先輩と後輩の系譜
※主な登場人物
・湊鍵太郎…三年生。部長。チューバ担当。
・宮本朝実…二年生。バリトンサックス担当。
・宝木咲耶…二年生。バスクラリネット担当。
・大月芽衣…一年生。チューバ担当。
・千渡光莉…三年生。副部長。トランペット担当。
「後輩ができましたー!」
と、諸手を挙げてそう叫んだのは、湊鍵太郎のひとつ下の後輩である宮本朝実だった。
この部に入って一年経ち、ついに彼女にも後輩ができたのだ。
ずっと先輩しかいなかった環境で、急に年下の子がやってくると、それだけで何かテンションが上がる。
去年は自分もそうだったなあと、鍵太郎がしみじみ昔を思い出していると――
テンションが上がりすぎた朝実が、その新一年生、大月芽衣の胸をもみ始めた。
「わー。意外と大きいですー」
「ぎゃああああっ!?」
いきなりの先輩の暴虐に、当然のごとく後輩が悲鳴をあげる。
流石にこれは、はしゃぎすぎだろう。目の保養――いや、目の毒だ。
部長として、これは注意しなければならない。
そう思って、鍵太郎は朝実に言う。
「こら、宮本さん。そういうのはもう少し仲良くなってからにしなさい」
「仲良くなってもダメだと思うのですが!?」
必死に抵抗しながら言ってくる芽衣だが、朝実はまるで聞いていない。
それどころか嬉しさのあまりさらに舞い上がって、過剰なスキンシップを図る始末だ。
もう一度止めに入るべきか、迷う鍵太郎だったが――かつて卒業した男の先輩が言ったように、こういうときにしつこく止めに入ると、かえってとばっちりを食うのである。
というか、こういうものの仲裁には、もっと適した人物がこの低音パートにはいるはずだった。
むしろ彼女なら、この状況を率先して止めに入るはずなのだが。そう思って鍵太郎が、同い年の宝木咲耶を見ると。
彼女はなぜか朝実たちではなく、別の方を向いている。
「宝木さん、何を……」
「……邪な気配を感じる」
その言葉に、何事かと鍵太郎が咲耶と同じ方向を見てみれば――
朝実と同じく二年生になったクラリネットの後輩が、闇のオーラをまとって前髪の隙間からこちらを見ていた。
「…………」
その気迫に恐れおののいていると、咲耶が決意を固めた顔で言う。
「……あれは、私が抑えておかないといけないんだ。そう思うよ」
「はい……よろしくお願いします……」
元クラリネット吹きであり、あの後輩の面倒を見ていた咲耶であれば、彼女の負の感情の暴走も抑えられるだろう。
そう思って、ガタガタ震えながらうなずく。狙われているのは自分ではなく芽衣なのだろうが、あの雰囲気からすると全てを巻き込んで突っ込んできそうで、とっても怖い。
もっとも、そんなやり取りをしている間にも標的になっている新入生は、先輩からちょっかいを受け続けているわけで――
「では、わたしのことはお気軽に、アサミン先輩と呼んでください! さあさあ盛り上がって参りました、これから何をしていきましょうかー!」
「なんなんですかーっ!? やっぱりこの吹奏楽部、すごく変な人ばっかりですー!?」
そんな後輩の魂の叫びに、鍵太郎はうんうんとうなずいた。
吹奏楽部は変人の巣窟。
ここに入るとどんな常識人でも、いつしかおかしくなっていってしまうのである。
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「ふーん。チューバに新入生入ったんだー。よかったわねー」
そして、そんな変な人代表・鍵太郎が後輩たちのことを放っておい――そっとしておいていると。
同い年の千渡光莉が、なぜか棒読みでそう言ってきた。
本来ならチューバという楽器は吹奏楽部においてとことんまで不人気で、誰もやりたがらない楽器だ。そこに真っ先に新入部員が来て、吹奏楽部の華、トランペットを担当する光莉は面白くないのかもしれない。
そう思った鍵太郎は、半眼でこちらを見つめてくる同い年に言う。
「なんだよ、トランペットは黙ってたって人が来るだろ。たまたま先にチューバに来ただけだよ」
「いや、そういう問題じゃなくて……」
「じゃあ、どういう問題なんだよ」
「し……知らないわよ!? 自分で考えれば!?」
重ねて訊いてみるが、光莉は答えてくれなかった。
引き続き鍵太郎が首を傾げていると、いつものように顔を真っ赤にした光莉は、ビシッと鼻先に指を突き付けて言ってくる。
「と、ともかく! あの子に変なことするんじゃないわよ!? ただでさえあんたは、誤解を招きやすいんだから!」
「しねえよ、するわけないだろ」
言いはしたけど――とは流石に、そのまま鉄拳が飛んできそうで口にできなかったが。
誤解どころか、最初からもう本性などとっくにモロバレしているわけだが。勧誘の際にあの一年生とあったやり取りを思い出して、鍵太郎はわずかに視線を逸らすが、幸い同い年はそれに気づかなかったらしい。
むしろ、その動きは件の新入生を見たのだと思ったのだろう。
ちょうど顔の向きが変わったことで、ぎゃあぎゃあ騒ぐ後輩たちが目に入ってきて――
その光景を眺めて、鍵太郎は同じものを見る光莉に言う。
「……放っておけなかったんだよ、話を聞いてたらさ」
今でこそ、ああして先輩に手荒く歓迎されているものの。
中学のときに芽衣は、「小さいから、この大きな楽器には向いていない」などと言われていたらしい。
それで彼女は、この部活に入ることを拒否していたわけで――
けれど、それを無理矢理自分が、こちら側に引っ張り込んだのだ。
人に何を言われても、やりたいんだったらやればいい、と言って。
「なんかさ。あの子も中学のときに色々言われたらしいんだ。だから最初は楽器もやりたくないって言ってたんだけど、俺が説得したんだよ。好きなものは好きなんだからしょうがないだろ、って」
「……そう」
そのセリフに、中学のときに似たような境遇だったであろう光莉は、言葉少なにうなずいた。
彼女もまた、一時は周囲の反応に過敏になって、部活に入ろうとしなかった身だ。
だからこそ、あの新入生の気持ちが分かるのではないか――そう思って、鍵太郎は続ける。
「俺も昔はよく、小さい小さいって周りから馬鹿にされてたからなあ。なんか他人に思えなくて」
「……あんまり同情しすぎるのは、よくないと思うわよ」
「分かってる。でもやっぱり、なんだ――そのままにしちゃ、いけないと思ってさ」
同情、と言われればそうなのかもしれない。
それでも、あのまま芽衣を追いかけなければ、彼女は嫌な記憶に苛まれ続けることになっていたはずだ。
だったら、力になってやりたいと思った。
できることは数少ないかもしれないけれど――それでも、暗闇に一年生を放り出す気には、どうしてもなれなかったのだ。
すると、光莉はため息をついて言ってくる。
「……まあ、あんたがそういうやつだから、私もここにいるわけだし。その辺は、しょうがないか……」
何がしょうがないのかは、相変わらず分からないのだが。
それでもこの同い年が、自分と同じパートにあの後輩が入ることを、認めたのは確からしい。
副部長でもある光莉が、あの後輩の力になってくれるならありがたい。
そう思っていると、なんとか朝実から逃れてきたらしい芽衣が、こちらにフラフラと近づいてくる。
「な、なんなんですか、あの先輩は……。セクハラ魔人みたいな人なんですけど……」
「あー、うん。ちょっと前に卒業した先輩が、色々と変な人でね」
後輩の発言に、一瞬鍵太郎の脳裏に、ひとつ上のバスクラリネットの先輩の姿がよぎる。しかしまあ、それはこちらも目を逸らして、誤魔化すとして。
問題はその視線の先に、新入生を前に話しかけづらそうにしている、光莉がいることだった。
自分の前では顔を真っ赤にして、時には怒鳴ってくることもある、この同い年ではあるものの――どうも実は案外、人見知りをする方らしい。
なので、この組み合わせは少し心配でもあったのだが。
先ほどのやり取りが功を奏したのか、光莉は芽衣に対して「……あのさ」と口を開く。
「この部活に入って……たぶん、よかったと思うわよ。最初はすごく変なところだと思うかもしれないけど、そのうち段々、慣れてくるから」
「……ええと」
いきなり初対面の先輩に真面目なことを言われて、どんな反応をしていいか分からない、といった風に後輩は口ごもった。
そして戸惑う一年生に、その当の副部長もやはり何を言っていいのか思いつかない、といった調子で――つまりは光莉自身も半ばパニックといった状態で、その先を続ける。
「だから、その……あ、あなたはそこにいられることに、感謝しなくちゃいけないと思うの。どんなに望んでも、その場所にいられない人がいて。どんなにその楽器を吹きたくても、吹けない人だっているんだから――ええと、あの、と、とにかく……がんばりなさい! こいつの手がかからないくらいに! すっごい、上手くなるの!」
「さっきまでいい感じだったのに、それが最後まで持たないのか、千渡……」
「あーもう、うっさいバカ! 音楽バカ!」
「あのう、一体なんなんでしょうか、これ……」
突然始まった先輩たちの言い合いに、置いていかれた後輩は呆然とつぶやいた。
それはそうだろう。自分だって光莉だって、最初は先輩たちのテンションの高いやり取りを黙って見ていることしかできなかったのだ。
それがいつの間にか、こちらが見られる側になっている。
そのことに、鍵太郎が不思議な気持ちになっていると――同い年は結局いつもの調子に戻って、ビシッとこちらを指差してくる。
「あと、こいつは本当、注意した方がいいからね!? 楽器吹きすぎて、バカになっちゃったんだから!」
「あ、それは何となく分かります」
「この流れに物怖じせずに入ってくるの、新一年生なのに!? 何うちの子、将来性ありすぎ!?」
「親バカか! まあいいわよそれで! せいぜいそう思ってればいいわよ、バーカ!」
音楽バーカ!! と、ひときわ大きく叫び。
光莉はドスドスと足音をたて、その場を立ち去っていってしまった。
何なのだ、とそんな同い年の背中を見送っていると――芽衣が首を傾げて言う。
「……私は、励まされたんでしょうか」
「うん、まあそうなんじゃないかな」
言い方が言い方なだけに分かりづらかったろうが、あれはあれで、彼女なりのエールなのだろう。
自分と同じ、楽器を捨てそうになった者にかける精一杯の言葉。
変に同情もせず、やるべきことを言うだけというのが何とも、光莉らしいといえば光莉らしい。
「……きつい人かと思いましたけど、意外と、いい人です」
「うん。あいつ、いいやつだよ」
芽衣のつぶやきに、鍵太郎は笑ってうなずいた。
あの同い年だって大変なことがたくさんあったけれど、それに負けず一生懸命がんばってきた。
だから副部長になったのだ。そう説明すると後輩は、「あ、あの人は副部長さんなんですね、なるほど……」と納得したようにうなずく。
その様は、これからこの場に馴染んでいこうとする、真剣な新入生の態度そのもので――やはり彼女は自分が一年生のときより、よほどしっかりしているように思えた。
先ほどは親バカなどと言われたが、この後輩はどうにも、娘といった感じではない。
そう、まるで――
「なんか、妹ができたみたいだな」
面倒をみないといけないけれど、こちらの間違いには容赦なく突っ込んでくる、心強い存在ができたような。
あのバリトンサックスの後輩が来たときもそうだったけれど、彼女の方がどちらかというと放っておくと何をしでかすか分からない、娘のような存在である。
まあ、結局はどっちも、家族のようなものなのだが――そう鍵太郎が考えていると芽衣は、それが自分のことを指していると察したのだろう。
困ったように眉を寄せ、こちらに訊いてくる。
「……妹、ですか」
「うん。俺、ずっと一人で吹いてきたからさ。同じ楽器に後輩ができるって、なんかスッゲー嬉しいんだよ」
「……」
そう答えると新入生は、先ほどと同じようにどんな反応をしたらいいか分からない、といった風に沈黙した。
でも、それが正直なところなのだ。あの人がいなくなって以来、自分はずっと一人であの大きな楽器を吹いてきた。
だから、一緒にできる存在ができたことが、何よりも嬉しいのだ――そして、それは奇しくもかつて鍵太郎の隣にいた、あの卒業した先輩と同じセリフだったのだが。
しかしそこは大月芽衣、ただの一年生ではない。
彼女は先輩の言葉の意味を図るべく、額に指を当て――やがてこちらを見上げ、不可思議そうに言ってくる。
「お兄ちゃん」
「――」
その単語に鍵太郎の視界が、グラッ、と揺れた。
しかしすんでのところで正気を取り戻し、彼は頭を振って意識を覚醒させる。
「……あ、危ねえ危ねえ。なんか俺、今新しい世界に目覚めそうになったぞ」
「……なんですか、それ」
「いや、なんでもない。なんでもないぞー」
「……なるほど。理由はまだ謎ですが、注意した方がいいということだけは、確かに分かりました」
やっぱり、この吹奏楽部変な人ばっかりです――と半眼で言う芽衣に、鍵太郎はやれやれと心の中で苦笑した。
まったく、ひとつ下の後輩のことを言えたものではない。
知った顔をして、悟ったふりをしていたけれど――
やはり内心では自分も彼女と同じように、諸手を挙げて大はしゃぎしていたのだろう。




