部長と副部長はセット
※主な登場人物
・湊鍵太郎…三年生。部長。
・宮本朝実…二年生。バリトンサックス担当。
・野中恵那…二年生。クラリネット担当。
・千渡光莉…三年生。副部長。
新部長・宮本朝実と書かれた黒板を見て。
当たり前ではあるがその本人は、全力で悲鳴をあげた。
「いやですー!!」
「まあ、多数決だしねえ」
そんな後輩を見て、湊鍵太郎は一年前の自分を見るような気持ちで、のんびりとそう言った。
実はこうなることは、あの楽器屋の指摘もあって、なんとなく予測はしていたのだ。
最初はまさか、と思ったものの――朝実はさりげなく人望はあるし、行動力もある。あの先代のバスクラリネットの先輩譲りの、扇動者気質……いや、人をまとめる力も持っている。
だからこそ、部員からの最多投票を獲得したのだ。
みなからの信頼は十分。
問題は、初心者で入部したため知識と経験が足りないことと、彼女自身が自分のその素質を把握しきれていなことだろうか。
あとは、それがゆえに部長という重責を担えないと、思い込んでしまっていることだろうか――
確かに課題はあるけれども、やってやれないことはない。
去年の自分も、先輩たちにはこんな風に見られていたのかなと思いつつ、鍵太郎は後輩に言う。
「大丈夫だって。最初はこんなの自分に務まるかなと思うけど、やっていくうちに段々慣れていくもんだから」
「いやですー! だってわたし、先輩みたいにできっこありませんもん!!」
「うーん、マジで去年の俺を見ているようだな、これ」
もう結果は決まって覆せないのに、それでも駄々をこねる朝実を見て、一年前の自分を思い出す。
先輩みたいになんて、できっこない。
かつては鍵太郎も、そんな風に考えたものだ。
代々の部長たちの背中を見て育ってきた後輩なら、それは当然だろう。春日美里、貝島優――二人とも、それぞれこの部活に力を尽くしてきた、偉大なる先輩たちだ。
そして、その次に名を連ねるのは恐れ多いが、朝実にとってはこちらもそうらしい。
音楽室の床にぺったりと座って、後輩はべそをかきながら言ってくる。
「だってー。わたしは先輩が苦戦してるのを、横から眺めて楽しむのが好きだったんですもんー」
「部長になるならまずその口を慎め、この正直者すぎる後輩めが」
「ねえ、朝実ちゃん。そんなこと言わずに、やってみようよ」
そんな唇を尖らせる朝実に、声をかけたのは意外なことに、彼女と同じ二年生の野中恵那だった。
いつもは引っ込み思案な彼女が、こうして誰かを励ますのは珍しい。
まあ、朝実とは逆に、知識が豊富で丁寧な仕事をするこの後輩である。
元気なのはいいが、どうにも雑な次期部長をカバーしてくれるなら、それに越したことはないのだが――そう思っていると。
うっすらと笑みを浮かべ、恵那は言う。
「だって、湊先輩が部長を降りなきゃ、わたしは先輩に告白できないもの。部長を辞めたら恋愛解禁。あのときわたしに、そう言ってくれましたもんね、先輩?」
「確かにその通りだけど、なんだかその響き、アイドルみたいだから止めてくれないかなあ!?」
「そうですよね、アイドルですよね。だってファンクラブありますし」
「そのファンクラブを作った首謀者だから部長に選ばれたってことを、もっと自覚しようか宮本さん!?」
言いたい放題の後輩たちに、容赦なく突っ込んでいく。
そんな世話焼きだからこそ、自分は部長に選ばれてしまったのかもしれないが。にしても恋愛解禁ってなんだ、恋愛解禁って――と、鍵太郎が頭を抱えていると。
部長選で書記を務めていた現副部長の千渡光莉が、半眼で言ってきた。
「じゃれ合いはいい加減、そのくらいにしなさい。大人しく結果を受け止めなさいよ。ほら、手伝ってはあげるから、こいつに代わって会議の進行をお願い、宮本さん」
「うぅー。でもー……」
「まあまあ千渡。いきなりみんなの前に立つのは大変だから、もうちょっとしてからでいいんじゃないか」
本気で泣きそうな朝実を見て、さすがに今すぐには無理かと判断して、そんな助け舟を出してしまう。
これからやる会議は、学校祭の曲決めや、さらに今年初出場となった東関東大会についてのものだ。
となるとそれまで三年生は現役なのだから、ここで後輩に全部をいきなり投げつけるわけにもいかない。
今日は、まだいい。
心の準備ができてきたら、段々と任せていけばいいのだ――そう言うと、光莉は心底呆れたといったように、ため息をつく。
「あんた、本当ねえ……そんなんだから、今まで苦労してきたのよ? 前も言ったでしょ、自転車の補助輪を外すみたいに、手を離さなくちゃいけないときがあるって。可愛い子には旅をさせろ、よ」
「それはそうだけど、まだ早いだろ。もう少し、時間をおいてからだな……」
「朝実ちゃんが無理なら、わたしが手伝います、先輩」
「え、野中さん?」
意外な人物からの意外な申し出に、思わず鍵太郎はぎょっとして振り向く。
いや、しかしそれは言うほど、おかしな話ではないのだ。
副部長、野中恵那――
そう書かれた黒板を見上げ、後輩はこちらに向かって口を開く。
「湊先輩が言うように、わたしにはまだ、その役目は早いと思うんです。けど、こうして決まった以上は千渡先輩の言う通り、いつかはやらなくちゃいけない。だったら――わたしは勇気を出して、がんばってみようと思います」
「野中さん……」
「大丈夫です。人前に立つのは、すごく……苦手ですけど。今回みたいに書記として、聞いたことを書き出していくだけなら、なんとかなりますし。それに――」
「それに?」
「夢だったんです。こうして先輩の隣で、お手伝いができるの」
そう言って恵那は、はにかみながらも顔を赤くして、微笑んだ。
未だ長い前髪からでも、嬉しそうな表情をしているのが分かる。そんな仕草だった。
出会った頃はいつも誰かの陰に隠れていて、うつむきがちだったこの後輩が。
ある意味では朝実以上に、心配だった彼女が――こんなことを言えるくらい、強くなったのか、と。
自分に対する感情はともかくとして、そう先輩心に鍵太郎が密かに、感動していると。
恵那は光莉に対して、笑いながら手を差し出す。
「なので千渡先輩。そのチョークを貸してください。今日からわたしが、湊先輩のお手伝いをしますので」
「なっ……! ちょ、そんな、いきなり……!」
その笑みに、この後輩特有のほの暗い何かを感じたのか、同い年はチョークを持ったまま後ずさりした。
そしてあたかも大切なものであるかのように、光莉はその右手の白くて小さなものを、胸に抱える。そう、確かに恵那のそのモードはちょっと――いや、かなり怖い。
かつて告白とセットという、恐るべき状況でそれを目にしたことがある身としては、同い年の副部長の心中は察するに余りある。
そんな、本当の気持ちとはかなりズレたことを、鍵太郎が考えていると――
光莉は、やっとのことでといった様子で、迫り来る後輩に言った。
「だっ……ダメよ! 部長と副部長はセットなの! 宮本さんが部長としてここに上がるまで、野中さんもここに上がってきちゃダメ!」
「む……」
正論といえば正論――なのかもしれない。
恵那の気迫に押されて、それもアリかなと思ってしまったけれども。
言われてみれば、現部長と次期副部長が一緒に会議を取り仕切るというのは、妙な話だ。
部長と副部長はセット。道理である。
三年生の反論に恵那も、渋々引き下がったものの――しかし、あきらめたわけではないらしい。
次期副部長となる後輩は、次の部長となる同い年に再び、声をかける。
「ねえ、朝実ちゃん。がんばろう。わたしもがんばるから」
「うー。やだー。やっぱりやだー」
「宮本さん。ちょっといいかな」
そんな、ひとつ下の後輩たちを見て。
鍵太郎は壇上から降りて、朝実の前でかがんだ。
出会ったときから素直で、そして今も正直に自分の意思を表す後輩は、体育座りをして泣きそうになっている。
それは一年前の、自分の姿でもあったろう。
家でひとり、膝を抱えていたあのときと――そのときの不安感を思い出し、苦笑しながら続ける。
「別に、今から完璧に、みんなの代表としてやっていってほしいわけじゃないんだ。すごく困ることもあるだろうし、戸惑うことだってあると思う。けど、みんな宮本さんなら任せられるって思って票を入れたんだ。それは、分かるね?」
「分かりますけど……でも、やっぱり先輩みたいに、わたしは上手くできないと思うんです」
「いやあ。俺だって全部が全部、上手くいってたわけじゃないよ?」
他人から見たら順調に見えたかもしれないけど、自分からしたら決してそうじゃなかった。
そもそも最初の学校祭では盛大にスベったし、合同バンドを組んだときは冷や汗ものだった。生徒会長からはにらまれるし、三年生になってからだって、綱渡りをやっているような気分だったのだ。
そして、結果的には金賞県代表となったコンクールだって――
「俺は、先輩たちがやってきたことを受け継いで、開花させただけ。たまたま周りの人ががんばってくれたから、今までやってきた成果が出たんだよ」
別に、今年だけが特別だったわけじゃないのである。
春日美里が種を植え、貝島優が雨を降らし。
そして出てきた小さな芽を、自分たちの代が花として咲かせただけ。
もっと前には、畑を耕していた先輩だっていたかもしれない。そんな色々な人たちがいたからこそ、今年はいい話がたくさん聞けたのだと思う。
もっとも自分たちだって、がんばっていなかったわけじゃないけれど。
「俺たちがどんなことをやってきたか、宮本さんはずっと間近で見てきただろう。貝島先輩のときも自分から飛び込んでいったし、部長になった俺のことだって、すごく近くで目にしてきた。だったら、大丈夫だ。これからやるべきことは、もうみんな分かっていると思う」
やったことがないから、怖くて踏み出せないだけで。
これまでやってきたことに、朝実は少なからず関わってきている。入部のときから既に伝説で、ゴシップ好きで周りの部員たちと多く話してきたこの後輩は、もうこれから振るうべき武器を、ちゃんと持っているはずだった。
願わくば、花が枯れてしまった後も。
彼女に渡された果実が種となり、また芽吹いていきますように――そう思いながら。
鍵太郎は、朝実に対して笑いながら言った。
「俺の真似なんかしなくていいよ。宮本さんたちの代は宮本さんたちの代で、いいと思ったことをやればいいのさ。それを見た後輩たちが、またどうにか、やっていくだろうから」
彼女たちには、彼女たちのやり方がある。
そして、未来がある。それがどんな形になるかは、来年になってみないと分からないだろうけど――まあ、先生もついているのだ。そうそうおかしなことになったりはするまい。
朝実にはこの先を預けてもいいだろう、という信頼がある。
恵那がサポートしてくれれば、より心強い。ひとりだけじゃない。
他のみながついてる――そう言うと。
後輩は、ようやくへの字になっていた口を開き、声を出した。
「……先輩も、まだ一緒にいてください」
「ん?」
「……わたしは、今まで先輩を、そういうつもりで見てきませんでした。だからこれから引退まで、先輩のことを参考にさせてください」
「あはは。そうだな。そうしてくれ」
そういえばまだまだ自分も、彼女が頼るべき先輩なのだった。
そしてこう言ったということは、ようやく朝実は、部長になることを了承してくれたということでもある。
それを喜びつつ、部活会議を再開するため立ち上がる。今年は去年と違って、引退まではまだ時間がある。だったら、もう少し猶予期間を設けても差し支えないだろう。
光莉あたりは、またこちらのことを、甘いとでも言うのだろうけど。
しかし同い年の副部長は、壇上にはまだ行かないという後輩を急かしたりはしなかった。
部長と副部長はセット。
まあ、確かにそうだよなと思いつつ、鍵太郎は光莉に言う。
「んじゃあ、もうちょっとだけ。面倒くさいかもしれないけど付き合ってくれや、千渡」
「つ……つつ!? つき、付き合うわよ!? 付き合わないわけないでしょ!? 別に、面倒だなんて思ってないし!」
「そう言いつつ、チョークを折るなチョークを」
新役員の手本として、あるまじき事態である。
まあ自分だって、とても参考になんてできたものではないのだが。
そう思って、朝実と恵那、そして他の部員たちの視線をその身に浴びつつ――
「じゃあ――次は。学校祭で何をやるか。それを決めようか」
なんの因果か因縁か。
今年も去年と、なぜかほぼ同じことを口にすることになった自分に首を傾げて、鍵太郎はそう言った。
次の部長は決まりつつも。
それでも自分なりの部長業は――まだもう少しだけ、続いていくらしい。




