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大人になる途中

※主な登場人物

・湊鍵太郎…三年生。部長。

・本町瑞枝…吹奏楽部顧問。

「で、最後のコンクールでやる曲は決まったのか」


 今年度の初合奏を終え、その感想を湊鍵太郎(みなとけんたろう)が顧問の先生と言い合っていると。

 ひと段落した辺りで先生が、ふと気づいたようにそう訊いてきた。

 今はまだ、新入生が入ったばかりの時期だ。コンクールの曲を決めるのには、少し早い。

 だから先生は恐らく「まだ決まってないのなら、そろそろ探しておけよ」くらいのつもりで言ったのだろう。

 しかし、もうやりたいものは決まっているのだ。

 そう思って、鍵太郎は正面にいる顧問の本町瑞枝(ほんまちみずえ)に即答する。


「『プリマヴェーラ』でお願いします」

「もう決めてんのかよ……末恐ろしいわ、おまえ」


 毅然と言い切ったら、顧問の先生はむしろ顔を引きつらせてそう言ってきた。

 どうしてだろうか。早く決めてしまった方が、迅速に動けていいと思うのだが。そう思って鍵太郎は、本気で首を傾げた。

 先ほどの合奏でもある程度の手応えは掴めたし、曲中でソロを担当する二人には既に話を通してある。

 同じ学年のメンバーに曲を聞かせても、「うん、打楽器足りそうだし、いいよ!」「ん。ホルン目立つところあるし、いいんじゃない」といった感じで、特に反対意見は出てこなかった。

 あのトロンボーンのアホの子に至っては、曲を聞かせた途端「かっこいい! やりたい!」と食いついてくる始末である。あいつ、もはや何でもいいんじゃないか。そう思うのだが、実際に曲がいいので、彼女は純粋にそれに惹かれたのだろう。そう思いたい。

 そんな風に鍵太郎が同い年たちの反応を思い返していると、本町が呆れたように言ってくる。


「まあ、根回ししとくのはいいけどよ……というか、湊。まさかおまえ、選曲会議まですっ飛ばそうなんて考えてないよな?」

「うーん。実質的に決まってるなら、やらなくてもいいんじゃないかって俺は思うんですけど」

「うわー、危ねえ……」


 これだから、大人になる途中のヤツは怖えんだ――などと先生が言うので、それは一体どういうことかと、鍵太郎は口を結んだ。

 これでも、自分なりに考えて最良と判断した行動をしているつもりなのだが。不満――というほどでもないが理由が分からず渋い顔をしていると、本町は苦笑して言う。


「あー、すまんすまん。別に馬鹿にしてるわけじゃねえんだよ。むしろ、なんつーかな。一生懸命やってるからこそ、やってることがチグハグに見えるというか。

 えーと、あのな。おまえ、あれだろ。会議とか、ぶっちゃけめんどくせーと思ってるだろ」

「ええと……まあ、はい」


 そこで否定してもこの先生には見抜かれると思い、鍵太郎は素直にうなずいた。

 選曲会議はその年のパートリーダーなどで行われる、コンクールの曲を決めるための会議だ。

 しかしもう最初から結論が決まっているなら、別にそんなものやらなくてもいいのではないか――と、こちらとしては思うのだが。

 どうやら本町は違うらしい。どう説明したものかな、と頭をかきつつ、先生はこちらに言ってくる。


「うーん、と。あのな。今回はまあ、それでなんとかなるとは思うよ。けど、そこまでやったんだったら、形だけでも会議はしっかり開いとけ。ふわっとした個別の口約束だけで事を進めると、後で思わぬしっぺ返しを食らうことになるかもしれないからな。

 今のおまえになら分かると思うが、会議の目的っていうのは、みんなで集まって何かを決めること、じゃない。どっちかっつーと重要なのは『全員が全員の前で、出した結論に了承した事実』を作ることなんだ」


 そこをきっちりしておかねえと、下手したらギリギリになって『いや、それはみんなで決めたことじゃない』なんて言われて、盤面をひっくり返されることになるからな――などと。

 自身もそんな目に遭ったことがあるのか、本町は苦笑いのまま続けてきた。

 そういえば、自分は部長になってから、会議など本格的に関わるようになったが。

 この先生はそれよりもはるかに多く、そういった場を経験してきているのだった。

 そんな本町からしてみれば確かに、全員の言質まで取っておきながら会議を開かないというのは、詰めが甘いといった風に思えたのかもしれない。


 やりたいことがある。

 けれど、こちらはまだ、それを実現させるための方法を掴み切れていない。

 だからそんな自分のことを、先生は危ないと評したのだろう。上手くやっているつもりでも、大人からすればまだまだ不安定だということだ。

 説教されているようにも感じられるが、本町自身が自分の失敗を語っているようにも思えるので、そこまで反感を覚えたりはしない。

 そういう意味ではこの先生、やはり親しみやすい方だよな――と。

 鍵太郎がそんなことを考えつつ本町の話を聞いていると、先生はそんなこちらを見て、一息ついて言ってくる。


「ま、会議なんて誰だって面倒くせーよ。アタシだって、できればやりたくないさ。けど、これから先、自分のやりたいことを実現させるためにも、そういう機会はおろそかにしねえ方がいいぞ。いいな?」

「はい」

「うん、よし」

「戦いの前から、もう戦いは始まっている。むしろ争いの種は事前に潰し、戦いを起こさないことこそ至上の戦略――ということですね。分かりました」

「……人のこと言えねーけど、今すごく悪い顔してるぞ、おまえ」


 まったく、アタシはとんでもねえのを育ててるんじゃねえか――と本町は半眼でこちらを見てきたが、本当に人のことを言えない。

 まったく、誰の指導の元やってきたのだと思っているのだろうか。

 これまで面倒くさくても、幾度となくこんな生徒に大人として接してきてくれた、この人がいたから――


「……って、あれ?」


 と、そこで。

 ふとあることに気づいて、鍵太郎は声をあげた。

 最後のコンクール。

 そこで指揮を振るのは誰か。

 そして、そこまでの本番で指揮を振るのは誰か――


「ちょ、ちょっと待ってください。そういえば次の慰問演奏、先生が俺たちの指揮を振る、最後の本番じゃないですか!?」


 それを考えると、実は次の本番が、本町が自分たちの前で指揮を振る最後の機会になるわけで。

 その後は合同バンド、コンクール、学校祭――となるわけで、そうなるとそれらの本番は、これまでの流れからしてあの外部講師の先生の指揮になるのは明らかだった。

 卒業式は歩く側になるのでカウント外である。慌てて鍵太郎がそう言うと、顧問の先生は実にあっさりした調子で返してくる。


「ああ、そっか。そうなるか」

「いや、そうなるかって……危うく見過ごすところでしたよ!? 先生自身も忘れてたんじゃないですか!?」

「あー、うん。この先ばっかり考えてて、失念してたな、そういや。しょうがねえや」


 そう笑って言う本町に、今この段階で気づけてよかったと鍵太郎は思った。

 三年生ということで、ひとつひとつの本番が最後になるとは分かっていたものの。

 まさかこんなにも早く――その機会のひとつがやってくるとは思わなかった。

 別にこの先生がいなくなるわけではない。慰問演奏が終わった後も、引き続き顧問として今まで通りここにはいる。

 けれども、指揮者として一緒の舞台に立つのは次が最後だ。そのことに、何も感じないわけではない。


 あの外部講師の先生に棒を渡すのは、確かに順当といえば順当なのだろう。

 なにしろ、プロの演奏家である。本町とあの残念イケメンのどちらの指揮がいいと言われたら、大体の人間が後者を選ぶはずだ。

 それは、自身も低音楽器としてリズムを刻む鍵太郎にも、納得できてしまう事実だった。それほどあの外部講師の先生の指揮は、綺麗なのだ。

 コンクールでどちらを――と訊かれれば、それはこの先生の後輩の方と言うしかない。


「……けど」


 それでも、自身でも呆れるくらい冷徹な計算の片隅で、考える。

 本町の指揮。

 今まで何度も見てきているので知っている。この先生の振り方には、少しだけ『訛り』があった。

 テンポに合間のかすかな溜めやひっかけなど、わざとやっているのかは知らないが――その間の取り方はこの二年間一緒にやってきて、こちらの呼吸にも染みついている。

 あの外部講師の先生にはない、癖。

 音が人によって違うように、指揮も人によって違う。

 それならば――


「……先生の指揮、俺は好きですよ」


 今度の本番での曲は、むしろ本町の指揮の方が合っているのではないだろうか。

 そう思って、鍵太郎は本町にそう言った。

 演歌に民謡、時代劇に唱歌なのだ。それをこの人が振ると、他の人が振るのとはまた違う熱が出てきて――こっちまで気合いが入ってしまうから不思議だった。

 この先生の指揮があるから、あの本番はあそこまで盛り上がるのだ。

 そんなことを思いながら、いつの間にか下を向いていた頭を鍵太郎が上げると――

 本町は、狐につままれたような顔をしてこちらを見ていた。


「……」

「……先生?」

「いや……びっくりした。はは、嬉しいこと言ってくれんじゃねえの、てめえ」


 まったく、本当に末恐ろしいガキだな、おまえは――と。

 先生はとてもとても、愉快そうに笑った。それが生徒が育ってきた喜びからなのか、本町自身の嬉しさから来ているのかは、鍵太郎には判断がつかない。

 ただ――しかし。


「ま、アタシを口説こうなんて百年早い。せいぜいもっと、経験を積んでから出直してこい――と言いたいところだけどよ。

 それでも――そう思ってもらえるなら、せいぜい張り切ってやりましょうかねえ!」


 先生がそのまま、いつもの見慣れた人の悪い笑みを浮かべたので、鍵太郎はそれに釣られて笑った。

 入部以来ずっと見続けてきたその顔は、こっちにだって染みついている。

 まったく、誰の指導の元、ここまでやってきたのだと思っているのだろうか。

 まだまだ詰めが甘くて、不安定かもしれないけれど。

 それでも大人になる途中の自分は、この先生に最後まで、とことん付き合うつもりである。

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