夢と現実の形
※主な登場人物
・湊鍵太郎…三年生。部長。チューバ担当。
・野中恵那…二年生。クラリネット担当。
・泉恭子…フォクシーランドスタッフ。
「何があっても、本番では演奏を止めないでください」
園内に入る前、湊鍵太郎は泉恭子にそう言われていた。
本番直前、テーマパークへ通じる扉の前でのことだ。
ここをくぐれば、自分たちは『学生』ではなく『スタッフ』となる。
このフォクシーランドで演奏をする、プロになるのだ。何があっても、パフォーマンスを止めることはできなくて――今このテーマパークの職員に言われているように、例えどんなハプニングがあっても、毅然と対応しなければならない。
それが、ここで演奏するということだ。
『間違いのリスクは、最小限に抑えるよう努めなければならない』――そう言っていた泉は、そのまま続ける。
「生演奏の本番に、事故はつきものです。ですが、お客様の笑顔こそ私たちの至上命題――それをくれぐれも、お忘れなきよう」
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テーマパーク・フォクシーランドに、マーチングドラムの音が響く。
本番の場所に歩いていく途中もまた、ショーの一環だ。先頭を行く打楽器の双子姉妹が軽快にリズムを刻む中、鍵太郎はその後を、楽器を持ってついていっていた。
背筋を伸ばし、列になって笑顔で進む。
ゴールデンウィーク中の遊園地である。行き交う人たちは多く、物珍しげにこちらを見てくる人もいる。
手を振ってくる子どもに、同じ学校のトロンボーンのアホの子が手を振り返していた。その様子があまりにも堂に入っていたので、まったく、こんなところまで天才なのかこいつは――と、こちらまで笑ってしまう。
今朝あんなにも迷惑をかけてくれたのに、こういうことが自然にできるのだから彼女は憎めない。
あと心配の種といえば、体調不良の野中恵那くらいだったが――あの後輩も後輩で、発破をかけられたおかげか、今のところは笑顔できびきびと動いていた。
なんだかんだで色々あったが、こうして表に出ると舞台に立つ者の性か、滾々と気力が湧いてくる。
あまり目立つことのない低音楽器の鍵太郎ではあるが、その辺りは他の楽器の人間と変わらない。こういう立場になってみると、プロだとか、スタッフだからとか――そういったものは、あまり関係ないのではないか、と個人的には思う。
そんなことを考えている間に、演奏会場となるステージに到着した。
客席には長椅子。舞台には装飾。
そしてステージの背景には、このテーマパークのキャラクターである『きつねのフォクシー』の絵が描いてある。
行列を追ってやって来た人たちが、客席の長椅子に座っていく。
そうでない人も、何かが始まりそうな雰囲気に足を止め、遠巻きにこちらを眺めていて――そうしていつしか、会場には多くの人間が集まっていた。
鍵太郎の座る席は舞台の端なので、客席と舞台袖の両方が見える。
その舞台袖で、泉がこれからの本番の準備だろう。機材をいじったり、物を運んだりと動き回っていた。
非常に厳しいあのテーマパークの担当者であるが、彼女だってこのステージを成功させたいと思っているのだ。
そう言ったときに微かに浮かんだあの笑みは、嘘ではなかったはずだ。
彼女が何を考えているのかは、未だに分からないが――遊園地の舞台裏で、確かに見かけたその笑顔を信じ、今は行くしかない。
全員の準備が整ったところで、指揮者の先生が客席に向かって礼をする。
それに拍手が起き、収まったところで――
一曲目が始まった。
『リトルマーメイド』。
静かに横に揺れるリズムに、穏やかな波を連想する。
好きなこと、やりたいことをその胸に抱いて、水の中を漂う人魚姫。
彼女は憧れるままに、その思いに手を伸ばした。それからは、夢と現実の波間を行くことになるのだけれども――その狭間にいるのは、自分たちも同じだ。
テーマパークの表と裏。
その境界に漂いながら、鍵太郎は今日あったことを思い出していた。やりたいことをやろうとして、ここにやってきたこと。到着したのが、そんな考えとはかけ離れた荒野だったこと。
たどり着いた楽屋では、忘れ物をして大騒ぎをしたり散々なことを言われたり――そんなことがあったけど、こうして自分は、この舞台にやって来た。
だから。
ゴッ――と、そんな荒波を吹き飛ばすように、大きな音を出す。
あの人魚姫のように波間をたゆたう自分たちだけれども。
せめてこの瞬間は、夢を追いかけよう。
この表舞台でどちらを選ぶかと訊かれたら、それはもちろんやりたいことに決まっている。
客席では誰かがこっちを向いていて、その視線に応えようと身体の奥底が反応する。こうして人に見られていれば、誰だってその期待に応えたくなるものだ。
最初はそういったことから始まって、それで出来たのがこういう場所なのではないか。
誰かの笑顔を見たくて、できたものがあった。
あの泥だらけの荒野だって、いつしかこんな風景につながっていく。
そんな風に裏側も込みで考えてしまうのは無粋なのだろうけれども、あれを見たからこそ、疑いなくここに立てている自分もいた。
こういったテーマパークに来ると、どこかでそれは嘘だ、と思ってしまう部分はあったけれど。
今日見たものが、逆に目の前の光景に現実味を持たせてくれる。それは皮肉なのか、どうなのか――分からないけれど、少なくとも裏でやってきたものがあるからこそ、こうして人の前でがんばろうという気になれる。
手拍子の音が聞こえる。
以前より少しだけ上手く、手を叩けるようになったあのホルンの同い年も、似たようなことを考えてくれているだろうか。
彼女と以前、このテーマパークで語ったことを思い出して――だったらいいなと笑いつつ、鍵太郎はそのまま曲を吹き進めていった。
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波間を漂い、さ迷ったら――そこから出てきたのは夢を現実に変える魔法だ。
『魔法にかけられて』。華々しいトランペットが祝福するように、ファンファーレを奏でていく。
その思い切りのよさに、戸惑うように合いの手が上がる。けれども、それすら巻き込んで光量が上がっていった。
テンションとスピードも増していき、そのまま――というところで。
一転、曲は奈落の底に落ちるがごとく低音が鳴った。
こういう系の曲において、自分たちは悪役の扱いだよな――と思いつつ、鍵太郎はそのフレーズを吹き切る。
まあ、どうとでも扱ってほしい。
物語には敵役がいるからこそ、主人公がいるのだ。
表と裏があるように。
さあここからは、楽しい舞台――。
楽器から口を離すと、ダンスフロアが広がる。高くさえずるメロディーが、次々にくるくる踊っては次のフレーズの手を取っていった。
その曲と一緒に、もちろん部員たちも吹きながらステップを踏んでいく。リズムを刻みつつ、鍵太郎はそれを舞台の端から見守っていた。
元気のいいトランペットやトロンボーンなどの、直管部隊の音が響く。音楽室でも練習していた、吹きながらスウィングしたり、くるりと一回転してみたりなどのパフォーマンス。
それを、今彼女たちはやっていた。これまでの成果を発揮するときだ。
ベルを揃えて同じ方向や、わざと逆の方に向けてみたりする。このほんのわずかな瞬間に、どれだけの練習をしてきただろう。
自分がここに来ようと言い出してから、部員たちはずっとこうやってやってきた。
演奏も振り付けも。定まらなかった『未来の形』が、今ここに来てはっきりとした姿を取り始める。
テーマパークに沿うように。
少しくらい演出過剰に。
そう考えていたからだろうか――
次にそのバトンを受け取ろうとしていた恵那が、立ち上がった瞬間にぐらりとよろけた。
「――!」
視界に映る後輩の様子に、たじろぐ。
確かに彼女は今朝から、体調が悪かった。先ほども、具合が悪そうにしていて――それを、気力で補っていたのだ。
恵那自身もだいぶ気張っていたが、本番の後半に来て踏ん張りきれなくなったということだろうか。
プライドをかけて、彼女はこの舞台をやりきろうとしていたはずだ。
けれども、志半ばで――と。
そんな後輩を、受け止める腕があった。
「……!?」
その人物の登場に、この会場にいた誰もが目を疑った。
鍵太郎自身も、その姿に一瞬指が止まりかけた。けれども、そこは本番中の精神でなんとか乗り切る。
他の部員たちも、なんとかそのまま演奏を続けていた。打ち合わせ通り、ダンスも行っていて――でも、あんなのは聞いていない。
何があっても演奏を止めるな、とは言われていたが、あれは台本にも何もなかった。
恵那を抱き留めたのは、このテーマパークのヒロイン。
夢が形を持った、美しき銀狐――フォクシー・レディだ。
《参考音源》
リトルマーメイド・メドレー(描写は途中まで、途中のピー音は仕様です)
https://www.youtube.com/watch?v=5vHg-yt3x3Y
魔法にかけられて(描写は1:19~)
https://www.youtube.com/watch?v=ibpK4yr85UY




