じステージに立って、見ている人にみんなで演奏を披露するんだ。ぼんやりとそんなことを――考えてた」


 幻想だ、夢物語だと言われた、かつて見たビジョン。

 人生は円を描くステージ。

 そこでの演奏は、これまで関わってきた全ての人たちとの記憶。

 サーカスのように、見ている人をあっと言わせる景色――だとすれば。

 中心に開いている大穴を、埋める必要がある。


春日(かすが)先輩に」


 かつて自分の隣にいて。

 そして失って封じてしまったあの人の記憶。

 それと向き合う必要がある。これまでの旅路は、つまりはその穴の周りをぐるぐるしていたようなものだったのだ。

 どんな風に舞台を作り、完成させ、より多くの人たちを笑わせられるかという、それだけの話――


「春日先輩に、会わなきゃいけないんだ、そのためには。俺にとっての始まりの人だし、あの人がいなければこんな風に思うこともなかった。たぶん、俺の本当の望みを明らかにして叶えるためには、その前に気持ちの整理をしなきゃいけないんだと思う。根本的に――自信がないから」


 夢をみたことがある。

 これまで関わってきた全員が出てきて、一緒に練習をする夢。

 その中で、自分は全く音を出せなかった。周りはみんな困った顔をして、それが本当に申し訳なかった。

 そして、隣ではあの人が、悲しそうな顔をしていて。


「どんな顔をして会っていいかも分からないし、俺自身がどうなっちゃうか分からないっていう不安もある。けど、もうそんなことも言っていられないと思う。もう――逃げられないんだな、って思う」


 あのとき自分は、恐ろしくて飛び起きてしまった。

 がっかりされるのが怖くて、今さら嫌われるのも辛くて、逃げ出した。

 けれども、それは止めだ。


「……春日先輩に会いたい、と」

「違う。これ以上の演奏のために、あの人には会わなくちゃならないんだ」


 小さな声で言ってくる芽衣に、訂正を入れる。

 確かに聞きようによってはそう取れるかもしれない。けれども、それは目的と手段が逆だ。

 夢にまでみた、あり得ない景色。

 それを実現させるため、今度こそやらなくてはならないことがある。


「みんなで、合奏(たのしいこと)をしたい」


 誰かといる時間は、楽しかった。

 それを見て笑ってくれる誰かがいることが、嬉しかった。

 だからもっと続けたい。

 願わくば、さらに大きな舞台で――


「大勢の人と関わって、すごいことをしたい。それを見て誰かが喜んでくれれば、それでいい。子どもじみて不完全な気持ちかもしれないけど、それが俺の望みだ」


 太陽か月か。

 そんなスポットライトに照らされて、もう少し演奏をしたいと思う。

 ぼんやりとして具体性がなくてちっぽけな願いだけど、これ以上のことは考えても出てこなかったのだから仕方ない。

 舞台上でも客席でも。

 誰かに笑っていてほしい。泣くのは嫌だ。

 今まさに、口をへの字に曲げてこちらの話を聞いている後輩を見ると、そう思う。


「……馬鹿な人」

「そうさ、馬鹿だよ。そんなの、入部の時に分かってただろう」


 開口一番に罵ってきた芽衣に、そう返す。

 今年の春に出会ったときから、この後輩は分かっていたはずだ。救いがたい大馬鹿が、同じ楽器の先輩にいると。

 そして愚かにも、そんな無謀な夢を追う者を放っておけないのが、この楽器の人間の適性だと――


「だから大月さん。もうちょっとだけ付き合ってくれるかな。この馬鹿な先輩に。やりたいことが具体的に見つからない、情けなくて危なっかしいヤツだけど。最後にもう一回だけ、力を貸してほしいと思う」


 出会ったときと変わらず。

 後輩に心配をかける、なってない先輩だけど。それでも、だからこそ。

 隣にいる彼女に、助力を求めるのだ。

 卑怯だと(そし)られる覚悟の上だが――


「――まったく」


 しっかり者の後輩は、そんな予想すら上回って。

 処置無しといった風に苦笑いして、受け入れて――先輩の出した結論に、口を挟んでくる。


「最初からそう言えばいいんです。手伝ってくれって。なんでもかんでもひとりで背負おうとするから、ムカついてこの間はきつく言いましたが……まあ、いいです。許してあげます。あと――学校祭は言われなくてもがんばるつもりでしたので、お気になさらず」

「……ありがとう。すまない」


 寛大にも許してくれた芽衣に、感謝と負い目を同時に伝える。

 こちらの意思を示して、ようやく彼女の機嫌も直ったのだろうか。

 それとも単に、後輩扱いせず頼ってくれたという満足感からか。芽衣はおかしそうに顔を歪めて笑っていた。

 あの夢の中で、唯一登場せず現実の中にいた人物。

 今の相棒は、本当にしょうがない、といった風にこちらを見て言う。


「ねえ、先輩。千渡先輩が殴ってきた理由、教えてあげましょうか」

「え、なんだよ、教えてくれよ」


 これまではあの副部長からは、何らかの会話があって、その後に殴られてきたのだ。

 結論は納得いかないが、論理としては分かる。直前にどこか気に食わないことがあったから、彼女は手を出してきたのだろう。

 しかし今回は、何の前触れもなしにいきなりだったのだ。鍵太郎としても理由を知りたいところではあった。

 それいかんによっては、そちらにも謝りに行かなくてはならない。そう思って先ほど殴られた箇所をさすっていると、芽衣は言ってくる。


「もし誰かに何かをしてあげたい気持ちが、愛だというなら――大勢の人に何かをしてあげたい、みんなに笑ってもらいたいなんて、節操がなさすぎじゃないですか」


 顔に浮かべた呆れ笑いに、ほんのわずかな悲しみを込めて――


「この期に及んで『みんなが好き』なんて気の多いことを言うんです。殴られても文句は言えませんよ」

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