機械仕掛けの〇〇
※主な登場人物
・湊鍵太郎…三年生。チューバ担当。
・城山匠…外部講師。指揮者。
「調子はどうだい? ……って、聞くまでもないか」
顔を合わせるなり、そう言ってきた指揮者の先生に。
湊鍵太郎は、仏頂面で答えた。
「……最悪ですね。味のないガムをずっと噛んでる気分です」
「そうかい。それはさぞ、歯ごたえのある日々だったろうね」
皮肉を込めて正直なところを返したら、先生は、城山匠はさらりとそんな風に返してきた。
この人がそうやった方が演奏がよくなる、と言ったから、その方法を実行したのに。
大変だけど、『音楽に味を感じなくなる』けど、その方がよく聞こえるようになるからということで、それに従ってやってきたのに。そんなこちらの心情を、汲まないどころか煽るような発言をするのは、いったいどういうことなのか。
鍵太郎が城山を睨みつけると、先生は困ったように笑って、少しだけ唇を動かした。
たぶん、「ごめんね」と言おうとしたのだろう。
城山との付き合いは長いので、そうした行動に出るのは、なんとなく予測ができる。
けれども、今この人は、この部活と契約をした『音楽の先生』で――
その立場を理解しているのだろう。城山は、その言葉を口には出さず、代わりに別のことを言ってきた。
「そんなにやつれるくらい、やってきたっていうんだったら――今日はさぞいい音がするんだろうね。楽しみだよ」
「……先生の期待に応えられるくらいになっているかどうかは、分かりませんが」
「大丈夫だよ。別に僕だって、最初から完璧な演奏を求めてるわけじゃない」
これから行われるのは、この先生の指揮の下での合奏だ。そしてそれは、この『味のなくなる方法』を試しだしてからは初となる。
だから、試行錯誤の中で自分たちなりにやってきたものを、これから城山は耳にすることになるわけで――けれどもこの先生は、それでいいのだと言った。
よく分からないまま、それでも何をするか考えて。
そして、実行していくことが音楽の厳しさであり、楽しさなのだと――そう言っていた城山は、悲しそうに、けれども嬉しそうに笑う。
「今まで気づかなかったその部分を、気にするようにしだしたことが素晴らしいんだ。それなりにヒントは出してきたつもりだよ。浅沼くんにも色々聞いたでしょう?」
「……あの天才アホの子からも、いろんなことを教わりましたよ。元々知ってたやつらからも。そういうのを俺と同じく、一から学びだした人からも」
音楽のルール――楽典なり、なんなりについてはこの短期間で、様々な形で演奏に組み込んできた。
その結果、県大会のときとは曲の印象がまるで変わっている。
なんだかまんまとこの先生の術中にはまっているようで、イラっとすると同時に見てろよこの野郎、とも思ったりする。
踊らされているのなら、もうお望み通りとことんまで踊ってやろう。
それしかやることがないのだから、そうする。しかし機会を見つけたら、いつでもその喉笛に食らいつく――そのくらいの気持ちでいると、城山はそんなこちらの返答に、「よろしい」とうなずいた。
笑ってそう言うその姿は。
やはり聖人であり、修羅でもあるように思う。
「じゃあ、見せてもらおうか。きみたちの選択の連続の結果を。大事なのは『音楽』に神経を注ぎ込むこと――いいね?」
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音楽に全神経をつぎ込む、ということは。
何を意味するのだろうか。それが分からず、また理解する余裕もないまま、鍵太郎は楽器を抱えて座っていた。
そこに思考を割くのだったら、演奏の方に集中した方が良い。
そう判断してのことだ。こちらも、順調に修羅に近づいてきているような気がする――合奏を前にして凪のように動かない心でいると、そんな自身の態度に疑問を覚えたりもした。
ちょっと前までだったら、城山の指揮での合奏ともなればワクワクしたものだ。
それが、今では演奏に最適化することしか考えなくなっている。その変化は劇的で、あまりに衝撃的で、だからこそ自分は驚いて反応することを止めてしまったのかもしれない。
見える世界が変わってしまったから。
びっくりして、呆然としてしまっているのだ――そんな状態のままで。
先生の指揮に合わせて、鍵太郎は楽器を構えた。
演奏に神経を集中――呼吸を制御。
振られる指揮棒を確認。速度からテンポを計測。動きの大きさから強弱を予測。
メゾピアノ。
コード:B――六連符、揃いが甘い。要観察。二回目――良好。木管セクションにおける今後の課題とする。
和音。順調。中音域のホルンの同い年は、適切な位置で音を鳴らしている。おかげでメロディーが引き立っている。
周囲にアンテナを張り巡らせながら、鍵太郎はカウントを取った。3、2、1――トランペットのソロと噛み合う。
やはり彼女は音楽に対して誠実だ。長さもスピードも申し分ない。楽譜通りの音価で、時間通りに進めてくれる。
癖もなく。
素直な旋律。シンプルなソロ。だからこそ純粋な力量が問われる――地金が透けて見える部分。
緊張と興奮の中でも、頭は冷静に。曲が切り替わる。クレッシェンドの着地点を明確に。ボリュームコントロールを計画的に。
再生された音のバランスを考慮。根音が弱い。つまり自分だ。響きの振動率を上げる。身体と口先を使った、繊細な操作を行使。修正完了。
この辺りの事前の打ち合わせも必要だ。音を出してからの調整では遅い。部品は精緻に。設計図はミクロ単位に。ほんのわずかな音程のズレが全体の歪みを生む。鏡面は揺らいでいてはならない。
パチン、とどこかから何かがはまる音がする。
調が切り替わる。展開――Bからコード:Gへ。あのトロンボーンのアホ天才から教えてもらったように、長調から短調へ。
ピアノの白鍵から黒鍵を押すように、暗い後ろ側へ。
ふわり――と、雪交じりの空気が頬を撫でた気がした。
暗闇の中から冷気が噴き出してくるような感覚がしたが、気にしない。リズムの特徴通りにビートを刻む。これまでは表拍だけだったのを、裏拍から――逆転させて、後ろを強調しながら。
音程が下がる。必要な息の量が増える。補填。強度と圧を維持。気づいてしまえばどうということはない、物理的な法則。要求されるエネルギー量の把握。
バチン、とどこかで何かが動き出した音が聞こえた。
全体のあらゆる箇所が噛み合って、演奏が廻り出す。メロディーとハーモニーとリズムが在るべきところに収まり、曲本来の姿を映し出す。
それは、まるで機械仕掛けの神様のような。
フォルテシモ。正確に織られたコードから、これまでになかった咆哮が聞こえたとき、鍵太郎はそれを確信した。
ああ、ああ、悔しいけど、認めよう。
この演奏の前では、自分はただの歯車だということを。
この恐ろしくも荘厳な叫びの前では、ただかしづくしかないということを。
自由なテンポで、と書かれたところで、バスクラリネットの同い年のソロが聞こえる。
流れ続ける時の中で、それでも選び続けなくてはならないことの、なんと容赦のないことだろうか。
けれども孤独に軋むその楽器の音に、実感してしまう。
音楽というのは、自由というのは、かくも厳しく――そしてこんなにも、美しいのだと。
《参考音源》
プリマヴェーラ~美しき山の息吹(描写箇所は最初~3:00まで)
https://www.youtube.com/watch?v=nQyDUX8Tqwo




