夢じゃないよな
※主な登場人物
・湊鍵太郎…三年生。部長。
・千渡光莉…三年生。副部長。
・春日美里…吹奏楽部OG。元部長。大学二年生。
「――く。早く、前に行きなさいよ、あんたは……!」
「……あ」
後ろから、副部長に小さくせっつかれて。
湊鍵太郎は、舞台上でハッと声をあげていた。
吹奏楽コンクール、その表彰式。
告げられた結果は、金賞、県代表――。
その単語に理解が追い付かなくて、しばらく呆然としていたのだ。
ふと見れば、自分たちの学校の部員は、客席で大騒ぎをしている。そしてステージ上では、誘導の係員が前に出るよう、こちらに言ってきていて――
鍵太郎はそのまま、現実感なくふらりと歩み出た。
まだどうも、これが夢なのではないか、という思いが抜けない。
舞台の上では、自分たちと同じく県代表に選ばれた学校の部長と副部長が並んでいる。
演奏の早かった順から、賞状の形をした、推薦状が贈られるのだ。表彰式――その言葉の意味を、ここになってようやく悟った。
最初の学校は、推薦状の内容が読み上げられる。
『――あなたの学校はまことに優れた演奏をしたため、県から東関東大会への、推薦状を授与致します』
今、なんと言っただろうか。
優れた演奏? 県からの推薦?
東関東大会、出場――?
そんな、まさか。
ずっとずっと、口では言いつつも、そんなことはあり得ないんじゃないかと、どこかで思ってきた。
演奏にはミスもあったし、精一杯やっても毎年金賞を取っている学校には及ばないのではないかと、そんな思いもあった。
けれども。
『川連第二高校、吹奏楽部殿』
あなたの学校は、まことに優れた演奏をしたため。
県から東関東大会への、推薦状を授与致します――
そう書かれた賞状を、確かに渡されて。
『がんばって、きてください』
吹奏楽連盟の偉い人に、そう言われたのだから、それは本当のことなのだろうと思う。
この場でその賞状をまじまじと見たいところだったけれど、そうもいかないので手に持って、ひな壇に戻るため歩き出す。来た道を戻ると次の学校の邪魔になってしまうため、舞台を大回りして帰るのが、ここでのルールだ。
見れば同じく代表になった学校の部長副部長が、その途中で一度立ち止まり、客席に向かって礼をしている。
これもまた、明文化はされていないが、コンクールではよくある光景だ。
今まで自分の学校が代表になったことはなかったため、意識してこなかったその挨拶だが――今度は、それを自分たちがやらなくてはならない。
相変わらず、現実感はない。
足取りは雲の上を歩くようにフワフワしていて、これが本当に夢でないのか、いまいち確信は持てない。
しかし、礼をした後。
「せんぱーい! やりましたねー!!」
そんなバリトンサックスの後輩の、いつも通りのお口にチャックをすることを知らない、元気な声と。
そしてその周りにいる、みなの笑顔が見えて――
「――っ!!」
鍵太郎は思わず、手に持った賞状を、高々と掲げていた。
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そこからのことは、よく覚えていない。
とりあえず表彰式は終わって、代表の学校は残ってくださいと言われ、東関東大会について多少の説明を受け。
金賞のトロフィーと賞状と、そして代表の推薦状を持って、ホールの外で待っていたみなに出迎えられて。
ひたすらにもみくちゃにされて、涙と歓喜がごちゃ混ぜになった状態で、そのままバスに乗った。
「夢、じゃないよな……」
この期に及んでも、まだそんなそんなことを思ってしまうくらいに、信じられないことだったけれども。
バスに乗ってからも、部員たちは大騒ぎだった。みんな携帯を手に、トロフィーと賞状を入れて一緒に写真を撮ろうだの、興奮のあまりこちらに抱き着いてくるだの、そんなことばかりだ。
そんな周囲の反応に、夢だったとしてもそれでいいと思う。
この部活に入ってから、ずっとずっと耳にしてきた、金賞県代表という言葉。
それが書かれた賞状が、まさに今、手の中にある。
そしてみながこんなに、喜んでくれている――なら、これが夢でも現実でも。
どんなものでも、別によかった。
どっちでも構いはしない。だったら、自分は力を尽くすまでで――それならば。
「そうだ、東関東までに何するか、早く決めなきゃ……!」
この光景をもっと広げていくためにも、やるべきことをやらなくてはならない。
これから先は、自分たちにとってまるで未知の領域だ。東関東大会、初出場――ノウハウや伝手なんて何もない。なるべく早く準備を始めるに、越したことはないだろう。
部員たちの写真撮りなどが落ち着いてきた頃合いを見計らい、席に着かせてバスを出発させる。長い一日だった。閉会式と表彰式が終わって、外はもう真っ暗だ。
帰ったら手早く楽器を片づけたり、色々と挨拶もしなくてはならない。今も携帯には、OBOGなどからおめでとうのメッセージがわんさと押し寄せてきている。
それに返事をしながら、鍵太郎は今後の予定を練っていた。東関東大会は、九月の下旬――世に言う、シルバーウィークの時期だ。
学校祭は十月末でハロウィンの時期になるので、そちらの練習も並行してやらなくてはならなくなるだろう。
曲を決めて、すぐに先生に楽譜を手配してもらわなければならない。例年通り、そのときに次の部長も決めて、指揮者の先生も交えて練習の相談もして――やることが多い。
それこそ、山のように。嬉しい悲鳴だ。そう思いながら、適当に荷物から紙を引っ張り出して、思いついたことを片端からメモしていくことにした。
「ええと、東関東大会について、と……」
書きながら、流れ出してくる様々なアイデアや計画を心に留めていく。学校祭は何をしようか。そういえば、ホールは押さえてあるのだろうか。そもそも、東関東大会の会場はどこなのだろうか――そんなことを考えているうちに、いつの間にか。
ペンを持ったまま、がくん、と頭が落ちた。
「ぅえ?」
一瞬、眠ってしまったようだ。いかんいかん、と気を引き締め直す。自分は部長なのだ。
他の部員たちはまだ、浮かれていてもいい。けれども、この先を考える人間は誰か絶対に、いなければならない。
低音楽器はどんな状況でも、どのメンバーよりもクールに――と、あの第二の師匠は言っていた。
なら、その役目は自分が負う。まずは叩き台を出して、他の同い年なり先生なりに相談すればいい。
去年やったあの、レジスタンスのゲリラ計画のように。自分の行く先を決めた、進路相談のときのように。
先陣を切る人間がいなくてはならないのだ。動かなくてはならない。そういえば、打楽器運びはどうしようか。また先輩に頼もうか。
来てくれるだろうか。今日来てくれた二つ上の先輩たち、そして一つ上の先輩たち。
全員そろったら、それこそもう夢の舞台だ。
そこで演奏できるなら、自分たちは幸せだ。今は八月の上旬。だからあと一か月半。
まだ自分たちは、楽器を吹ける。そんなことを考えながら――
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「ねえ、先生から今日の演奏の、講評用紙はもらった? だったら、見せてもらいたいんだけど――って」
言いながら、副部長の千渡光莉は動きを止めた。
吹奏楽部の大会、吹奏楽コンクール。
その帰り道の、バスの中――今日の本番の出来を確かめようと、部長である鍵太郎に話しかけようとしたわけだが。
肝心の彼は背もたれに寄りかかって、完全に寝息を立てていたのだ。
ペンを握りしめているのと、バスのテーブルの上にある紙に、相変わらず汚い字で『東関東大会についてーーーーーー』と書いてあるのを見て、大体のところを察する。
大方、これからのことを考えているうちに寝落ちしたのだろう。
東関東大会について、の『て』の終わりの部分がひたすら長く伸びていることからして、これを書き始めたときには既に、半分寝ていたのではないだろうか。
まったく、だらしない――と思うと同時に、無理もない、と思う。
彼は部長だ。部員の取りまとめ、先生との橋渡し、全体の進捗状況。気にすることは副部長たる自分より、多くあったはずだ。
さらに部内唯一の男子部員ということで、楽器の積み込みなどもやっている。そして、部活にある中では最も大きくて重い楽器である、チューバもやらされている。
その負担は、身体的にも精神的にも相当なものだったろう。まあ、トランペットたるこちらより、負担が大きかったかと訊かれたら首を傾げるところだが――
それでも今日の本番までやってきて、疲れていなかったはずがない。
そして光莉と同じく、彼は三年生、受験生だ。当たり前に大変な時期なのである。
「本当、よくやったわよね……」
そんな彼の、寝顔を見て思う。
正直、金賞を取れるとは思っていなかった。
みんなの意思を尊重して、それを生かして合奏をする、なんて――そんな甘い考え方で県代表になれるなんて、百パーセントは信じられていなかったのだ。
けれど、他のみなはそんな彼のやり方に、安心して楽器を吹いていた。
かく言う自分も、声を掛けられる度に音が変わっていくのを感じていた。こいつがいると、どこか落ち着く。その優しさに固く締まっていた心が、解けていくような気がする。
ガチガチになっていた自分が、素直な気持ちで楽器を吹けるようになる。
それが今回の、結果につながったのだ。
絆の勝利だ。悔しいけど、そこは認めざるを得ない。大したものだ――と、もう一度彼の顔を見て、光莉は息をついた。
一年生のときに初めて出会った頃は、彼がこんな風に吹けるようになるなんて、思いもしなかった。
初心者で楽譜に指番号を書いていて、楽しいからやろうなんて能天気にこちらに言ってきた、なんにも知らないやつ。
それが彼だった。でも気が付いたら色々考えるようになっていて、いつしか部の中心になっていて、そして今日の表彰式では、自分の隣に立っていたのだ。
間近で見る彼は、存外にかっこよかった……のではないかと思う。
少なくとも先ほど、客席に向かって礼をする際にチラリと見たときは、そう感じた。
その後にガッツポーズをしたのはいささかやり過ぎだと思ったけれども、止められる場面ではなかったので見逃してやった。みんなの元に帰ってきたときに、他の部員たちに抱き着かれていたときも、こういうときだからしょうがないと怒らないでいてやった。
本当は、自分もそうしたかったのに。
「ん……」
もぞり、と彼が動いた。
何か、夢をみているのだろうか。むにゃむにゃと唇が動く。
唇――そう、唇だ。
金管楽器を吹くのになくてはならない、その部分。
ホルンには向いていなかったらしい、少し厚めの唇に、光莉の視線は吸い寄せられた。
「……」
ふと、周りを確認する。
みんな、寝ている。
結果発表からさっきまで、とんでもなく賑やかだったバスの中は、静かなものだった。これまでの練習もあったし、何よりはしゃぎ疲れたのだろう。
先ほどまでの騒がしさが嘘のように、誰もが眠ってしまっていた。顧問の先生も、指揮者の先生も、起きている様子はない。
なら。
少しだけ、触れてもいいだろうか。
みんなが大好きな彼に。
今日までものすごく、がんばってきた彼に。
顔を寄せて、目をつぶって。
息のかかるくらい、近い距離まで――
と。
そこでふいに携帯の震える音がして、光莉は我に返った。
「――!?」
ブーッ、ブーッ、と警告音のように鳴り響く音に、がばりと彼から離れる。
私ってば、何を――そう思って、恥ずかしさのあまり顔を真っ赤にしつつ、慌てて口を押える。これは単なる気の迷いだ。
眠くて疲れててぼんやりしてて、妙な夢でもみたに違いない。こんなこと、あるはずがない。
今日県代表になったこと以上に、そんなことはあり得ない――そう混乱する中で、吹奏楽部の性か、光莉は無意識に音の出どころを探った。
鳴っているのは、隣の席にある彼の携帯だった。
会場でマナーモードに設定して、そのままだったのだろう。トロフィーの横に置かれたそれは、着信音はないまま、暗闇の中に光だけを浮かび上がらせている。
しばらくしても音が止まないことからして、どうやら電話らしい。
長い間メロディーもなく、振動だけを伝えてくるその携帯の画面には――
「……!?」
『春日美里』と表示されていて。
光莉はその先々代の部長の名前に、鋭く息を呑んだ。




