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川連二高吹奏楽部~ここがハーレムだと、いつから錯覚していた?  作者: 譜楽士
第17幕 彼女たちには、意思がある
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キリストの受難

※主な登場人物(今回は全員二年生)

・湊鍵太郎…吹奏楽部部長。

・宝木咲耶…バスクラリネット担当。

・片柳隣花…ホルン担当。

 参考にしようと訊いてみたら、意外とみんな将来のことをきちんと考えていた。



###



「ええとね。私は、比較宗教学部に行きたいなーと思ってる」


 湊鍵太郎(みなとけんたろう)の問いにいつも通りにこやかに答えたのは、同い年の宝木咲耶(たからぎさくや)だ。


「比較宗教学部……?」


 将来、何になりたいですか――。

 そんな漠然とした問いかけに、二年生も後半の自分たちは具体的な一歩目として、まず学校から進路を尋ねられているわけだが。

 しかし鍵太郎としては正直部長でいっぱいいっぱいで、大学どころか志望学部でさえサッパリだった。

 なので、その辺りを真面目に考えていそうな咲耶に、どうするかを訊いてみたのだが――

 返ってきた答えは何というか、こちらの考えているものとはちょっと違うものではあった。

 彼女が口にしたのは聞いたことのない学部だが、まあ、寺生まれの咲耶といえば咲耶らしいのかもしれない。

 鍵太郎が首を傾げていると、彼女は「うん、日本でもあんまりない学部だから」と言ってくる。


「いろんな国や地域の宗教を学んでさ。その橋渡しができたらいいなと思ったんだ。ほら、最近よくその辺りの関係で、色々な事件が起きてるじゃない」

「ああ、確かに……」


 少しニュースに耳を傾ければ、世界のどこかで宗教に絡んだ紛争が、いくつも起きていることはすぐに分かる。

 執念、利権、理想、不安――そういったものが複雑に絡んで、今日もどこかで誰かが誰かを傷つけ合ったり、貶め合ったりしている。

 けれど――


「そういうの、少しでもなくすことができたらいいなって。別に世界を平和にしたいとか、そういうんじゃないんだけど――近くにいる誰かを守れるなら、それはそれでいいんじゃないかって思ってさ」

「ああ、いいんじゃないか。宝木さんらしくて」


 彼女はそれでも、その中にいる誰かを救う道を選んだのだ。

 そういった職業があるのかどうかは分からないが、もしそんな活躍ができるなら応援してやりたい。

 そんな気持ちで鍵太郎がうなずくと、咲耶は「ありがとう」と嬉しそうに笑った。

 そして、彼女はカバンから本や色々なものを取り出してくる。


「だから今のうちから、ちょっと勉強もしたりしてるんだよ。他の宗教とか文化とか、図書室で本を借りて読んだり、曲を聞いたりしてる」

「曲?」

「うん。曲も大事な文化背景のひとつだから」


 聞いてみる? とイヤホンを差し出されて、鍵太郎も興味があったので受け取った。

 最初は賑やかで、まるで祭りの街中に入ったような曲調だ。

 激しい部分、穏やかな部分があって、そして――

 しばらく聞いているうちに、曲はバリトンサックスの妖しげなソロの後に、他の楽器が怒号のように音をかき鳴らす場面に差し掛かる。

 何かを言い渡すような傲然たる旋律に、それに呼応する身勝手な不協和音たち。

 これは、何を表しているんだろう。

 そう思って目を向けると、咲耶はその意図を察したらしい。

 淡々とした口調で、この曲の名前を告げてくる。


「『キリストの受難』」


 そうつぶやいた彼女の顔は、いつものにこやかな表情ではない。

 ごくごくたまに見せる、素のものになっていた。


「バリトンサックスは、裁判官の役だよ。そして他の楽器は、それを見物してる、群衆の役。つまりそのシーンはキリストさんが、宗教裁判にかけられるシーン――つまり、死刑宣告をされるところ」

「……そんな」


 『キリストの受難』。

 同い年が語るその話は、特にこういったものに縁のない鍵太郎も知っている。

 かの主は当時の権力者たちに睨まれ、いわれ無き罪で死刑の判決を受けることとなった。

 それを『娯楽』として群集は見ていたのだ。

 そして彼らは、自分たちより強い者の権力を笠に着て叫ぶ。


 そうだ、殺せ!

 異端を――殺せ!


 何をするか分からないやつを殺せ。

 理解できないやつを殺せ。

 あいつを放っておいたら自分たちの害になる。殺しておいた方が世の中のためだ。

 ああ、自分より強い者を安全な位置からいたぶるのは、なんと心地がいいのだろう――


「今も昔も、人のそういうところは変わらないんだね」


 そんな大昔の出来事を、咲耶は冷静にそう言い捨てた。

 それは、彼女が他宗教の立場にいるからというよりは、彼女自身がそういった扱いを受けてきたからなのだろう。

 寺生まれという特殊な生い立ち。

 他と比べて綺麗に整った容姿。

 それはどんなところにあっても目立つ『異端』だ。

 そのせいで不当な扱いを受けたこともあったのかもしれない。思い返せば出会った当初の咲耶は、家が寺だということを隠そうとしていた。

 上手く立ち回って周囲に気を遣っていかなければ、立ち行かないこともあったはずだ。

 そうやってできたのが、宝木咲耶という人物だった。

 けど、それでも――


「私がこれを決められたのはね、湊くんのおかげなんだよ」


 この同い年は、そんな本当の素顔でもっても、微笑んでくれる。


「『好きなら、人はつながれる』。湊くんはそう言って、ずっとそれを信じて立ち向かい続けたよね。それがあったから、部活のみんなはバラバラにならずに済んだんだよ。

 近くにいる誰かを守って。考え方の違いがあっても、手の届く範囲だけだったとしても――一生懸命がんばり続けた。そんな湊くんを見てたら、今度は私も、自分ができることをやってみようって思ったんだ」


 だってどんな断絶だって飛び越えて、人はつながることができるんだから。

 かつて二人の間で、合言葉のように言ってきたそれをもう一度口にして――咲耶は、こちらの耳からイヤホンを外した。

 にっこり笑っていつもの穏やかな顔に戻った同い年に、鍵太郎は感嘆して言う。


「……すごいな、宝木さんは。すっげえちゃんと考えてるじゃないか」

「すごくないよ。さっきも言ったけど、私は自分がやりたくて、できそうなことを運よく見つけられただけだから。湊くんは湊くんで自分がやりたい、やれそうなことを探せばいいんだよ」

「やりたくて、できそうなこと……」


 そんなものが、あるだろうか。

 今は、部活のことで手一杯だけれども。

 それが終わったとき自分がやりたい、できそうなこと――

 一瞬そこで何かが浮かびかけるが、形にならずに消えてしまう。

 鍵太郎がもう一度その像を結ぼうとすると、咲耶が今度は取り出した本をめくりつつ、言ってくる。


「まあ、私だって正直どうなるか分からないから、今はとりあえず勉強するしかないんだけど。でも、きっと何かに惹かれることはあるだろうから――そういうのに触れていけば、そのうち見つかるものがあるんじゃないかな」

「そうかなあ」


 部活三昧の生活を送っている自分に、何か他に惹かれるものはあるのだろうか。

 もしくは、もう既に触れていて、気づいていないだけなのか。

 だとしたら、それはもう目の前にあるのかもしれないが――そう考えていると、その目の前にいる同い年は、本を眺めながら言う。


「例えば、これね。図書室から借りてきたケルト文化の本なんだけど。違う国とはいえアイルランドと日本は同じ島国だし、宗教形態としても自然崇拝(アニミズム)なのは知ってたから、とっつきやすいかなと思って読んでみたんだけど……。ケルトの人たちって、なんでこう、こんなに……直接的なんだろうね。びっくりしたよ」

「?」


 今後そういった異文化に触れていくであろう、その記念すべき第一歩を踏み出したはずの咲耶は。

 なぜかその本を無表情で読みつつ、ぶつぶつとつぶやいている。


「戦いとなれば喜び勇んで突っ込んでいくし、求愛もどストレートだし。ストーンサークルなんて、現代からしたら、もはや壮大なセクハラとしか思えない建造物だしね……。日本でもないではないだろうけど、なんかこう、感性的にはもっとウェットなはずだから、びっくりしたというかカルチャーショックというか……。気候かな。気候の違いからこんな風になるのかな……?」

「た、宝木さん!? 宝木さん!?」


 遠いところに行ってしまったまま戻ってこない同い年を、必死に揺さぶって呼び戻す。

 しかし理解の及ばない『似て非なるもの』を、それでも異端とは呼ばず、受け入れようとする咲耶を。

 鍵太郎は、どこか微笑ましく思いながら見守っていた。

 かつて排斥され、心を閉ざし、その力を自分を守るためだけに使っていた彼女が。

 それを周りの人たちをつなぐ『武器』として扱おうとしていることが、なぜか、とても嬉しかった。



###



 みんななんやかんやありつつも、意外と将来のことをきちんと考えている。


「そうか、やりたくてできそうなこと、か……」


 しかし咲耶の話を聞いて、少しだけ光が見えたような気はしてきた。

 あとは彼女の言う通り、何か関心があるものに触れていけば、もう少し具体的に進路について絞っていけそうだ。

 あのトロンボーンのアホの子のように際立った才能もないし。

 咲耶のように特別な環境で育ったわけでもないけれど。

 それでも、部長としてみなをまとめる身としては、きっと何かできることが――


「……あれ?」


 と、そこまで考えて。

 以前にもそれと似た言い回しを聞いたような気がして、鍵太郎は動きを止めた。

 記憶を探ったが、それがいつのことか、何についてのことだったかはすぐには出てこない。

 それでも『これ』は、先ほど言われたように、触れていった方がいいもののはずだ。

 そう思って、うんうん唸っていると――


「……何してるの? 湊」


 不思議そうな声が聞こえてきたので、鍵太郎はそちらを振り返った。

 するとそこには、こういった相談に最も適していそうな人物が。

 この部活において、おそらく随一の現実的な判断力を持つであろう――片柳隣花(かたやなぎりんか)が、怪訝そうにこちらのことを見つめてきていた。

《参考音源》

キリストの受難

https://www.youtube.com/watch?v=yg_F0nNPb4M

(バリトンサックスソロは8:00より)

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