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春の帰還

※主な登場人物

・湊鍵太郎…三年生。部長。

・千渡光莉…三年生。副部長。

・春日美里…吹奏楽部OG。大学二年生。

「……起きて! ねえ、起きてよ!」

「ぅむぅ……?」


 誰かに身体を揺さぶられて、湊鍵太郎(みなとけんたろう)は目を開けた。

 吹奏楽コンクール、その帰り道。

 学校に向かうバスの中で、どうやら自分は寝てしまったらしい。いかんいかん、と思うも、どうにもまぶたが上がらない。

 思考もまとまらない。どうやら、相当に疲れていたようだった。

 それはそうだ。今日までがんばってきたからこそ、金賞県代表という結果をもらえたのだから――と、そこまで考えて、鍵太郎は薄く笑った。

 なんだか、夢のようだ。

 目が覚めたら、全部が夢だったと言われないだろうか。そんな風に思っていると、こちらを起こした同い年である、千渡光莉(せんどひかり)が携帯を突きつけてくる。


「電話よ! 春日(かすが)先輩から!」

「かすが、せんぱい……」


 状況を察するに、自分が寝ていたところに電話がかかってきたので、光莉が起こしてくれたらしい。

 どうして彼女がここにいたのかは知らないが、着信に気づかず、後からかけ直すような事態にならずによかった。

 後でお礼を言わないと――と思いつつ、携帯を受け取る。そこに表示されているのは、間違いなく二つ上のOGの先輩の名前だ。

 春日美里(かすがみさと)

 先々代の部長であり、同じ楽器の先輩でもあり。

 そして自分がずっと、追い求めていた人――そんな存在からの連絡に、鍵太郎は促されるまま通話ボタンを押した。

 そして。


「……はい。湊です」

『湊くん! 金賞県代表おめでとうございます! 聡司(さとし)くんたちから聞きました! すごいです、すごいです! 本当におめでとうございます!!』

「はい。ありがとうございます……」


 記憶にあるのとまるで変わらないその声に、祝福される嬉しさとは、また別が感情こみあげてくる。

 あのときのまま――いや、さすがに今は、テンションが高いだろうが。

 それでも優しく、温かい、あの人の声だった。嬉しさもひとしおなのは、あの人が自分と同じく部長で、その大変さを知っているからなのと。

 今も変わらず、どこかの楽団に入って楽器を吹き続けているからに違いない。そうだ、先輩は先輩で数日後だったか、コンクールの一般の部に出るんだよな――と鍵太郎が思っていると。

 ぐっ、と(こぶし)を握ったのだろう。

 美里は通話越しでもそう分かるくらいに、気合いの入った声で言ってくる。


『なので、わたしも見習って、明日はがんばってきます! すみません、今日はお手伝いにいけなくて。でもその分、わたしも湊くんと交わした約束を果たすべく、がんばってきますよ!』

「やくそく……」


 約束――そう、約束だ。

 一年前の今頃、彼女とはひとつの約束をした。

『自分の一番望む結果を出すこと』。それは確かに、果たされたのだ。

 だから今度は、自分の番なのだ――そう気勢を上げる先輩に、鍵太郎はああ、よかったと安心した。

 この人とは今日も、会うことができなかったけれども。

 それでもこうして、力になることができたのだ。

 自分のコンクールがあるからこそ、美里はこちらの手伝いに来ることはできなかった。だけど、どこか遠い空の下でも、確かに縁はつながっていて――こうして、我がことのようにはしゃいでくれている。

 それだけで、十分だった。

 疲れ切っていて頭も回らないし、先輩がこんなにしゃべってくれているのに自分はロクに声も出ないけれど。

 ただただ、嬉しかった。

 自分がやったことによって、他の誰かが喜んでくれた。

 それは楽器をやってきてからこれまでずっと変わらない、吹く理由そのものだ。

 よかった。がんばった。これでいいんだ――そんなことを、浮かんでは消える様々な記憶の中で、鍵太郎が夢見心地で考えていると。


『はい。なので』


 美里は去年と同じく、よく聞こえるはっきりとした声で告げてくる。


『今度はわたしが、約束を守る番です。明日がんばるのは、湊くんと交わした約束もありますし、わたし自身の望みでもあるので当然です。だから()()()()()、わたしはあのとき自分で言ったことを守ろうと思います』

「はい……」

『去年も、今年も。わたしは、湊くんたちのコンクールを見に行けていません。学校祭にすら、顔を出せていない。だから――

 今度の学校祭は、聞きに行くだけではなく、()()()()()()()もさせてください』

「はい……」


 ……はい?

 今、ぼーっとしたまま、勢いでうなずいてしまったが。

 自分は何かとても、重大なことをしでかさなかっただろうか。鍵太郎が半分寝かかった頭で、しかし胸に生まれた微かなうずきに、疑問を抱いていると。

 美里はパアァァァァ――っと、それこそ春の日差しのように、電話越しでも分かる明るい声で言ってくる。


『よかった! すみません、去年、学校祭に行けなくて、ずっとずっと申し訳なかったんです。がんばってる湊くんの姿も、見ることができなくて――だから、せめてもと思いました。逆に負担になってしまうかもですが……一年前に言いましたので。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と』

「ああ……」


 そうだ。そういえば、そんなことも言っていた。

 言われてようやく思い出した程度の、そんな他愛のないものだったが。

 先輩にとっては、それは大事なものだったらしい。思い返せばこんなこと、去年もやっていた気がする。

 まったく、何も変わっていない――結果以外は。

 それだって半分偶然のようなものに思えて、成長しているんだかいないんだか、こんなんじゃまるで分かりもしない。

 けれど、久しぶりに会うことができたら――この人は、どんな顔をするのだろう。

 自分は、どんな顔をするのだろう――

 そんなことを思っていると、美里は続ける。


『湊くんたちは、わたしたちが三年生だったときの、一年生ですし。やっぱり、最後まで見届けてあげたいんです。なので、みんなにも声をかけて――わたし以外にも演奏できる人がいれば、一緒に参加したいなと考えています。聡司くんとか、かなちゃんとか、けいちゃんとか、りくちゃんとか――』

「ああ……いいですね」

『ですよね? じゃあわたし、みんなに連絡してみますね!』


 自分が一年生のときの、三年生たち。

 もう一緒になんか、できないと思っていた先輩たち。その人たちとまた同じ舞台に乗れる。

 だったら、ひとつ上の先輩たちにも声をかけたい。ちびっこ鬼軍曹に、ジャックナイフお嬢様に、ぽっちゃり八兵衛――正確無比なスナイパーと、そしてあの漆黒の魔女。

 全員そろって演奏ができたら、本当に最高だ。

 夢なんじゃないかな、とその図を想像して再び思う。東関東大会に行けることもそうだし、こんな話ができることもそうだ。

 そしてこの人の隣で、また吹けることも――

 目が覚めたら、全部が夢だったと言われないだろうか。そんなことを考えて笑っていると、美里はいつもの優しい口調で、こちらに言う。


『何か進展があったら、また連絡します。じゃあ、湊くん、今日は本当におつかれさまでした。少しお休みしたら――また、一緒にがんばりましょう。では、また』

「はい……また」


 お互い、がんばりましょう――と。

 そう言ったつもりだが、聞こえていただろうか。

 声が出せた自信もない。そしてあの人が、聞いていたかどうかも定かではない。

 けれども、それはきっと、言うまでもなく伝わっている。そう信じて――鍵太郎は、通話の途切れた携帯を置いた。


「ね、ねえ……春日先輩、なんて言ってたの?」

「ああ……」


 すると、こちらに着信を知らせたまま、ずっとその場にいたのだろう。

 光莉がおそるおそるといった風に、こちらに訊いてくる。それに、どう説明しようかと考えようとしたが、できなかった。

 砂が詰められているかのように、頭が重い。

 編もうとした端から、思考が解けていく。それに追いつかれたとき、たぶん意識はなくなるのだろう――そう直感して、鍵太郎は同い年に言う。


「せん、ど……」

「な、なに?」

「がっこう、ついたら、おこして……く、れ……」


 と。

 やっとのことでそれだけを言って、それが限界だったらしい。

 泥の中に沈むように、感覚が眠気に呑まれていく。光莉がなにやら文句を言っていたようだが、それもほとんど、聞き取れなかった。



###



「なんなのよ、もう……!」


 そして、鍵太郎が完全に眠ってしまったのを見て、光莉は吐き捨てた。

 卒業した先輩から電話がかかってきて、なにやら話したあげく、彼はそのまま寝てしまった。

 どんな会話をしたのか、教えてくれすらしない。それはまあ、疲れてるのは分かるけれども――だとしても。


「なんなのよ……」


 さっき自分が見たときよりも、格段に幸せそうな顔をしているのは、どうしてなのか。

 電話がかかってくる前、不覚にも彼の顔に近づいてしまったことが、頭をよぎる。そのときも何か夢をみているようだったが、今はまた、違う表情をしているようにも見えた。

 しかもトロフィーの横で眠りこけている彼は、学校に着いたら起こしてくれなどと、迷惑極まりない頼みごとをしてきた。

 なんなのだろうか。その他にも様々なことに関する憤りが、心の中をよぎっていく。もう振り切ったようなことを言っていたのに、結局は未練タラタラじゃないか。こっちのことなんか考えてもくれないのか。

 色々なことを思って、ムカついて、泣きたくなって――

 最後に出てきたのは、自分自身のことだった。


「なんで私は……こいつを起こしちゃったんだろう」


 卒業した先輩から電話がかかってきたとき、どうしてか自分は、反射的に彼を起こしにかかってしまったのだ。

 そんなこと、しなければよかったのに。

 無視してしまえばよかったのに。彼とあの先輩をわざわざ自分の手でつなげるようなことなんて、しなければよかったのに。

 それでもなぜか、彼に携帯を渡さなければと思ってしまった。

 どうしてなのかは自分でも分からない。それでこんな気持ちになっているのだから、我ながらだいぶおかしなことになっている。


「なんなのよ……」


 もう一度、彼の寝顔を見てそうつぶやく。

 誰も見ている人間はいない。なんの心配もないのに――さっきみたいなことをする気には、もうなれなかった。

 きびすを返して、自分の席に戻る。眠ってしまおう。こっちだって疲れているのだ。学校に着いたら起こすように言われたけど、もう知らない。勝手にしろ。


「ばーか……」


 誰も聞いていないそのセリフは、彼に向けてのものだったのか、自分に向けてのものだったのか。

 答えはなく。

 光莉はバスの中から、流れていく外の景色を見つめていた。


 今回の本番で演奏した曲は、『プリマヴェーラ』――イタリア語で『春』。

 金賞、県代表。

 見事な演奏と審査用紙に書かれた、その言葉を象徴するように。

 季節は廻り。

 厳寒の季節を越えて――また、春がやってくる。

 第23幕 花束を、きみに~了

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