夢の守護者
※主な登場人物
・湊鍵太郎…三年生。部長。チューバ担当。
・片柳隣花…三年生。ホルン担当。
将来の夢はなんですか、と言われたら片柳隣花の回答が一番しっかりしているのかもしれなかった。
「法律関係といっても。色々あるのよね。弁護士とか裁判官とか。その他にも職業としては多岐に渡るし」
「うちの部活の中で、たぶん社会的に一番ちゃんとした職業に就くのってたぶんおまえだと思う……」
大真面目に回答してきた同い年に、湊鍵太郎は呆れ気味の笑いで応じる。
弁護士とか裁判官とか、もはやドラマの中の仕事であるが、隣花ならばなれそうな気がする。
スラリとした手足に切れ長の目つきは、いかにもキャリアウーマン然としたものだ。
将来はスーツを着てバリバリ働いていそうな雰囲気。考え方も同い年の中では最も現実的だし、彼女なら本当に華々しい職業に就けそうではある。
たとえその仕事を選んだ動機が、『母親から自分を守るため』などという同年代で一番まともじゃないものであったとしても、だ――ほんの数ヶ月前にあった隣花の母親とのいざこざを思い出し、鍵太郎はため息をついて同い年に言った。
「その後、大丈夫か片柳。お母さんとは」
「ええ。部活自体は仮引退みたいなものだし、成績も落ちてないし。なんとか防衛はしてる」
度の過ぎた教育ママ――というか、あそこまでいくといわゆる毒親のようなものだったが、隣花はそれなりにやれているらしい。
肩をすくめる同い年は誤魔化した様子もなく、いつもの淡々とした様子だったので、鍵太郎はほっとひと息ついた。
東関東大会も終わり、本格的な受験シーズン到来。
学校祭という最後のステージが待っているとはいえ、三年生の自分たちはもう部活にあまり顔を出せない。
けれども隣花は、わりと音楽室にはしょっちゅう顔を出している。二つ上の、彼女と同じ楽器の先輩を彷彿とさせるくらいに。
かのホルンの才媛は、受験生になっても変わらず、部活にやって来たものだ。そして今では、自分たちがその立場で――
懐かしく先輩の顔を思い出していると、隣花が言う。
「まあ。これだけ楽器を吹きに来てればあんたには心配もされるわね。大丈夫よ、私は。むしろこうやって吹きに来た方が調子がいいくらいだから」
「やっぱり海道先輩みたいなこと言うな、おまえ……」
「あの人、今度の学校祭には来るの? ……まあ、それはともかく」
胸を張って、前を見ていれば難しく思えていたことだって、簡単にできちゃうもんだから――そう言っていたOGのことが話題になりかけたが、しかし。
今話すべきことは他にあると、同い年は分かっていたようだった。
苦笑いを浮かべていた隣花は顔を引き締め、改めて鍵太郎に問う。
「あんたは。それを言いたくてここに来たんじゃないでしょう。用件は何? あんたのことだから、私の動向からお母さんとの関係が悪化してないってことは、うっすら予想がついてたはずでしょう」
「相変わらず察しがいいなあ、おまえは」
彼女の言うとおり、こうまで部活にやってきているということは、隣花と母親の関係にそこまで変化はないのだろうと想像がついていた。
万が一を考えて訊いてみたが、やはり心配はなさそうではある。なら、本題に入っても問題ない――そう判断して、同い年に鍵太郎は切り出す。
「いやあ、おまえが予定通り法律関係の仕事に就くならさ。浅沼とか越戸姉妹とか、そういうフワッフワした連中のことを守ってやってくれないかと思って」
フリーランスの音楽家になるかもしれない天才アホの子と。
動画主になりたいというお気楽姉妹の顔を思い浮かべて、鍵太郎は隣花に彼女たちの擁護を頼んだ。
やりたいことをやりたい、楽しいことをしたいという同い年たちの願いは尊いものだが、それだけではどうしようもない場面に遭遇することだってあるだろう。
そうなったとき、自分だけでは力になれない可能性だってある。気持ちだけではどうしようもないことだってある――だったら、具体的な手段を知っている相手に頼ればいい。
現実の中で彼女たちが生き抜くには、隣花のような存在が必要だ。
それこそ、以前に演奏で行ったテーマパークで、自分たちがあの係員のお姉さんに助けてもらったように――そう言うと、隣花は戸惑ったように何度かまばたきをする。
「……本気で言ってるの? 私、本当にそんな立派な職業に就けるかどうかは分からないわよ?」
「ガチの法曹関係の職業じゃなくてもさ。専門の人間の紹介はできたり、簡単な相談に乗るくらいはできるだろ。どうもあいつら、危なっかしくてしょうがねえ」
ここ数日聞いていた同い年たちの進路と考えは、夢といえば聞こえはいいが、どうにも見ていて不安になるものではあった。
これまでは部活の中、学生のうちだったからまだいい。
けれども将来的に外の世界でも同じことをするなら、ちょっと保険をかけておきたい――本気でやればやるほど。
きっとなんにも考えてないであろうあの同い年たちには、お守りが必要なのだ。
そしてその役は、隣花が一番適している。
テーマパークの湖のほとりで、自分と本音を語り合ったことのある、この同い年ならば。
彼女くらいにしか、こんなことは頼めない。夢と現実の両方、裏と表を身をもって知っている隣花にしか――そう言うと彼女は複雑そうな表情をしたものの、鍵太郎は続ける。
「前にさ。法律関係の仕事に就きたいってなったとき、おまえ言ったじゃん。『世の中の仕組みを知って、自分と誰かを守りたい』って。だったらその誰かって、身近なあいつらのことじゃないかって思うんだよ」
そう志したとき、最も身近にいた存在。
進路を決めたとき、傍にいた誰か――それを守れるなら、隣花にとってもいいことではないかと思うのだ。
必死になって母親から自分を守るだけよりも、その方がよほど建設的だ。
夢を追う誰かを守れれば、それは彼女自身の力にもなる。
「別にずっと見守ってろってわけじゃない。もしものときにあいつらが困ってたら、手助けをしてやってほしいくらいの気持ちだよ。頼まれてくれないか。こういうこと言えそうなのって、おまえくらいなんだ」
「……その言い方。すごくズルいわよ」
頭を下げれば隣花は、唇を尖らせ半眼でそう言ってきた。
音楽にも人間関係にも、潔癖なほどに手厳しい彼女らしい――だからこんな頼みごとをしているのだけれども。
自分たちとは少しだけ目の前のものへの見方が違う、けれども一緒にいてくれる、この同い年にしか託せないものなのだけれども――だからだろうか。
隣花は呆れたように肩をすくめて、処置無しといった風に苦笑いをした。
「……まあ。いいわ。どんな風な形になるかはまったくもって見当がつかないけれど、とりあえず仮予約っていう形で受け付けてあげる。将来の予定が入ったと思えば、張り合いも出てくるってものよね。弁護士も裁判官も狭き門だけど」
「それを言ったら教師だって、結構狭き門なんだよなあ……」
自分には学校の先生が向いているのではないか、と言い出したのはそういえば隣花だった。
彼女のようなエリート職とはまた違った意味で、教師の採用枠、倍率というのもなかなかどうして厳しいものがある。資格を取ったところでなれるわけではないというのがまた難しいところだ。
けれども隣花と交わしたこの約束があれば、お互いにやっていけそうな気がする。
将来の夢という、あやふやな、それでいて案外ときついものに対しても挑んでいけそうな気がする――やっぱり彼女としか交わせない約束ではある。物事を現実から考える隣花としか、こんな話はできない。
「越戸姉妹みたいなこっちを女装させようとしてくる連中とは、こんな大事な話できないよな、うん……」
「女装……?」
「ちょっと待って片柳。いきなり汚物を見るような目でドン引きしないでくれるか」
そこだけ抜き出すとトンデモなことをしでかそうとしているように聞こえるかもしれないが、断じてこちらにそういった趣味はない。
こういう言い方をすると嘘っぽく聞こえるが、ないったらないのだ。そう言うと、真面目な同い年は疑わしげなジト目をしたまま言う。
「……教師みたいなお堅い職の人ほど、欲求不満でとんでもない行動をしがちだっていうけれど。それってやっぱり本当なのかしらね」
「それを言ったらおまえにだってブーメランだぞ片柳。法律関係だって頭が良すぎる分、案外サイコパスな人間が多いと聞く」
どちらもお互いに微妙にはまっている感じではある。そんな世の中の噂だが、果たして将来、自分たちはどうなっているのやら。
予測はつかないが、少なくとも先ほど交わした約束のおかげで、お互い道を踏み外すことはなさそうだった。
世の中の正義と向き合う、法の番人を目指す隣花ならなおさらである。そして、誰かの守護者となることを引き受けてくれた彼女は――
「冗談よ」と言って、今日初めての笑顔を見せた。
「正直。弁護士も裁判官も、高嶺の花かと思ってあきらめてたけれど。こうなったらやってみるだけの価値が出てきたわ」
こんな風に隣花が笑うようになったのは、母親との関係に立ち向かい、将来の目標を見定めてからだ。
自らと誰かを守る道を選んだ同い年は、しかしそう決めたときに傍にいた人物に向かって、いたずらっぽい視線を向ける。
まるでそうすることで、自身も力をもらえるといった風に――
「けれども、迷いどころね。庇護する側と裁く側。あんたのことを守るなら――さて、どっちがいいのかしらね?」




