キリストの受難
※主な登場人物(今回は全員二年生)
・湊鍵太郎…吹奏楽部部長。
・宝木咲耶…バスクラリネット担当。
・片柳隣花…ホルン担当。
参考にしようと訊いてみたら、意外とみんな将来のことをきちんと考えていた。
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「ええとね。私は、比較宗教学部に行きたいなーと思ってる」
湊鍵太郎の問いにいつも通りにこやかに答えたのは、同い年の宝木咲耶だ。
「比較宗教学部……?」
将来、何になりたいですか――。
そんな漠然とした問いかけに、二年生も後半の自分たちは具体的な一歩目として、まず学校から進路を尋ねられているわけだが。
しかし鍵太郎としては正直部長でいっぱいいっぱいで、大学どころか志望学部でさえサッパリだった。
なので、その辺りを真面目に考えていそうな咲耶に、どうするかを訊いてみたのだが――
返ってきた答えは何というか、こちらの考えているものとはちょっと違うものではあった。
彼女が口にしたのは聞いたことのない学部だが、まあ、寺生まれの咲耶といえば咲耶らしいのかもしれない。
鍵太郎が首を傾げていると、彼女は「うん、日本でもあんまりない学部だから」と言ってくる。
「いろんな国や地域の宗教を学んでさ。その橋渡しができたらいいなと思ったんだ。ほら、最近よくその辺りの関係で、色々な事件が起きてるじゃない」
「ああ、確かに……」
少しニュースに耳を傾ければ、世界のどこかで宗教に絡んだ紛争が、いくつも起きていることはすぐに分かる。
執念、利権、理想、不安――そういったものが複雑に絡んで、今日もどこかで誰かが誰かを傷つけ合ったり、貶め合ったりしている。
けれど――
「そういうの、少しでもなくすことができたらいいなって。別に世界を平和にしたいとか、そういうんじゃないんだけど――近くにいる誰かを守れるなら、それはそれでいいんじゃないかって思ってさ」
「ああ、いいんじゃないか。宝木さんらしくて」
彼女はそれでも、その中にいる誰かを救う道を選んだのだ。
そういった職業があるのかどうかは分からないが、もしそんな活躍ができるなら応援してやりたい。
そんな気持ちで鍵太郎がうなずくと、咲耶は「ありがとう」と嬉しそうに笑った。
そして、彼女はカバンから本や色々なものを取り出してくる。
「だから今のうちから、ちょっと勉強もしたりしてるんだよ。他の宗教とか文化とか、図書室で本を借りて読んだり、曲を聞いたりしてる」
「曲?」
「うん。曲も大事な文化背景のひとつだから」
聞いてみる? とイヤホンを差し出されて、鍵太郎も興味があったので受け取った。
最初は賑やかで、まるで祭りの街中に入ったような曲調だ。
激しい部分、穏やかな部分があって、そして――
しばらく聞いているうちに、曲はバリトンサックスの妖しげなソロの後に、他の楽器が怒号のように音をかき鳴らす場面に差し掛かる。
何かを言い渡すような傲然たる旋律に、それに呼応する身勝手な不協和音たち。
これは、何を表しているんだろう。
そう思って目を向けると、咲耶はその意図を察したらしい。
淡々とした口調で、この曲の名前を告げてくる。
「『キリストの受難』」
そうつぶやいた彼女の顔は、いつものにこやかな表情ではない。
ごくごくたまに見せる、素のものになっていた。
「バリトンサックスは、裁判官の役だよ。そして他の楽器は、それを見物してる、群衆の役。つまりそのシーンはキリストさんが、宗教裁判にかけられるシーン――つまり、死刑宣告をされるところ」
「……そんな」
『キリストの受難』。
同い年が語るその話は、特にこういったものに縁のない鍵太郎も知っている。
かの主は当時の権力者たちに睨まれ、いわれ無き罪で死刑の判決を受けることとなった。
それを『娯楽』として群集は見ていたのだ。
そして彼らは、自分たちより強い者の権力を笠に着て叫ぶ。
そうだ、殺せ!
異端を――殺せ!
何をするか分からないやつを殺せ。
理解できないやつを殺せ。
あいつを放っておいたら自分たちの害になる。殺しておいた方が世の中のためだ。
ああ、自分より強い者を安全な位置からいたぶるのは、なんと心地がいいのだろう――
「今も昔も、人のそういうところは変わらないんだね」
そんな大昔の出来事を、咲耶は冷静にそう言い捨てた。
それは、彼女が他宗教の立場にいるからというよりは、彼女自身がそういった扱いを受けてきたからなのだろう。
寺生まれという特殊な生い立ち。
他と比べて綺麗に整った容姿。
それはどんなところにあっても目立つ『異端』だ。
そのせいで不当な扱いを受けたこともあったのかもしれない。思い返せば出会った当初の咲耶は、家が寺だということを隠そうとしていた。
上手く立ち回って周囲に気を遣っていかなければ、立ち行かないこともあったはずだ。
そうやってできたのが、宝木咲耶という人物だった。
けど、それでも――
「私がこれを決められたのはね、湊くんのおかげなんだよ」
この同い年は、そんな本当の素顔でもっても、微笑んでくれる。
「『好きなら、人はつながれる』。湊くんはそう言って、ずっとそれを信じて立ち向かい続けたよね。それがあったから、部活のみんなはバラバラにならずに済んだんだよ。
近くにいる誰かを守って。考え方の違いがあっても、手の届く範囲だけだったとしても――一生懸命がんばり続けた。そんな湊くんを見てたら、今度は私も、自分ができることをやってみようって思ったんだ」
だってどんな断絶だって飛び越えて、人はつながることができるんだから。
かつて二人の間で、合言葉のように言ってきたそれをもう一度口にして――咲耶は、こちらの耳からイヤホンを外した。
にっこり笑っていつもの穏やかな顔に戻った同い年に、鍵太郎は感嘆して言う。
「……すごいな、宝木さんは。すっげえちゃんと考えてるじゃないか」
「すごくないよ。さっきも言ったけど、私は自分がやりたくて、できそうなことを運よく見つけられただけだから。湊くんは湊くんで自分がやりたい、やれそうなことを探せばいいんだよ」
「やりたくて、できそうなこと……」
そんなものが、あるだろうか。
今は、部活のことで手一杯だけれども。
それが終わったとき自分がやりたい、できそうなこと――
一瞬そこで何かが浮かびかけるが、形にならずに消えてしまう。
鍵太郎がもう一度その像を結ぼうとすると、咲耶が今度は取り出した本をめくりつつ、言ってくる。
「まあ、私だって正直どうなるか分からないから、今はとりあえず勉強するしかないんだけど。でも、きっと何かに惹かれることはあるだろうから――そういうのに触れていけば、そのうち見つかるものがあるんじゃないかな」
「そうかなあ」
部活三昧の生活を送っている自分に、何か他に惹かれるものはあるのだろうか。
もしくは、もう既に触れていて、気づいていないだけなのか。
だとしたら、それはもう目の前にあるのかもしれないが――そう考えていると、その目の前にいる同い年は、本を眺めながら言う。
「例えば、これね。図書室から借りてきたケルト文化の本なんだけど。違う国とはいえアイルランドと日本は同じ島国だし、宗教形態としても自然崇拝なのは知ってたから、とっつきやすいかなと思って読んでみたんだけど……。ケルトの人たちって、なんでこう、こんなに……直接的なんだろうね。びっくりしたよ」
「?」
今後そういった異文化に触れていくであろう、その記念すべき第一歩を踏み出したはずの咲耶は。
なぜかその本を無表情で読みつつ、ぶつぶつとつぶやいている。
「戦いとなれば喜び勇んで突っ込んでいくし、求愛もどストレートだし。ストーンサークルなんて、現代からしたら、もはや壮大なセクハラとしか思えない建造物だしね……。日本でもないではないだろうけど、なんかこう、感性的にはもっとウェットなはずだから、びっくりしたというかカルチャーショックというか……。気候かな。気候の違いからこんな風になるのかな……?」
「た、宝木さん!? 宝木さん!?」
遠いところに行ってしまったまま戻ってこない同い年を、必死に揺さぶって呼び戻す。
しかし理解の及ばない『似て非なるもの』を、それでも異端とは呼ばず、受け入れようとする咲耶を。
鍵太郎は、どこか微笑ましく思いながら見守っていた。
かつて排斥され、心を閉ざし、その力を自分を守るためだけに使っていた彼女が。
それを周りの人たちをつなぐ『武器』として扱おうとしていることが、なぜか、とても嬉しかった。
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みんななんやかんやありつつも、意外と将来のことをきちんと考えている。
「そうか、やりたくてできそうなこと、か……」
しかし咲耶の話を聞いて、少しだけ光が見えたような気はしてきた。
あとは彼女の言う通り、何か関心があるものに触れていけば、もう少し具体的に進路について絞っていけそうだ。
あのトロンボーンのアホの子のように際立った才能もないし。
咲耶のように特別な環境で育ったわけでもないけれど。
それでも、部長としてみなをまとめる身としては、きっと何かできることが――
「……あれ?」
と、そこまで考えて。
以前にもそれと似た言い回しを聞いたような気がして、鍵太郎は動きを止めた。
記憶を探ったが、それがいつのことか、何についてのことだったかはすぐには出てこない。
それでも『これ』は、先ほど言われたように、触れていった方がいいもののはずだ。
そう思って、うんうん唸っていると――
「……何してるの? 湊」
不思議そうな声が聞こえてきたので、鍵太郎はそちらを振り返った。
するとそこには、こういった相談に最も適していそうな人物が。
この部活において、おそらく随一の現実的な判断力を持つであろう――片柳隣花が、怪訝そうにこちらのことを見つめてきていた。
《参考音源》
キリストの受難
https://www.youtube.com/watch?v=yg_F0nNPb4M
(バリトンサックスソロは8:00より)




