彼女たちはすごい
※主な登場人物(今回はみんな三年生)
・湊鍵太郎…部長。チューバ担当。
・宝木咲耶…バスクラリネット担当。
・片柳隣花…三年生。ホルン担当。
・千渡光莉…副部長。トランペット担当。
「光莉ちゃんは、すごいと思うんだよ」
宝木咲耶のその言葉に、湊鍵太郎はその同い年との間に先日あったことを思い出していた。
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「ほい。これ、こないだの山の写真」
そう言って鍵太郎は、同い年の片柳隣花に写真を何枚か手渡した。
「山の景色の曲を吹くのなら、実際に登ってみればいいじゃない」――。
そんな話から始まった部員たちの登山計画は、なんだかんだ事故はありつつも結果的には上手くいったのだ。
そのとき来られなかった隣花は、手の中の写真をしげしげと見ている。山を登る道中で撮った写真。頂上近くの見晴らし台から、眼下の街を撮った写真。
そして、雨上がりの虹を撮った写真――それらを無言で見つめる同い年を見て、鍵太郎はため息をつき、言う。
「なあ、片柳。おまえも本当は行きたかったんだろ。最近おまえ、ちょっと遠慮しすぎじゃないか?」
何も言わないながらも、少しだけうらやましそうな顔をしている隣花に、そんな風に水を向けてみた。
この同い年が家庭の事情を抱えていることは、先日の一件でとてもよく分かっている。
けれど、だとしても近頃の彼女は我慢をしすぎではないか。そう問いかけると、隣花は視線をこちらに向けて、しかしまたうつむく。
「……けど。警戒するに越したことはないし。またあんなことになったら、みんなに迷惑かけるし……」
「とは言ってもだ。それでおまえが何もできなくなったら、本末転倒だろ。まさか引退まで、ずっとその調子ってわけにもいかないだろうが」
案の定渋る同い年に、少し強引かなと思いつつも近寄ってみる。
いつまでもうらやましそうに、輪の外からこちらを眺められるのは真っ平ごめんなのだ。
演奏というのは誰か一人でも欠ければ、成り立たない。
それと同じで、彼女が部員たちから段々離れていくのが、あまりいいこととは思えなかった。
せっかくテーマパークの一件を経て、同い年たちとの距離が縮まってきただけになおさらだ。まあ、だからこそ隣花は、余計に気を遣ってしまっているのかもしれないけれど――
それでは、彼女自身が窒息してしまう。それは絶対に阻止するため、鍵太郎は同い年に言う。
「いいか。前におまえは俺に、嫌なことを全部背負い込むなって言ったよな。またその言葉を、そっくりそのまま返すぞ。そんな状態で楽器吹いてたって、苦しくなるだけだろ」
「……だからって。私以外に誰が、あの人を抑えるっていうの。リスクは極限まで抑えておきたい。そう思うのは自然なことでしょう」
隣花の母親のことは、直接会ったことがあるから知っている。
『あれ』をもう一度されたら、今度こそ彼女は楽器を奪われるかもしれない。
その恐怖が隣花を縛っているのか――同い年は硬い表情で、ぶつぶつと続ける。
「……大丈夫。この写真を元に、金賞を取るためのイメージ作りはしておくから。だってそうしないと、私は楽器を続けることができないもの。部活を続けることは許してくれたけど、それだって中途半端な成績しか残せなければ、あの人は『無用なもの』って言って、私から音楽を取り上げるでしょう。
金賞を取らなきゃ。結果を出さなきゃ。そうじゃないとあの人には認めてもらえない。ここに居続けることも、できない、もの……」
「……片柳」
写真を大事そうに抱えて、追い詰められたように身をすくめる彼女は。
きっと家でも、そんな風にしているのだろう。
自分たちのいないところで、こうしてひとりで戦っているのだ。
けれども、だったらよりいっそうそこからは、いったん距離を置いた方がいいように思えて――でも、安易に「大丈夫だ」などと声をかけることはできなかった。
そうすることは簡単だが、根拠のないそれはただの無責任なその場しのぎだ。
だったらもっと根本的に、何か違う言葉か必要なのではないか――そう考えていると。
「いい加減にしなさいよ、あんた」
近くで練習していて、今の会話が聞こえたのだろう。
同じ三年生の千渡光莉が、楽器から口を話して半眼で話しかけてきた。
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「せ、千渡……?」
同い年の剣呑な雰囲気に、鍵太郎は頬を引きつらせる。
隣花と光莉は、同じ中学からの経験者ということもあってライバル心もあるのか、これまでも妙に対立することが多かった。
それでも三年生にもなった今となっては、そのプライドのぶつかり合いの頻度も減ってきていたはずだったのだが――久しぶりに、闘争心に火がついてしまったのだろうか。
にらんでくる光莉の視線の圧にたじろいでいると、彼女は額を押さえ、深々とため息をつく。
「人が黙って聞いてれば、何をグダグダと、イライラすることばっかり言ってるのよ。気が散ってしょうがないわ」
「せ、千渡? 今ちょっと、片柳は弱ってるだろうから、あんまりキツイことは言わないであげてほしいんだけど……」
「あんたは黙ってなさい! ……と、言いたいところだけど」
今回ばかりは、あんたにも関係があることなのよね――と光莉は再びため息をついて、いったん楽器を置く。
どういうことなのだろうか。鍵太郎が首を傾げていると、彼女は言う。
「ねえ、覚えてる? 去年の県大会前の、ホール練習。そのときプレッシャーでガチガチになってた、あのときの私――そのときの私に、片柳、そっくりなのよ」
「あ……」
言われて思い出すのは、一年前のコンクール直前。
光莉が過去のトラウマに打ち勝とうとして、自分の居場所から全く動かなかったときだ。
あのときのこの同い年も、音を外さないように、絶対に間違えないようになどと、聞いているだけで息苦しくなってくるようなことを言っていた。
自分を守るのに必死で、周りが見えなくなっている。
その点は、事情は違えど隣花と一緒だ。
金賞を『取らなきゃ』――その言葉に滲む不自然さに、同じ立場にあった光莉は気づいたのだろう。
彼女は苦い顔で、かつての自分の記憶と向き合う。
「ああ――もう。人のことを見て、ようやく分かったわ。あんたからは私って、こんな風に見えてたのね。そりゃ止めさせたくもなるわ。
というわけで――か、かた……い、いや、もう、隣花!」
「な、何……!?」
そういえば、これだけ長い間、同じ部活にいたのに。
光莉が隣花の名前を呼ぶのは、初めてだったように思う。
いつもいがみ合っていたせいで、タイミングを逸してしまったのか。
それとも彼女がちゃんと他人を『認識』したからなのか――急に距離が詰まって驚く隣花に。
光莉は照れのせいか真っ赤になった顔で、そのまま続ける。
「あ、あんたは、別に母親のために、楽器を吹いてるわけじゃないでしょうが!? 金賞を目指すのは結構、ここにいたいと思うのも結構! けど、今のあんたは目的と手段が、完全に入れ替わっちゃってるでしょう!? あんた、なんのために楽器吹いてるの? 少なくとも母親に認めてもらうためじゃないわよね!?」
「あ……」
荒い口調ながらも、本気で言っていることが分かる同い年のセリフに。
隣花はびくりと、怯えではない反応を示した。
なんのために、楽器を吹くのか――それは自身にしか分からないものだが。
彼女はゆるゆると首を振って、「……違う」と、自分の意思を表す。
「……私は。お母さんのために楽器を吹いてるんじゃ、ない」
「そうよね!? じゃあなんのため!?」
「……自分のため」
私が好きだから、やりたいだけ――そう言って、隣花は。
今度こそもらった写真を、ぎゅっと大切そうに握りしめる。
しばらくその光景を、鍵太郎が見守っていると――
ふと顔を上げ、隣花は光莉に言う。
「……ありがとう。千渡。おかげで、ちょっと目が覚めた」
「ふ、ふん! だったらせいぜい、がんばればいいのよ! 私の真正面で、私に突き刺さるくらいのすごい音、出してみなさいよね!」
「ふふ。言ったわね」
じゃあ、今に見てなさい。
あんたに届くくらいのすっごい音、出してみせるから――そう言って、ベルが後ろに向いている、つまりトランペットの方へと音を出す楽器の。
ホルン吹きの同い年は、笑ってそう言い残し、音楽準備室へと自分の楽器を取りに行った。
その手には相変わらず、こちらが渡した写真がある。あの様子なら、とりあえずは大丈夫か――隣花の後ろ姿を見てそう判断し、鍵太郎はほっと一息ついた。
「……うん。俺からも礼を言っとく。千渡、口出ししてくれて、ありがとな」
「べ、別に!? あいつが元気なくて音が出てないと、私が吹きにくいだけだし!? あいつのためを思って言ったとか、そういうんじゃないし!?」
「ああ、ま、そういうことにしておこうか」
笑ってそう応えたら、いつも通り、光莉には殴られそうになった。
けれども、それでいいのだ。
この同い年が本音でぶつかってきて、それにまた違う誰かが応えてくれればそれで十分だった。
今回はそこに、隣花が入ってきただけの話だ。それならまた今度、みんなで一緒にでかけよう――山登りに行こう。
たったそれだけのささやかな願いが、次こそは叶いそうな気がした。
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「そうだよね、次こそは片柳さんも一緒に行きたいね、あの場所に」
と、そこまで話し終わると。
同じくあの日登山に行った咲耶は、うなずきながらそう返してきた。
「もしくはもっと足を延ばして、富士山に行ってみてもいいと思う。光莉ちゃんが言ってた、日本一の山。ちゃんと準備してちょっとがんばれば、行けそうな気がするな」
「まあ、本当の曲のイメージは確かにそこだもんなあ」
この間登った山の見晴らし台からは、晴れて空気が澄んでいれば富士山も見えるという話だった。
確実に泊りがけになるだろうから、今は無理だろうけれども――いつか。
全部から解放されたとき、行ってみたいものだ――そう鍵太郎が考えていると、咲耶が言う。
「というか、やっぱり光莉ちゃんはすごいと思うんだよ。私もこの前、山を歩きながら色々話したけどさ。ソロにかける情熱がすごいというか。見習わなくちゃって思ったんだ」
「あいつの場合、それが変な方に向くとおかしなことになるんだけどな……」
そう言って、鍵太郎は隙あらばその重要な部分を練習している、光莉をちらりと見た。
あの同い年は、そのソロにかける思いが責任感に変わってしまうと、途端に緊張して失敗し出すのだ。
けれども、今回ばかりは少し違うのかもしれない。
いつもならそういった経緯で、本番が近づいてくるにつれて調子を崩す彼女だが――今のところはそういった様子もない。
やはり去年の経験があるからこそ、今年はまた別の何かができるのだろうか。
そんなことを、先日の光莉と隣花のやり取りから思っていると、同じく曲中でソロがある咲耶が言う。
「みんな、ちょっとずつ去年あったことを受け止め始めてるよね。私も自分たちの争いのことを、曲に乗せていいのかって、少し引っかかってた部分はあったんだけど――今ならあのソロ、もうちょっと上手く吹けそうな気がするよ」
「……そうだね」
同い年も、後輩たちも。
みな去年の今頃にあったことを、それぞれの形で受け止め始めている。
曲の心臓を掴む準備はもう、始まっているのだ。
雨が止んだら虹が出るのさ――そうあの指揮者の先生が言った通り、山の上で虹を見て。
そこで何かを悟ったのだろうか。
咲耶は以前よりしっかりした音で楽器を吹いて、天を仰ぎ晴れやかな顔で言う。
「うん。『なんのために』、か。それは私も、考えるべきことなんだろうね」
「……宝木さん、千渡と何話したの?」
「うーん。それはまだ、ナイショかな」
ただ、好きなもののためにっていう隣花ちゃんの言葉は、きっとその通りだと思うんだよ――そう言って。
彼女はこちらを見て、とても嬉しそうに笑った。




