受け止めきれない審査用紙
※主な登場人物
・湊鍵太郎…三年生。部長。
・片柳隣花…三年生。ホルン担当。
・千渡光莉…三年生。副部長。
「どうしたんだ、千渡は?」
「さあ。ただ、この間の本番の講評用紙を見ようって言ったから、気分が悪くなったんじゃないの」
「ああ、なるほど……」
なにやら様子のおかしい同い年を見て湊鍵太郎が尋ねると、先ほどまでその同い年と一緒にいた、片柳隣花はそう返してきた。
隣花と、もう一人の同い年――千渡光莉が二人だけで話したいというので、ここで待っていたら。
なんかグッタリして光莉が戻ってきた。どうやらこれからのことについて話していたようだが、その結果、先日のコンクールの本番の詳しい審査内容を見ようということになったらしい。
そのときの演奏で、ソロの音をたった一つではあるが外している光莉にとっては、それは判決を待つ被告人レベルの話だったろう。
現に今も、彼女は開いた瞳孔でブツブツとつぶやいている。
「……ええ、そうよね。当日は金賞を取った嬉しさもあったし、早く講評見たいなーとは思ってたけど。一日経って冷静に考えてみれば、なに言われてるか分かったもんじゃないわ。どうしようどうしようどうしよう。みんなの演奏はベタ褒めされてて、私のソロだけボロクソに書かれてたらどうしよう」
「いや、ちゃんと県代表になったんだし……そこまで思い詰めることはないと思うが」
半ばノイローゼじみた光莉の調子に、鍵太郎は顔を引きつらせながらもそう声をかけた。
確かに百パーセントの演奏ができたわけではないだろうが、それでも金賞県代表にはなれたのである。
なら、そんなに落ち込まなくてもいいと思うのだが――まあ、中学生のときも本番でソロが吹けなくて、周囲から責められたことのある彼女だ。
簡単に完全復活、ともいかないのが難しいところだろう。こればっかりは、身内がいくら慰めても信じられない部分はある。
だから、余計に外部からの率直な意見でもある、審査用紙を見たいのだが――ちらりと視線をやれば、隣花は。
呆れたように半眼で息をつきつつ、言ってくる。
「……大丈夫じゃない? あんたの言う通り、金賞を取ったことは事実なんだし。それに、さっき千渡自身が、講評用紙を見ることに賛成したんだし」
「そっか……じゃあ、大丈夫か」
ガクガク震えながらもそう言ったということは、少なくとも、どんなことが書かれていても受け止めるだけの覚悟はできているのだろう。
東関東大会、次こそはもっと違う形でのソロができるように――という、光莉の奏者としての本能が、それを望んでいるのだ。
まあ、それでも見ることが怖いのは変わりがないのだろうけども。そう考えるとある意味では、彼女も素直に自分の心の内を出すようになった、と言えるのかもしれない。
鍵太郎だって、どんなことを書かれているかという面では、講評用紙を見るのは怖い。
けれども、もう時間は進みだしているのだ。
次のステージに行くためにも、そこは避けて通れない道になる。なので鍵太郎は隣花と一緒に、未だブツブツ言い続ける光莉を引きずっていった。
###
講評用紙のある音楽準備室には、同い年の三年生たちが数人、既にやってきていた。
これも隣花の手回しなのかと思ったが、どうも違うらしい。彼女は一瞬きょとんとして、こちらの目での問いかけに、小さく首を振っている。
どうも、自分の同い年たちは思った以上に、今回の審査結果にご執心らしい。
自身も部長として少し驚きながら、鍵太郎は顧問の先生から講評用紙の入った封筒を受け取った。
「なにが書かれてるんだろうね」
「だよねー! 早く見たい見たい! 湊、早くー!」
「分かった分かった、だから肩を揺さぶるな浅沼ぁ!」
バスクラリネットの同い年とトロンボーンのアホの子の、興味津々の眼差しに行動をもって応える。
すなわち、封筒を開けて審査用紙を取り出す。あまりこういう慣習に全面的には賛成できないのだが、こういったものはまず、部活の上の方――つまり、顧問の先生や指揮者の先生、さらには部長である自分が先に目を通すものらしい。
だから彼女たちは、律儀にも待ってくれていたのだ。なので、なるべく手早く内容に目を通そうと急いで紙を広げる。
講評用紙は七枚あった。
それぞれの楽器の、専門分野のプロたちが書いた、忌憚のない意見。
それに加え、それぞれの学校の点数を高い順に並べた、点数合計表。
点数表には、学校名は書かれていない。
けれども、手元にある審査用紙につけられた数字で、自分の学校がその表のどの位置につけているかだけは、分かるようになっているはずで――しかし、今はそれを計算している場合ではなかった。
まずは内容だ。そう思って講評用紙をめくっていく。
それぞれ立場も見方も違う、そんな人々からの意見だったが――
「……『場面ごとの色の表現が見事でした』」
基本的に、書かれていることはいいことばかりで。
鍵太郎はそれを、不思議な気持ちで読み上げていた。
それはそうだ。肯定的なものが多くなければ、県代表になんてなれはしない。
けれど、未だにそれが自分たちへの言葉なのかどうか、実感が持てなかった。
ずっと内々でやってきたから、外からの称賛を受け慣れてない。基本的に欠点の改善、すなわちダメ出しで吹奏楽部の練習は成り立ちがちだ。
それが分かっているからこそ、今年はなるべく、その傾向はナシできたつもりだったが――さすがに、全部は拭えず。
先輩たちにも、こっぴどく怒られてきた経緯がある。だからどこかで、今回もキツイ言葉を覚悟していて――
なのに。
「『無理のない自然なサウンドで好印象です』『よく練習されているのが分かりました』『各楽器のキャラクターを生かした演奏。リズムの特徴も掴んでいる』『美しい旋律ですね。素晴らしい演奏でした』……」
そこにあるのは、聞いたこともないような絶賛の嵐。
もちろん、全てが全て、いいことばかりでもない。中にはそれを踏まえた上で今後どうすればいいか、書いている人もいる。
しかしそれは、演奏がある一定以上認められたからこその、次への助言だ。
自分たちはプロではない。
だからこそ、いつまでも未完成で、そしていつまでも成長できる。
「ほんと!? なんかすごいこと言われてない!?」
「早く見せて! 早く見せて湊!!」
「ちょ、ちょっと待ってろ、もうすぐ読み終わるから……」
打楽器の双子姉妹に急かされて、文章の意味が心の中に入ってこないまま、それでも紙をめくる。
正直、半ば呆然としていて書かれていることを頭に入れるので精一杯だ。
これは、本当に自分たちの演奏に対する評価なのか。
どこか他の学校と間違えてないだろうか。いやでも、上の方にちゃんと川連第二高校って書いてあるし、間違いないよな――と、鍵太郎が首を傾げていると。
「『TP Solo、Bravо!』……」
最後の用紙の、枠いっぱいに書かれた講評の、さらに外に。
そう書いてあるのを見て、これは本当に自分たちのことを言っているのだと、ようやく悟った。
「……嘘」
「嘘じゃない。ちゃんと書いてある。ほら、見ろ」
それこそ信じられないといった様子でつぶやく光莉に、書いてある箇所を指差して見せる。
そこには、見間違いではない。
聞きながらものすごい速度で書いたのであろう。走り書きのような字が、用意された枠いっぱいに書いてあって――その最後に。
トランペットソロ、素晴らしかった! と。
書き切らなかったのか最後に付け足したのか、枠外にそう記されていた。
それを見て――しばらく見つめて、光莉は呆けたように口を開く。
「だって……私、音外したわよ?」
「そんなもの気にならないくらい、他の音がよかったってことなんじゃないのか」
「その他にも、いっぱい、いっぱい間違えたわよ……?」
「聞いてる人は、そう感じなかったってことだろ」
「だ、だって、だって……」
「ええい、いい加減受け入れろ千渡!」
なおもグスグス言い続ける同い年に、鍵太郎はその講評用紙を突き出した。
それは、彼女が副部長であるからということ以上に、その結果をちゃんと見てほしかったからだ。
「おまえのソロは、すごかったんだよ! どんな結果も受け止める覚悟があるんなら、褒められたこともちゃんと受け止めろ!」
褒められ慣れてないのは、光莉も同じだった。
いや、彼女の方が周囲から注目を浴びやすい楽器の分、そうした考え方が強かったかもしれない。
渡されたその講評用紙を、他の何も考えられないといった調子で光莉は見ている。
「……書いて、ある」
「そうだよ、書いてあるんだよ」
「嘘……。ごめん、まだ信じられない」
「だー! もう! 分かんねえやつだな! だったらそこを写真撮って待ち受けにして、携帯のホーム画面にも設定して毎日見ろ!」
それこそ、彼女が投げつけられてきた心無い言葉より多く。
その真実を目にしてほしい。素晴らしかったと言われたことを、心に刻んでほしい。
そう簡単に完全復活、とはいかないだろうけど。
少なくともこの事実だけは、光莉自身に認めてほしかった。
するとこちらの言葉に彼女は、存外とおとなしく従い、携帯で写真を撮り。
操作をして、いつでも目につくようにして、講評用紙と自分の携帯を見比べて――
そこでようやく、ぽつりと言う。
「ほんとだ……書いてある」
「うん」
「書いて、ある、よぉ……」
口にしながら、ボロボロと泣き始める光莉のことを。
他の同い年たちが囲む。平気だよ、大丈夫だよ、と声がかけられる。
その様子を、鍵太郎は黙って見守っていた。彼女がこうして人前で涙を流すのは、初めてのことではないだろうか。
いつも泣きそうでもギリギリのラインで耐えてきて、他人の前で本当の自分なんて、滅多に出さなかった光莉が。
ようやく、解放された。
入部から、三年生最後となるコンクールまで――ずいぶん長いことかかったと思う。
誰だか詳しくは知らないが、この言葉を書いてくれた審査員の先生には礼を言いたい。渡す前に確認したが、金管楽器の先生だった。
だから、決して適当に書いたわけではないだろう。色々と分かった上で、彼女にメッセージを送ってくれたのだと、そう思いたい。
そして、分かっているというのなら――と。
鍵太郎は同い年たちを静かに見つめている隣花に、今度こそ訊く。
「……ひょっとして、分かってて千渡に、講評用紙見ようって言ったのか?」
「……可能性としては。あると考えてた。代表は代表だし、そうそう変なことは書いてないと思ってた」
「そっか」
コンクール前に、彼女たち二人は急速に仲が良くなったようだったが、まさかここまでやってくれるとは。
相変わらず自分の中の感情を、器用に表現するのが苦手な隣花である。
そういうところは、ある意味千渡といい勝負だよな――と鍵太郎が思っていると。
同い年は続ける。
「……世の中っていうのは。ひどく汚くて、怖くて、警戒しなくちゃならなくて、裏の裏まで見ないと、動いちゃいけないものだと、私は今でも思っている」
「……うん」
「人の心は善意だけじゃ動かない。その考えは昔と変わらない」
そして、隣花はいつかあのテーマパークで話したときと、同じ顔をした。
ひとりで静かに、湖を見つめていたあのときと――
しかし今、寄り添っている同い年たちを見て彼女は言う。
「……けど。それだけじゃないって教えてくれたのは湊だから。私はそれの真似をしただけ」
「……そうか」
「なんなら。あの光景は、湊が作り出したって言ってもいいものだと、私は思ってる」
だから――と隣花はこちらを見た。
「あんたも、もっとあの輪に加わって、褒められるべきだと思う」
そのセリフにふと、鍵太郎は同い年たちに目をやった。
光莉を中心に、彼女と話したり、講評用紙を見てはしゃいだりしている部員たち。
その中に飛び込んで、もてはやされる自分を想像して、そして――
鍵太郎は、首を横に振った。
「……勘弁してくれ」
「なんで」
「なんで、って、そりゃあ……」
部内唯一の男子部員が、あの中に入るのって絵的にどうなの、と思ったのもある。
彼女たちの中に入ったら、こちらも部長として振る舞わなくてはならなくなるため、もう少しあの空気のままそっとしておきたかったというのもある。
しかし、それ以上に――
「……俺も褒められ慣れてないんだ。低音楽器は裏方だからな、注目されてもどうしていいか分からない」
そもそも、ちやほやされるのは苦手なのだ。
光莉のことを言えたものではない。彼女にはああ言ったものの、誉め言葉なんて正面から受け取れる自信はまるでないのである。
気恥ずかしくて目を逸らしながらそう答えると、隣花は呆れたように肩をすくめ――
そして同時にまんざらでもないといったように、小さく噴き出した。




