誰かの味方
※主な登場人物
・湊鍵太郎…三年生。部長。
・赤坂智恵理…一年生。フルート担当。
「たまに思うんスけど、センパイってあんな風に怒鳴ったりしないんスか?」
と、コンクールの県予選会場となる、ホールの駐車場で。
湊鍵太郎は後輩の赤坂智恵理に、そう訊かれていた。
いよいよ本番だ。近くでは打楽器を積んだトラックの中で、楽器運びを手伝いにきていたOGの先輩が大声で指示を飛ばしている。
前部長であるあの人は、卒業したからといって遠慮するようなことはないらしい。あれやこれやと相変わらずこちらにまで響く声で、トラックの中で楽器を組み立てていた。
自分にとっては見慣れた光景ではあるが、あの先輩を初めて見る一年生にとってはなかなか衝撃かもしれない。
ご健勝なようで何より――と、相変わらずのちっちゃい先輩の様子に苦笑していると、智恵理は言う。
「話に聞いてたところによると、吹奏楽部の先輩って、あんな感じだと思ってたんスけど。根性論バンザイ! みたいな。けど、センパイは違うなーって思って」
「吹奏楽部のイメージ像を、一体どんな風に聞かされてるんだよきみは……。まあ、話には聞いてるかもしれないけど、去年はそういう怒鳴ったりなんだりで、雰囲気があんまりよくなかったからさ。今年はなるべくそういうの、ナシでいこうと思ってるんだよね」
「ふーん」
やっぱセンパイ、普通とはちょっと違いますわ――と、後輩は不思議そうに首を傾げた。
何が普通で何が普通ではないのか、高校から楽器を始めた自分にはいまいちよく分からないのだが。
楽器を習いつつも吹奏楽部には入っていなかったという智恵理も、似たようなものではないだろうか。そう思っていると。
彼女は右に傾けていた首を今度は左に傾けて、また別の疑問をぶつけてくる。
「ていうかセンパイ、センパイが怒ることって、そもそもあるんスか? あたしとゲーセンでバトルしたときはなかなかでしたけど、怒ってるって感じじゃなかったし」
「俺だって怒るときはあるよ。ただ外への出し方を工夫してるだけで」
「うわ。聖人君子乙とか言おうとしたら、ガチ腹黒のヤベーやつじゃないッスか」
「誰が聖人君子だ。けど腹黒なのは自覚あるから、否定しないでおくよ」
「自覚、あったんスね……」
こちらの返答に、後輩は呆れたようにそう言ってきた。
そう、自分だって怒ることはあるし、怒鳴って言うことを聞かせたくなることだってある。
けれど、それは違うのだ。一時的にはそれでまとまることもあるかもしれないが、こんな風に毎日のように顔を合わせる場でそれをやってしまうと、最終的には上手くいかなくなる。
それは去年の今頃の出来事で、よく分かっていた。
だからなるべく、穏やかに事を済ませる方向でいこうと考えているのだ――そう言うと、智恵理は珍しく、苦虫を嚙み潰したような顔になる。
「……あー、なるほど。メイメイが言ってたセンパイの不自然さって、これっスね。思ってることはあるのに、そこをいったん押し殺してやってるから変に見える、って。駄目っスよーセンパイ。我慢は身体に毒っスよ?」
「我慢……というか、そっちの方がいいと思うから、そうやってるだけなんだけどな……。ていうかメイメイって大月さんのこと? あだ名の方が本名より長くなってない?」
彼女と同じ一年生、そして自分と同じ楽器の後輩の名前が出てきたことに、少なからず驚いた。
そんな風に見られているとは思いもしなかった。我慢しているつもりはないが、しかし一度その同じ楽器の後輩には、こちらの疲れを指摘されている。
それだけに、智恵理の言うことは的を射ているように思えた。
知らず知らずのうちに無理をしている――そして後輩たちに気を遣わせている。
その事実に自分のことながら苦笑いをしつつ、鍵太郎は言う。
「ああ……まあ、そうか。ごめんね。でも、もうちょっとだけ、無理をさせてくれないかな」
少なくとも自分が部長の間――引退するまでは。
多少無茶をしてでも、ここを守りたい。
そんな願いが、どうしようもなく心の中にある。
部長だからというのもあるけれども、一年前のようなことにならないためにも、誰かを泣かせないためにも。
「辛いことなんて、どうせ放っておいても向こうから勝手にやってくるんだからさ。だったらせめて、そのときに味方になってあげられるよう、俺自身はなるべくきつい態度は止めようと思ってるんだよ。ただでさえ困ってるときに、周りにそんなことされたら誰だって嫌だろ?」
実際に壊れかけたものを見ているだけに、そうしたいという思いは何よりも強かった。
それこそ、自身より優先してしまうくらいに。三年生の間、あと少しだけ――そのくらいの期間だったら、そういう姿勢でもなんとかなる。
まあ、たまに息抜きはしないと、また心配されてしまうのだろうけれども。それだけは気を付けようと思っていると、智恵理はこちらのセリフにため息をついて言ってきた。
「しょーがないっスねえ……。でもたまには発散してくださいね? そういうセンパイだって、味方になってあげたいって思ってる人がいるんスから」
「うん、そうするよ。ありがとう」
「あー、暑いなー」
うなずくと、後輩はいつもより長くなっているスカートのすそを掴んで、バッサバッサと振るった。
コンクールも予選ということで、七月にも入り確かに蒸し暑い。
そして本番ともなると、彼女のいつものスカート丈は色々な意味で危険ということで、ここに来る前に長めにしてもらったわけだが――なぜかこちらに向けて布地を振るってくる後輩に、鍵太郎は半眼で訊く。
「……赤坂さん? なんでわざわざこっち向いてそういうことするの?」
「え? だってこの流れ、センパイがあたしでストレス発散するとか、そういうことじゃないんスか?」
「人を欲求不満の塊みたいに言わないでくれる!?」
人聞きが悪すぎる智恵理の言動に、先ほどまでのマイルールをぶち破ってつい大声が出た。
ストレス解消というか、彼女のそれは怒りの発散というより頭痛の種である。
そんなわけで額を押さえていると、智恵理は「そーッスよ。たまにはそんな風に、叫んだ方がいいんスよ」とケラケラと笑って言ってくる。
「けど、おかしいなあ。なんか鎮火が早くないスか? もっと顔を真っ赤にして慌てるとか、怒ってお説教してくるとか、そーいうのを期待してたんスけど」
「自慢じゃないけど、逆セクハラは受け慣れてるもんでね……。そのくらいじゃもうそんなに動じません。ほら、暑いのならさっさと自分の楽器を運んで、会場の中に入りなさい」
「ちぇー」
あえて冷たくあしらうと、後輩はイタズラが上手くいかなかった子どものように口を尖らせた。
智恵理の担当はフルート――つまり座るのは演者側の最前列だ。
舞台は客席より高い位置になるので、いつものスカート丈だと角度的に見えかねない。そういった意味でも、自分は彼女の味方になるつもりでいたのだが――やはりこの後輩も、普通とはだいぶズレた人間のようだった。
吹奏楽部のというか、世間の常識的に。
高校生の大会なのでそんなに観客はいないだろうが、せめてそういう妙な悪意にさらされないよう、彼女たちのことは守ってやりたい。
そう、気持ち的にはむしろそっちなのである――と、実はそれなりに動揺していたのを、改めて己の立場を確認して落ち着かせていると。
智恵理が何かいいことを思いついたといったように、顔を輝かせて戻ってくる。
「よーし、分かりました! そんじゃああたし、いつかセンパイを本気でガチギレさせてみせますから!」
「なんでそうなる!?」
「だってー。なんかこう、たまにはそういう着込んだ鎧を脱ぐ的な? 素の自分を出せるみたいな? そういう場所って必要じゃないっスか」
「わりと正論を言われて『それもそうかなー』って一瞬うなずいちゃいそうだったけど、きみの前ではそういうことやりたくないからね!?」
いつも素の自分、いつも自由にさえずっているこの後輩の前では、バランスを取ってどうしても真面目にやろうと思ってしまうのだ。
というか、彼女の前でそれをやったら負けな気がする。先日のゲームセンターでの勝負の話ではないが、智恵理に対してはどうにも、そういった意地を張ってしまう。
意外といいことを言ってはいるが、そういった人間に限ってそういう気にならないのはなぜだろう。
ままならない心理に鍵太郎が本番前からふらついていると、ふと、この後輩と同じ楽器の先輩が目に入ってきた。
「ちなみに、俺をかつてガチギレさせた人なら、奇遇なことに赤坂さんと同じ楽器の先輩にいるよ。ほら、あそこのOGの人」
「え!? あんな清楚系のお嬢様みたいな人がっスか!?」
「外見で判断すると痛い目を見るぞ、あの人に関しては……。自分に触れた気に入らないモノを全部切り裂く、ジャックナイフみたいな人だからな……」
「分かりました! ちょっと話しかけてきます!」
「全然分かってないよね!? でも本当に仲良くなりそうで怖い!? やめろこのコミュ力おばけ!?」
この後輩とあの先輩にタッグで来られたら、それこそ目も当てられない。
夢のコラボといえば聞こえはいいが、その前にこちらの胃がストレスで爆裂四散しかねないのである。こうなったら我慢も無理もない。全てをかなぐり捨てて、本気で智恵理を止めにかかる。
無我夢中でやったそれが楽しいのか、彼女の狙い通りだったのか、よく分からないけれど。
そんな風に後輩とわちゃわちゃやっていたら――早く楽器を運べと、今の副部長と前部長にガチで怒られた。




