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ずっと一緒だ

※主な登場人物

・湊鍵太郎…三年生。部長。チューバ担当。

・大月芽衣…一年生。チューバ担当。

「……んぱい、先輩」

「……っ!?」


 呼びかけてくる小さな声に、湊鍵太郎(みなとけんたろう)は我に返った。

 そんなこちらを見上げて不思議そうに首を傾げ、一年生の大月芽衣(おおつきめい)は言う。


「どうしたんですか、ぼーっとして」

「あ、ああ。いや……」


 ――火を、見ていた。

 暗闇の中で、煌々(こうこうと)と輝くそれを。

 ときに揺らめき、ときにじり、と音を立てて心の中で燃えるそれを、じっと――などと言っても理解はしてもらえそうになかったので、曖昧(あいまい)に笑ってごまかす。


「まあ、色々と思うことがあってさ。いい演奏ってどういうものなのかなーとか、どうすればそういう音が出るのかなーとか」

「ああ、東関東大会も近くなってきましたし、そういう風に考えたりもしますよね」


 後輩の返答に、鍵太郎は内心でほっと一息ついた。実際に、考えていることは今口にしたこととさほど変わりない。

 嘘を言っているわけではない。

 ただ、全部を明かしていないだけだ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、いい演奏がしたい、なんて――そんな狂気じみた考え、他の誰にも言うことはできない。


 人との思い出を火にくべて、それを燃料に動くなんて、そんなこと。

 芸術家としてはひょっとしたら褒められるべきことなのかもしれないが、人間としてはとても褒められたものではない。部長として、先輩として――鍵太郎は芽衣にそれを悟られなかったことに安心した。


 なんとか化けの皮が剥がれずに済んだ。中身が本物の怪物じみているだけに、余計に。

 同じ楽器の後輩で、ある意味では他のどんな部員よりも突っ込んだことを話せる芽衣ではあるが、さすがにここまでは話せない。

 例えそう考え出したあの日以来、気が付けばずっとその炎を見つめているとしても。

 なんとか意識を切り替えようと、頭を叩いていると――後輩は言ってくる。


「そういうわけで先輩。今日はそのいい演奏をすべく、楽典的なことを教えてくれるということでした。私も正直よく分からないので、詳しく解説してくれると助かります」

「あ、ああ……」


 そう、そういえば芽衣とはそんな約束をしていた。

 楽典、いわゆる音楽のルールを教えると――東関東大会に向けて、演奏をもっと向上させていこうと、ここ最近ではそういった流れになっている。後輩に教えるというのもその一環だ。

 おかげで、確かに上手くはなっているのだけれども。

 その急激な変化に、心の方がついていけていなかった。主に自分が、なのだが。

 なので鍵太郎は、芽衣にひとつの問いかけをしてみる。


「大月さん、あのさ」

「はい」

「やっぱ、上手くなりたいって思うじゃん」

「そりゃそうです」


 吹奏楽部、かつ県大会のさらに上の支部大会に挑もうとしている自分たちにとって、それは愚問だ。

 コンクールでなくても、ちょっとした本番で。ふとした瞬間に。

 もっとちゃんと出来たらいいのになあ、と思うことはある。

 それは自然なことだ。当然の願いだ。

 けれども、それは願望のままでもよかったのではないか、と思うときがある。


「もし、もしも、だよ――上手くなることと引き換えに、それまでの記憶がなくなっていくとしたら、どうする? 俺のことも、この部活のことも、そこであったことも話した内容も――全部、忘れることになるって言われたら、どうする?」


 上を目指すことというのは、ときに厳しいものだ。

 その道のりは思った以上に険しくて、想定していなかった事態になるときもある。

 何を選んで、どれを抱えて進んでいくか、取捨選択が迫られることになる。

 これまで大切にしてきたものを切り捨てていかなければならないことも、あるだろう。自分の場合はそれが、人が話していた内容だったり、楽しく会話していた思い出だったということだ。

 そういった大好きだった時間を捨てるくらいなら、現状のままでいいという人もいるだろう。


 夢は夢のままでいい。

 その方が幸せだと言う人もいる。その基準は人によって様々だ。だから後輩にこんな質問をすること自体が無意味で、自己満足で――臆病だから他人の意見を求めるということに、吐き気がする。

 その答えを聞いて、どうしようというのだろう。

 ただ単に、背中を押す言葉が欲しいだけなのだろうか。

 だとしたら、そんな自分の弱さにやはり、自分自身を殴り倒したくなる。

 人に言葉をもらわなくては歩いていけないのなら、最初からそんな道なんか選ばなければよかったのだ。

 そして、そんな道中にこの一年生を巻き込みたくなかった。彼女の答えいかんでは、これから伝えることは制限しなければならなくなるし、そうした方がいい。

 そんな気持ちで芽衣を見ると、後輩は戸惑った顔をしてこちらに言ってきた。


「……どうしたんですか、急に」

「いやあ……この間、俺『いろんな人に関わってみたい』って言ったじゃん」


 お盆休み、夏祭りの会場で。

 この一年生にはそう答えた。これからどうしたいのか、という素朴な疑問に、ただ素直に答えた。

 いっそ無邪気といってもいいほどに。


「……なんか、よく分からなくなっちゃってさ。あれから色々なことを知って、上手くなってるはずなのに、どうにもそれに納得がいかなくて。知れば知るほどウンザリするっていうか、自分の音が汚くなっていくような気がして」


 それこそ、こんな化け物じみた猛火を宿すくらいに。

 本来なら失ってはいけないはずのものまで、失っていっているような気がする。

 知らないものを知って嬉しいはずなのに、それと等量に何かを無くしているような気がする。

 たくさんのことを知れば、もっと世界は広がると思っていたのに。


「……口では誰かと関わりたい、なんて言ってるくせに、いざ実際にこうなってみたら俺は自分のことばっかり考えてるなって。こんなやつにいい演奏ができるのかな、なんて……そんなことを考えたりもする」


 さらにタチが悪いのは、どこかでそれでいいと自分が思っていることだ。

 何を引き換えにしても、惜しくない――そんな考えが己の中にあることを、知ってしまった。

 こんなやつに、音楽をやる資格があるのだろうか。

 誰かと関わることなんて、できるのだろうか――そんな風に思っていると。

 芽衣はそんなこちらを見て、ため息をついた。


「……なるほど。分かりました、まず先輩に、言っておきたいことがあります」

「なんでしょう」

「ひとつめ。先輩は疲れています。この間と同じです。少し休んだ方がいいと思います」

「だよねー……」


 後輩のもっともな指摘に、がっくりとうなずく。なんとなくそれも分かっていた。

 音楽バカは音楽のことを考え過ぎて、ノイローゼになっている。

 曲に込めるもののことを考え過ぎて、それ以外が見えなくなっている。

 そのくらいでなければ、やれないこともあるのだろうが――そうしたくないと思うブレーキも、確かに存在しているのだ。


 やってしまえ、という気持ちと、それをやったら決定的に道を間違うような、相反する思いがある。

 だから苦しい。ゼロかイチかで割り切れない、機械のバグのような隙間がそこにある。処理不能の数値。歯車であると同時に、そうでないと反発する矛盾。

 それこそが、曲に込めるものなのだろうか――とまた、堂々巡りの思考に戻ってくると、そこで芽衣は言った。

 割り込むように。


「ふたつめ。もし上手くなるのと引き換えに、全部を忘れたとしても――私は、先輩と一緒に吹くのだと思います」

「――は」


 後輩の予想外の返答に、変な声が出た。

 唖然としていると、芽衣はそのまま続けてくる。


「まあそんなことはあり得ないですけど、もし万が一、私が超絶上手くなると同時に、記憶喪失になったとして――何かのマンガの設定ですか? まあ、そうなったとして、ですよ。

 だとしても、先輩はきっともう一度、私のことをこの部活に誘ってくれるんだろうなと思うんです」

「……」


 そういえば。

 芽衣とはそんな約束をしていた。

 最初に会った日に。『一緒に吹こう』と、ただ単純に、そんな声をかけた。

 その方がいいと思ったから。


「私が忘れたら、湊先輩が声をかけてくれるし、先輩が忘れたら、私が声を掛けます。もし、二人して忘れてしまったら――まあ、そのときは他の誰かが連れ戻してくれるでしょう。そんなものかと思います。別に、そこまで悲観するようなことじゃないかなー、と」

「……」

「ええとまあ、何が言いたいかといいますと」


 要するにですね、とそこで後輩はいったん言葉を切って、目を逸らした。

 そしてなにやら、迷った末――彼女は少し恥ずかしそうに、口を開く。


「私たちは何があっても一緒、なんです」

「……」


 ひとりきりで火を見つめていた自分に。

 後輩はそんな風に声をかけてきた。

 焼き尽くされて何もなかった焦土に、ただひとつだけ残った小さな存在。

 これまでのことを無くしても――この先があると教えてくれた、三年生になって最初に関わった後輩。

 そんな彼女に、呼びかけられて。

 鍵太郎はふと、胸の内にあたたかなものが戻ってくるのを感じていた。


「ああ……そうだ」


 ふわりとしたその感情は、燃え盛る炎と比べればささやかなものだったけれど。

 それでも何物にも負けないくらい、その気持ちは自分にとっては大切なものだった。

 絶対に無くしてはならない、捨てようとしても捨てられない、そんなもの。


「そうだった」


 無理矢理その気持ちを言葉に当てはめるなら、優しさ、とでもいうのだろうか。

 それに触れて、ささくれだった精神に、少し落ち着きが戻ってきたように感じられる。きっとまた折に触れて、荒んだ心は顔を出すのかもしれないが――まあ、これを忘れなければしばらくは大丈夫だろう。

 どんなことになっても、それを抱え続ける限り自分は人と関わることができる。

 そう思って苦笑したら、芽衣はそれを見て少し、安心したような表情を見せた。


「うん――うん。ごめん、大月さん。なんか心配かけちゃったね。もう大丈夫だから」

「……本当ですか?」

「ほんとほんと」


 相変わらずの不完全な釈明だが、先輩としてこのくらいの見栄は張らせてもらいたい。

 まったくもって大丈夫ではないのだが、そうでもしないと歩いていけないのだから仕方がない。

 この先に、何が待っているとしても。

 それでも、今よりは少しマシな未来を描きたいのだから。

 だったら差し当たっては、もうちょっとだけ上手くなろう。この後輩と一緒に――と、芽衣を見れば。

 彼女はこちらの言葉に、むん、と気合いを入れるように両手を握った。


「では、小さい私でも上手くなれるように、また色々と教えてください、先輩」

「……まだ気にしてたんだ、そのこと」

「当たり前です。この楽器を続ける限り、私はこのことで永遠に悩むことになるのだと思います」


 大きい楽器には少々足りない、と言われたこの後輩の身長。

 気にするほどもないくらい、彼女は吹けているのだが――それでも本人にとっては、足りないものらしい。

 やり続ける限り、悩みは尽きない。

 そんな芽衣は、どこか自分と似たところがあるような気がする。


「……大月さんは、がんばってると思うけどねえ」


 だったらそんな後輩と、これからも一緒にいたい。

 何があっても、どんなことになっても――

 それでもこの小さな幸せは、守りたいと思うのだ。

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