鏡の中に見えるもの
※主な登場人物
・湊鍵太郎…川連二高吹奏楽部、部長。
・千渡光莉…同吹奏楽部、副部長。トランペット担当。
・柳橋葵…薗部高校吹奏楽部、部長。
・戸張櫂奈…同吹奏楽部、トランペット担当。
・城山匠…川連二高吹奏楽部、外部講師。
・本町瑞枝…同吹奏楽部、顧問。
湊鍵太郎が相手方の吹奏楽部の部長にメールを送ると、しばらく経ってから返事がきた。
『す、すみません! うちのトランペットの部員が、ご迷惑をおかけしておりましゅ!』
メールで噛むという器用な真似をした薗部高校の柳橋葵は、相当慌てていたのだろうか。
あるいは、焦っていたのかもしれない。
その自分の学校のトランペットの部員が、こちらの同じ楽器の部員と少々、馬が合わなさそうであることに。
そしてそれによって合同バンドの演奏も、どこか足並みが揃わないことに。
前回の合同練習を踏まえて、このままではまずいかもしれないと、鍵太郎は葵にこうしてメールを打ったわけだが――
続いて入ってきたメッセージは、こちらの予想のはるかに先を行ったものだった。
『じ、実はそのことについて、私もそのトランペットの部員と、少し話をしてみまして……』
「おお」
相手が携帯の向こうにいると知りつつも、鍵太郎は感嘆の声をあげた。
葵もその部員とは、性格的に合わなさそうな気がしていたのだが、そこは彼女も部長ということか。
それについてこれから相談しようと思っていたところだったので、既に事が動いているなら話は早い。
どうでしたかと訊いてみると、相手学校の部長はやはり少し間を置き、返信してくる。
『……あまり、いい結果にはなりませんでした。一応、注意はしてみたんですけど……その場では、聞き入れてもらえなくて』
『そりゃそうですよ。そう簡単にどうにかなるなら、こんなことにはなってませんし』
葵の送ってきた文に、鍵太郎は即座にそう返した。
自分だって今年のコンクールでは、元部長や元副部長と、散々やり合ってきたのだ。
人に考え方を変えてもらうことが一筋縄ではいかないことは、痛いほどによく分かっている。
それだけに、葵の心情は察するに余りある。こちらが間髪入れずメッセージを送ったことで、気持ちが少しほぐれたのだろう。
相手方の部長は、やや落ち着きを取り戻したような文章を送ってくる。
『……ありがとうございます。私も、もうちょっとがんばってみます。……けど』
葵はそこで、いったんためらうように言葉を切った。
『今度の年内最後の合同練習……もし何かあったら、すみません。そうならないように、私もやっていきますので』
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「というわけでだ。おまえも仲良くやりなさい、千渡」
「なんであんたに、そんなこと言われなくちゃならないわけ!?」
先方の部長と、メッセージのやり取りを経た後。
鍵太郎は同じ学校のトランペットの部員、千渡光莉にそう釘を刺していた。
今日は、年内最後の合同練習だ。
演奏チェック、全体の振り付けの確認、及び完成度の更なる向上など――やるべきことは山のようにある。
ただでさえ、こんな風に短気な彼女である。
せっかくこれまで築き上げてきたものを、お互いの学校の部員同士のいざこざで台無しにしてしまっては元も子もない。
前回の練習ではその相手学校の問題の部員とはソリが合わない、と明言していた光莉だ。
多少イライラすることはあっても、そこは抑えてもらいたい。仲良くしろ、とまではいかなくても――ケンカするな、とは言っておきたかった。
なので鍵太郎は、むくれる部員に部長として念を押しておく。
「トップ同士で音をぶつけ合うな、ってことだよ。おまえも分かってると思うけど、トランペットの一番二人が合わないと、全体に影響する。向こうが寄ってこないんだったら、こっちが大人になって対応するしかないだろうが」
「分かってる、分かってるわよ。……まったく。なんで私だけ我慢しなくちゃならないのよ」
そう文句を口にしながらも、彼女も副部長だ。
こちらの言いたいことは察してくれたらしい。まだ不満げではあるものの、渋々うなずいてくれた。
しかしそれでも、「ただし!」と光莉は譲れない一線を告げてくる。
「あんまり演奏に支障が出てくるようだったら、私も言うことは言うわよ。まあ……そりゃ、言い合いにならない程度にはするけど」
「すまん。よろしく頼む」
「はいはい。あ、向こうの学校の人たちが来たみたいね。挨拶しに行ってきなさいよ」
「うん」
今日の練習は本番に近い環境にしようと、お互いの学校近くのホールを借りていた。
なので少しだけ遅れて来た相手校の部長に挨拶をすべく、鍵太郎は舞台袖へ向かう。
その途中で――
「……」
その薗部高校のトランペット吹き、確か戸張といっただろうか。
かなり苛立った様子の彼女と、鍵太郎はすれ違った。
「……大丈夫かな」
その顔つきを見て、思わず後ろを振り返る。
光莉はああ言ってはいたが――本当にちょっとした刺激で爆発しかねないような、そんな雰囲気をあの他校の生徒は持っていたからだ。
向こうの部長が持て余すのもよく分かる。
あれは、かなり手ごわい。
そんな不安を抱きつつも、しかし今の自分ではどうしようもないことのため、鍵太郎はそのままその場を後にするしかなかった。
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「うん、もうちょっとだねー」
としばらく練習した後に、今回の指揮者である城山匠はそう口にした。
今日が終われば、年明けまでしばらく合同練習はなくなる。
なので今のうちに、できるだけ内容を詰めておかねばならなかった。冬休みのうちに各学校で練度を高め、年明けに審査のための映像を収録する計画だ。
鍵太郎も先ほどの合奏は注意深く聞いていたが、確かに先生の言う通り、まだまだいけるような気がする。
それはやはり、あのトランペットの二人がどうにかなればいいのだろうか――と右後ろを見れば、二人は特に会話をする様子もなく、それぞれツバ抜きをしたり楽譜を見たりしていた。
ケンカするなと言いはしたが、まるで話し合わないのも、それはそれでどうなのか。
難しい。どうしたものかと思っていると、城山が言う。
「じゃ、ちょっと休憩にしようか。それが終わったらまた合奏して、そこからは振り付けの確認をしていこう」
この先生も開き直ったのか割り切ったのか、指揮も前回より思い切りがよくなり、そしていつも通り柔和な笑みを浮かべていた。
流石はプロということか。大人だということなのだろうか。
しかしその笑顔も、若干苦笑気味なのは気のせいなのだろうか――現状から勘ぐっていると、城山はそのまま、どこかに行ってしまった。
これから自分の学校の顧問の先生や、相手の学校の顧問の先生と話し合いでもするのかもしれない。
ならば、それはそれで邪魔してはいけないものだ。
だったらこちらはこちらでやっていこうと、鍵太郎は楽器を置いて光莉の下へ向かう。
「どうだ、千渡」
「どうもこうだも……きついに決まってるでしょ。今は環境のせいで、もっと吹きにくくなってるし」
そう言って彼女は、曲中に出てくるハイトーンを、ホールに向かって思いっきり吹き飛ばした。
きっと合奏では存分に出なかったであろうその音だが、今は多少ヤケクソ気味になりながらも、一条の光になって客席の闇を突っ切っていく。
ストレス解消としてやったようだが、それでもまだ収まらなかったらしい。
光莉はそのまま、地団駄を踏みそうな勢いで叫ぶ。
「ああもう、曲はいいんだけど高い音多すぎ! 何回トランペットにハイトーン吹かせれば気が済むのよーっ!?」
「しょうがないだろ、楽譜にそう描いてあるんだから」
このあいだ彼女自身も言っていたが、テーマパークで扱われている系の曲は、音もテンションも通常より高いものが多い。
そしてそれが分かっているからこそ、実力を発揮できないこの現状に、余計にフラストレーションが溜まっているのだろう。
やっぱり隣にいる他校の生徒とは、もう少し上手くやれるようにしていかねば、と鍵太郎が考えていた――そのとき。
「高音苦手とか、あんたトランペットの一番やる資格あるの?」
鼻を鳴らしてその他校の生徒が、光莉へと馬鹿にした口調でそう言ってきた。
「このくらい出なかったら、ここに座ってる意味がないじゃない。というか隣で吹いてて、全然音が合わないんだけど。あんた人に合わせるの、すっごい下手ねえ」
「……は?」
「ちょ、千渡、千渡!?」
そのセリフに、押し殺した怒気を発した同い年に、鍵太郎は慌てて声をかけた。
今のは明らかに向こうの言いがかりだが、それに乗ってこちらまで熱くなってしまっては、非常にまずい。
最悪、合同バンド解散――とまではいかなくとも、この先ひどくやり辛くなるのは確かだ。
それだけは絶対、避けねばなるまい。
光莉も分かってはいるだろうが、こうまで言われては引き下がれないというのもあるだろう。
事前に釘を刺しておいたこともあり、彼女は爆発だけはどうにか抑え、反論をする。
「……それはこっちのセリフなんだけど。人に合わせるのが苦手なのはそっちでしょうが。ビャービャー吹き散らかして好き勝手にやって。こっちがどれだけ迷惑してると思ってんの」
「はぁ? 合わせられないやつが何言ってんの? 負け犬の遠吠えにしか聞こえないんですけど」
「――なん、ですってぇ……!?」
「あああああっ!? 千渡、ストップ、ストーップ!?」
声に一気に圧力を込める光莉を、鍵太郎は必死に止めにかかった。
向こうが寄ってこないんだったら、こっちが大人になって対応するしかない――そう先ほど自分が言ったことを、彼女はまだ頭の片隅にでも置いてくれているだろうか。
同レベルで張り合ったところで、解決にはならない。
ここからなんとか、落としどころを見つけなければ――そう鍵太郎が、死に物狂いで頭を働かせていると。
「――ああ」
そこで不意に光莉が、何かに気づいたような声をあげた。
その声音からはさっきまでのような、殺気立ったものは感じられない。
だが代わりに何か哀れむような、恐れるような――そんな響きが込められているように聞こえた。
あまりの急激な変化に戸惑って、鍵太郎が光莉を見れば、彼女は。
目の前の女子生徒に対して顔を歪め、その姿を認めて言う。
「なんであんたがこんなにムカつくのか、その理由がようやく分かったわ」
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そして、その頃。
ホールのロビーでは、城山と川連二高吹奏楽部顧問の本町瑞枝が話し合っていた。
今日の合奏の方向性や、振り付けの打ち合わせなどを、ひと通り済ませた後――
城山は指揮者としての顔を解き、ため息をついて本町に言う。
「……というか、先輩は本当に人が悪いと思うんですよ」
「んー? 何がだ?」
わざとらしく言ってくる大学の先輩に、城山はうんざりしたように顔をしかめた。
意図は分かっている。言いたいことも分かるけど――これはあんまりにも、荒療治に過ぎないか。
あのときよりは多少お互い大人になっているはずだが、だからこそその分、やり口がえげつない。
というか、自分たちは学生のときから根本的に変わっていないのではないか――そんなことを思いながら、今回の合同バンドの指揮者は言う。
「僕も大概、周りの人間は反面教師だったり、鏡として見てきたりしましたけど。それを知ってるなら、今回のは人が悪いを通り越して、悪質だと思うんです」
それにかつての、僕の失敗を聞いているなら、なおさら――と、薗部高校の顧問のことを思い出して、城山は苦々しく笑った。
かつての自分、一番思い出したくない過去を、その言動にあえて重ね合わせて。
「最も見たくなかった鏡――そんな昔の自分と同じような人間に、あえて会わせるんだから」
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そしてステージ上では、奇しくも大人と同じ言葉を、ひとりの生徒が言い放つ。
「あんた、昔の私に似てるのよ」
最も見たくない、おぞましいものを見たといったように、光莉は歪に笑う。
彼女のかつての過去。
小さくなってもなお、未だに血を流し続けるその傷を、真正面から見据えるように。




