夢幻のメリーゴーランド
※主な登場人物
・湊鍵太郎…川連二高吹奏楽部、部長。チューバ担当。
・柳橋葵…薗部高校吹奏楽部、部長。コントラバス担当。
・戸張櫂奈…同吹奏楽部、トランペット担当。
・西宮るり子…同吹奏楽部、顧問。
「あれ、湊さんメガネかけるようになったんですか?」
湊鍵太郎へ開口一番そう言ったのは、薗部高校の柳橋葵だった。
今日は合同バンド、年が明けての初練習だ。
そういえば彼女とは、かれこれ一ヶ月以上会っていなかったことになる。
不思議そうにこちらを見てくる他校の部長に、鍵太郎はここ最近あったことを指折り数えて並べてみる。
「ええ、そうなんですよ。あれから何だかんだ色々あって。進路のこととか、後輩に告白されたりとか、風邪引いたりとか、生徒会長に因縁つけられたりとか……」
「そうなんですか。それは大変……って、ええええええ!? こここ、後輩に、告白……された!?」
「あ、断りましたけどね」
やっぱり後輩と付き合うのって、ちょっと気が引けて――と答えると、心底驚いたように目を剥いていた葵は、ほっとしたように大きく息をついた。
無理もない。自分だってあの後輩に告白されたときは、何より先に驚きが出てきたものだ。
それほど、人に好意を伝えられるというのは衝撃的なのである。
ましてや薗部高校は女子高だ。その手の話はこちらより刺激が強いのかもしれない。
詳しく説明するとその後輩の過去やその他にも様々な事情が絡んできてしまうため、鍵太郎はこれ以上この他校の生徒を混乱させないよう、話題を元に戻す。
「まあ、メガネをかけたといっても中身は変わってませんから、これまで通りで大丈夫です。逆に、そっちは何かありましたか?」
「あ、こっちはですねえ」
その問いに葵は気を取り直したのか、自分の周囲にいる自分の部活の生徒たちを見渡した。
この一ヶ月間、何があったか。
あるいは、あちらもあちらで何か変わったのか――
そんなことを考えていると、他校の部長はある一点を見つめて言う。
「まあ、まずはやっぱり櫂奈ちゃんが変わってくれたことですかね」
戸張櫂奈。
薗部高校の首席トランペット奏者だ。
去年は最後の練習でこちらの副部長と大ゲンカをしてしまったため、その後どうしたものかと少々心配ではあったのだが。
微笑むこの先方の部長の様子から察するに、もう、それを気にする必要もなさそうだった。
音出しを始める櫂奈からは、以前のような苛立った雰囲気は感じられない。
その代わりに、力強く羽ばたいていくような――やや乱暴ではあるものの突き進んでいこうという意思が、彼女の音からは滲んでいた。
その音を聞いて、こちらの学校のトランペットの同い年も負けじと音を出し始めるのだが、鍵太郎はそんな二人を笑いを堪えつつ見守る。
すると葵が、そんな部員たちを見て、やはりクスリと笑った。
「あのときは本当に、いろんなことがあったけど……結局は、元のところに戻ってきたというか。やっぱり私たちは楽器をやりたいんだな、ってところに落ち着きました。はい」
「ああ、それでいいんじゃないですか」
こっちだって似たようなものだ。
色々あって少しだけ変わった部分はあるけれど、本質的なところはまるで変わっていない。
むしろそうやって寄り道したことが、これからまたお互い一緒にやっていく上で、重要になってくるのだろうから――と。
そんなことを鍵太郎が思っていると。
「はいはいはい! みんな、のんびり音出ししてないで! せっかくの合同練習なんだから時間を無駄にせずテキパキいきましょう! テキパキ!」
薗部高校の吹奏楽部顧問、西宮るり子がパンパンと手を叩いてきて、音楽室の中は一気に慌しくなった。
「何だかあの人は、全然変わってませんねえ……」
「あ、あはははは……。で、でもるり子先生も、多少はこっちの言うこと、聞いてくれるようになったんですよ……?」
冷や汗をかきながら葵がフォローをしてくるものの、あんまりフォローになってない。
しかし結局のところはこれも、この人の本質なのだろう。
この先生の場合は変わったというか『思い出した』だけなので、相変わらずに見えるだけの話だ。
そんな風に、この一ヶ月で双方とも何があって、どうなったのか――
「まあ、まずはとにかく年明け一発目の合同バンド、いってみましょうか!」
しかしこれ以上は言葉を重ねるよりも、西宮の言う通り実際にやってみた方が手っ取り早いだろう。
こちらも練習はしてきたが、葵の口ぶりからして向こうも、かなり気合いを入れてきたようだ。
それを合わせたとき、一体何が出来上がるのか。
そう考えるとわくわくした気持ちになってきて、鍵太郎は楽譜をめくった。
曲は『ディズニー・ファンティリュージョン』。
この状況に、これほど相応しい譜面もあるまい。
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クラリネットが連符を振り撒いたら、そこから一気に世界が変わる。
それは魔法の粉のように周囲に広がり、驚くべき変化を見せていった。
ちょうど、あの引っ込み思案の後輩が告白してきたときと同じように――そう思って彼女を見れば、その後輩は相変わらず細かい動きを精緻に吹き上げている。
それに続いてやってきたのは、進撃を告げるようなトランペットのファンファーレ。
トップ同士である二人の音はその質こそ違うものの、以前のように反発はせず、むしろ競合するように光度を増して全体を押し進めていった。
それに応えるのは、鍵太郎たち低音部だ。
大木で造られた頑丈な船体を示すように、力強く彼女たちの呼び声に応じる。
彼女たちが風を孕む帆なら、自分たちはこの荒波を行く船底。
海の中を堪能したら、今度は遥かな旅に出る。
願わくば、辿り着く先が自分たちの望む夢の島でありますように――そう思いながら鍵太郎は、曲の隙間に新たな一歩を刻んでいった。
変わったものと変わらないものがあるなら、この曲はまさにその象徴だ。
メロディーは移り変わっていく。楽器もその度に変わり、たまに違ったリズムも見せるが――ベースラインは基本、同じ動きを繰り返している。
けれどもその動きもほんの僅かずつ、形を変えながら進んでいって。
芯は変わらないのに現れるものだけは違っていく、そんな自分たちのような譜面だった。
キラキラした粉を木管やグロッケンが出してきたかと思えば、その合間をトランペットのハイトーンが元気に飛び出していき。
他にも入れ替わり立ち代わり、それぞれの場面の主役が進む道を歌い上げていく。
そんなめまぐるしい曲のはずなのに、最後はいつの間にか同じメロディーに戻ってきているから不思議でならない。
けれど確実に、どこかへと進んでいっている。
堂々巡りをしているわけでは決してなく、辿り着く地点はいつも新しいものを得た先だ。
そうやって積んだ荷物と共に、二つの学校は一つになって同じところへ向かっていく。
そうなれたことに感謝すら覚えていると、曲は打って変わって、ロマンチックなワルツの場面に差し掛かった。
くるくる回るメリーゴーランド。
そのステップを葵と一緒に踏んでいると、勢い余ったのかトランペットの二人が、妙に明るい旋律を奏でて通り過ぎていってしまう。
それを心の中で苦笑して見送りつつ、鍵太郎は他の低音のメンバーと共に踊り続けた。
自分たちの学校だけでやるのとは違って、コントラバスの葵がいるとずいぶんと楽に動けるからとても助かる。
響きが増幅されて、足をつけられる部分が広くなったように感じられるのだ。
やっぱり柳橋さん、上手いよなあ――と思っていると、行き過ぎた二人が戻ってきてバツが悪そうに大人しく吹き始めた。
それを心中で笑って改めて迎え入れ、またくるり、くるりと回りながら進んでいく。
その道行きだけはまだ掴めなくて、ふわふわした雲の中で、夢のように時間が過ぎていく感じだった。
けれど何かに導かれて――その雲から抜けたなら、そこで一気に視界が開く。
最後に現れたのは、ただそこに広がるロングストレートライン。
単なる同じ音の伸ばし。
譜面は真っ白で特に何の指示もなく、ただひたすら自由なのにどこをどう行けばいいかは、本能で分かった。
青空と大海原の間を、一直線に進む。
そんな勘でしかないこちらの航路なのに、それでも少しずつ人が入って盛り上がっていくのが、楽しくてたまらない。
一段、また一段とギアを上げて目標に近づいていく。その度に周囲の色が変わっていくのに、手を伸ばしても届かなくて、じりじりとしか進まないのがもどかしい。
でも、もうすぐだ。
もうすぐ、そこに辿り着ける――これまでと同じ道を変化させ、流れていく景色の中で鍵太郎がまたひとつ、『なにか』を掴んだとき。
祝福するようにそれは輝いて、そしてそれだけを目に焼きつけて。
胸に抱く暇もなくその光は、またどこかに行ってしまった。
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「うん、いい感じになってきたねー」
曲が終わった後、指揮を振っていた先生は、いつものように楽しげに笑ってそう告げてきた。
これはお世辞でもなんでもなく、本当に上手くいっているサインだ。
合同練習は久しぶりだったがお互いの学校とも順調に仕上がってきているようで、鍵太郎はひとまずほっとひと息つく。
すると先生は、そこからさらに続けた。
「あとはここに、振り付けが入るわけだね。じゃあ応募用の撮影はもう来月だし、今度はそれも交えて、もう一回やってみようか」
「振り付け……」
と、その単語に、鍵太郎はふと隣にいる葵を見る。
彼女が弾くコントラバスは、大きさだけならこちらのチューバすら上回る大物楽器だ。
両手を使って音を出す都合上、もちろんこの楽器は演奏中に持ち上げたりすることはできないわけで。
「あの、そういえば柳橋さん、踊りとかどうするんですか? コントラバスって正直、その場から動けないですよね?」
だとしたら、葵は演出に関しては何もできないのだろうか。
何だかそれはそれで、寂しいような――そんなことを思いながら、鍵太郎が疑問を投げかけると。
彼女は存外、明るい口調で答えてくる。
「あ、私はですねえ」
そう言うと、葵は持っていた大きなその楽器を、素早くくるりと回転させた。
手品と見まごうばかりのその鮮やかな動きに鍵太郎が目を丸くしていると、それを見た他校の部長は、照れたように笑って手を振る。
「や、やだなあ。そんなにびっくりしないでくださいよ」
「いや……。まさか柳橋さんがそんな隠し技持ってるなんて、思ってなくて……」
あまりに驚きすぎてちょっと失礼な物言いになってしまったかと後悔したが、葵は特に気にした様子もない。
しかし本当に、この真面目な他校の部長がそんな芸当をするなんて、思いもしなかったのだ。
そういう意味では今日最初に会ったときのように、今度はこちらが驚かされた形になる。
本質は何も変わらないとはいっても、自分はまだまだ彼女について、知らないことがたくさんあるということなのだろう。
「……あー、もう。こりゃまだ先は長いな、ちくしょう」
それは掴んだと思っても、手に入れられないままどこかに行ってしまうはずだ。
部長としても奏者としても葵には負けていられないと思っているのに、それを思い知らされたような気がして鍵太郎はしてやられた気分になった。
この合同バンドはあのトランペットの二人もそうだが、会うたび会うたび知らなかった『本当のこと』が顔を出してくる。
くるくる回るメリーゴーランド。
回って回って、結局は同じところに戻ってくるかもしれないけれど。
夢幻の中で手を引いてくれたのは、案外、このコントラバス奏者だったのかもしれない。
《参考音源》
ディズニー・ファンティリュージョン
https://www.youtube.com/watch?v=BnqMqI0LIFM




