燃え尽きた灰の中から
※主な登場人物
・湊鍵太郎…三年生。部長。チューバ担当。
・大月芽衣…一年生。チューバ担当。
・千渡光莉…三年生。副部長。トランペット担当。
文字通り、燃え尽きたように思う。
本番の演奏を終えて、湊鍵太郎はそんなことを考えながら会場の通路を歩いていた。
今さっき恥も外聞も全てかなぐり捨てた演奏をしたおかげで、足はフラフラ、思考もおぼつかない。
それでも、やれるだけのことはやった。
ただ、先ほどの演奏の特に序盤は初めてのホールということもあり、委縮してしまっていたように思う。
それは、他の部員も感じていたのだろう。鍵太郎の隣にいた同じ楽器の一年生、大月芽衣が不安そうに言う。
「……金賞、取れるでしょうか」
「……分からない」
「ちゃんと演奏、できたでしょうか」
「……分からない」
どの部分でもいい音が出ていたか、と訊かれれば疑問は残る。
実際に客席でどう聞こえていたかは知れない。案外とちゃんと聞こえていたのかもしれないし、そうでなかったのかもしれない。
だから鍵太郎は、既に終わった本番に対して言った。言うしかなかった。
「……けれども、俺たちは精一杯の演奏をした。なら、今はそれで十分じゃないか」
東日本大会に届くかどうかは分からない――この支部大会の代表になれるかは分からない。
けれども、自分たちはできるだけのことをやった。あの状況で、持てるだけのものを持って、体当たりで演奏をしてのけた。
だったら、もう振り返ってはいけない。
いくら入念に準備しても、本番には魔物が住んでいる。それを、三年間やってきた自分は知っている。
出た結果が、どんなものだったとしても。
あそこまでやった以上胸を張るしかないということは、これまでの経験から痛切なほどに分かっていた。
あとはもう、表彰式を待つしかないのだ。と――その前に。
もうひとつの用事が、まだ残っている。
「写真撮影……」
そう、改めて誘導されてきたホールの外には、大会の記念撮影用の段が組んであった。
自分たちの学校は今日の最後の演奏であったため、必然的に時間は遅くなっている。海の匂いをはらんだ風越しに見える空は、鍵太郎が本番前に予想した通り、半分以上が夕闇に染まっていた。
その中で、星が綺麗に輝いている。ホールの近くの建物や街灯も、きらびやかに光っていた。
まるで自分たちを祝福するかのように。
そう思うのは、やりきったという達成感からだろうか。
それとも、ただ単に希望にすがりたいだけだからだろうか――そう思いつつ、鍵太郎は大会の恒例となる、写真撮影の場に足を運んだ。
「はーいみなさん、おつかれさまでしたー!」
そんな風に元気に迎えてくれる、カメラを持った係員のおじさんも普段どおりだ。
コンクールの本番が終わった後は、いつもこうしてねぎらってくれる人がいる。ヘロヘロだったり、興奮していたりする自分たちを変わらず受け入れてくれる人がいる。それだけで、なんと心強いことだろう。
どんな会場でも等しく、カメラマンはカメラマンだった。
自分たちの最高の表情を撮るべく、こういった人たちは声をかけてくれる。
「荷物はこっちに置いてー、こっちに並んでくださいね! 大きい楽器の人は前に! そうそう!」
こういう記念撮影のとき、鍵太郎や芽衣の持つチューバなどの大きい楽器は、最前列に出るのが暗黙の了解だ。
理由はただ単純に、中に入るとデカくて邪魔になるからである。そんなわけで指定席となった一番前の端っこで、二人は他の部員たちを待った。
入場も退場も先頭になる自分たちは、後続の他の楽器の部員たちを待つしかない。
いつもだったら、そこで全員そろって写真を撮って、それで閉会式に臨むはずだった。
けれども――
『東関東大会、高等学校の部・B部門の閉会式ならびに、表彰式の準備を行います。各学校の代表者の方二名は、舞台袖にお集まりください。繰り返します。東関東大会、高等学校の部――』
「――あ」
今回の大会の大トリを務めていた自分たちの学校に、そんな時間は残されていないようだった。
写真を撮ってから舞台袖に行っていては、間に合わない。
なので鍵太郎は、名残惜しくも芽衣に言う。
「ごめん、大月さん。俺、行かなくちゃだ」
「そんな……。一枚だけ、一枚だけ撮って行くのは、駄目ですか? 先輩だけいないなんて、そんな大会の写真、おかしいです……」
「俺だけじゃないさ。ほら」
部長であるこちらと共に、副部長である同い年も――トランペットの千渡光莉もまた、一緒に行かなくてはならない。
彼女もやはり、楽器を抱えて顔をしかめ、放送を聞いていた。それは結果が読めない煩わしさからくる表情なのか、この撮影に加われないことからくる表情なのか――おそらく両方だろう。
なんにせよ、自分たちは楽器を置いて、ここを離れなければならなかった。
残る部員たちは、急いで写真を撮って片づけをして――それでギリギリ、閉会式に間に合うくらいのタイムスケジュールだろう。部長と副部長の二人だけが忙しくなる。そういう仕組みだ。
そういうルールだ。
「というわけで。大月さん、俺の楽器よろしく。ここに置いていくから、他の誰かに運んでもらって、しまっておいて。で、閉会式には間に合うように、みんなには伝えておいてくれ。じゃあ――また、ホールで会おう」
「そんな――嫌です! なんで部長がこの中にいないんですか! 変じゃないですか!」
「でも、俺の代わりは、いないから」
駄々をこねる後輩に向かって、諭すようにそう言う。おかしくても変でも、ここは大会の規則に従わなくてはならない。のこのこ遅れていくわけにはいかないし、そんな理由で閉会式に遅れたら、下手をすれば減点か失格になりかねない。
そう伝えると、芽衣は唇をぎゅっと結んで黙り込んだ。目には少し、涙も溜まっているように見えたが――しょうがない。
時間がない。そう思って楽器から手を放し、後輩の頭を撫でて、鍵太郎は光莉に言う。
「じゃあ、行くか千渡。気が重いけどな」
「しょうがないけど、行くしかないのよね……せわしないったらありゃしないわ」
ため息をつき、副部長も楽器を他の部員に託した。せっかくホールの外に出てきたと思ったら、自分たちだけ即座に逆戻りだ。
文句のひとつもつけたくなるだろう。しかしその代わりに、鍵太郎は肩をすくめて皮肉で返す。
「今年の集合写真には、修学旅行に来られなかった人みたいに端の上の方に、真顔の写真が載るのかなあ……ありがたい限りだぜ」
「目立つんだったら、トランペットとしては御の字だけど。そういうのは御免だわね」
そんな冗談に光莉も、口の片端を歪めた笑いで言い返してくる。つまりは二人して同じ心境なのだ。
もう、行くしかない。
同時にため息をついて、三年生二人は同時に歩き出した。
「……ねえ。金賞、取れると思う?」
「分からん。こればっかりは、本当に分からん」
行く道すがら訊いてきた光莉に、首を振って即座に後輩にしたのと同じ答えを返す。
先ほど芽衣にも言ったが、今日の演奏は初めての会場にしては、よくやった方だと思う。
しかしそれはあくまで、自分たちだけ見た場合の話だ。他の学校と比べてどうだった――と訊かれれば、首を傾げざるを得ない。
つまり、やはり表彰式になるまでどう転ぶかは分からないのだ。
「その評価を目の前で聞けることになるんだ。光栄なことじゃねえか」
「まったくよね。それでこそ、副部長なんかになった甲斐があるってもんだわ」
二人して、悪態をつきながら歩いていく。これが不安の裏返し、強がりだということは、自分でも分かっていた。
光莉とはお互いに、それを理解しているからこそ言い合える。
しかし、そうでない立場の人間には――
「……大月さん」
軽々しく不安など口にできなくて、鍵太郎はやはり置いていくことになってしまった、同じ楽器の後輩の名前をつぶやいた。
振り返ってみれば、写真撮影の場所は、ホールの入り口から一階分下がった踊り場のようなところにある。
だから眼下には、自分たちの学校の部員たちが集まる光景が広がっていて――見上げてくる芽衣から、しかし鍵太郎は視線を外した。
心残りばかり募るが、留まってはいられない。
燃え尽きても、この足がもつれても。
それでも自分には、この部を背負う限り、行かねばならない場所がある。




