お菓子の城
※主な登場人物
・湊鍵太郎…三年生。部長。
・千渡光莉…三年生。副部長。
「あー、さっぱりしたー」
合宿所をうろつき回り、ようやく風呂に入って。
湊鍵太郎は、清々しい気持ちでそうつぶやいていた。
ひとりで暇だから探検してみようと、施設内を歩き回った結果。
指揮者の先生にはドキッとする質問をされ、庭で後輩と花火をやり、また違う後輩には腹を撫でまわされ、そして同い年にはポニーテールで殴り飛ばされ――などなど、散々な目に合ったり合わなかったりしつつ、なんとかここまでやってきたのだ。
きっとこの建物の中では、その他にも様々なことが起こっていたのだろう。
けど、明日は本番だ。俺はもう休む、もうそういうものには付き合わないぞう――と、得意顔で自分の部屋に帰ろうとする鍵太郎だったが。
「あ、先輩。一年生みんなでお菓子を買ってきたんですけど、張り切っていっぱい買ってきすぎちゃって。すごい量があるので、よかったら一緒にどうですか?」
「行くー♪」
後輩女子からの甘い誘惑にあっさり屈して、そのままホイホイ部屋までついていくのだった。
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「あいつ、どこに行ったのよ⁉」
と、その少し前。
ドスドスと足音をたてて、鍵太郎と同い年の千渡光莉は廊下を歩いていた。
明日の本番について、今夜のうちに確認のため打ち合わせをしておこうとしたのだが、彼の部屋はもぬけの殻だった。
大体のタイムスケジュールなどは頭に入れてあるが、それにしても最終チェックのため話し合っておくことは必要だろう。部長としての自覚が足りない――と副部長として怒りを覚えつつ、光莉は施設内を歩き回る。
なんなのだ。
これではちょっとドキドキしながら入り口のふすまをノックした自分が、馬鹿みたいじゃないか――などと、ちょっとだけ私怨も交えながら。
コンクール前に気合が足りないというか、なってない。別に、笑顔で部屋に迎え入れてほしかったわけではないけれど。合宿所の部屋で、二人きりになりたかったわけではないけれど。
にしたって、いないというのはどういうことだ。まあ、たまたま風呂に入る時間と重なってしまったのかもしれないが――と考えつつ、彼女は鍵太郎の目撃情報を聞いて回った。
「湊なら、ロビーで城山先生と話してたよ!」というのは、同い年の双子姉妹の言。
「湊くんなら、庭で花火をやっていたねえ」というのは、その指揮者の先生の言。
「部長さんですか? ええ、花火で使っていたバケツをこちらに返却された後は、館内に戻られましたけど」というのは、備品を片づけていたこの施設の女将の言。
「湊先輩なら、わたしたちにお腹を撫で回されてよがってましたね!」というのは二年生の次期部長の言。
「ええ、それはもうたっぷりと。堪能させていただきました。……今度は、二人っきりでですね、うふ、うふふふ……」というのは、その事件の首謀者の言。
とにかくいろんなところにヤツの痕跡があって、探すのも一苦労だった。
「あいつマジ、マジどこまで行ったの⁉」
館内をほぼほぼ一周したのではないだろうか。
ひょっとしたら人の話を聞いている間に、どこかですれ違っているのかもしれない。
そんなことを疑うレベルの見つからなさだった。ニアミスもニアミス、出会いと別れの繰り返し――そんな風に考えてしまうくらいの、長い長い捜索の旅。
情報量が多すぎる。あいつ本当に、どこまでやる気なのか。
必死に追っているも、未だその尻尾すら掴めていない。さすがに疲れてへたりこんでいると、同い年のアホの子が言ってくる。
「湊なら、さっき洗面所で会ったよ」
「あ、そ……そうなの?」
「うん。なんかまだお風呂入ってないみたいだったから、入って――もうそろそろ出てくるんじゃないかな?」
分かんないけど。そう首を傾げて言ってくる同い年の頭ではポニーテールが揺れていて、なぜか元気よく跳ねてもいる。
そんな彼女に礼を言って、光莉は再び彼を探し始めた。
男風呂――にはさすがにちょっと踏み込めないけど、それでも今夜、またあいつと出会うために。
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結局のところ。
最後の手がかりらしきものを得ても、鍵太郎が見つかったのは、それからしばらく後のことだった。
「あーんーたー! まったく、何やってんのよ⁉」
一年生の女子部屋で、お菓子の箱を積み上げていた部長にそう怒鳴る。この学年は最も人数が多いので、合宿所でも一番の大部屋が割り当てられていた。
中では一年生がわらわらしている。その中に唯一の男子部員である彼がいることの、まあ異質なこと異質なこと。
和気あいあいと焼きチョコの箱だの動物のビスケットだのの箱を重ねているその様子は、不純異性交遊には程遠いものだったけれど――それでも、女子部屋に男子が入るなど言語道断である。
今後の風紀の乱れに結びつかないようにするためにも、即刻この部長を部屋から引きずり出さなければならない。そう思って光莉は鍵太郎の襟首を掴み、外に出た。
部屋からは一年生たちの「せんぱーい! また来てくださいね!」とか「後でお菓子あげますからねー!」といった声が聞こえてくる。なんなんだこいつ、お菓子に釣られやがって――と思うが、そもそも彼の甘いもの好きは自分も知っていた。そこは、彼女たちの作戦勝ちと言えるのかもしれない。
そして、そんな後輩女子たちに笑顔で手を振っていた鍵太郎は――やがて、感慨深いといった表情で遠くを見つめた。
「……どうしたの?」
「ああ。なんかさ、あのお菓子の箱を組み立ててたら、不思議な気分になってきちゃって」
あまりに静かで穏やかに彼がそうしているので、光莉は思わずそんな風に鍵太郎に訊いた。
その眼差しの向こうには、彼が今まで積み上げてきた箱、お菓子が塔のようになっている。
まるで、どこまで高くできるのか、試したかのような――
「お菓子の城だよ。さっきみんなでそう言ってた。どこまで箱を乗せられるかな、どこまで立派にできるかなって――そんなことをやってた」
お菓子の城。
彼はその今にも崩れそうな箱たちを、そう呼んだ。
「それをやってたらさ。今まで俺がやってきたことも、これに近いものだったのかもしれないなって。そう思えてきちゃって。甘くて脆い――そういう理想でできた、お菓子の城。ガキが遊びで作って、でも一生懸命やって。立派にできたねって海岸で言い合うような、そんな儚い幻だ」
それは、大人たちの目からしたら不格好にしか見えない、そんなものだったろう。
けれど、自分たちにとっては大切なものだったのだ。
いくらパーツパーツが不揃いでも、継ぎ目の部分がでこぼこでも、楽しくて積み上げた理想の城――
「誰かがもう要らない、なんて言い出したら、一発で崩れるチャチなもんだよ。けれどもそれは、奇跡的にも崩れなかった。誰も崩そうと――しなかった」
少しでもどこかをズラしたら、それだけで崩れ去ってしまうオモチャのようなそれを。
しかし自分たちは、奇跡的なバランスで組み上げてみせた。実現不可能と言われ続けたそれを、楽しさだけで作り出してみせた。
砂上の楼閣。
それは今の自分たちの状況、そのもののように思える。
「なあ、千渡。明日はどうなるか分からないから今のうちに言っておく。ありがとうな」
そんな『理想の姿』を見ながら。
鍵太郎は光莉に、そう言った。
「今までついて来てくれてありがとう。壊さないでいてくれてありがとう。不満もいっぱいあったかもしれないけど、それでも一緒にやってきてくれてありがとう」
俺のやりたいことに。
ずっと付き合ってくれて、ありがとう――。
改めて、自分の描いていたものの形を見つめ直して。
それが何だったかを悟って――彼は同い年に、笑顔でそう言った。
ここに来て、ようやく分かった。
あんなものを組み立てようなんて言い出したら、それはみんな止めるだろう。
どうしてこうやりたいと言ったとき、周りのみなが無茶だ無謀だと言ったのか、こうしてみるとよく分かる。
そりゃあ、崩れるからだ。
甘くて脆いお菓子で作られた城は、ちょっとした衝撃であっさり壊れるからだ――そう、鍵太郎が改めて思い知っていると。
光莉はこちらの襟首を掴んだ手に力を込めて、言ってくる。
「――だったら、もっとちゃんとしなさい」
怒ったかのような、でも泣き出しそうな、そんな真っ赤な顔で。
彼女はこちらを引きずりながら、懸命な口調で言ってくる。
「始まる前から終わったような口を利かないで、もっと胸を張りなさい。あんたはここまでちゃんとやってきたの。私が追いかけるのに苦労するくらい、ものすごいがんばってきたの! だったら、もっとちゃんとやりなさいよ……!」
必死にそう声をかけてくる同い年は、やはりいつものように、こちらを引っ叩きそうな剣幕だった。
思えば光莉とは、ずっとこんな感じだった。
気を抜くと殴りかかられて、下手をうつと殴りかかられて、何か言うと真っ赤な顔で怒鳴り飛ばされて――あれ、そう考えるとロクな思い出がないな、と自分でも思うのだが。
それでも、ついてきてくれた彼女に――やっぱり、心の中でありがとう、と言って。
鍵太郎はもう一度笑って、光莉にうなずく。
「ああ、がんばろう千渡。明日も、な」
その言葉に、彼女もまたうなずいて。
部長と副部長の打ち合わせは、そこでいったん幕を閉じた。
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そして――
朝日が昇って、小鳥が鳴いて。
今日もまた、新しい一日が始まる。
その中で、鍵太郎はまどろんでいた。昨日の夜のことが、あるいはこれまでのことが、頭の中でぐるぐる回っている。
楽しかった。
あれは全部、夢だったのだろうか。
燃え盛る炎を見たことも、後輩と花火をしたことも。
あるいは、あの人がまた来てくれると、電話の向こうで言ってくれたことも――
すると、そこで。
――パパパパッパラパパパパパーン‼
「うわぁっ⁉」
起床ラッパの音が鳴り響いて、鍵太郎は飛び起きる。
目を開けてみれば、そこは寝る前と変わらない、合宿所の部屋の中だった。
そして入り口を見てみれば、そこには自分の楽器を持った光莉の姿がある。彼女は絶句しているこちらの姿を見て、呆れたようにため息をついて言う。
その顔つきは。
昨夜のものとは違って、覚悟を決めたものだった。
「起きなさい。さあ、行くわよ」




