B部門の先導
※主な登場人物
・湊鍵太郎…三年生。部長。チューバ担当。
・川俣睦…一年生。宮園高校、誘導係の生徒。
・千渡光莉…三年生。副部長。トランペット担当。
・宮本朝実…二年生。バリトンサックス担当。
リハーサル室への誘導は、相も変わらず宮園高校の生徒だった。
「宮園高校一年の、川俣睦と申します! 本日はよろしくお願い致します!」
目の前で声を張り上げるその他校の生徒を、湊鍵太郎は聞いていた。
夏の吹奏楽コンクール、県大会の会場にて。
誘導や舞台の係員として動いているのは、今年もあの強豪校の部員たちだった。
制服からして、どこか見覚えがあったのでもしやと思っていたが――やはり伝統のある学校は、こういった公の場での頼まれ事も多いらしい。
野球応援のときにも確認したが、鍵太郎は一応、同い年の千渡光莉の反応を伺った。列の後ろの方にいる彼女は、特に動揺した様子もない。
やはり中学のときの失敗は、光莉にとっても誰にとっても、過去のものになりつつあるのだ。
それを改めて見届けて、鍵太郎は視線を元に戻す。そこには、二年前と同じ、しかし趣を変えた他校の生徒の姿がある。
「ええ……っと。こ――これよりみなさんを、リハーサル室へとご案内致します! 到着しましたら、定刻までし、しばらくお待ちください!」
「……カンペだぁ」
こういったことは初めてなのか、チラチラと手に持った紙を見ながら言うその強豪校の生徒を、鍵太郎は見守っていた。
自分が一年生だった頃は、ここでこの県のトップに君臨していた吹奏楽部の顧問と、あわや言い合いになりそうなくらい険悪な雰囲気になったのだが。
彼女からは、そういった盲目的な――言ってしまえば洗脳されている、とも思えるくらいの、暗いオーラは感じられない。
これも、去年の東関東大会で宮園高校が、県下トップの座から滑り落ちたことが要因なのだろうか。はたまた、その他にも様々なことがあったからなのか――判断がつかないけれども。
少なくとも以前あったどうにもならない閉塞感が、ここにきて破れそうな気がしてならなかった。
そして、その変化にはきっと、『あいつ』が絡んでいるはずだ。すぐそこにいる誘導係の生徒と、同じ部活にいるであろう、選抜バンドで一緒だったあいつが。
「光莉を頼む」と言っていた――あの馬鹿が。
ここにあった、淀んだ空気をぶち壊してくれたような気がするのだ。この二年で自分も相当、色々なことをやってきたけれども。
それだけの期間があったのなら、周りも変化していて当然なのである。
少なくとも看板を持って進む誘導係の子が、誰かの支配ではなく自分の意思で危なっかしいまでも、歩いていけるくらいには。
そう思いつつ、その強豪校の生徒についていく。コンクールの移動は、基本大きな楽器が先頭だ。理由は単純で、そうでもしなければ他の軽い楽器たちに、あっという間に追い抜かれてしまうからである。
そうだ、だからあいつは、誰よりも早く『こっちへと歩け』と示すよう言っていたんだよな――と思いつつ。
鍵太郎は、その誘導係の一年生に話しかけた。
「ええと……川俣さん、だっけ。こういう手伝いとか、初めて?」
「え、あ、はい。初めてですね」
まさか、声をかけられるとは思っていなかったらしく。
その強豪校の生徒は――川俣睦は、一瞬目をぱちくりとさせてから、うなずいてきた。
それはそうだろう。彼女は今回のコンクールで、ただ案内を務めるだけの赤の他人だ。
そんな人間に、話しかける物好きなどそうそうおるまい。そんなことをするくらいなら、これからの本番のイメージトレーニングでもするべきだ――なんて、偉い人は言うのかもしれないけど。
あいにくとこちらは、地方にあるB部門に参加する学校の、ただの学生である。
これから自分がやることは、自分で決める。
世間様で、絶対こうしなければならない――なんて言われていることに、わざわざ従う義理はない。
そんな風に常識なんて笑い飛ばして、鍵太郎はそのまま、強豪校の生徒に言った。
「宮園さんの練習ってどう? 厳しい?」
「あ、はい。まあ、そうですね。他の学校に比べれば、そうかもしれないです。私も中学からやってましたけど、まず話し方からして直されましたし。そもそもからして、楽器をまだ持たせてもらってませんので」
「そっか……」
上手い学校は、まず活舌からして矯正される――なんて話を聞いたことがあるけれども。
そして、そういえばひとつ上のフルートの先輩も、それを知ってしゃべり方を自ら直したということだった。
確かにあの先輩は上手かったし、すぐそこにいる強豪校の生徒も、高校一年生とは思えない綺麗な発音をしている。
やはりA部門は次元が違う。ここ数年で何があっても、そこは変わらない――決して交わることはない。
だけど、どこかもっと根本的なところで、つながっていることには変わりない。
かつてそんな、夢のような舞台があったことを思い出しつつ、鍵太郎は言う。
「楽器は、何をやりたいの?」
「はい、バリトンサックスです」
「わあ、おんなじですー」
そんな会話に加わってきたのは、こちらの学校でそのバリトンサックスを吹く、宮本朝実だった。
この後輩に、活舌もへったくれもない。逆にそのお口にチャックする方法を、教えてもらいたいくらいで――でも、そんな風に彼女が振る舞うようになったら、とてもつまらないだろうなと思う。
むしろ初対面の人間に、今のように「同じ♪ 同じ♪」とはしゃぐくらいでちょうどいい。急に手を握られて、その相手である強豪校の生徒は驚いているけれども――それでも、昔の自分のようにケンカを吹っ掛けるよりマシなはずだ。
そして鍵太郎がそんな光景を見つめていると、朝実はくるりと振り返って言ってきた。
「ていうか、さっきからなんですか先輩。ナンパですか?」
「ナンパじゃない!? ちょっと話を聞いてみたいなと思っただけだよ!?」
「それをナンパって言うんじゃありませんか?」
まったく先輩は、しょうがないですねえ――と後輩には呆れられたが、いちいち訂正する気にもなれない。
本番前に知らず知らずのうちに緊張して、口が緩くなっているのではないかと言われても否定できないのである。
何を言っても切り返される、吹奏楽部の男子部員の悲しい性で苦い顔をしていると、そんな自分たちを川俣睦は不思議そうな目で見ていた。
彼女のような人間からすれば、こんな風に後輩が先輩にたてついたり、はしゃいだりすることの方が異常なはずだ。
置かれた環境が、この強豪校の生徒と自分たちでは違い過ぎる。
しかし、楽器を聞いたことで『縁』は確実につながった。バリトンサックス――鍵太郎の吹くチューバと同じ、低音楽器。
それなら、『ヤツ』のことも知っているはずだ。
なのでその足跡を知るべく、彼女に再び話しかけてみる。
「ねえ、池上って知ってる? 俺と同じチューバ吹きの、メガネかけたやつ」
「池上先輩を、知ってるんですか?」
そこで誘導係の女子生徒は、今度こそ驚いたといったように目を見開いた。
その反応からして彼は、変わらず楽器を吹いているらしい。そして彼女の表情に、特に厳しいものが混じらなかったことからしても、部内で元気にやっていることは明らかだ。
先ほど一年前に県の選抜バンドで会った、違う学校の人間とは再会したが――こんなところでも。
風の噂で、誰かの今を知ることができるんだなと思いつつ、鍵太郎は川俣の質問に答える。
「うん。去年、県の高校選抜バンドっていうのがあってね。そこで一緒に吹いたことがあるんだ。あいつどう? 元気にやってる?」
「あ、はい。ちょっと怖くて、あまり話したことはないですけども……すごい的確な指示を出して、キビキビと動かれています」
「あっはは。相変わらずだな、あいつ」
本当に、あれからそのまんまその通りに、彼は進んでいったのだろう。
自身の求めるもののために、宮園を壊す――そう言っていたあの他校の生徒の、望みは叶ったのか。
それを知るのは目の前で看板を持って固まっている、彼女になるはずだ。
結果がどうなるかは全部、後になって分かって――自分たちはそれに向かって行動するしかない。
ではこのコンクールの後、この強豪校の一年生が見る未来は、どんな色になっているだろうか。
それを想像しつつ、鍵太郎は言う。
「あいつ、怖いけどいいやつだよ。だから思い切って、話しかけてごらん」
どんな結末が待っているにせよ、何かに向かって行動を起こした限り、それは今より悪いものにはならない。
まして『ヤツ』がついているのなら、絶対に、だ。持った武器が折れようが足をもがれようが、目指したものに向かって、彼は真っすぐに食らいつく。
そんな闘志むき出しの馬鹿の目を思い出しつつ、鍵太郎はそのまま続ける。
「最初は文句を言われるかもしれないけど、なんだかんだで相手にはなってくれるさ。俺のときもそうだった。散々ぎゃあぎゃあ言いつつ、面倒はみてくれる」
「でも……なんと話しかければいいか」
「簡単だよ」
困ったように目を伏せる他校の生徒に、笑ってそう応える。
彼ならどんな言葉に反応するか、どう言ったら分かってもらえるのか――あの日あのときとヤツが変わっていないなら、大方予測できる。
すなわち――
「『千渡はもう大丈夫だ』って言ってたやつがいた、って言えば、嫌でも話さざるを得ないさ。あいつは」
「せん……え?」
「千渡。きみは本当なら、知らなくてもよかった名前」
『こちらは大丈夫だ』と伝えること。
それだけで、十分この一年生は、あいつと話すことができるだろう。彼がどこまで語るのかはそのときの判断に任せるが、きっかけとしてはこれで満点のはずだ。
さらに付け加えるとするならば、今日この誘導係の彼女自身が見たことだって、話の種にしてもいい。
「今日きみが見たことも、ついでにしゃべってくれて構わない。変な学校の誘導係になって、ちょっと変わったチューバ吹きに絡まれたって言えばいい――あいつだったらそれで、全部察してくれるさ」
この子がそう言ったときのヤツの顔が、目に浮かぶようだった。
それはもうびっくりして、そんな自分を恥じて――けれども少し安心したような、そんな素振りを見せて毒づくのだろう。
何も知らないこの一年生は、きっとそんな彼の姿に驚くはずだ。そこから話が弾んで、彼女がそんなやさぐれた先輩の、小さな味方になってくれたら――こちらとしてはもう、申し分ない。
いずれにせよ、これを機にこちらの現状が伝われば、それでよかった。
そしてこの妙な出来事が、この誘導係の生徒が歩んでいく場所の、小さな道しるべになればいいと思うのだ。
こんなことがあった、あんな人がいた――なんて。
そんな彼女の行く道は、自分たちとはまた違う可能性が広がっているのだろう。
「大丈夫。きみならできるから」
ならばそこにどうかカンペと、誰か他の人の助けがありますように――と。
変なチューバ吹きに妙なことをたくさん言われて、どう対応していいか分からないといった顔をしている強豪校の生徒を見て、そう思っていると。
前の学校のリハーサルが終わったのだろう。部屋の扉が開いて、人が大勢出てきた。
「あ……すみません、時間です! 前の学校の方が全員出てから、入場をお願いします!」
誘導係である彼女は、それで慌てたように、自分たちに向けてそう言ってくる。
ぞろぞろと人が行きかい、この時間だけリハーサル室の前が雑然となる。その流れを見送りつつ、看板を抱えた川俣睦は――ふと気づいたように、こちらに顔を向けてきた。
「あの、そういえばお名前を、聞かせてもらってもいいですか」
「名乗るほどのものじゃあないよ――なんて言えたら、よかったんだけどねえ」
そんな風にかっこよく決められたら、最高だと思うけども。
このリハーサルが終わった後も彼女とは、本番直前まで付き合うことになるので、そうも言っていられない。
しょせんB部門の、全国的には名も知られていない学校の生徒。
だったら名前を告げようが告げまいが、そんなことはちっぽけなことに過ぎないのだ。
けれども――このときこの強豪校の生徒は、それでも自分たちに興味を持ってくれた。
だったら、名乗ろう。
自らの学校と、そこにひと時だけ部長を任を受けた者の名を――
「川連第二高校、吹奏楽部部長――湊鍵太郎。本番までの短い間だけど、よろしくね、川俣さん」




