狙った獲物は逃さない
※主な登場人物
・湊鍵太郎…三年生。吹奏楽部部長。チューバ担当。
・本町瑞枝…吹奏楽部顧問。
ぶつかった衝撃で、持っていた楽譜が廊下に飛び散る。
紙切れが宙に舞う中で、女の子がスローモーションで倒れていって――
湊鍵太郎は、あれ、この光景どこかで見たことがあるぞとふと思った。
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その、少し前。
「なんで俺が、楽譜のコピーをせねばならんのだ……」
鍵太郎は職員室のコピー機の前で、手を動かしつつぼやいていた。
昼休みに顧問の先生から頼まれたのは、今度の老人ホーム慰問で演奏する曲の、楽譜コピーだ。
『八木節』とタイトルの書かれた紙を、メガネをかけて慎重にセットする。印刷されて出てきた楽譜を確認して、鍵太郎はふむとうなずいた。
相変わらず手先は不器用だが、コピー機の扱いだけはだいぶ長けてきたように思う。
恐らく日本一、コピー機の扱いに習熟する部活は吹奏楽部なのではないか――そんなことを考えながら、作業を続ける。
「しかし、『大江戸捜査網』は今回見送りか……かっこいい曲なんだけどなあ。片柳になんて言おう……」
その慰問演奏の候補曲として言ったものの、それがあえなく却下されたことを思い出し、鍵太郎はため息をついた。
顧問の先生曰く「年代的にその曲はちょっと新しすぎるから、パス」ということで、結局やるのは今コピーしているものになったわけだが――同い年のホルン吹きから、がっつり冷たい眼差しを向けられると思うと、どうにも顔が引きつってくる。
となると後の本番、例えば学校祭などで、彼女がやりたいと言った曲をぜひともやるしかない。
怒らせると後が怖いのだ。部長になっても三年生になっても、相変わらず女性陣に頭が上がらないことに何とも言えない気分になりつつ、鍵太郎はコピーを終えた。
「さて、先生に届けに行くか」
現在あの顧問の先生は、根城の音楽準備室にて見学に来た新入生へと配る、部活の資料を作っている。
元からある程度の数を作ってあったようだが、昨日の新入生歓迎演奏の反応を見て、増刷を決めたようだ。
だからこそこちらは、この雑事を引き受けたわけで――今年もたくさん一年生が入るといいな、などと。
少し浮かれた気分で歩いていたからだろう。
「うわっ!?」
「うにゃあっ!?」
鍵太郎は職員室から出た途端、誰かとぶつかった。
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衝撃で、持っていた楽譜が廊下に飛び散る。
紙切れが宙に舞う中で、小柄な女子生徒がスローモーションで倒れていって――
鍵太郎は、あれ、この光景どこかで見たことがあるぞとふと思った。
しかし『あるもの』が目に入ったことによって、それも意識の彼方に吹っ飛ばされていく。
そんな、まさか。
いくらメガネをかけたからといって、ここまで見えるなんて――
「あいたたたたた……」
「あ……ごめん、大丈夫?」
と、そこで尻もちをついた女子生徒が腰をさすって声をあげたので、鍵太郎は慌ててぶつかってきた相手に手を差し出した。
幸いというかなんというか、相手の背丈が低かったおかげで、こちらには特に衝突のダメージはない。
むしろその女子生徒の方が踏ん張り切れなかったらしく、跳ね飛ばされて廊下に叩きつけられている。
真新しい制服を着て、少し太めの眉をした、一年生らしきその女子生徒。
彼女は――
「あ、きみ……」
昨日の歓迎演奏で、じっとこちらを見ていた人物で。
立ち上がった女子生徒に記憶を重ね合わせて、鍵太郎は思わず声をあげていた。
それは向こうも同じらしく、手を借りたままの姿勢で、ぎょっとしたように目を剥いている。
そのままお互い、しばらく硬直していたものの――
先に我に返ったのは、鍵太郎の方だった。
「あ――ちょ、ちょっと待って!? それ、踏まないでくださいぃぃぃっ!?」
「……!」
そういえば、ぶつかった弾みで持っていたものが、廊下に散らばっているのだ。
通行人に踏まれそうになっている楽譜を、必死になってかき集める。すると流石に悪いと思ったのか、ぶつかった女子生徒もこちらを手伝い始めた。
しばらく二人で作業を続け、ほぼ全部を回収し。
鍵太郎がほっとひと息ついて、確認のため床を見回していると――
「……」
女子生徒が楽譜の一枚を、じっと見つめていて。
何を見ているのかと覗き込んでみれば、それは鍵太郎が吹いている楽器、チューバの譜面だった。
「……気になる?」
リズムを取っているのだろう、少しだけ頭を動かしている彼女へ、そう声をかけてみる。
昨日の感じからして、どうも経験者のような気がしていたが、やはりそうか。
言われた本人はなぜかハッとした様子で目を逸らしたが、興味があるのは明白だ。
自分が卒業すれば、あの大きな楽器を担当する部員は誰もいなくなってしまう。
なら、ここで会ったのも何かの縁だ。
なんとしてもこの子には、部活に入ってもらわなければ――そう思って、鍵太郎は続ける。
「昨日も演奏の後、こっち見てたよね。ひょっとしてチューバやってた?」
「べ、別に……私は、何も」
「そう? 今の感じだと、すごく慣れてそうだったけど。だったら一緒にやってみない? 昨日も見てて分かったと思うけど、今チューバは俺一人しかいないんだ。だからすごく、入ってもらえるとありがたいなって――」
「だ、だから……! 私は、吹奏楽部には入りませんっ!」
「……そっか」
そこで想像していた以上の反発を受けて、鍵太郎はその先の言葉を飲み込んだ。
理由はよく分からないが、先ほどの雰囲気からして彼女には、何か事情があるのかもしれない。
となれば、ここはいったん引くのが得策だろう。
そう考え、目を合わせてくれない女子生徒に「じゃあ、気が変わったら見学に来てね」と声をかけ、鍵太郎はその場を立ち去った。
しかし、勧誘を諦めたわけではない。
貴重なチューバ経験者を、みすみす逃したりするものか――と思いつつ吹奏楽部の部長は、腕の中の楽譜の束を持ち直す。
そして。
「……あ」
しばらくして女子生徒は、自分の手の中に楽譜が一枚、残されていることに気づいた。
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「狩りの時間だ」
音楽準備室に入ると、顧問の本町瑞枝がいきなり、物騒なことを言い放ってきた。
完全に獲物を狙う鷹の目をしている。まあ、それはこちらもさほど変わらないのだろうが――と思いつつ、鍵太郎は先生が作り終えたらしい資料の隣に、持ってきた楽譜を置いた。
「まあ、どれだけ見学が来て、どれだけ逃がさないかって感じですね。欠けてるパートも優先的に埋めてかないとですし」
「おい、余裕ぶっこいてんじゃねえぞ湊。おまえの楽器がその、欠けてるパートの筆頭じゃねえか」
今年は何がどうあっても、チューバに人を入れるぞ――と言う本町に、やはり先生も同じことを考えていたかと思いつつ、鍵太郎は「いやあ」と笑う。
「実は今、目を付けてる子がいましてね。その子、どうもチューバの経験者っぽいんです」
「ほう」
頭をかきながら言うと、本町も興味を持ったのか身を乗り出してきた。
そんな先生に、先ほど置いた楽譜を指差して、鍵太郎は言う。
「なので、ちょっと仕掛けをさせてもらいました。そういった事情でこの楽譜、一枚足りないんですけど――そのうち揃うと思いますから。期待して待っててください」
「うん、おまえも悪いヤツだなあ、湊」
「いえいえ、本町先生こそ」
はっはっは。
はっはっはっは――と。
音楽準備室に、悪代官と悪徳商人――もとい。
吹奏楽部顧問と、部長の笑い声がこだました。
かつての狩られる方も、今では狩る側の代表だ。
狙った獲物は逃がさない。
入念に準備をし、罠をしかけて――
純粋無垢な鳥を捕らえるべく、狩人たちは行動を開始する。
《おまけ・参考音源》
大江戸捜査網のテーマ
https://www.youtube.com/watch?v=LV7dwfRzG9E




