本当に手をつなぐために
※主な登場人物
・柳橋葵…薗部高校吹奏楽部、部長。
・戸張櫂奈…同吹奏楽部、トランペット担当。
・植野沙彩…同吹奏楽部、ファゴット担当。
・西宮るり子…同吹奏楽部、顧問。
ステージから逃げ去ってしまった部員のことを追いかけ、柳橋葵はホールの中を走っていた。
「櫂奈ちゃん、どこなの!?」
戸張櫂奈。
葵と同じ吹奏楽部の、トランペットの同い年だ。
他校の生徒とどうしてか分からないが言い争いになり、そのままどこかに行ってしまった彼女だが――
「沙彩、いた!?」
「こっちにはいない……。けど、さすがにホールの敷地から出たってことはないと思う」
少し前に口ゲンカをした仲とはいえ、やはりどうしても放っておけなくて、葵は同じく部員の植野沙彩とホールの中を探し回っていた。
ステージ裏の通路と舞台袖を二手に分かれて探してみたが、櫂奈の姿は見当たらない。
合同バンド練習の休憩中だった以上、沙彩の言うように楽器も荷物も全部放り出して、家に帰ってしまうということは考えにくい。
なら、部員の誰にも見つからない場所――滅多に人通りがなさそうなところに、彼女はいるのではないか。
「だったら、なおさら早く見つけないと……!」
そう言って、葵は再び走り出す。
彼女自身、何に突き動かされてそうしているのかと訊かれれば――このままでは練習が再開できないからとか、学校としての面子が立たないからとか、そういうことではない。
あの背中を見たら、追いかけないわけにはいかなかったのだ。
自分が部長だからとか、相手が部員だからとか、そういうことではなく。
このまま彼女を見捨てるなんてことは、絶対にやりたくなかった。
そう思って大ホールを飛び出し、人目につかなさそうなところや、建物の構造として死角になっている場所を当たっていけば――
「……来たの」
戸張櫂奈はホールの二階と三階をつなぐ薄暗い階段で、ひとり小さく座り込んでいた。
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冷たい段差に腰を下ろしたまま動かない同い年へと、すぐに手を差し伸べたのは沙彩だ。
「櫂奈ちゃん、帰ろ?」
その手を見返して、しかし櫂奈は暗い目で拒絶の意志を示す。
「……放っておけばいいじゃない。あんなこと言われて何も言い返せなくて、逃げ出したやつのことなんか、放っておけばいいじゃない」
本当、あいつの言う通りだわ。
こんな弱い人間に、トランペットの一番を吹く資格なんてないんだから――そう言って、彼女は膝を寄せる。
「……そうね。結局私は、ひとりで勝手に、あの席の重圧に負けてただけなんでしょう。だからやっぱり、放っておけばいいのよ。役に立たない私なんて――」
「違う」
しかしそんな櫂奈の言葉を食い気味に否定したのは、それでも手を差し伸べ続ける沙彩だった。
「役に立たない人間なんていない。わたしにそう言ってくれた人が、あそこにはいるの。どんな楽器も、どんな人も。必要じゃない人なんて、どこにもいないんだよ」
「……植野?」
普段の様子からは信じられないくらい強い口調で言ってくる同い年を、櫂奈は怪訝そうに見上げる。
それはそうだ。沙彩が最近になって見せるようになってきたこの顔には、こちらだってまだ驚かされるぐらいなのだから。
そして、一番最初にそれに気づかされたときのことを思い出し、葵は言う。
「……ねえ、話してよ櫂奈。この間はごめん、ケンカになっちゃったけど……。今なら本当はあなたが何を考えていたか、どんな気持ちでいたか……ちゃんと、聞けそうだから」
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何を考えていたかと尋ねられたものの、櫂奈は自身も考えるように「……どう、なのかしらね」と首を傾げた。
「……とにかく、思ってたのはトランペットの一番になったからには、みんなをリードする音を出さなきゃってことだった。そこを怖がってたらあの楽器は務まらない。それは……私だって分かってたわ」
そこで先ほど口論になった相手の学校のトランペット吹きのことを思い出したのか、彼女は顔を伏せる。
確かにこの気の強い同い年がそうするのも頷けるくらい、あの顔を真っ赤にして怒鳴ってきた他校の生徒は、物凄い迫力だったのだ。
何について話していたのか、途中から騒ぎを見ることになった葵にはよく分からないが――トランペットの一番がどうの、という単語が当事者二人の口から出てきたのは耳にしている。
ならばその在り方について、トップ二人の意見が対立したのだろう。
これまでの経緯からして葵がそう考えていると、櫂奈はそのまま続ける。
「……でも、私はどこかで判断を決定的に間違えた、みたい。今回はテーマパークでの演奏なんだから、楽しくやらなきゃ、そのためには自分がまず楽しまなきゃって思って……。好きなように吹けば、みんなを鼓舞できるってやってきたつもりだった、けど」
うるさいって――言われて。
間違いだって、指摘されて。
「私だってがんばって、がんばって出してきたのに、なんで否定するのって、すっごいイライラしてきて……。トランペットの一番がどんなに重要なのかは、私だって分かってるつもりだった。だからそれを思い知らせてやろうって、これまで以上に吹くようになって……その結果が、あのザマよ。
けど、言われてみればその通り――私はあのポジションに自分が釣り合ってるかどうかが不安で、そのことを隠すために大声を張り上げてただけ、だったのかも……しれないわね」
「……がんばってたんでしょ」
方向性はどうあれ。
がむしゃらに走り続けていた同い年に、葵はそう声をかけた。
彼女の横暴ぶりには、こちらも散々迷惑をかけられたが――それでも櫂奈が、現状をどうにかしようとあがいていたことは、これで理解できた。
だったら、なおのこと放っておけないのだ。
そう思って葵が自分の発言の返事を待っていると、予想に反して、相手はまるで違うことを口にしてくる。
「……ああ。そういえば私もひとつ、あんたに謝らなきゃいけないことがあるの。柳橋」
「……?」
先ほど、こちらが頭を下げたからだろうか。
謝りたいこととは何だろう。葵がそう思っていると、櫂奈はひとつため息をついて、伏し目がちに言ってくる。
「部長になるの……断ってごめんね。あれ、リードトランペットと部長の両立は、とてもじゃないけどできないと思って、どうしても引き受けられなかったの」
「……っ!」
初めて聞いた同い年の本音に、葵は息を呑んだ。
彼女が部長になるのを断ったのは知っていたが、まさか裏で、そんな風に考えていたとは思わなかった。
一生懸命やっていたのは、どちらも同じ。
がんばって空回りしていたのは、どちらも同じ――
葵が部長としてどうしても上手く立ち回れなかったことを思い出していると、櫂奈は目を合わせないまま、それでも自分の本心を述べてくる。
「後からあんたが先生に振り回されてるのを見て、やっぱり私、部長にならなくてよかったって思ったわ。けど、同時に申し訳ない気持ちにもなった……。私に本当の自信があったら、こんなことにはならずに済んだかもしれないのにね……」
もうここから、私は間違えてたのかしら――
そう自嘲気味に口にする同い年を、葵は呆然と見つめる。
自信なさげに肩を寄せるその姿は、まさに部長になることが決まったときの、自分そのままで。
どっちもどっちで、お互い様としか言いようがないものだった。
だから――
「……間違いなんかじゃ、ないよ」
だからやっぱり、彼女を連れ戻しに来てよかったのだ。
自分と同じことで悩んでいたトランペット吹きに、今度こそ素直に、手を差し出すことができるのだから。
「自信がないのなんて、そんなの私も一緒だよ。だって今だって、みんなをまとめていけるかどうか不安で――でも、今の話を聞いたら、私はまた櫂奈ちゃんと演奏してみたいなって思った」
「……柳橋」
「いいよ。帰ろう。もう分かったから。今みたいに話せば、相手の学校の人だって許してくれるよ」
もう櫂奈は、十分に反省している。
そのことを示せれば、向こうだってきっと分かってくれるはずだ。
それでも駄目だったら――しょうがない。先方の部長の力も借りるしかない。
そう思って、同じく自嘲気味に笑う自分の手を、櫂奈は迷うように見つめていたが。
「大丈夫」
そう声をかけると――彼女は戸惑いながらも震える手で、こちらの手を掴んでくれる。
部長のことで誤解もあったかもしれない。
吹き方については、迷惑もかけられた。
でも、ようやくこうして手を取り合えたことが、葵にとってはとても嬉しかった。
「さ、みんな待ってるよ。ステージに戻ろう。少し長い休憩になったけど……その分、他の人たちも、もっと練習したいって思ってるはずだから」
「……うん」
こんな風に、しおらしくうなずく櫂奈を見るのも初めてで。
それだけでこれまで彼女が、どれだけ必死に不安と戦い続けていたかが分かる。
ああ、そうか。
私はこの同い年のことを、見ているつもりで、全く『見て』いなかったんだろうな――と。
そこまで考えたところで。
「――ッ!?」
「……どうしたの? 葵ちゃん」
葵の脳裏にある人物の姿がよぎり、彼女は衝撃のあまり、ステージに向かいかけた足を止めた。
これまでは、櫂奈を連れ戻せばどうにかなると思っていたが――それだけでは、根本的な解決にはならないことに、今更ながらに気づいてしまったのだ。
不思議そうに訊いてくる友人をよそに、薗部高校の部長は、これまでのことを振り返る。
そういえば以前からずっと、どこかで引っかかっていることはあった。
だって。
このトランペットの一番奏者に、知らず知らずとはいえここまでのプレッシャーを与えていたのは、誰だ?
最も、この部活を見ていなければならなかった立場のはずなのに。
ここにいる部員たちのことを、全く『見て』いなかったのは、誰だ――?
「……ねえ、沙彩」
そこで、今度こそ。
部長として、話をしなければならない人物の顔を思い浮かべ、葵はその名前を口にする。
「……るり子先生ってさ、さっき……舞台袖にいた?」




