弱いところを大切に
※主な登場人物
・湊鍵太郎…三年生。部長。チューバ担当。
・宝木咲耶…三年生。バスクラリネット担当。
「『抑揚をつけて演奏する』ってどういうことか、高久先輩に訊いてみたんだよ」
「そうか。訊いてしまったのか……」
同い年の宝木咲耶のセリフに、湊鍵太郎は沈痛な面持ちでそうつぶやいた。
先日の演奏の講評で、もっと抑揚をつけて演奏しなさい、と言われていた咲耶だ。
それだけに、彼女自身もどうにかしたいという気持ちが強かったのだろう。しかし、よりにもよってなんて人物に訊いてしまったんだ――と、卒業したあの、バスクラリネットの先輩の顔を思い浮かべていると。
咲耶が言う。
「色々、丁寧に教えてくれたよ。やっぱり高久先輩ってすごいよね。改めてそう思った」
「……その『色々』とか『丁寧に』とかって言葉に不穏なものを感じるのは、俺のせいじゃないと思うんだよな」
たぶん携帯でやり取りをしたのだろうが、それでもひとつ上の先輩の、あのニヤニヤ笑いが見えるようだった。
おそらく、いや絶対に、ちゃんとしたことの裏に何かを仕込んでいる。
これまでの付き合いからそう確信して、鍵太郎は覚悟を決めた。あの黒魔女こと第二の師匠は、こういった舞台裏でこそ真価を発揮する存在だ。
ここにいないからといって油断はできない。引っかからない、俺は絶対に引っかからないぞ――と、頭の中の先輩の笑顔に挑戦状を叩きつけて、咲耶に訊いてみる。
「で、先輩はなんて言ってたの?」
「……」
「……宝木さん?」
途端に黙った同い年を不思議に思って、鍵太郎は首を傾げた。
何か言いにくいことでもあるのだろうか。いや、先にこの話題を出してきたのは彼女の方だし――と思っていると。
咲耶は閉じていた口を開く。
「……つまりは、こういうことなんだって言われた」
「ごめん。説明を頼む」
「ええと。要は、言いたいことを言う前に一瞬だけ、間を作れってことだね」
それによって、今みたいに聞いてる人の注目を、集めるようにするんだって――と言う彼女に、鍵太郎はなるほど、と納得した。
大音量が鳴った直後に急に静かになると、一体何が始まるんだろうと、つい見入ってしまう。
その瞬間に、ステージ上に視線が釘付けになる。
人間心理をついた、あの人らしいやり方だ。それを実際に試されて、してやられた感はあるものの。
言いたいことは、分からないでもない。確かに息継ぎなくどんどんしゃべられるより、わずかに休憩というか、区切りがあった方が話は聞き取りやすい。
『静けさ』を大切にしなさい。
それは自分たちのような、音を出して表現をする人間にとって、意外と忘れられがちなことだった。
何もないことが、かえっていい効果を生み出す。そういえば、空き時間とかもついついスマホをいじってしまいがちだが、本当はボーっとしてた方がその後の効率は案外いいっていうもんな――と鍵太郎が考えていると。
咲耶は続ける。
「『ない』を表現するって、面白いよね。まるで禅問答だよ。そう考えると、私にはぴったりかもしれないね」
「……『ゼロを立証する』ことは『悪魔の証明』ともいった気がするんだけど、まあいいや。それは言わないでおこう……」
どうにも、あの虚無を抱えた第二の師匠が絡んでいるので、うがった見方をしてしまうのだが。
寺生まれの同い年が珍しくはしゃぎ気味なので、そこに水を差すのはナシにしておいた。悪魔よ、去れ――と、目の前の清らかな白さから、邪悪を退ける。
テンションの上がった咲耶というのは、実は貴重だ。
普段あまり強烈な主張をしてこない彼女だけに、こうして目を輝かせているときは自由にしてやりたい。
そう、『静けさ』こそ、この同い年の持つ魅力のひとつでもあるのだ。
そこは、あの先輩も分かっていたはずだった。だからこそ、こういったアドバイスをしたのだろう。
なら、それを追求していくのは彼女にとっていいことなのかもしれない。
咲耶には、咲耶にしか吹けないものがある。
それを証明するかのように、同い年は楽しげに言ってくる。
「あとは、強いところもちゃんと吹くんだけど、弱いところも大事にしなさい、って言われたよ。それで、去年の選抜バンドで聞いたことを思い出した。『メロディーのヤマと到達点は、ちゃんと設定しなさい』って――あの言葉の意味が、改めて分かった気がする。こんな風に言われたことが頭の中でつながると、なんだか嬉しいよね」
「……宝木さん」
「強さも弱さも等価なんだよ。どうしても、がんばらなきゃと思って吹いちゃうけど……強いところは強くていいし、弱いところは弱くていい。同じように扱っていいんだ。そう思って吹くことにする」
『ない』も『ある』も全部詰め込んで。
今度の本番では、やってみようと思ってるよ――そう言う咲耶に、鍵太郎は「そうだね」とうなずいた。
気張らなくても、強がらなくても。
彼女の旋律はそのままで、十分音楽的だ。
それだけの経験を、この同い年は自分と一緒に積んできたのだから――
するとそんな咲耶は、「それに」と彼女らしく、周りの人々のことも口にする。
「これって、私だけの話じゃないなと思ってさ。この間、講評で『粗削り』って言われたのはたぶん、こういうところから来てるんじゃないかって。だからこうして、湊くんにも話したの」
「……そっか。なるほどな」
彼女の言う通り、先日の演奏ではそういったことも書かれた。
みんながみんな、一生懸命にやりすぎて、そんな風に聞こえてしまっていたのかもしれない。
弱いところを大切に、か――と思って。
そのセリフに連想したのは、トランペットの同い年のことだった。
彼女こそ、ずっと強くあろうとして、どこか必死になっている人間のひとりだ。
だったらあの同い年こそ、咲耶のように誰かに助言を求めて、色々なものを丁寧に扱ってもいいのではないか。
そう考えて、鍵太郎はバスクラリネットの同い年に言う。
「宝木さん。高久先輩と、どんな感じのことを話したの? もしよかったら、教えてほしいんだけど」
「いいよ。ほら、これ」
そう答えて、咲耶はあの先輩と交わしたやり取りの一部始終だろう。
自分の携帯にその画面を表示して、こちらに差し出してきた。
さすがこの同い年、見られてやましいものはそもそも存在しないということか――と、咲耶の言動に内心苦笑しつつ、それを受け取る。
そこには、彼女とあの第二の師匠との会話が記録されていて――
『そうだねえ。咲ちゃんは、もっと焦らすことを覚えたらいいんじゃないかなあ』
「あのアマあああああああ――っ!!」
相変わらずの先輩の悪趣味さに、鍵太郎はそのまま携帯を床に叩きつけそうになった。
挑戦状を叩きつけたつもりが、逆にカウンターを食らった形だ。
なんなのだろうかあの人は。この場にいないのに、まるでこちらがこうすることまで読んでいたようではないか。
千里眼でも持っているのだろうか。なんだかここにいないのに、引っかかったと指をさして大笑いしているかのOGの姿が、見える気がしてならない。
悪魔の証明、ここに成立。
いなくてもその存在を十分すぎるほど示す、かの先輩である。抑揚や間の取り方に関しては、良くも悪くも彼女の方が何枚も上だ。
こちらはひたすら手のひらの上。弟子の趣味など、まるっと全部お見通しである。ちくしょう、悔しいけど反応しちゃうじゃないか! ありがとうございました!
半ばやけくそになりつつ鍵太郎が、そんな先輩と同い年との対話を読んでいると。
咲耶が訊いてくる。
「どうしたの? 湊くん。何か変なことでも書いてあった?」
「なんでもありません!? やましいことなんて、何も想像してません!?」
そう力強く主張してしまうことも、また弱さなのかもしれないが。
それを大事にすることも、また演奏につながるのかもしれない――なんて言葉で、騙されたりはしない。
けれども、こちらの返答にきょとんとする、清い心の持ち主だけは。
「うん? まあ、なんでもないなら――いいことだよね」
自分の至ら『なさ』を前面に出してでも、守らなければいけない気がした。




