込めるべき願い
※主な登場人物
・湊鍵太郎…三年生。部長。
・城山匠…外部講師。指揮者。
「さて、これで器は形になってきたわけだね。あとはここから、それを満たすものを取り入れていけばいい」
合奏が終わった後に、湊鍵太郎が指揮者の先生の元に行くと。
その先生は、城山匠はふてぶてしいまでの平然とした顔をしてそう言った。
「今、聞いたと思うけど、県大会直前の演奏より今日の演奏の方が圧倒的に完成度は高い。吹いていても、それは分かったと思うけど」
「……そうですね」
先生の一切情けをかけてこない物言いに、鍵太郎は部長として、不承不承ながらもうなずいた。先ほどまで全く知らなかったのだが、城山は今日の演奏と、そして以前の演奏を録音していたのだ。
それを聞いて、改めて確信したのだが――明らかに、気持ちだけで吹いていた県大会の頃より、ルールに徹してやった今日の演奏の方がいい。
やった感があったステージより、色々なものを抑えて我慢して、それでやった方がいいというのはなんとも皮肉な話である。
録音を聞いて、それを思い知った形だ。客観的に、自分の演奏を自分の耳で聞くというのは、見たくない鏡をのぞき込むようなものでもある。
事実を残酷なまでに突きつけられて、でもその結果は認めざるを得ない。
それだけの経験を、鍵太郎はこの三年間で積んできていた。そして、音楽の先生をやっている城山は――こうやって録音をしていたように、その鏡をのぞき込み続けている。
こんなことをずっとやっているのだとしたら、とても正気の沙汰とは思えない。
けれどもこの人は、やはり淡々とした調子で――そんなものさえ、自分のものにしているといった様子で。
大人としての意見を述べてくる。
「問題点、反省点、よかった点にこれからも継続して行った方がいい点。それは今回の合奏で分かったと思うんだ。だから、『器』作りは今後もやってもらうとして――ここまで到達できたのなら、今度はそこに込めるべきものを考えよう」
「……込めるべきもの?」
目の前にいる先生は人間なのに、どこか人間でないものを相手にしているような感覚がある。
話している内容が、まるで感情を挟んでいないものだからだろうか。けれども、こちらも段々とそれに近いものに成りつつある気がして――疑問形で返してみると、城山はそれにうなずいた。
「そう。ここにきてようやく、味付けだ。曲に色を付ける段階に来た。枠組みができてきたから、あとはきみたちでどういう画材を選んで、どういう風に塗っていくかってことになってくる。ここからは、センスを問われる部分だね」
「センス、といっても……最近はそれを封じ込めることに注力してやってきたので、急にそう言われてもって感じですが」
気持ちを無視して法則に従ってやってきて、心はどこかに埋めてきてしまった。
忘れてきたものを求められても、用意してない以上は出すことができない。鍵太郎が途方に暮れていると、先生はそんなこちらを見て、ようやくヒトらしい表情を見せた。
すなわち――少しだけ困ったように、微笑んだ。
「大丈夫。それは今まで、ずっと湊くんが持っていたものだ。簡単に消えたりなんかしないさ――それを思い出して、やっていってもらえばいい。不安になるかもしれないけど、きみのやってきたことは、絶対に間違いなんかじゃないんだ。それは、僕が保証しよう」
「……非情に徹しろと言ったり曲に思いを込めろと言ったり、やることが両極端すぎてめまいがしそうです」
力強く言い切られた安心感からか、思わず憎まれ口を叩いてしまった。
言ってしまってからしまった、と思ったが、城山としてはそのくらいでちょうどよかったらしい。こちらのふてくされた顔が面白かったのだろうか。先生はおかしそうに笑って言う。
「そうだねえ。音楽の神様はワガママで、気まぐれで、そして驚くほど懐が深いと思うよ。いつだってこっちを困らせてくれるんだ――慣れてるでしょ? そういうの」
「……まあ、周りがそんなのばっかりだから、そういうのには慣れてますけどね」
自分の周りの女子部員たちを思い出すと、大体そんなやつらばっかりで別の意味でめまいがしてくる。
彼女たちはワガママで、気まぐれで、そろいもそろっていつもこちらを振り回してくれた。
懐が深い――かというと首を傾げてしまうが、部内唯一の男子部員がここまでやっていけるという点から見れば、確かにそうなのかもしれない。
見えるものは少し増えたが、意外と状況は変わっていないらしい。東関東大会に行くことは決定しているし、周りにいる人たちも根本的なスタンスはそのままだ。
ただ、自分の見方が変化しただけで。
違う面から角度を変えて見てみたら、これまで気づかなかったものに気づいてしまっただけだ。その衝撃は未だ、抜け切れてないけれど――今までのものが否定されたわけではない。
もう一度、組み立て直していけばいい。
バラバラにされてしまった価値観を、彼女たちを頼りに――そう言う城山は、口の前で人差し指を立て、茶目っ気たっぷりに言う。
「だからね――ヒントだ。僕はこの間、言ったと思う。『迷ったときは、いったん基本的なところに戻ってみればいい』って。何が好きで、何を求めて、どんな風にやっていきたかったんだっけ――って、それを考えてみるといいと思う」
「……『音楽が好きな気持ちを忘れないで』」
「そう! その通り!」
分かってるじゃないか、そう言う先生は、この混沌とした状況すら楽しんでいるように思えた。
いったいこの人は、どれほどのこういった窮地を乗り越えてきたのだろう。その気持ちだけを胸に――そう考えると、やっぱりこの指揮者の先生はすごいのだと実感する。
けれども、だからといって生徒を同じような目に遭わせるのは勘弁してほしい。こっちには特に城山のように才能もなく、同い年のアホの子のようにずば抜けたセンスもない。
なのに要求されるものが多すぎて、あまりに山積みになったやることに閉口してしまう。
まあそれも、この先生がたどってきたかもしれない道なのだろうが――そう思って城山を見れば、先生はそんなこちらの眼差しに、悪びれることなく応えてきた。
「ねえ、湊くん。僕、最近思ったんだけどさ」
「……なんですか」
「スペシャルヒント。言いたいことを嫌われるくらい率直に言い合った方が、いいものが作れるんじゃないかって――きみたちを見てたら、そう思うんだよね」
今まさに、そう言う城山を、この野郎といった気持ちで見ているのだが。
それでもその発言に、心のどこかで素直にうなずいてしまう自分もいる辺り――この先生の言うことは、やはり間違っていないのだと思う。
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納得はいかないが、原点に返ろうという城山の言葉に倣うとするならば――
「やっぱり、これは外せないんだろうな……」
『その絵』のことはやはり、知っておかなくてはならないだろう。
『プリマヴェーラ』。今日演奏した曲と同じタイトルのその絵画を、鍵太郎は携帯の画面越しに見つめていた。
原点、画材、神様。
そして、『好きな気持ち』――今日耳にした、目にしたものの要素が全て詰まっているそれを、調べないわけにはいかない。
あの先生に連れていってもらったファミリーレストランで、これを見て以来どこかで引っかかっていたのだ。
六人の女性と、二人の男性。
パーツパーツが不揃いなのに、けれども変に統一された、不思議な構図。
そして中央からこちらを見つめる、孤立した『特別な人物』のことが――
そのどれもが印象的で、疑問は尽きない。世界でもっとも有名で、もっとも議論の的となっている絵画作品のひとつと、城山は言っていたか。
そのくらい暗号的で、抽象的な絵。
「……『プリマヴェーラ』」
たくさんの花びらと色彩の舞う、その絵画を。
鍵太郎は自らの願望の原料にするため、ゆっくりと調べ始めた。
その器に満ちるのは、祝福か狂気か。
分からないけれど、でもどうしても、求めないわけにはいかない。




