それがあなたの十八番
※主な登場人物
・大月芽衣…一年生。チューバ経験者。
・湊鍵太郎…三年生。吹奏楽部部長。
「よーし、こういうのなら私たちの十八番だあ!」
「よーし、思いっきり楽しくやっちゃうよー!」
と、先輩らしき双子の姉妹が太鼓を前にして言うのを、大月芽衣は楽器を持って眺めていた。
吹奏楽部に入るつもりはなかったのに、音楽室に来た途端あれよあれよという間に引きずりこまれて、この有り様である。
新一年生も加わってやる今回の合奏は、色々な意味で心配だらけで――中学生のときに慣れ親しんできたものとはいえ、このチューバという大きな楽器は小柄な芽衣にとって、やはり手に余るサイズだった。
数ヶ月ぶりに吹いて、ちゃんと音が出るのかという不安もある。
もし出来なかったらどう思われてしまうんだろう、という怖さもある。
けれど、今の打楽器の、双子の先輩を見ていたら。
そして――
「じゃ、やってみようか」
隣にいる、湊鍵太郎という先輩を見ていたら。
少しだけ、どうにかなるのではないかという思いが湧いてくるのだ。
逃げ出したいギリギリのラインで踏みとどまって、芽衣は先輩の言葉にひとつ、うなずいた。
曲は民謡の『八木節』。
楽譜の最初に強くと書いてあるのを見て、彼女はそこに飛び込む覚悟を決める。
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音楽室が轟音で包まれて、芽衣はその感覚に、懐かしさと驚きを覚えた。
鼓膜をビリビリと揺らす振動に釣られて、久しく動いていなかった部分が目を覚ますのが分かる。
そして同時に、その音がこれまで知らなかった深さを伴っていることに、彼女は気づいていた。
やはり高校生、中学生とは勝手が違うか――と思いながら、それしか知らないので思い切り吹く。
大丈夫、音は出ている。
貧弱だろうと汚かろうと、何もできないよりはマシだ。
だったらこのまま、最後まで走りきるしかない。
そう思って必死で指を動かしていれば、隙間から先ほどの打楽器の先輩たちがやっていた、太鼓の音が聞こえてきた。
こういう曲だ、本来であれば和太鼓を使うのだろう。
だが今は、普段使っている楽器しかない。それをなんとか工夫して、それっぽく聞かせているのだ。
けれど――なぜだろう。
その音が本物の、祭りの太鼓のように感じられるのは。
遠くから響くリズムに、同じように遠くで流れる笛の音。
まるで縁日に来ているようだった。
浴衣で屋台を回っているようで、なんだかワクワクしてしまう。
思い切り楽しくやっちゃうよ、というあの言葉は、実は本気で言っていたのかもしれない――そう思った芽衣は、聞こえてくる太鼓の音に合わせて、自分もビートを刻み始めた。
そうすると、吹くのがだいぶ楽になる。
身体が軽くなって、もうちょっと足を伸ばしてみようかな、という気分になる。
賑やかな雰囲気の中で、誰かが歌い始め――
それに全員で合いの手を入れれば、祭りの中心が一気にこちらにやってくる。
ちょうちんに屋台、石畳といった光景が目の前に広がっていて、彼女はオレンジ色をした明かりの中をキョロキョロしながら歩いていった。
水ふうせんや金魚すくい。どこからともなく風鈴の音もして、浴衣なのにそのまま走り出したい気持ちになる。
そうこうしているうちに間近を神輿が通り過ぎていって、運ばれていくそれを芽衣は仰ぎ見た。
神社の鳥居から奥を覗き込めば、そこから何かが出てきそうで、くすくす笑いながらその場を逃げ出す。
いつの間にか一緒に、自分を音楽室に引っ張り込んだあのトロンボーンの先輩がいたような気がしたけれど、人ごみに紛れてどこかに行ってしまった。
でも、きっとあの人も笑っていたのだろう――そう考えて雑踏に戻ると。
そこで楽譜が途切れて、芽衣は迷子になってしまった。
「――!?」
見れば繰り返しの記号が付いていて、楽譜のどこかに戻ればいいというのは分かる。
けれど、どこに行けばいいのかパニックになった頭では見当が付かない。
再び始まった騒ぎにもみくちゃにされながら、今どこにいるのかを探る。あんなに楽しかったのに、乗り切れなくなってからは泣きそうで、小さな自分はこのまま一人で溺れてしまいそうだった。
やっぱり、ここには来るべきではなかったのだ。
多少経験があるとはいっても、自分は根本的にこれには向いてない。
それなのに、調子に乗った結果がこの様だ。
中途半端で、何もできない役立たず――彼女がそんな風に思いかけたとき。
「――」
隣にいた先輩が。
湊鍵太郎、という人が突然、二人分もかくやという音を出し始めた。
いま、ここだぞ――と言われたような気がして、芽衣ははっとしてそれを頼りに、居場所を割り出す。
聞こえてくる音を死に物狂いで辿っていけば、出た場所で先輩と鉢合わせることができた。
よかった――と安堵のため息をつく暇もない。
今度ははぐれないよう、背中にかじりついていく。何だかおぶわれているようで癪だったけれど、そうでもしないとまた同じ目に合ってしまいそうだったから。
そのまま二人で、石畳の上を歩いていく。
特に、何を責められるわけでもなかった。
芽衣が戻ってきてからは、隣から聞こえてくる音は通常のものになり、曲も何事もなかったかのように進んでいく。
「……」
そして、そんな先輩の姿を見て、彼女は思う。
自分にないものを全部持っている、この人がすごく羨ましい。
こんな初歩的なことさえ見逃した、自分がとても情けない。
けれど、この人なら――
ひょっとしたら、自分のことを裏切らないでいてくれるのではないか、と。
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「ああ、楽しかったー」
「……」
と、合奏が終わった後。
隣にいた先輩は――湊鍵太郎は、伸びをしながらそう言った。
聞けばこの人は、部長でもあるらしい。
女所帯の吹奏楽部で、唯一の男子部員が部長というのはあまり聞かない、というか可能性としてはほぼ皆無に等しい。
何かあったのか、ただ単に押し付けられただけなのか。
どちらにしても、きっとたくさん苦労をしてきたのだろう――芽衣がそう思っていると、先輩は言う。
「きみは、どうだった?」
「……はい。楽しかった、です……」
お世辞でもなんでもなく、久しぶりに合奏をするのは楽しかった。
途中でハプニングはあったものの、それを抜きにすれば、とてもいい時間だったと思う。
元々、楽器を吹くこと自体は好きなのだ。
でも、だからこそ――
「じゃあ」
「でも、すみません……。私はやっぱり、吹奏楽部には入らない、です……」
これ以上の迷惑をかけたくなくて、芽衣は先輩に小さくそう言った。
きっとこの人は、自分のことを裏切らないのだろう。
けれどそれは、こちらに何かあったとき、常に先ほどのようなフォローを入れられるということでもある。
それはずっと、足を引っ張り続けるということだ。
「……私は小さいから、あまりこの楽器には向いてませんし。今もやっちゃいましたし……」
だったら最初から、自分はここに居ないほうがいい。
どうあがいたところで、物理的にこの大きな楽器を扱いきれない――つまり成長限界が決まっている以上、永遠にこの人には追いつけないのだから。
好きだけれど、やりたいけれど。
それでも初心者でも体格のいい男子を入れた方が、この部のためだろう。
「でも、楽しかったんだろ?」
「……それは」
「向いてるとか、向いてないとか。できるとかできないとかで、やりたいことを諦めるのはよくないよ。もったいない」
「……あなたに」
その言い方がどうも、上から目線のように感じられて、芽衣は口調に圧を込めた。
思い出すのは、中学の時の出来事だ。
コンクールのメンバーから外されて、自分の頑張りが足りないのかと思っていたら。
音楽室で先輩たちが、「あいつは小さいから、そもそもこの楽器を吹くべきじゃない」と言って笑っていたときのことだ。
本当に、悔しかったけれど。
たくさん泣いたけれど。
現に、その通りだったのだ。
何とか見返してやると思って臨んだ最後のコンクールも、特に結果を残せなくて――自分がこの大きな楽器を吹くべきではないと、さらに思い知らされることになった。
だからもう、辞めた方がいい。
また同じ間違いを繰り返す前に、この人を巻き添えにする前に、引き返した方がいいのだ――
そう思って芽衣は、泣きそうになりながら隣にいる先輩に、言葉を突きつける。
「私の気持ちが分かるんですか。この楽器を吹けるくらいの身長があって、上手くて、この楽器を扱えるだけの力がある人に――私の気持ちが分かるんですか」
それは、ほとんど八つ当たりのようなものであったろう。
口にしてから後悔するような、みっともない負け惜しみだ。
でも結局自分ではどうにもならなくて、心のままを吐き出してしまう。けれどその汚さが、今はかえってよかったのかもしれない。
ここまで言ったのだ、この人はもう自分のことを勧誘したりはしないだろう――そう思う芽衣に。
吹奏楽部の部長は、きょとんとして。
なぜか肩を震わせ――こちらの戸惑いを、快活に笑い飛ばし。
ただ一言を、告げてきた。
「分かる」
《参考音源》
八木節
https://www.youtube.com/watch?v=RkR-oj0epwE




