魔女の杖は長くなければならない
※主な登場人物
・湊鍵太郎…三年生。部長。チューバ担当。
・高久広美…OG。現在大学1年生。バスクラリネット担当。
「だーかーらー! 先輩が演奏に参加してくれるのは嬉しいですけど、楽器が違うのは困るでしょ⁉」
卒業した先輩から来た連絡に、湊鍵太郎は思いっ切り突っ込んでいた。
コンクールが終わって、学校祭の準備。
今年はOBOGを交えての演奏も企画している。そして、そのOG――鍵太郎にとっての第二の師匠、高久広美から参加の返事が来たのはよかったのだが。
彼女は言ったのである。
『いつもの馴染みのバスクラリネット』ではなく。
『現役生に混じって、普通のクラリネットで参加する』――と。
「違うでしょ⁉ 先輩といえばバスクラリネットでしょ⁉ あの黒くて長い、ところどころに銀色の混じった楽器しかないでしょ⁉ この部活の魔女、高久広美といえばあれじゃないですか。正直バスクラ以外吹いてる先輩なんて、考えるだけで気持ち悪いんですけど⁉」
『ずいぶんなこと言ってくれるじゃないか、湊っち』
携帯の向こうに思いっ切り反論すると、その暗銀の魔女、高久広美から応答があった。
久しぶりの直接のコンタクトだが、相も変わらず飄々とした物言いである。その態度がゆえに、時には同級生からすら「何を考えてるか分からなくて気味が悪い」と言われる彼女であるが。
鍵太郎は、広美が根が善人であることを知っている。
それは二年間、低音パートとして一緒にやってきたからこその信頼だった。しかし今回の演奏にあたり、彼女はその低音パートから外れると言っているのだ。
これが許せるわけがない。弟子として、奏者として――鍵太郎は広美の背中を見て育ってきた部分がある。
そんな偉大な先輩が、本来の役割から外れていいはずがない。遠慮なんかしなくてもいい――以前のように。
自分が輪の中から外れることで、周りが平和になるなんて考え方はしなくてもいいのだ。
しかしそんな鍵太郎の胸中などお見通しと言わんばかりに、先輩は冷静に事実を述べてくる。
『とはいえ、だよ。現実、学校の音楽室に、バスクラリネットは一台しかなかったはずだけど? で、今はそれを咲ちゃんが使ってるわけでしょ。だったら物理的にあたしは、数に余裕のあるふつーのクラリネットを吹くしかないじゃん』
「それは……そうですけど」
川連第二高校は別に私立の強豪校ではないので、楽器に余りがあるわけでもない。
OBOGを招いて演奏するにあたって、まずこれが問題のひとつではあった――楽器が足りない。
これが当の先輩たちから提案があったとはいえ、無闇に規模を大きくできなかった理由である。音楽室に使っていない楽器のあるパートならともかく、一本しかないものをどう割り当てるかは、考えなければいけない話ではあった。
『となると、どう考えたって現役生を優先することになるでしょ。咲ちゃんがバスクラ、あたしはまあ、三番クラがいいかな。楽譜としては初見になるけど、まあ大丈夫でしょ』
「……先輩、普通のクラリネットも吹けるんですか」
『馬鹿言ってもらっちゃ困るよ。ていうかクラって実は、バスクラと指使いほとんど変わらないんだよね。だから、湊っちが考えてるよりずっと負担は少ない。その辺は気にしなくて大丈夫だよ』
「え、そうなんですか」
同じ低音属とはいえ、楽器そのものが違うため鍵太郎はそこまでは知らなかった。
そういえば、その現役生である同い年も楽器を引き継いだとき、やけにあっさりと馴染んだものだが――それは、そういったやりやすさもあってのことなのだろう。
技術的にはそこまで難しい話ではない。
だったら現役生に席を譲って、自分はまあちょっと我慢して、似たような楽器を吹けばいい。演奏には参加できるのだ。その理屈は理解できる。
というかもし同じ立場だったら、こちらだってそうしただろう。けれど――
「……それでも、俺は嫌です」
だからこそ。気持ちが分かってしまうだけに、鍵太郎はむっすりとそう言った。
これは個人的なワガママではある。高久広美にはあの黒くて長い楽器を吹いていてほしい――ただそれだけの、勝手な願望だ。
広美自身がいいといっている以上、もう口を挟まなくていい話題だった。大人しく呑み込んで、見逃して――同じ舞台の、ちょっと離れたところからこちらを見守っていてもらえばいい。
――なんて。
そんなことは、我慢できない。
「絶対嫌です。だから、今度ばかりは俺の好きにさせてもらいます。先輩にはバスクラの楽譜を送り付けるし、楽器を吹いてもらいます。これで本当に最後なんだ――こんなところで妥協してたまるか」
学校祭が終われば、自分は晴れて引退、部活から遠ざかることになる。
だったら、今回はやりたいことを全部詰め込むべきだ。頭の中に描いていたビジョンを、現実に落とし込むべきだ。
こんな機会は、もう二度とないのだから――そんな決意というか、執念のようなものを込めて言うと、広美は変わらずおどけた調子で訊いてきた。
『ふむ? すると、どうするんだい我が弟子よ。咲ちゃんにバスクラを降りてもらって、前みたいにクラリネットを吹いてもらうのかい? まああの子は元々家族の楽器を持ってたんだ。それもアリかもしれないけど――』
「宝木さんにもバスクラを吹いてもらいます。というか、全体的に人数が増える分、低音もそれに準じて増やさないと持ちません。弟子を見捨てんな師匠」
半ば喧嘩腰で、先輩に向かってそう言い切る。広美が柳に風といった口調のため、どうしてもこちらは自然とこうなる。
思えば、この先輩が部活にいた頃は、ずっとこんな感じだったな――と、懐かしさを覚えながら。
鍵太郎はその思い出と、今を重ね合わせる。
「宝木さんと先輩、ダブル体制でやらせてもらいますよ――先代と今代が一緒にやることに意味があるんです。一回限りのスペシャルステージなんだ。そのくらい豪勢にいこうじゃないですか」
この三年間を振り返るに、どちらの人物も鍵太郎にとって、その楽器以外は考えられない人間になっている。
そのくらい、これまでの時間は大切なものだった。どこを切り取っても等しく、取捨選択なんてつけられない。
だから、全部を最後の舞台で実現させる――そう言う鍵太郎に、広美は問う。
『具体的には?』
「薗部高校に楽器を借ります」
熱さに惑わされず次の一手を指してくる先輩に、即座に対応する。
この暗銀の魔女が引退した後。
それからも自分はずっと、誰かと共に歩んできた。
例えばそれは、かつての強豪校で、今もまた新たな栄光を目指してがんばっている部活であったり。
音楽準備室に使わない楽器がたくさん転がっていた、あの学校であったりもする。
「合同バンドをやった学校です。何度かお邪魔させていただきましたが、使ってない楽器は大量にありました。今は向こうもコンクールが終わって、だいぶ落ち着いた頃でしょうし――何台かなら貸してもらえるでしょう。それを整備して使いましょう」
『貸してもらえなかったら?』
「他の学校をあたります。南高岡高校、富士見ヶ丘高校――どこまでも探しますよ、俺は。先生に話を通してもらわないとだから、面倒をかけるかもしれないけど」
ただ、そんな労力をかけるだけの存在が、この携帯の向こうにあった。
高久広美――黒くて長い杖を携えた、暗銀の魔女。
第二の師匠。
代わりなどどこにもいない、先輩――いつまでもどこまでも、変わらないその関係。
それを強く強くイメージすれば、広美は。
これまでの冷静さが嘘のように、ただひたすら愉快だといった風に笑った。
『ぷっ――はは、あははははは! なるほど、言うようになったねえ湊っち! やっぱ近くにいないと、正確にどうなるかなんて予測はできないなあ。そうきた、そうきたか!』
「そうですよ。だから遠慮しないで、俺の近くに来てください」
その未来を見通す目で。
前みたいに、観測でも予測でも、存分にしてってください――好きなように。
そう言うと、ひとしきり笑った先輩は昔のように、やれやれといった風に息をついた――ようだった。
離れているから、今は分からないけれど。
それもきっと、この次は間近で見られるようになるのだろう。
そう思っていると広美は元の調子に戻って、しかしやや弾んだものをにじませて言ってくる。
『オーケイオーケイ。分かった、了解さね。弟子の期待には応えようじゃないか。じゃああたしはいつものとおり、バスクラで出ることにするかね。手配は任せちゃっていいのかな?』
「はい。任せてください」
『本当に、言うようになったねえ』
粛々とそう答えると、先輩は苦笑交じりにそう言ってきた。
それが、弟子が想像以上に成長していたことの嬉しさから来ているのか、それともその成長を間近で見られなかったことの悔しさから来ているのか、鍵太郎には分からない。
あるいは、もっと他のものであったのかもしれない。ただ広美はいつもの道化じみた態度を引っ込め、真摯な声で言ってくる。
『ねえ、湊っち。あたしのいないところで、きみはずっとがんばってきたんだね』
「……」
『だからこそ、再会が楽しみだよ。それは他の先輩たちも、みんな一緒だと思う』
「……だと、ありがたいです」
そのセリフに思い浮かぶのは、この先輩と同い年のOGたちの顔と、そしてそのさらにひとつ上の代の先輩たちの顔だった。
自分が一年生だった頃の三年生。
その中でもひときわ存在感があるのは、かつて同じ楽器を吹いていた、あの人――
『どんな道筋を辿ろうが、最後の最後にはみんな笑うことになるのさ――それはあたしが保証しよう』
コンクール、東日本大会までは行けなかったけれど。
それでも先輩たちが自分に向けてくる感情に変わりはない。
それが『事実』だと、広美は――現役の時に部内の全てのことを見通していた彼女は、さらりと言ってのけた。
以前のように。
それは部長としての役目を果たせなかったのではないかと、心のどこかで案じていた鍵太郎にとって、わずかな――でも確実な、息をつける材料だった。
「……はい。ありがとうございます。おかげでちょっと、気が楽になりました」
『にゃははははは。なーに、すぐにそんなことすら気にならなくしてやるさ。あたしら全員そっち行ってみなー? もう手の付けられない大騒ぎになるから。首を洗って待っといで♪』
「あーもう不吉。不吉なことしか言わないんだからこの人」
すぐにおどけて元の調子に戻る広美に、鍵太郎は笑ってそう応える。
この先輩は魔女ではあるが、根は善人なのである。
それは長い付き合いで、よく分かっていた。
そして、その他にも同じくらいアクの強い面子の顔を思い浮かべて――
「……ほんと、どんなステージになるんだろうな。まあ、みんなの力を借りて仕上げるしかないんだけどさ」
学校祭。
高校生活最後の舞台になるその本番のことを、考えてみる。
今口にした『みんな』というのは、部内の関係者にとどまらない。
ついさっき、自らが言ったように――これまでの旅路で出会ってきた、全ての人間が。
このステージに関わってくるような、そんな気がしてならなかった。




