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伝説の語り部

※主な登場人物

・湊鍵太郎…三年生。部長。チューバ担当。

・大月芽衣…一年生。チューバ担当。

 部活が終わって帰ろうとしたら、視界がけぶるほどの激しい雨が降ってきた。


「うわー……。これは、止むまでちょっと待つか」

「ですね」


 音楽室の窓の外の様相を見て、湊鍵太郎(みなとけんたろう)がそう言うと、一年生の大月芽衣(おおつきめい)が同じく外の景色を見ながらうなずいた。

 鍵太郎と楽器が一緒のこの後輩は、窓枠に手をかけてつま先を立て、真っ黒い空を見上げている。

 さっきまで晴れていたのに、急にこの有り様だ。ゲリラ豪雨――突然やってきた雨雲は、思いのたけをぶちまけるように、地上に雨粒をこれでもかと降らせている。

 大自然に抵抗してもしょうがない。傘でどうこうできるような状態ではなかったので、大人しく小降りになるのを待つことにした。

 それが、いつになるのか――分からなかったが、そうそう長くは続かないだろうと思ったので、鍵太郎がぼんやりしていると。

 窓の外を眺めていた芽衣が、ふと振り返って言ってくる。


「退屈です。何かお話してください」

「なにその、眠れないからお話してくださいみたいなノリ」


 嵐の夜に。または、不安で眠れないとき親にせがむようなセリフに、思わずそんな返しがもれた。

 確かにこの後輩はそんなことを考えてしまうくらい、小柄で年下なのだけれども。

 それを指摘すると、「小さくないですし。むしろ外見で人を判断するような先輩の器が、小さいだけですし」などとむくれるはずの一年生は、しかし今回はそういった素振りを見せず。

 それよりも重要な何かを優先したのか、重ねてこちらに訊いてくる。


「湊先輩には、好きな人がいると聞きました。だったらその話が聞きたいです」

「誰に聞いた、その話を!?」


 芽衣が直接は知らないはずの『その人』の話題が飛び出してきて、そのまま鍵太郎は飲みかけた水を、うっかり噴き出しそうになった。

 小さい子に絵本の読み聞かせをするような気持ちでいたら、まさかの「赤ちゃんはどこから来るんですか?」レベルの剛速球を投げられた気分だ。

 いつの間に、そんなことを――と動揺を隠せずにいると、後輩はなぜかムスッとした顔で言ってくる。


宮本(みやもと)せんぱ……いや、アサミン先輩に」

「あのゴシップ製造機め……明日は頬をつねってくれる」

「それはまたの機会にしてください。今はそれよりも、先輩のお話が聞きたいです」

「むぅ……」


 噂の出どころは分かった。毎度毎度、あのお口にチャックをすることを知らない二年生には手を焼かされる。

 これまでも、そういうことを言うのはこの口か、この口かと幾度となくほっぺたを伸ばしてきたものだが――確かに、今はそんなことをしている場合ではなさそうだった。

 なにしろ、芽衣がじっとこちらを見上げてきているのだ。

 なんだか妙にその瞳には圧迫感があって、そしてどこにも逃げ場はなさそうだったので。

 渋々、鍵太郎は『あの人』のことについて話すことにした。

 ただし――


「……どんな風に聞いてるの? 宮本さんから、その人のこと」


 全部を全部、赤裸々に語るつもりはない。

 なにしろ暇つぶしの話題にしては、あまりに個人的にデリケートな部分なのである。修学旅行の夜ではないのだ。何もかもをつまびらかにするつもりはない。

 歩を進めるならあくまで慎重に、だ。すると芽衣は質問に質問で返されたことに困惑したのか、触れてはいけない部分に触れてしまったことに気づいたのか、気圧された調子で答えてきた。


「……いえ。『先輩に好きな人がいるらしい』ということ以外は、何も。それ以上はみやも……アサミン先輩も、知らないようでしたし」

「まあ、そりゃそうだ。そりゃ――そうだよな」


 後輩の様子に、やはりベラベラとしゃべらずによかったと安心する。

 そういえば、あの人は卒業以来、一度も部活には顔を出していないのだ。

 当たり前だが、後輩たちに情報はない。あるはずも――ないのだ。

 だって、自分でさえ会えていないのだから。

 そのことを思い知らされて、安心の次にやってきたのは寂しさと、心のどこかに穴が開いているような虚しさだった。

 それを自覚しつつ、そう呼んでくれと言われたから言い直す、そんな律儀な後輩に言う。


「――その人は、さ。優しい人だったよ。俺にも、誰にでも優しくしてくれる、そんな人だった」


 今でも思うのだが、この感情は本当に『好き』というものだったのだろうか。

 ただ単に、恩義と尊敬をはき違えていただけではなかったのか。憧れが行き過ぎただけの、勝手な執着に過ぎなかったのではないか。

 そんな風に考えないでもない。けれども――こうして思い出すと、こんなに泣きそうなのに、なぜか笑みがこぼれてくるから不思議だ。

 こんなに感情を全部こぼしたような雨の中でも、そこだけは無事でいてくれる。

 すると芽衣は、そんなこちらの様子にやはり、戸惑ったように言う。


「……なんだか、まるで神話でも語るような言い草ですね」

「神話か。まあ、そうだな。そんなものかもしれないな」


 後輩の形容に、それこそ笑う。彼女のそれは、言いえて妙な発言だ。

 彼女たちからしてみれば、卒業した顔も知らない先輩など、それこそおとぎ話の中の存在だろう。

 以前、あの人の存在自体が架空のものなのではないかなどという、OGに対してど失礼な発言をあのおませな、ひとつ下の後輩はしていたが。

 それはあながち、間違いではないのである。先輩の先輩、四つ上の部活の先輩なんて、自分にとっても神様みたいな存在だ。

 だったら、やはり絵本の読み聞かせモードで、今回はよさそうだった。

 ただし、そこにあるのは穏やかな童話ではない。

 とびきり刺激的で、破天荒な神様たちの物語――


「――よくドジを踏んでこけていた。しっかりしてると思えば意外と抜けてて、けどもうダメだっていうときにこそ、誰よりも強くて」


 自分が目の前の後輩のように、一年生だった頃。

 あの人と、そしてその周りの馬鹿な先輩たちは、だいぶ賑やかに部活を楽しんでいた。

 三回やったら楽譜を覚えてしまうマイペースな先輩に、やたらハイテンションなトランペットの先輩。

 サックスの先輩は自分の楽器が大好きすぎて人の演奏を聞かないし、ホルンの先輩は優秀過ぎて、そろそろ人類の理解の圏外に飛んで行ってしまいそうだったし。

 そしてそんなとんでもない面子をふんわりまとめていた、春の日差しのようなあの人は――


「――そうだ。そういえば、今度のコンクールでは『自分自身の一番望む結果を、出してみてください』って言ってたんだったな、あの人は」


 そんなことを、去年言っていたのだった。

 思い出した。こんなことも忘れていたなんて、つくづく自分勝手だな俺は――と思うけれども。

 期せずして考えていたことは同じなので、結果としてその約束は果たせそうではある。

 たとえその形が、金賞県代表、というものではなくとも。

 全員が自身のやりたいことのために力を尽くして、そしてそんな人間に囲まれて自分も吹けたら、ただそれだけでよかったのだ。

 目標はそこにあるが、目的はそちらにある。

 そしてきっとあの人も、今もそうやって、楽器を吹いているはずだった。

 何も見えなくなりそうなくらい、涙で視界がけぶっても。

 そのささやかなつながりだけで、自分が笑う理由にはなる――そう思って、長く息をつくと。

 こちらの語りを聞いていた芽衣は、つられたように大きく息をついた。


「……なんでしょうか。すごい人ですね。『自分自身の一番望む結果』なんて……そんなもの、そのときになってみなくちゃ、分かりようがないのに」

「まあ、そうだよな。簡単なようで難しいことかもしれない。優しいようで厳しいところもあったよ。あの人には」

「それは、先輩もそうですよね」

「え、そうか?」


 後輩の言いように、思い切り疑問符が出る。

 かつてはよく、あの人と自分が似てきたと言う人もいたが、その当人を知る人がいなくなってからは、そんな風に声を掛けられることもなくなっていた。

 それに何より、あの神様というかレジェンドたちとこちらを一緒にしてほしくな――いや、一緒にされるのは恐れ多いのだ。

 振り返ってみれば無茶苦茶ばかりをして、後輩をハラハラさせてきた連中ばかりである。

 そういった意味では、ひとつ上の先輩たちよりもたちの悪い神様たちだった。

 まさに、混沌の世界の住人だ。未開の地で毎日レッツパーリィをしていたような、何をしでかすか分からない気質の人たち。

 そんな生きる伝説たちと、自分を同一視するのはどうかと思うのだけれども――しかし一切の迷いなく、芽衣はうなずいてくる。


「はい。みんなに優しいのに、たまに妙に厳しいところとか、変なところで抜けてるのに、ピンチだってときこそ絶対あきらめないところとか……通じるものが、あるような気がします。なんでしょう、もっとその人の話、聞きたいです。お話してください」

「えー……。もういいでしょ。だったら今度は、大月さんの話を聞かせてよ」

「ばっ……!? わ、私の好きな人の話は、別にいいじゃありませんか!? そ、そんな先輩みたいに、大した話じゃありませんし……!」

「ずるいなあ。こっちが多少は言ったんだ。そっちだって教えてくれてもいいじゃないか」

「嫌です……!」


 断固として拒否する後輩に、自分が一年生のときってこんなに頑固だったかなあ、と鍵太郎は首をひねる。

 特にそんなに無理なことを、言っているつもりはない。

 この真面目な後輩を、そこまで慌てふためかせるほどのことではないと思うのだが――けれども芽衣は、こちらの話を聞いて軟化しかけていた態度を再び硬化させて、そっぽを向いてしまった。

 その目線を追えば、窓の外の雨は、少しは収まってきたようだった。しかしまだ、止むまでには時間がかかりそうではある。


「そっか――じゃあ、そういうことなら。今度は、違う伝説のことでも話すことにしようか」


 なら、あの人と――その周りにいた、かつての神様たちのことを。

 語ってみるのも悪くない。もしかしたら二年後、彼女が自分と同じように――こんな風に卒業した先輩たちは、すごく変な人だったんだよと、後輩に笑って話せるように。

 どんなに遠くの空の下にいても、それこそが『自分自身の一番望む結果』だったのだと、胸を張って言えるように。

 もう少し、芽衣に付き合ってみてもいいだろう。警戒しながらもチラチラとこちらをうかがう、後輩の興味を引けるよう――なるべく大仰に、それこそ吟遊詩人のごとく。

 まずは今度のコンクールの本番で、打楽器運びを手伝いに来てくれる、よくドラムを叩いていたあの先輩の話から始めてみることにする。


「ええっと、まずは赤坂(あかさか)さんを部活に呼び戻すために、俺がやったことだけど――そもそものきっかけはね……」


 そうやって小さな一年生に、たくさんの人たちの話を物語っている間に――いつしか激しい通り雨はあがって。

 雲の切れ間からはまるで天使が舞い降りるように、穏やかな日の光が射しこんでいた。

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