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絶景かな

※主な登場人物

・野中恵那…二年生。次期副部長。クラリネット担当。

・宮本朝実…二年生。次期部長。バリトンサックス担当。

 せっかくだから、五階席まで上って演奏を聞いてみようということになった。


「うわー、高い……」

「こうやって見ると、舞台がちっちゃく見えますねえ」


 東関東大会の会場、そのホールの最上階で。

 野中恵那(のなかえな)宮本朝実(みやもとあさみ)は、二人で手すりの前に立ち、そうつぶやいていた。

 地元のコンクールの会場も三階席ともなればかなりの高さだったが、五階ともなるともう訳が分からない。

 見るべき舞台は小さくて、そしてその上にいる奏者たちはそれ以上に小さく見える。

 そして一階の床までは、さらに距離があるように感じられる――手すりの向こうにあるその景色を見て、恵那はぼんやりとそう思っていた。


「ん、まあとりあえず座って聞いてみましょうか」


 コンクールの本番ということもあり、とりあえず他の学校の演奏を聞いてみようという話になったのだ。

 聞こえ方がどういった感じか。まあ、審査員は二階で聞いているのだから、本来はそこに行くべきなのかもしれないが。

 やっぱり限界にまでチャレンジしておきたかったのだ。思い切りいい高さに。

 もしここで聞いて音がよく聞こえないようなら、大人しく他の階へ移動するつもりである。ものは試し――と、二人は並んで座り、始まった演奏に耳を傾けた。

 周りにあまり、人はいない。


「……やっぱり遠いからか、楽器によっては聞き取りづらいものもあるね」


 耳に入ってくる音楽に、恵那がそんな感想をもらす。

 その学校がそうだからか、このホールの構造がそうさせるのか、距離感の分だけ聞き取りにくい箇所がある。

 もっと大勢の、そう、例えばフルオーケストラでやったらこのホールも音でいっぱいになるのだろうけれども。

 少人数編成だと、さすがにここまでは届き切らないのだろう。そう、たとえばあの先輩のやっている、低音楽器のチューバとかは――


「……」


 吹奏楽編成の一番底にあるあの人の楽器は、なかなかここまで響かせるのは厳しいかもしれない。

 いかにベルが天井を向いていようとも、低音というのは高音に比べてどうにも聞き取りづらい。しょうがないことなのだろうけども、と思いつつ、恵那はその金色の楽器をじっと見た。

 届け。届け。

 そんな願いを込めつつ――


「まあ、結局はよく響かせて吹いた方がいいって結論に達しますよね」

「――そうだね」


 隣にいた朝実の発言に、ふと我に返る。

 そう、今は演奏を聞きに来たのだ。決して、あの人への思いを叶えに来たのではない。

 だから、()()()()はもうちょっとだけ我慢しよう。

 きのうお風呂場で、そう改めて誓った。だから今日は、本番に集中だ――大切なものを、台無しにしないように。


「やっぱり、ちゃんと二階席で聞きますかー。まあ、いい眺めだったので五階まで来た甲斐はありましたけどね。なかなか見られない、いい景色でした」

「うん」


 絶景かな、絶景かな。

 まるで秘境の奥へ滝を見に来たような、そんな感覚がある。

 勢いよく、流れ落ちる大量の水。それは飛沫(しぶき)を伴って、キラキラと陽の光を浴びて舞い散るのだ。

 そういえば、絶景かなという言葉も確か、春の桜を指したセリフではなかったか。頭に浮かんだ滝の景色に、満開の桜を足して、恵那は小首を傾げた。

 それは『プリマヴェーラ()』と名付けられた、これからやる曲にふさわしい。

 間違っても、その景色を()()()()()はならない。

 ギリギリのところで踏みとどまって、隣にいる友人に感謝する。彼女がいなかったら自分は、突発的にそんな行動に出てしまっていたかもしれない。

 キラキラと。

 舞い散ってしまうのも、いいかもしれないなんて――そんな風にも考えてしまったのだから。


「じゃあ、行きましょうか恵那ちゃん。正しく二階席にれっつらごー、です」

「分かった」


 その学校の演奏が終わって、朝実が立ち上がる。

 基本的にホール内への入退場は、演奏の合間にしかできない。だから今のうちに通常どおりの席に移動しなければならないのだ。

 名残惜しく、振り返る。そこでは先ほど演奏した学校の生徒が、チューバを持ったその人が、歩いていた。

 そして手すりの向こう側には、とても届かない遠い地面がある。


「……」

「どうしたんですか恵那ちゃん? 大丈夫ですか?」


 黙って手すりを握って下を見ていたら、同い年に声をかけられた。

 それに恵那は、にっこり笑って応じる。


「大丈夫だよ」


 ここから身を投げたら。

 あの人はわたしのことを見てくれるのかな、なんて。


「そんなこと、思ったりしないよ――」


 笑いながらそう言って、彼女は友達の元に向かった。

 手すりの向こうの、絶景はとても魅力的で。

 思わず身を投げたくなるほど、深くて暗い底があるような、そんな風に思えた。

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