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「ありがとうございました!」

※主な登場人物

・湊鍵太郎…三年生。部長。

・浅沼涼子…三年生。トロンボーン担当。

 ぽん、と遠くの方で、木琴(マリンバ)の響く音が聞こえる。

 やっぱり広いところで吹くのって気持ちいいな、と湊鍵太郎(みなとけんたろう)は感じていた。



###



「どうした浅沼(あさぬま)。ぼーっとして」


 コンクールも間近、ホール練習のその日。

 舞台上のセッティングをしていた鍵太郎は、同い年の浅沼涼子(あさぬまりょうこ)がじっと客席を見ていることに気づいた。

 ぼーっとしていると言いはしたが、彼女の場合は独自の嗅覚で、何かを感じ取っているという風にも見える。

 それほどまでに、こと演奏に関しては野生の勘というか、天才的なものを持っている涼子である。

 そんな同い年が立ち止まって、ずっと何かを見つめているということ自体が、鍵太郎にとっては不思議なことなのだ。

 すると涼子は、問いかけにいつものように、笑って答えてくる。


「うん、ここで吹くのも、ひょっとしたら今日が最後になるのかもしれないと思ってさ」

「ああ……そうか」


 自分たちは三年生。

 そして今からやるのは、県大会に向けての練習だ。

 つまりそこで支部大会まで抜けられなければ、その時点で引退――このホールで演奏することはもうないということでもある。

 もしかしてもしかしたら、続けていればいつかまた、機会が巡ってくることもあるのかもしれないけれど。

 少なくとも自分たちが今現在分かっている範囲では、ここに来る予定はもうないのだった。

 もちろん、東関東大会に出られればいい。

 けれども、物事に『絶対』はあり得ない。

 ここで部長として「大丈夫、これで最後にはならない」などと断言できれば、それはそれでかっこよかっただろう。

 けれども、それが虚勢でしかないと、ある程度の嘘があると。

 ここにいるみなは、気づいてしまっている。

 だからこその、今の涼子のセリフだ。彼女も本能的に、真実を見抜いている。

 その上で、『この光景』を目に焼き付けようとしている――そういうことなのだと理解して、鍵太郎は涼子と同じく、客席を見た。

 赤い布張りの、ふかふかした椅子。

 木の壁に、高い天井。

 そして照らされていない、薄暗くて広い空間――かつてそこに、ホールの精霊でもいるのではないかと、初めて来たとき自分は思ったものだったが。

 静かで澄んだ空気の中からは、やはりどこかからこっそりと、ここにいる『なにか』に見られていそうだった。

 こちらからは分からないだけで、『それ』は演奏の手伝いをしてくれる。いつもは感じない響きをもって――そう思って、鍵太郎は同い年に言う。


「なあ、浅沼」

「なに?」

「今日はさ。本当にいい演奏しような」


 一年生のときから今まで、通った数は少ないけれども、印象に残る思い出がたくさんあるホール。

 そんなところで、練習だからとかそういうことではなくて、本当によい音を響かせたかった。

 それがこの空間と、どこかで笑っている『なにか』への最高の恩返しだ。

 そう考えての鍵太郎の提案に、涼子はきょとんとして言う。


「うん? それって、いつものことだよね?」

「そうか。そうだよな、いつものことだ」


 相変わらず単純明快な同い年の思考に、おかしくて笑ってしまった。

 そう、いつものこと――変に気負わず、必死の圧力もかけず。

 ただ自然体で、吹けばいい。

 きっとそれを、このホールは望んでいる。自分たちの力を、何倍にも引き出してくれる。

 だったらいつも通り、楽しんで吹けばいい。涼子の返答に、鍵太郎がそう考えていると――彼女は首を傾げた後、「あ、でも」と言った。


「いつものことじゃないけど、やりたいことなら今思いついたよ! ねえ湊、練習終わったら、やろうよそれ!」

「ん? 何やりたいんだ、おまえ」

「えーっとね、あたしたち三年生のみんなでさ――」


 続く涼子の提案に。

 鍵太郎は先ほど以上に大笑いして、「もちろん、やろうぜ」とうなずいた。



###



 ぽん、と木琴(マリンバ)の音が弾けて。

 その空気の震え具合に、鍵太郎は内心で笑みを浮かべていた。やはり、広いところで吹くのはいい。

 今まで聞こえなかったものが聞こえる。

 見えなかったものが見えるような気がする。

 そのまま吹き進めていくと、ザアァァァァァ――と風が吹くようにして、曲の光景が広がっていった。

 澄んだ空気と、穏やかな流れ。

 それに、草木の揺れる音。

 そのざわめきに混ざって、ホールの精霊が――後輩の言葉を借りるのなら妖精が、顔をのぞかせていたような気がした。


 姿形は、まるで見えないのだけれども。こういうところに来ると、自分の力がいくらでも増幅されたように感じるのだ。

 それは、この場所の力を借りているからだと思えてならない。

 これまで出なかったような音が出て、これまでに描けなかったものが描ける。

 薄暗かったはずの空間は、一気に光度を増して、今まで見えなかったものを映し出した。

 一面の花畑。

 それを見回して進んでいると、頭上でトンビの鳴くような甲高い声がして、空がとんでもなく高いことを知る。

 その鳥についていくと、いつの間にか花畑に足を踏み入れていて――ゆっくり進んでいくと、色とりどりの花々が、自分を迎え入れてくれた。


 部長だから、やらなくてはならないからと気弱になるときもあったけれど。

 それでも折れずに進んでこられたのは、この花が――みんなの音が、自分を支えていてくれたからだと思う。

 やりたいことをやれ、なんて言ったから、そこにある花々たちは不揃いで、不格好のように見えるかもしれないけれど。

 それでも全部が一緒に同じところに咲けば、見事な景色を作り出すことができる。

 そんな色付いた大地に、そっと、でも確かに足をつけて歩いていく。旅路はもうすぐ終わるかもしれないけれど、今はまだ、その響きを楽しんでいたかった。


 でも、できればもう一度。

 ここに来たい。また吹きたい。まだまだ続けていたい。

 そんな身勝手な願いを、ここのホールは聞き届けていたくれたのだろうか――

 次に広がった景色は、これまでよりもずっと大きく広く、見上げるほどのものだった。

 旋回したトンビなのかヒバリなのか、そんな空高く舞うものが、ずっと遠くまで飛んでいく。

 それを追いかけて少しずつ足が速くなっていく。つまずいて、転んで――でもまた起き上がって、どこまでもその翼を追い続けていく。


 花畑の中。

 舞い散る花弁は、ただの幻。

 飛ぶ鳥の羽には届かない。

 けれどもそれでも、手を伸ばして――光の中に、太陽がまぶしく輝く中に。

『自分の一番の望む結果』を。

 その奇跡を、つかみ取りに行こう。



###



「はいはーい! じゃあみんな、並んで並んでー!」


 そうして、ホールでの練習が終わった後に。

 自分たち三年生がやったのは、ごくごく些細(ささい)なことだった。

 舞台の前方で、同い年たちを連れてくる涼子に鍵太郎は苦笑する。彼女が言ったのは、他でもない。

『このホールにお礼がしたい』――ただそれだけの話だ。


 後輩たちにとっては、どうでもいいことかもしれない。

 自分だって二年生のときだったら、先輩たちは一体何をやってるんだと思っただろう。けれども、最後を目前にした今になっては、やれることは人目を構わず、全部をやっておきたかった。

 それは他の同い年たちも、一緒だったらしい。

 なんだかんだ言いつつも、結局は三年生全員がここに集まってきている。浮かべる表情も、乗り気なもの、やれやれといった呆れ笑いのもの、しみじみとしたものなど様々だったが――

 みな、この場所に特別な気持ちがあることには間違いなかった。そういえば、合同バンドのオーディションのため、練習や録画をしたのもこのホールだったな――と、思い出しつつ。

 鍵太郎は同い年たちと、準備を進めていった。色々なことがあって、ぶつかり合ったこともあった三年間だったけれど。

 それでもあの女子高のように、それを乗り越えてきたからこそ、今があると思う。


 あのときは大変だった――そう言いつつ。

 どこも一緒だ。あの他校のコントラバスを弾く部長も、近所なのだから最後のホール練習にはここを使うに違いない。

 彼女たちは今、どうしているのだろうか。まあ、なんだかんだありつつも、自分たちのようになんとかしているのだろうな――などと。

 そんなことを考えているうちに、同い年たちの用意も済んだらしい。


 舞台中央、だいぶ前に立って横一列に並び、全員で手をつなぐ。

 本当はいつも楽器を吹いているのと同じで、一番端っこを希望した鍵太郎だったが――部長ということで、無理やり真ん中に立たされていた。

 左右には、副部長であるトランペット吹きと、言い出しっぺである涼子がいる。

 こちらの左手に触れるとき、そのトランペットの同い年は「な……ちょ、今回だけ、今回だけなんだからね!」などと、顔を真っ赤にして言っていたのだが――そんなに自分に触るのが嫌なのだろうか。そう思ったのだけれども。

 まあ、どちらにしても、こんなことはそうそうない。

 もう二度とないかもしれないのだから、勘弁してほしい。そう言って副部長とも手をつなぐと、彼女は観念したようだった。


 みなで呼吸をそろえ、真っすぐ正面を向く。

 そこには赤い布を張った、ふかふかの椅子と。

 さらには木々がそびえ立つように綺麗な、薄茶色の壁があって。

 さらにはその暗がりからこっそりと、クスクスと笑いながらこちらをうかがっているであろう、ホールの精霊がいて――それに向けて。


「せーの!」


 打ち合わせ通り、涼子が掛け声をかけて。


『ありがとうございましたー!!』


 まるで、本番が終わった後の、役者たちのカーテンコールのように。

 鍵太郎たち三年生は、全員でつないだ手を高々と上げて――そして、深々と一礼して、笑い合っていた。

《参考音源》

「プリマヴェーラ」~美しき山の息吹(描写は4:20~)

https://www.youtube.com/watch?v=nQyDUX8Tqwo

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