きらきら星変奏曲
※主な登場人物
・湊鍵太郎…二年生。吹奏楽部部長。
・大光寺花林…二年生。生徒会長。
・本町瑞枝…音楽教師。吹奏楽部顧問。
・黒羽祐太…二年生。野球部キャプテン。
かつて、届かぬものに向かって手を伸ばす彼女に、手を貸したことがある。
まるで星を掴もうとするように、絶対無理な高さに手を伸ばした、あの小さな部長に。
彼女がきらきらと輝くそれを、手に入れられたかどうかは分からないけれど――
「……貝島先輩」
今度は自分がその星を、掴まえようとする番になっていて。
その人の名をつぶやいて、湊鍵太郎は、手にしたマレットを楽器に落とした。
慣れない鉄琴を彼女に教わったように叩くと、キン――と澄んだ音がする。
それはまるで、星の瞬きのようで。
すぐに消えてしまうそのきらめきを、何度も連ねてひとつのメロディーを作り上げていく。
それはたぶん、すごくたどたどしい動きだったかもしれないけど。
拙くても、小さくても、それは無理だと言われても。
それでも――自分たちは届かぬからこそ、手を伸ばす。
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「……で、どうしてわたくしが見学なんですの」
音楽室でそう不満げにつぶやいたのは、大光寺花林だ。
今日は音楽の授業を受けている全員で、演奏会を行うことになっている。
それぞれがそれぞれ、練習したものを自由な形式で発表するという場だ。今も花林の周りではいくつかのグループが準備をしていた。
しかし彼女だけは、音楽の先生の隣に座らされている。
するとそんな花林の発言を聞きつけて、その音楽教師の本町瑞枝が苦笑した。
「まあ、これも授業の一環だと思ってくれや。おまえの場合は練習というより、他の連中の演奏を聞いた方がいいだろうからな。それに、あれだけの腕があるんだ。練習時間もいらねえだろ?」
「当たり前ですわ! というか、だからこそ納得いかないのです!」
先日、超絶技巧を披露した花林からすれば、この扱いはまるで補習を受けさせられているようなものでしかない。
どうして自分が、そんな屈辱的な扱いを受けなければならないのか。
そうむくれる生徒に対して、本町は変わらぬ調子で言う。
「はいはい。そういう態度だからこういう扱いされてるってことを自覚しような大光寺。音楽の前では、全てが平等なの。上手いも下手も、出来るも出来ないも、地位も名誉も――まあ最後のとは切っても切れない間柄なんだが、本質的には関係ない。おまえは今回、そっちを学べばいい」
「訳が分かりませんわ、まったく……!」
先生から意味の分からない説教を受けて、花林はぷいと顔を背けた。
しかし今回は、音楽の授業だ。あくまでこの場は、教師と生徒という関係になる。
一応生徒会長でもある花林は、他の生徒の模範となるべく、渋々反抗するのを止めた。これ以上この先生に噛み付いていると、何だか負け犬の遠吠えのようだと思ったのもある。
そして――そんな彼女をよそに、自由演奏会は始まった。
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自由、という言葉が表す通り、その発表形式は様々だった。
何人かでリコーダーを吹いたり、アカペラをしたり――何を思ったのかバンドを組んで、ひたすらに心のままをシャウトするというグループもある。
しかしそのどれもこれも技術的に拙くて、特に目を引く何かがあったり、感動するということもない。
所詮は素人の集まりだ。
まあ、そんなもんですわね――と冷めた目つきで花林はそれを眺めていた。
しかし本町といえば、発表を終えた生徒たちに対して質問をしたり、人によってはアドバイスをして「うむ、よし」などと言いつつ何やらメモを取っている。
何がいいのかはサッパリ分からないが、それを今学期の成績に反映させるらしい。
一体、何がいいのか。
どういう基準で、何を判断しているのか。
それが少しだけ、気になり始めた頃――ステージに音楽室のギターを引っさげた男子生徒が一人、やってきた。
「どうも。黒羽祐太です。ギターの弾き語りやりまーす」
そうだ。どこかで見覚えがあると思ったら、彼は野球部のキャプテンだ。
この間、会議をもう一人の生徒と共に、散々引っ掻き回してくれたから覚えている。まあその件は、色々あって水に流してやったのだが――
しかし彼に、そんな特技があるのは意外だった。
しかも他の生徒たちとは違い、グループではなく一人で発表をするらしい。
よほどの自信があるのかと、花林は少し興味を持ってその生徒を見つめる。
そんな中、彼はよいしょっとイスに腰掛けて。
ええと、と弦の位置を確認して。
ゆっくりと――息を吸って歌い始めた。
それは、ずっと嘘をつき続けた男の歌だった。
アコースティックギターでの伴奏のため、歌詞はよく聞こえてくる。それはいい、それはいいのだが――いかんせん、そのギターがどうにもたどたどしい。
つっかえつっかえ、明らかに初心者だろうと分かる動きだ。
しかしその姿は、嘘をつき続けながらも必死で誠実であろうとしたと、いう歌詞と相まって妙に印象に残る。
テンポはゆっくりで、誤魔化しもしない。
乗せる歌声も、特に美声というわけでもない。
けれども、この教室の誰もが目を離せないでいるのは――彼がそれだけ、懸命に曲を紡いでいっているからだろうか。
分からない。
でも気付けば、聞き入ってしまう。
やがて、長くも短くも感じたその曲が終わったとき――彼は、ふぅ、と大きく息をついた。
音楽室が自然な拍手で包まれる。花林といえば呆然と、そんな野球部の部長を見ていた。
そしてその隙間から、本町が言う。
「うん、なかなかよかったぞ、黒羽。その感じだと自己流か? よくそこまでやれたもんだ」
「いやあ、まだまだ全然っすよ。Fのコードが難しくて……」
「あー、それな。ギターやったらまず最初に引っかかるところだからな」
そこで先生はうんうんとうなずき、やはり手元の紙にメモをしながら、続ける。
「でもな、そこを越えたらまた、いい景色が待ってるぞ。代理コードでも省略した指でもいいから、もうちょい続けてみな。楽しいぜ」
「……はい」
サラッと言う本町に、黒羽祐太は一瞬きょとんとして、そう応えた。
そして首を傾げながらステージを下りていく彼を、花林が見送っていると――
先生はニヤニヤしながら、そんな彼女に言ってくる。
「どうした大光寺? その様子だとようやく、少しは分かってきたんじゃないか?」
「い、今のは! いわゆる、ヘタウマというやつでございましょう!? あんなので、わたくしが満足するとでも!?」
「うん、そっかそっか。じゃあ次」
実に楽しそうに笑いながら、本町は次のグループを呼んだ。
この先生は、たまにこうして非常に人の悪い笑みを浮かべるときがある。
これでは、彼女が顧問をやっている吹奏楽部の生徒は、さぞ苦労しているのではないか――と、花林が思っていると。
今度はその、吹奏楽部の部員たちのグループがやってきた。
「先生、ちょっと待ってくださいね。今セッティングしちゃうんで」
その人物は、忘れもしないあの吹奏楽部の部長、湊鍵太郎だ。
他にも女子生徒が三人いて、彼ら彼女らは手馴れた様子で、自分たちの立ち位置を決めている。
その様は確かに他の生徒たちとは一線を画していて――けれど今回このグループが持っている楽器は、本来部活で担当しているものではない。
鍵太郎が持ってきたのは、グロッケンと呼ばれる鉄琴の一種だ。
周りの部員たちもリコーダーを持っていたり、ピアノの前に座ったりしている。
何でも他の生徒との兼ね合いで、いつもとは違う楽器を持たされることになったらしいが。
それでも音楽系の部活となれば、それなりのものをやってくるだろう。
そう思って花林が、多少の期待を込めて見ていれば――
「はい、お待たせしました。演奏する曲は、『きらきら星変奏曲』です」
「き、きらきら星ぃ?」
まさかの曲名を聞かされて、彼女は思わずおうむ返しにそう口にした。
きらきら星って、小さい子が歌うアレのことか。
先生も先生なら、生徒も生徒で始末に終えない。
がっかりしてため息をつくと、隣からその本町が注釈を入れてくる。
「オイ、きらきら星舐めんなよ? モーツァルトだってアレンジ曲を描いてるくらいなんだからな」
「そ、そうなんですの……?」
「そうだよ。だから単なる子どもだましの曲だって思って聞くと、びっくりするぞ。おい湊、始めてくれ」
「了解しました」
そう返事があって、スッとその場が静まり返る。
それはたぶん、鍵太郎が持っていたマレットを、鍵盤の上に持ってきたからだろう。
けれどそれだけで、こんなに空気が変わるものなのか――と、花林が訝しんでいると。
彼が、唇を動かした。
それは、始まりの合図だったのだろうか。
それとも、全く別の言葉だったのだろうか。
ただ短く、何かをつぶやいて――吹奏楽部の部長は、そのマレットを楽器へと下ろした。
「――え?」
と、そこで、キン――と。
聞いたことのない音が聞こえてきて、花林は自分の耳を疑った。
今のは、何だ。
そう思っている間にも――鍵太郎はひとつ、またひとつと音を連ねていく。
一瞬だけきらめくその響きは、まるで星の瞬きのようで。
こんな単純なメロディーなのに。
こんな儚い輝きなのに。
反射的に、綺麗だ、と彼女は思ってしまった。
「な、なんなんですの……?」
「はっはっはー。まったくやるじゃねえか、うちのガキめら」
知らず知らず出たそんな声に反応したのは、ひどく愉快そうな本町だ。
隣にいる先生は、生徒たちの演奏を聞きながら、静かに言う。
「音楽をやるのにな、複雑な構成なんてそうそういらねえんだよ。シンプルだからこそ飾らずに、素直な気持ちを伝えられるってもんだ」
眩しげに目を細めて、本町は自分の生徒たちを見つめていた。
素直な、気持ち。
それを表しているという彼は、一体今どんなことを考えているのだろう。
察しがついているのかどうなのか、先生は続ける。
「難しいことなんざ、何一つねえよ。ただそこに在って、それだけでいいんだ」
そこでグロッケンのメロディーに、リコーダーの音が入ってきた。
同じ旋律の繰り替えし。
かと思いきや――ほんの少しズラしたりするだけで、それは別の星座になっていく。
リコーダー二本が戯れて、合間に星が光っている。
ピアノもそこに加わって、それぞれのアレンジを組み合わせて、曲は進んでいった。
単純だからこそどんな形にもなる、どんな形でも表せる、不思議な旋律。
それはまるで、人の心のような――
拗ねたり喜んだり、何でもできる素直な気持ちだ。
「――」
ただそこにあるのを認めて。
それを表現すると、こんなに綺麗なのか――
目の前の演奏を聞いて、花林はただ呆然とそんなことを考えていた。
やがてひと盛り上がりして、それが過ぎ去った後に曲はもう一度、鍵太郎のグロッケンソロになる。
そして、大切なものをしまうように。
空に星を還すようにして――彼は、最後の音を叩き終えた。
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はぁ――と鍵太郎が大きな息をつくと、音楽室中から拍手が巻き起こった。
それを聞いて、やってやったぞという気持ちと、緊張から解放された疲れが一気にやってくる。
やはり慣れないことなんてするものではない。普段やらないメロディーなんてやったおかげで、だいぶ神経がすり減っていた。
まあ、でも。
少しはあの人の真似事ができたのなら、いいか――と。
鍵太郎が苦笑していると、客席の向こうから本町が訊いてくる。
「うん、よかったぞ、おまえら。元ネタは吹奏楽版の『きらきら星変奏曲』か。耳コピしてアレンジして、四人でもできるようにしたって感じか」
「あ、はい……。といっても構成が全然違うんで、結構いろんなとこを変えちゃってるんですけど……」
「いいだろ。むしろそこまでアレンジしたことを、アタシは評価するよ。四人ともよくやった。下がっていいぞ。
――で、いけそうか? 大光寺」
「……?」
最後の一節だけは、自分たちに向けられた言葉ではなく。
先生の傍らにいる花林に向けられたものであることに、鍵太郎は首を傾げた。
見れば生徒会長は自分の両手をにぎにぎと動かして、自身でもよく分からないといった調子でそれに答える。
「……前向きに、検討いたしましょう」
「ああ。期待してるぜ、おまえの『幻想即興曲』」
手が届かないからこそ。
幻に向かって手を伸ばそうという人間は、ここにもいたらしい。
顧問の先生のニヤニヤした笑いを見て、鍵太郎はそう確信した。今日の演奏会中に花林に何があったかは知らないが、少なくともそれは、あの先生の思惑通りになったのだろう。
どうやら自分は知らず知らずのうちに、彼女へと手を貸してしまったようだ。
ステージに向かって歩いてくる生徒会長に、慌てて道を譲る。
なぜなら今度こそ本当に、花林が自分の演奏をする番なのだから。
彼女は、髪をかき上げ音楽室のピアノの前に腰掛けると――
「――!」
そのまま猛然と、『その曲』を弾き始めた。
《参考音源》
きらきら星変奏曲
https://www.youtube.com/watch?v=HOV4a7lC6vE




